見えない鳥の存在: Blog版

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別室の上映会(22):Not Without My Daughter

2012-03-31 | Bruxellesの原稿

今回は普通の映画:Not Without My Daughter
今朝のラジオで浜村淳が解説していました。
調べてみると結構古い映画なんですね。
近々日本で再上映??
Not Without My Daughter
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 &
No.5 No.6 & No.7 & No.8 &

アメリカの対イラン政局を考えて、100%完全なるPropaganda映画だと
感じました。イラン人の夫をとことん悪者にしている。イランという国に敵対心
を持つようにつくられている。イラン人はかなり低級な人種と設定されている。
この論理で行くと、日本人も同じ扱いをされかねない。そういえば、私がアメリカにいた頃、深夜のTVはほとんどが戦争映画で、登場する日本人は不細工で凶暴・残虐のワンパターンでしたね。こっちも感覚がマヒしていて、怒る気にもなれませんでした。
時代はホメイニが戻ってきてイスラム原理主義が復活した直後、確かにアメリカ女性の感覚では自由を奪われた監禁状態と感じるかもしれません。しかしこの人が日本人の医師と結婚していて、このように政治的動乱期に里心ついた夫と共に日本に帰ってきたとしたら、そしてそれが進歩的土地柄でなかったら、この主人公は全く同じように受け止めたと思われます。日本人なら「郷に入っては郷に従え」と思うところでしょう。ただ、2週間で帰るつもりもないのに、最初から夫が嘘をついた、ここが許せないのでしょうね。しかし日本人なら「嘘も方便」ですましていたでしょう。それが正しいというつもりはありませんけど、映画にするほどの怒りが湧かない、むしろイランを「悪の枢軸」と呼ぶためのPropagannda臭がぷんぷんして、反発を感じましたね。というのは、私にはとても大切な思い出のあるイラン人の友達がいたんですよね。いつ会っても祖国の話ばっかりする、大変な愛国者で、イラン革命に命を投げ出すつもり「ホメイニ万歳」という手紙の後、音信不通になってしまいました。時代的にはちょうどこの時代。教えてもらった簡単なペルシャ語も画面から聞き取れてABDIを思い出しました。私にイランのことをたくさん教えてくれたABDIは、おそらくこの時期、革命に命を捨てたのだと思っています。イスラムでは死は悲しみではなく、国のために死ぬことは最大の栄光であるとも言っていましたから。それとね、イラン人だけでなく、フランスでもそうでしたけど、アメリカ嫌いが多いですから、カルチャーから言うと、ストーリーに主人公ほど理不尽や反発を感じませんでした。
イランの資産凍結をしたりアメリカが結構戦争を仕掛けています。イラクの時はまだアメリカの工作に気づいていませんでしたが、今はすっかり手の内が読めます。アメリカはイランと無理やりにでも戦争をしたがっています。アメリカ国民もそして日本国民も、もうその手には乗らないように気を付けましょう。覚えているでしょう、日本は戦争は出来ないから、国民一人当たりたしか2万円、湾岸戦争のために拠出しましたよね。臆病者、卑怯者と名指されキリスト教者からもイスラム教者からも軽蔑をかってしまいました。戦争誘導のペテンがばれて、アメリカ国民も日本国民もかなり覚醒してきています。こんな映画くらいでイランに敵意や悪意を持つ人は、もういないでしょう。それを祈っています。

参照:ジャリンコさんの感想Blog:No.1 & No.2:
 



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