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愛がなければ 其の二

2007-05-25 13:06:34 | 生活デ哲学スル
ファミニズムにも愛がなけりゃね。
なんて大声で言ったら糾弾されそうなので、ビビリの初々さんはそうっとお話することにします。

婦人参政権から始まり、近年の雇用機会均等法・・・女性の社会進出、地位向上にフェミニズムが果たしてきた役割は非常に大きく、その功績に対して「愛がなけりゃね。」なんて言うつもりは全くありません。ここでお話しようと思っているのは、フェミニズムが議論を広げていった「ジェンダー」の話、とりわけ「家事(労働)の分担」について。

フェミニズム的「家事を分担せよ」という主張は、つまるところ「夫婦が生活していくうえでどうしても発生する労働を女性だけに押し付けず、男性も分担する義務がある」という論理ですよね。そして女性には、家事の分担を主張する権利がある、と言っているんですね。そこには、「間違いはありません」。でも同時に、「愛がありません」と私は思うのです。

そもそも、「家事」というものをどう捉えるかというところから議論は出発します。フェミニズム的「家事」は、おそらく「生活上発生する雑事」、要するに「あんまりしたくないけれど、やらないといけないからやる仕事」なんでしょう。何故家事がそのように捉えられるのか?それはもう当然、「経済モデル」で家事を考えているからなんですよね。家事を経済モデルで考えれば、「生産性」(つまりお金で換算できる利益)は全くありませんから、積極的に引き受けたい価値のある仕事というふうには捉えることはできません。生産性はない、しかし生活していく上でどうしても誰かがやらなければならない仕事ー確か村上春樹は、そんな仕事を「雪かき仕事」と言っていたように思いますがー、そんな仕事が「義務」となり、その義務を果たすべきだと皆で「権利」を主張しあうーつまり押しつけあうーというのが、「家事の分担」議論だと思うのです。

経済モデルで家事を考えると、家族の構成員同士で家事を押し付け合うという結果は当然の帰結のように思います。そこには、「家族みんなが快適に過ごせるように掃除をしたい」だとか「家族みんなが健やかであるために、美味しくて安全な食事を提供したい」という「願い」が入り込む余地がありません。だから私は、フェミニズム的家事の分担議論には「愛がない」と言うんです。「家族みんなのために」立ち働くことが、損得で考えられてしまう。そこにフェミニズムの限界を感じてしまいます。家族の健やかで快適な生活を願うことが出来れば、家事を引き受けることの「損得」なんて軽く超えることができるのです。

もちろん、家族みんなのために立ち働くことが女性だけに求められるわけではありません。それは、「家族の構成員みんな」に求められることなのです。そこには、男性だから、女性だから、おとなだから、こどもだからという区別はありません。それぞれが、それぞれの立場で、「家族の健やかで快適な生活」を願い、立ち働くことが求められてしかるべきなのです。そのためには、お互いに「配慮しあう」ということが必要になります。この「配慮」というものは、一般に考えられているより高度な技です。どういうことかというと・・・

フェミニズム的家事の押し付け合いでは、「私はご飯を作るんだから、お皿洗いぐらいしてよね。」ということになります。つまり、具体的な労働の割り振りになる。そしていったんその割り振りが決まってしまうと、また誰かの不満が高まってくるまでは、「それだけしていれば、とりあえずはいい」のです。一方配慮するということは、「家族の健やかで快適な生活のために、今、この状況で、この自分に出来ることは何か」ということをその都度考えて行動するということが基本になります。状況に応じて役割と仕事を変化させるというのは、固定された役割と義務を果たすよりも、はるかに高度な能力が必要になってくると思います。普段は食事作りから後片付けまでを妻がしているという場合でも、何かがあってとても忙しい日、家の中のことがまわっていないようであれば、夫が後片付けを手伝うというのは当然配慮として求められることです。そのような「家の中のことがまわっていない様子」を状況判断して、「自分が今一番何をすれば、家の中がまわるか」を考えて行動する。これが配慮ということなのです。とにかく家の中のことがまわっていないのにそのことに気づかず、普段通り見ても見なくてもいいようなテレビを見て過ごしていれば、「配慮が足りない」と非難されてしかるべきということになります。

この「配慮」ができるかどうか、というのは・・結局話がもとに戻りますが・・「家族の健やかで快適な生活」を願えるかどうか・・つまり愛があるかどうか、関心を持てるかどうか・・だと思うんです。おそらく「家事を分担してくれない」と憤る女性の多くは、仕事量そのものに対して負担感を強めているだけなのではなく、そこに「夫の配慮(愛)が見えない」ということへの不満が隠されているように思うのです。家事を分担してくれない夫に対して、「配慮=愛がない!」と訴えるのは身も蓋もないので、とりあえずは「家事をしてよ」ということになるのでしょうが、本当のところは配慮(愛)を求めているということが多いように思います。

で、話は少し変わりますが・・・
家族の構成員である以上、私は赤ちゃんにも配慮を求めます。どうしても何か用事をしなければならないとき、「今お母さんはお洗濯ものを干さないといけないから、ここでよい子して見ていてね。」と赤ちゃんに協力を依頼します。そしてよい子していてくれても、そうでなくても、待っていてくれたことーそれはその時、赤ちゃんが出来た最大のことーに「ありがとう」を伝える。赤ちゃんも立派な家族の一員ですから、これは大切なことだと思っています。
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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (みや~ん。)
2007-05-26 03:40:08
お久しぶりです♪
こ初々さんはすっかり大きくなられましたね^^。
バタバタしててもうそんなに月日が経ったのかと
いう感じですが^^;

最近は社会派初々さんですね。

今日の回はめっちゃ共感しました。
愛、配慮は大事ですよね。

ただ、鈍感力の回は僕は意見が違うかな。
鋭い感覚も鈍感力もどちらも大事だと思います。
ただ、配慮と同じでそれを生活をより楽しく
幸せにするためにどちらも使えばいいかなと
思いますが、いかがでしょうか?
正しい正しくないより楽しい楽しくないで判断
したいなと考えてるみや~んです。
もちろん、鈍感力を自分のご都合主義で使ってる
人には違和感がありますが、鈍感力自体は僕は
人間にとって必要なものの一つと思いますよ^^。
返信する
Unknown (みや~ん。)
2007-05-26 03:51:02
長くなりそうだったので、2回に分けました。

初々さんも+LOVE Tシャツを購入されたんですね♪

僕も1枚もっております^^。

男性なんでチョコミントで+LOVEがちっちゃいやつ

にしましたが^^;

けっこうお気に入りのTシャツの一つになってます。

良かったら、僕も初々さんのお話相手に加えて

くださいね^^。

パソコンのメルアドはyahooにしました。

このコメントに載ってるやつです。

携帯のメルアドは以前にオットさんに教えた通り

変わっておりません。

良かったら、ご連絡を^^。

オット初々さんも子育て顔晴られてる

みたいですね^^。

大変ながらも楽しんで子育てしようとする姿勢が

お二人から伝わってきますよ^^。

これからも頑固に意地を張る“頑張る”ではなく、

顔を晴れやかにする“顔晴る”でいって欲しいなぁ

と思ってます。
返信する
Unknown (初々)
2007-05-30 23:31:15
>みや~んさん
プラスラブTシャツ、私も持っていますが、写真はオットです・・・センチメンタルテリトリーTシャツは買われましたか?うちは家族みんなで買ってしまいました。こ初々さんが着られるようになるのは、まだだいぶん先ですが・・
そうですねぇ、子育てをしていると頑張ってしまいそうになりますが、リラックスして楽しんでいきたいなぁと思っています。それが可能なのも、たくさんの人の支えがあるからです。感謝、感謝・・
鈍感力の問題は難しい部分もありますが・・状況に応じて、センシティビティをあげたりさげたりできるといいのにな、と思います。
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