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(つづき)何週間というもの、私はピアノを再び弾く決心がつきませんでした… でも、あなたと一緒なら ― あなたとだけですが ― 私、再び始める勇気を持てると感じます。
(ヴィオレット) どうして、わたしとなのですか?
(アリアーヌ) 私、直観という言葉はそれほど好きではありません。この言葉はあまりに乱用されたからですが、でも、ときどき突然私を襲う確信のようなものに対応する、唯一の言葉ではあります。それは観念より以上のものであって、ひとつの憑依です。
(ヴィオレット) 憑依とはこわいですね。(アリアーヌはピアノに近づいており、そこに積み重ねられているノート類を持ち上げる。) 何をお捜しですか?
(アリアーヌ) ローゼンミュラーのソナタを。それをジェロームが… (ヴィオレット、動揺する。) いいえ。聞いてください。あなたのコンディションを私に言ってください。それは私のコンディションなのです。せつにお願いしたいのですが、あまりに慎重にならないでください。私は、生きることがどれだけ大変かを知っています。
(ヴィオレット、打ち砕かれたようになって。) おねがいです、わたしにはできません…
(アリアーヌ) 私に大きな助けとなることを、してくださらないのですか? あ! ここに、捜していたものがありました。バッハのソナタ第一練習曲です。一緒にこの曲の一つを今すぐ弾くのは、あなたにはそれほど嫌なことですか?
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(ヴィオレット、次第に気詰まりになって。) もっと後ではいけませんか?
(アリアーヌ) 私には、それは大事なことではないのよ。私は兄のことを知っているけど、九時前には帰宅しないわ。
(ヴィオレット) なら、どうしてそんなに急いで? わたしは調子が良い状態では殆どないし… 弾く前に、このソナタ集を再譜読みしたかったのですが…
(アリアーヌ) ご冗談を。
(ヴィオレット) よいお考えだとは思いませんわ、確かに… 直観というものは… わたしも時々持ったことがあるように思いますが… あなたはわたしのことは全然ご存じありません。
(アリアーヌ) あなたが思っていらっしゃるよりは、ずっとよく存じておりますよ。(ヴィオレット、抗し難い眩惑のようなものに屈して、自分のヴァイオリンを手に取ってしまう。アリアーヌ、ピアノに向かい、楽譜を開く。) このソナタを弾くことで、どうですか?
(ヴィオレット、ほとんど聞き取れない声で。) それでよろしいのなら。(二人は、そのホ長調のソナタを演奏し始める。だが最初の幾小節かで、ヴィオレットがやめる。堪えられない嗚咽に揺さぶられたような状態である。 驚いたアリアーヌも、演奏をやめる。そして振り向いて立ち上がり、優しくヴィオレットの手からヴァイオリンと弓を取り、ピアノの上に置く。)
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(アリアーヌ) どうして泣いていらっしゃるの? ねえ。
(ヴィオレット) 耐えられません… できません…
(アリアーヌ、深い優しさで。) 私がすべてを知っていることを、理解していらっしゃらなかったの?
(ヴィオレット、茫然自失して。) 知ってらっしゃる?
(アリアーヌ) 何日か前から、私は、もう全然疑ってなかったわ。
(ヴィオレット) でもジェロームは…
(アリアーヌ、毅然として。) ジェロームについてはまだ話してはだめ。話はすべて、私たちの間のことだけに留めておかなければなりません。
(ヴィオレット) そんなことできません。
(アリアーヌ) ジェロームは子供です。私たち、彼をおおいに苦しませることができるでしょう。
(ヴィオレット) あなたが真実を知っていると、彼が気づいたら、わたしは想像もしませんが… 最悪のことが起こるかもしれません。彼は逃げ去るか、あるいは自分を…
(アリアーヌ) ジェロームは自殺はしないでしょう。逃げ去りもしないでしょう。(つづく)
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