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京都生活手帖

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最近の言葉から

2013-03-29 22:49:14 | こ初々さんの詩
最近のニュースから
「裁判所は自転車に欠陥があることを認め、同社に1億5千万円の賠償を命じる判決を・・・」

「えっ! お父さん、自転車に血管ってあるの?」


ベネッセ チャレンジ一年生のコピーから
「○○を送って、スーパーいちねんせいえんぴつをてにいれよう」

「おとうさん、"手に入れるって"どういうこと? えんぴつに穴が空いてるってこと?」
「???? !あっいや、 "えんぴつに手を入れる”じゃなくて、"えんぴつを手にいれる"だよ」
「"えんぴつを手に入れる"ってことは、"自分のものにする"ってことだよ」
「スーパー一年生えんぴつが来るってこと?」
「そうそう」


アロエヨーグルトを食べながら

「アロエヨーグルトって、アロエ食べてる気がしないね」

(おっしゃる通りです)

otto ouioui

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「ようこそ」

2013-03-02 23:39:05 | こ初々さんの詩
こ初々さんが、5歳10カ月の時に書いた詩です。
自分が将来アイドル歌手になった時に歌うのだそうです。
曲をつけて歌ってくれました。

「2番も作る」と言うのでずっと待っておりましたが、
どうやら続きは未完のようですので、記録としてここに残しておきます。
全てひらがなで書かれていますが、意味をご理解いただけるように、
最小限に漢字を入れました。意味については本人に確認を取っております。



「ようこそ」

ようこそ きみにわたしたいよ
来て これあげる つつみをあけてね
わー 歌だ 歌詞 だーいすきだよ ありがとう
きみにも わたしたい 紙 あけてね 
わーあ 本だ だいすき
ありがとうね すきだよ
ようこそ

otto・ouioui
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全ての人はお母さんが好き

2011-08-12 23:44:02 | こ初々さんの詩
こ初々さん、現在、4歳6か月。最近“親子”概念がかなり正確になってきました。

こ初々さんの最初の“親子”は、まず自分と自分の父母との関係の理解でした。その後、“おかあさん”、“おとうさん”は自分の親だけでなく、全ての“子ども”には必ず親が居て、○○ちゃんのお母さんや○○ちゃんのお父さんというひとが存在することを知りました。そして最近、自分の父母にも、つまり大人にも、それぞれの父と母がいる、ということが理解できたようです。東京に居るのが、お母さんのお母さん。綾部に居るのがお父さんのお母さん、というように。つまり、全ての人には父と母が存在することを理解した、と言えるでしょう。
(あっ、今『わたしは慎吾』を思い出した。丁度読み終わったところなのら。)

そこで面白いのは、自分と母親の関係が自分以外の全ての母子関係に敷衍されると考えているところ。そりゃそうですね。幼児の思考の特性のひとつは“自己中心性”。自分が直接経験していることを、他の同じような関係に当てはめて考えるのは当然のことです。(いや、これは幼児だけの特性ではないか。大人だって同じですね。自分が経験したことはほかの人にも同様に当てはまる、と思っている。)

つまり、
『全ての人は(私と同じように)お母さんが大大大好きである』
『今、お母さんと一緒に住んでいない、お父ちゃんは、すごく会いたいのを(正確言えば、甘えたいのを)我慢しているのだ』
『だから、明日、お母さん(つまり祖母)に会えるのを指折り数えて(つまり、後いくつ寝ると)楽しみにしているのだ』

どうも、このように考えているようなのです。


「父ちゃん!、明日は(お父さんの)お母さんに会えんだよ! よかったねぇ」
「綾部に沢山泊ってきてもいいよ」
「お父ちゃんは、お母さんがいないから、私のお母さんのことを『お母さん』って呼ぶんでしょ」


自分の妻を「お母さん」と呼んでしまう、日本人的呼称関係についても自分なりの答えを見つけていたようです。あの痩せっぽちの身体と頭でいろんなことを考えているのだなぁ。なんだか、母を思う気持ちがいじらしくさえあります。そうです。全ての人はお母さんが好きなのです。「嫌いだ」と言う人も、「こうあってほしい」という願いがあるからこそ「嫌い」なのであって、その「嫌い」も含めて「好き」なのです。ニュートラルではいられない関係なのです。

というわけで、明日からottoの実家に帰ってきます。はい、楽しみです。おっかさんに甘えてきますのです。

otto初々

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ぜんぶのことばをいってるやつ

2011-08-12 00:07:23 | こ初々さんの詩
ことばによる表現もますます巧みになってきたこ初々さんです。単語そのものを知らなくても、あるいは忘れていても、それにまつわる事柄の説明で伝わることも多くなってきました。

その説明を注意深く聞いていると、彼女がそれをどのように捉えているのかがよくわかります。そしてそれは、案外、物事の本質をついていたりして面白いのです。

今日面白かったのは、

「お笑いで、一人で全部のことばをいってるやつ」

何のことだ分かりますか。そう、落語のことです。このあいだ、父ちゃんと落語をテレビで見たのを覚えていて、あれは面白かった、ということが伝えたかったようです。

落語とは、基本的に「お笑い」で、状況説明から、登場人物のセリフから、ト書きまで、全ての事柄をたった一人の言葉だけで伝える芸です。本来会話とは、複数の人間でやるべきものなのに、それをたった一人で全部やっている。ですから、こ初々の言葉「お笑いで、一人で全部のことばをいってるやつ」というのはよく考えてみると、「落語」についての完璧な定義のように思えてきます。

何も知らないからこそ、最初の出会いで物事の本質をスパッと見抜く力が子どもにはあるようです。ちょっと羨ましい気もしますが、大人には大人の楽しみとそれを支える能力があるので、まぁ、あまり羨ましがらないようにします。

otto・ouioui


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こ初々さんの詩 四題

2011-05-05 20:49:28 | こ初々さんの詩
其の一
プリキュアのぬり絵セットをねだって買ってもらった後の一言。

「テレビでこういうの(プリキュアのキャラクター商品)売ってますよぉってお知らせしてて、ビブレ(近くの商業施設)でこういうの売ってるかなぁって思ってて、売ってたら欲しいなぁって思っていたの」

CMって、「売ってますよぉ」というお知らせなんだ。そうだよねぇ。コマーシャル・メッセ―ジだからなぁ。博報堂が聞いたら泣いて喜ぶ。


其の二
朝の連続テレビドラマ「てっぱん」の総集編をみた、数時間後の一言。

「お母さんは、わたしの本当のお母さんなの?」

「てっぱん」の主人公の女の子は、18歳の時はじめて生みの親と育ての親が違うことを知らされるのでした。テレビを見てから数時間、ずっと気になっていたということでしょうか。出たー、「私はもらい子」幻想。


其の三
なぜか知らないけれど、唐突に。

「おとうさんって、誰にも負けなくて一番強いんでしょ」


「もちろん父ちゃんは強くてだれにも負けないよぉ」と答えておきました。


其の四
金魚すくいで捕まえた2匹を袋に入れてもらって一言。

「キンギョさんが私のうちに来たいなぁって言ったから来てもらったの」


なんとかわいいことを言うのでしょうか。それにしても、今日の金魚すくいは何匹捕まえても2匹しか持って帰れないルール。他の子は何匹も捕まえているのにうちの子だけは2匹捕まえた時点で、もういいの。4歳にして「我唯知足」の人です。いいのかそれで。


otto初々


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