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京都生活手帖

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案外と続いている

2011-01-21 12:28:01 | おとなの家庭科
思っていたよりも案外と続いている、早寝早起き。たいてい子どもと一緒に(9時頃)寝て、朝は4時か5時に起きています。起床時間だけをみると、「すごい努力だ」と思いがちですが、なんのことはない。早く寝ているので、睡眠時間を毎日7時間~8時間とたっぷりとっていることになります。そして起きてすぐに1日の家事(やると決めた、最低限のことのみ。具体的には、モップがけとトイレ・洗面掃除、洗濯とお弁当作り、夕飯準備)を終わらせて、ラジオ体操。・・・つまり、勉強する時間はほとんど無いですね~(苦笑)。当初思っていた研究課題を自ら投げ捨て、白紙に戻している今、この行動は単なる「逃避」のようですが、今一度「身体と生活に根ざした」人間として、研究課題を考えてみようと思っています。な~んて言うとカッコイイですが、生活がぐしゃぐしゃで勉強のことばかりを考えていると、「そういう研究」しかできないんですよね。それでは私が願うところからどんどんと乖離していってしまう・・・ような気がして、自分自身の生活を立て直しております。やれやれ、いろんなことに時間がかかる人間だ・・・

ところで糸井重里さんが
「わたしをばかにしちゃいけないんです。案外、ぼくらは<わたし>をばかにしています。どうせ、こんなもんだろう、と、高をくくってみていたりするものです。<わたし>が、ばかにされているものだから、ぐずぐずになっちゃうんですよね。おそらく、部屋がちらかるのも、禁煙ができないのも、朝起きられないのも、ダイエットに成功しないのも、じぶんで、<わたし>をなめているんだと思うんです。」
とおっしゃっておられましたが、まぁつまり行動変化や継続には、自分自身への信頼が必要だ、ということです。それももちろんそうなのですが、加えて行動変化と継続にはそれなりの「利益」を感じないと、まぁ私のように凡庸な人間はやってられないような気がします。そして早寝早起きからどのような利益を得ているかというと、ひとつにはコントロール感。もうひとつは、今のところ感じている体調のよさ。この二つです。どちらも続けて1ヶ月にも満たないですし、様々な要因が絡んでくるので、一概に因果関係として捉えることは出来ない面がありますが、いずれにせよ「私自身が」、「いや~早寝早起きをしていると、何だか仕事も片付くし、体調もよいし、いいもんだ~」と思えていることが、ミソです。

それはさておき、とにかく仕事に追われるのではなく、可能な範囲でマネジメントしていると、気分的には楽なものです。一度決めたら、あとは身体を動かすのみ。「あれもやらなきゃ。これもやらなきゃ。あ、もうこんな時間!何にも出来てないじゃないか」と思うのが、まことに「きーーーっ!」となる原因の主要な部分を占めているような気がします。そしてそのうちに、「まぁ、できていなくてもいいか」と正当化する段階に入りますが、その低級な適応に本心から納得できないところが人間のややこしいけれども、素晴らしい一面なんですよね。それがなければ、人は成長できませんから。そういうことをうんざりするほど繰り返して今の私があり、そしてまたそのプロセスをうんざりするほど重ねていくとになる。・・・と書いていると気が遠くなってきましたが、とにかく、生活していると様々な突発的なことがありますが、それ以外のルーティンを予め決めて毎日生活することは、おそらく心身ともに健やかの秘訣なのかもしれないと思います。大体、自覚的な体調が悪くない。ラジオ体操をしたり、ストレッチなどを心がけるようにしたのも影響しているかもしれませんが、頭痛の頻度が明らかに減少しています。持病の頭痛のため、アセトアミノフェンが手放せず、ひどいときには毎日のように内服している時もあるのですが、今月に入ってからは内服するほどの頭痛がまだありません。このまま生理前の頭痛も軽減してくれないかな~と密かに期待をしているのですが、う~ん、こればっかりはどうでしょうねぇ・・・

しかしまだ朝暗い中、一人居間で「テレビ体操」を見ながらラジオ体操をしている姿って・・・ちょっと人には見られたくないような。でもテレビ体操に出てくるインストラクターのお姉さんたちの身体のきれのよさには、惚れ惚れとしてしまいますね。そんな「憧れ」を胸に、このまま運動習慣をつけたいなぁと思うのですが、いかんせん時間がない。最近のエビデンス的には、「肥満の予防、減量維持には、ウォーキング60分」などといわれているのですけれども、60分も運動にあてていられない。そうなってくると運動強度を上げて、時間を短くするしかありません。でも「10分のジョギング」さえ自信のないわたし、まずはラジオ体操で身体をほぐして様子をみようと思います。よかったらみなさんの「運動習慣」の工夫を、教えてくださいね。
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ハーフビネガーグリセリンの効果

2011-01-10 07:19:18 | おとなの家庭科


ハンドクリームがわりに・・・ハーフビネガーグリセリン・スプレー。

大学院の授業で、「よりよい看護技術」を検討するため、ミニ実験研究をしたり、文献検討をしています。その中で「乾燥肌のおじいちゃん、おばあちゃんには、ハーフビネガーがよい(経験則)」とのことで、友人の院生がそのエビデンスの検討と確立のために、ミニ実験研究を計画中。まだ実験は始まっていないのですが、一足先に「どんなものかしら」と作ってみました。リンゴ酢と水とグリセリンを1:1:1で割ったものをスプレーするだけなのですが・・・これが、とってもいいのです。もちろん肌質や荒れ具合で違うのでしょうが、私にはとってもよい。カサカサしてストッキングにひっかかる程度(でも傷はない)の荒れでしたら、するっとツルツルになります。おまけにべとつかないので、水仕事をするたんびにシュッシュッとふきつけていると、触り心地のいい肌に。どうも合うようです。ただしかし問題点がひとつ。「お酢くさい」・・・すぐに揮発して臭いは飛びますが、吹き付ける瞬間は「お酢~♪」の香りが漂います。なので、外出先で使うのは、ちとためらわれる。それさえ気にしなければ、まことに使い勝手のよいハンドクリーム代替品です。ハンドクリームも今は、基剤に界面活性剤が使われたりしているので、私はずっと使っていませんでした。そのかわりにワセリンをせっせと塗りたくっていたのですが、これがまたべとべとするんですよねぇ。こ初々さんは今でも全身にワセリンを塗って「てかてか」状態ですが、子どもはよくても大人はそんなふうにいつも光っているわけにも・・・というあたりからも、よいものに出会えたなぁと思っているのでした。

簡単に作れるので、どうぞお試しあれ。もうすぐ実験が開始され、こ初々さんも被験者に。使用前後の肌pHを測り、使用しない部分をコントロール群として比較する予定ですので、またご報告いたします。
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ストップ!風邪~実践編~

2011-01-06 07:55:22 | おとなの家庭科
今日も早起きが出来たので、連日アップ。

さて昨日は、集団保育の場での感染予防に対する不満を述べましたが、我が家でストップ感染症のキャンペーンをはったのはそんな「正しき理由」からではなく、とにかく「もう風邪にはこりごりだ」という思いから。本当に夫婦で風邪をひきっぱなしの秋でした。独り身でしたら多少の不調はどうにかなるものですが、いかんせん小さな子どもがいて両親が遠方ですと、「今日この日をどう乗り切ろう」と不安に思う。「えーい、今日は全部丸投げじゃ~」と寝込むわけにいかない状況だってあるだろうと思うと、すごく心もとない気持ちになるんですよね。これが、つらい。そしてもちろん体調が悪いというのは気分のよくないことでして、「もう風邪はひかんぞ」と決意を固め、勇んで!?予防の限りを尽くしたのでした。ちょうどその頃、職場で「インフルエンザ対策」に関する健康講座を担当したこともあり、復習をかねて改めてインフルエンザや風邪について学びました。そうする内に、当たり前のことですが、何にしても「相手を知って、生活を工夫する」ことの重要性を再認識。ですのでここでは、「相手(インフルエンザウィルス)を知る」と「生活を工夫する」の二本立てでいこうと思います。また、ここで書くのは「インフルエンザウィルス」についてですが、おおよそほかの風邪(ウィルス、細菌)もインフルエンザに準じる対策でよいのではないかと思います。(例外はたくさんあります。ノロウィルスはエタノール(アルコール)消毒なんかちっとも効果がなくて、塩素系の消毒剤を使用しなければならないとか・・・ですので、ここではあくまでもインフルエンザに関してのことを言っているのだと思って読んで頂けたらと思います。)

1)インフルエンザウィルスは、主に飛沫感染する。
患者さんたちも誤解していましたが、主な感染ルートは「空気感染」ではありません。インフルエンザウィルスは、空気中に長く漂っていられるほど分子が小さくなく重いので、咳くしゃみによって「つばき」や「しぶき」といっしょに放出されたウィルスは、至近距離で吸い込まれていくか、床やらまわりにびちょっとくっつきます。
<生活の工夫>
とにかくマスクの着用!もちろん、風邪っぴきの人がいれば、家の中ででもです。子どもにマスクを常時着用させることは困難ですので、もし子どもが風邪をひいているのであれば、まわりの人がみなマスクを着用する。マスクの感染防御率は思っているほど高くはありませんが、それでもしないよりはしたほうが絶対にいい。何にしても、遠慮なく咳やくしゃみをしまくる子どものつばきやしぶきを大量に吸い込まないことが大切だと思います。意外と忘れがちなのは寝ている時なのですが、寝ているときこそ至近距離で咳やくしゃみをされる可能性が大なので、就寝中にもマスクを着用しましょう。
それから、つばきを介して感染するということは、食事中に注意が必要ということになります。ついいつものように子どもの口に運んだ箸で思わず自分も食べてしまう・・・ということをやりがちですが、風邪っぴき中はお箸などは完全に分けましょう。食器類の洗浄は、いつも通りで対丈夫です。

2)インフルエンザウィルスは、生体以外の場所で数時間は生きていられる。
3)インフルエンザウィルスには、アルコール消毒が有効である。
基本的にウィルスというのは生体にくっついていないとやがて死滅していくものですが、つばきやしぶきと一緒に放出されて周囲にくっついたウィルスは、数時間は感染力を持って生きているようです。確実なエビデンスは入手できていないのですが(資料によってまちまち)、7~8時間くらいは生きていると思っていいようです。しかし考えようによっては、消毒をしなくても約半日空気中にさらしておけば勝手に死んでくれるとも言えます。
<生活の工夫>
机、テーブルなど拭けるところはこまめに「除菌ティッシュ」などで拭くといいでしょう。残念ながら我が家の床は無垢材なので水気のあるもので拭くことはできないのですが、ウィルスはホコリといっしょに床に落ちていると考えていいので、モップなどで乾拭きする。最新の病院はホコリのたまるような「角」をつくらないように丸く設計されているそうですが、それも感染対策のため。とにかく普段よりも清潔に。
ただ、アルコールによる手指消毒に関しては、私はあまり実施しませんでした。もちろん病院では必要ですし、プロは「スタンダード」の感染予防対策として義務づけられていることですが、家庭内ではよく考えて使用することをお勧めします。というのも、アルコール消毒はウィルスも殺してくれますが、人体の細胞にだってよいことはない。というか、傷害性があります。頻繁に使用すると手荒れをおこしますし、手荒れしている部分には菌がくっつきやすい。ですので私は「どうしてもすぐに手を洗えないとき」のために携帯用擦式アルコール(ジェルタイプ)を用意して、「どうしても」の時だけの使用に限りました。基本的にインフルエンザウィルスは流水で洗い流すだけで充分だと、私は考えています。衣類なども、洗濯機で一緒に洗うだけで大丈夫です。
意外と盲点なのが、布団。子どもと一緒に寝ている場合、夜の間にウィルスは布団にびっちりついていますよね。日中も同じ布団で過ごしてしまうと、また夜にそんな汚染された布団で大人も寝なくてはいけないことになる。というわけで、可能であれば夜間と日中に使う布団を別にして、昼間は夜間用の布団を干しておくことがおすすめ。シーツやカバー類も洗えれば洗っておくといいでしょう。

4)インフルエンザウィルスは、粘膜から感染する。
人体はおおよそ皮膚で覆われていますのでウィルスから守られているのですが、皮膚で覆われていない粘膜が空気中にいくつかさらされています。それが、口、鼻、目です。すべて、顔。
<生活の工夫>
とにかく風邪っぴきさんがいるときには、やたらめったらと顔に手で触らない。ウィルスが付着しているかもしれない机やテーブル、ドアノブなどに触った手で、鼻や口、目を触ってしまうと、そこから感染します。どうしても触りたいときには、手を洗ってから。風邪の期間は限られていますから、その期間だけでも、「自分の手のコンディションがどうなっているのか」を意識しておくといいですね。

5)インフルエンザウィルスは、洗い流すことができる。
とにかく流水での洗浄が基本となりますので、手洗い・うがいが有効です。海外での研究になりますが、こどもを対象とした手洗いの介入研究の結果で、きちんと手洗いをした子どもの群とそうではない群との比較で、手洗い群は肺炎の発生率が有意に低いという結果が出ています。エビデンスの強さでは、うがいよりも手洗いと言われていますが、どちらも実施できるとよいでしょう。手洗いの仕方については、厚生労働省が動画を公開しているので、参考にしてみてください。
<生活の工夫>
私が観察していて子どもの手洗いで洗い残しが多そうなのは、意外と手背(手のひらの裏側)でした。それから、指の間と指先はおとなでも洗い残しが多い部分となっています。石けんの使用に関しても、これは時と場合によって使い分けて構わないと私は思っています。あんまり頻繁に石けんで手洗いをすると、皮脂が落ちすぎてしまって荒れてしまいます。汚染の程度(それまでしていた作業によってかわってくるでしょう。)で、使い分けてみるといいと思います。子どもの鼻を拭くことが多いような時には、しょっちゅう手洗いをするのも億劫なので、使い捨て手袋があると便利です。手袋を脱ぐときに同時にティッシュも手袋に包んで捨ててしまうこともできますし。かんだティッシュはふたつきの容器に入れましょうと言われていますが、一度ティッシュについたウィルスが再び空気中に漂う可能性はあるのか?私は謎なので、特に用意はしませんでした。まぁあればあったで便利でしょうね。
それから家庭でする手洗いの盲点は、「タオル」ではないかと私は思います。可能であれば、タオルは何枚か用意して使い分ける。さらにタオルを清潔に扱おうと思ったら、たたむときや保管も工夫が必要ですね。私は洗濯物をたたむときには、新しい割烹着を着るようにしました。今から思えば、料理をするときもそうしたほうがよかったですね。子どもの相手をした同じ衣類で清潔にしたいものを扱っていたのでは、意味がなくなってしまいます。こうなってくるとほとんど看護でいうところの「ガウンテクニック」になってきますが、以前は「こんなので予防できるのかいな」とちょっと軽んじていたような・・・でも本気になると、「これは思ったよりも有効である」と思うのですから、不思議なものです。
もっと徹底しようと思ったら、風邪の期間だけはペーパータオルがお勧め。なかなかスーパーマーケットなどで売っていなかったので私も今回は用意できなかったのですが、ホームセンターで見つけて先日購入しておきました。いざ、というときにグッズがあるとやはり便利ですね。エコじゃないですけれども。ま、期間限定ということで。

これらの情報は、主に厚生労働省のホームページがもととなっています。よかったらご覧ください。また、ほぼ日でもインフルエンザの特集をくんでいたことがあったので、こちらもとても興味深かったためご紹介しておきます。
1)厚生労働省
2)ほぼ日 「高山先生、新型インフルエンザについて教えてください」

最後にあると便利なグッズをまとめておくと・・・
1)マスク
2)除菌ティッシュ
3)ウェットティッシュ
4)ペーパータオル
5)擦式手指アルコール消毒(携帯用)

そしてこれらはあくまでも「私たちの」生活の工夫なので、生活スタイルが異なる家庭で汎用性がない場合もあります。とにかくインフルエンザウィルスの特徴を知って、防御する工夫を考え、実施する。これに尽きるのかな、と思います。みなさんが考えた工夫についても、ぜひ教えて頂ければ嬉しいです。ここ最近、「看護は専門性を手放す必要があるのではないか」と問いかけられ、そのように常々思っていた私・・・病気のことは看護の専門ではありますが、その知識を占有していたのでは意味がありません。結局その知識を応用して、生活の中で役立てていくのは看護の専門家ではなく、生活者のみなさん。病気や障害の知識・情報を生活につないでいく、その知恵を蓄積させていくためには、家庭のみなさん(つまり市民のみなさん)との恊働が必要になります。というわけで、みなさんの「生活の工夫」をぜひぜひ教えてくださいね。

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ストップ!風邪

2011-01-05 08:28:31 | おとなの家庭科
毎年何か新年には、「心機一転!」と新しいことを始めたように思いますが・・・去年始めたことは、ちゃんと続いているのでしょうか。しかし何を心機一転始めたのかさえ覚えていないのですから、続いていれば「身に付いた」ということでしょうし、あるいはすぐに辞めてしまって忘れ去っているだけかもしれません。それはともかく、始めることが大事、というわけで、今年の「心機一転」は早寝早起き。もともと寝付きがあまりよくないので「早寝」がなかなかできない日もあるのですが、今のところ「早起き」だけは大体基準時刻を守れているようです。いや~しかし、いつまで続けられるかしら。みなさま、時々「早起きしてますか?」とプレッシャーをかけてくださいませ。

ところでまた話は全く変わりまして、これも書いておこう書いておこうと思いつつそのままになっていたこと。それは「ストップ!感染症(主に風邪)」です。実はずーっと、保育園など集団の(保育の)場での感染症対策には不満を抱いていました。それはもちろん「なんとかせい!」と非難したいわけでは決してなく、「どうにかならないものか(一緒に考えてゆきたい)」というものです。一番初めに保育園での感染症の恐ろしさを知ったのは、1歳半で一時保育に出したときのこと。感染症にめっきり強く、ほとんど風邪らしきものをひいたことのなかったこ初々さんでしたが、たった半日の預かり保育で翌日熱発。その後強力なウィルスか細菌はハハにも感染いたしまして、親子ですっかりダウン。育児ノイローゼになりかけの頃のことで、「少し親子で離れる時間を・・・」とヘロヘロになりながら思って申し込んだ一時保育でしたが、身体的不調への耐性のない弱っちいハハはすっかりめげてしまって、「これならば、ヘロヘロでも体が元気なほうがまし・・・」と半日行っただけで一時保育を辞めてしまいました。その後も保育園の子どもたちが外で遊んでいるのを見かける度に、「なんでみんな鼻をたらしているんだろう。」と引っかかっていたのでした。

もちろん集団の場で、感染症をゼロにできることはありませんし、感染症と上手につきあっていくよりほかありません。一部の感染症にはしっかりかかって免疫をつけておく必要もあるでしょうけれども、だからといって「ずーっと風邪をひきっぱなし」がいいわけはない。私が気になるのは、「集団の場では仕方ない」というか、「子どもなんて風邪をひくもの」というような考え方が保育の現場にあるのではないか、ということです。もしそうであれば、「それは違う」と私は思います。大体、おとなが軽い風邪にかかってもどれだけしんどいか。QOL(生活の質)は、ずいぶんと下がります。それは子どもだって同じではないか。子どもにも、ウィルスやら細菌やらにやられずに、のびのびと健やかに日々の生活を過ごす権利がある。元気な体で、精一杯楽しく遊ぶ・・・それを保証する義務が、おとなにはあると思うのです。

何度も言いますが、だからといって「何が何でも感染症から子どもを守る」と言いたいのではありません。どれだけ予防していたって、人が自然環境の中で人と交わりながら生活する以上、感染症は予防しつくせるものではない。しかし、あくまでも「それは、可能な限り予防するものである」という共通認識を持つべきではないか。私が思っていることは、そのことに尽きます。

そして、可能な限り予防策をとっているのだろうか・・・という目で見てみると、やはりとれていないような気がします。院生仲間(看護師)で子どもを保育園に通わせている友人も、「一人のこどもの鼻を拭いたその手で、別の子の鼻を拭いて欲しくない」と言っていましたが、本当に基本的な感染予防策が徹底されていない。「鼻水は汚い」とか何とかいうレベルで言っているのではなく、「同じ手で次々と別の子どもの鼻を拭いてまわる」という行為は、鼻腔に増殖している細菌やウィルスをどんどんほかの子どもに運んでいることにほかならないということなのです。看護の現場では、「一処置、一手洗い」がスタンダードで、別の患者に触れる時には必ず手洗いをしますが、風邪の子どもへの対応だって基本的に同じであってしかるべきではないか。それが集団の場で難しいのであれば、それに代わるような方法(使い捨て手袋の着用、携帯用擦式アルコールの使用など)を考えるべきではないのかと思います。オムツ交換だって、手袋を着用してもいいのではないかと思うのですけれどもね。

なんてことを言うと、「子どもとの触れ合いが大切なのです」というような議論が巻き起こる可能性があるのですが、それはそれ、これはこれ。手袋を着用したり、マスクをしたり、アルコールを使ったりすることで損なわれるような触れ合いなんて、別に要らないとさえ私は思います。本気で子どもの健やかな生活を願ってすることであれば、本当に大切なことが損なわれることはないのではないでしょうか。

また、「風邪をひいて、免疫をつけて強くなる」類のことが言われますが、それはほんまのことなのか~?と疑問です。そりゃあ、予防接種に指定されているような特定のウィルスは感染することで免疫がつきますけれども、風邪の起因菌なんておそらく山ほどあって変異も続けている。ひとつの風邪の菌やウィルスへの免疫は一度の風邪でつきますが、それで「免疫がついた」とか「強くなった」と言えるのか?「それでもうちの子は、入園当初より風邪をひかなくなった」と言うのは、子どもが風邪をひくことで免疫をつけたというよりも、子ども自身が成長して体力がついてきただけなのでは???もちろんそのあたりのエビデンスは分からないのですが、合理的に考えると「風邪をひいて、免疫をつける」というのは何だか納得できません。

そして「風邪から子どもを守る」のは、子どものためであると同時に、お母さんたちのためでもあります。と言うのは、基本的に保育園は福祉施策だということを忘れてはならないと思うのです。母子家庭などで経済的にどうしても働かなくてはならないお母さんたち、病気や傷害があって保育園を利用しているお母さんたちにとって、子どもの風邪で「働けない」「保育を利用できない」という状況は深刻な問題になります。そのような状況を可能な限り回避するためにも、風邪が蔓延している状態が「常態」とならないような具体的な方策がとられてもいいのではないか。そう思っています。

いずれにしても、「風邪はひくときにはひくけれど、ひかないにこしたことはない」というのが今の私の基本的なスタンスです。・・・と、ここでタイムアップ。次回は、11月に風邪ばっかりひいて冴えなかった私たちが、12月のこ初々さんの風邪をきっかけに「ストップ!家庭内感染!」ということで一大キャンペーンをはった時の様子について書きたいと思います。

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家計簿のつけかた講習会

2009-12-03 16:17:52 | おとなの家庭科


なかなか更新できずにおりましたが・・・家計簿のつけ方講習会へ行って参りました。この講習会は「家事家計講習会」とは違い、友の会の方がマンツーマンでついて下さって、写真の「家計暦(予算準備表)」をもとに来年度予算を一緒に考えて頂けるというものでした。写真では小さくて全然分からないと思いますが、各費目ごとにそれぞれ「毎月必要なもの」「一年を通して必要なもの」とに分けて記入していき(だから『暦』なんですね。)、トータルで一年の予算をたてていきます。もう本当に細かい細かい作業で、私なんて自分の予算編成を考える時も頭を抱え込みながらやっていたような面倒くさい過程にいちいちつき合ってくださるのには、本当に頭の下がる思い・・・しかし一緒にみて頂いたおかげで、家計のバランスを微調整したり、無駄なところをカットすることができたんですよねぇ。なかなか縮小できなかった食費も、ある程度の根拠に基づいて予算を小さくできました。このあたりが友の会のすごいところで、副食費は「栄養摂取基準」に基づいて年齢性別ごとに必要量を計算し、「京都における物価」をかけあわせて「ひとり一日あたりいくら」という目安が算出できるようになっているんです。野菜やら卵やら全てに渡って物価調査をするというのは恐ろしく手間ひまのかかることだと思うのですが、それが可能な組織力なんでしょうねぇ・・・ちなみに「京都において、30代の妻、40代のオット、子ども2歳」という家庭における副食費は一日あたり1400円です。(調味料費と主食費をのぞきます。)私は今までどうしても一日1500円を切ることができなかったのですが、「1400円で頑張れるってことかぁ。頑張ろう!」とやっと思えました。もちろん1400円というのはひとつの目安にすぎず、予算配分をする中で「私はここにこだわりたいんだ」という意思があればそれは尊重されるべきことだと思います。私の場合はどうしてもいい調味料を使いたがってしまうので調味料費がかさんでしまうのですが、そのあたりをちょっと嘆いたところ「でも、そうしたいならそれでいいんですよ」とおっしゃって頂いてなんとなくほっとしました。しかし全体のバランスをみていくと「やっぱり調味料費はもう少し抑えたほうがいいのでは」という気持ちになってきて、「ブロック肉料理に使うような醤油はいいものでなくてもいいよねぇ、煮物に使う醤油とわけよう。みりんは高いけれど、やっぱりこれはかえたくないからこのままで。」というように、優先順位をつけて微調整をすることに。そうやって調味料費も大幅に予算を抑えることができて、「この範囲の中でやっていけるように、やってみよう」と決意を新たにしました。さぁ、果たしてこれでやっていけるでしょうか!?

それにしても・・・ややカルチャーショックだったのは、家計をみてもらうことで気づいたのですが、「ここには、世の中の価値体系とは別の価値に基づいて生活を送る人たちがいるのだ」ということ。家計なんていう、一般的には「超・プライベート」領域のことも、「別に隠し立てするものではない」かのようにオープンに話し合う。何故それが可能なのかというと、やはり「収入の多い/少ないは、問題ではないのだ」ということが大前提になっているからなんですよね。そして実際にそれは問題とされません。つまり「家計が大きかろうと小さかろうと、与えられているものの中で上手にやりくりする。意思に基づいてお金を使っていく」ことが大切なこととされているわけですから、家計が小さいということは恥ずかしいことでもなんでもなく、大きな家計でも上手にやりくりされていなければ「改めるべきところがある」とされます。「多ければ多いほどいい」というような資本主義的価値とは全く違う価値の中で生活をしていくというのは、こういうことなんだなぁ・・・「頭」ではそのような価値があり得るのだということは分かっていましたが、「その価値を生きる(生活する)」というのがどういうことなのかについて私はこれまで知る事ができずにいました。しかし今回私は「それ」を目の前で見せられたように感じており、ちょっぴりショックを受けたのでした・・・私もまだまだだなぁ、と。そしてもちろん家計に関しても「できていない」ことは責められず、「改めたい(改善したい、成長したい)」という願いや意思が評価されるという点において、おおいに共感を寄せることができました。

なんていう話をオットにすると、「コミューンみたいだなぁ」とややひき気味でしたが・・・こういう世界もあるのだなぁと、私は感心しています。そうして今日は子どもを連れて友の会主催の「友愛セール」へ行き、鍋帽子料理のレシピ集が購入できてホクホクしているのでした。・・・しかし今日はおままごとをする子どもの口から「ゆうあいセール」という言葉が頻回に聞かれ、こ初々さんから「友愛」なんて言葉が出てくるのがおかしくてたまりません。


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