空想科学少年
1
僕が大人になる頃には、ますます発達した科学が理想の世界を創ってくれるのだとばかり思っていた。では、理想の世界とは誰にとって理想の世界なのだろう。僕? それとも君?
この世界は『ロボット』の為の理想の世界となった。
張り付いたように笑みを浮かべる同級生。試しに殴って見るとどうだろう。頭に埋め込まれた発信機が異常を発して、ものの数分で、ここらは彼らに包囲されてしまうはずだ。
痛みを感じないロボットを殴ったところで、何か得がある訳ではないのだけれど、幾分僕の気は晴れるだろう。それで捕まってしまったら元も子も無いが。
僕は授業に出るのも億劫になり、藍色のデイパックを引っ掴んだ。教師が穏やかな声で言う。
「宵ノ口君。まだ、授業中、ですよ」
「うるせーよ」
僕が気のない声でそう言い返すと、教師は僕から視線を外し、授業を再開した。今日は『ロボット生誕日』と言う事もあってか、ロボットが出来るまでの過程の授業だった。
「2015年。ロブス社が人体の完全な機械化に成功し、それはあっという間に流行しました。そして……」
ロボットがロボット相手に授業をする事に、何の意味があるのだろう。計算が上手くなりたきゃ電卓機能をダウンロードすればいいし、歴史を学びたきゃ教科書一冊頭ん中に入れちまえばいい。
きっと、近い将来、学校はなくなるのだろう。
世界人口の約百十八分の百十七人がロボットとなってしまったこの世界には、そもそもやるべき事なんて皆無に等しいのだ。廊下に出たところで、久方と遭遇した。彼女も自分と同じ口なのか、学生鞄をぷらぷら振りまわして、所在なさそうに歩いていた。
僕は久方に歩み寄ると、後ろからポンと肩を叩いた。
「さっさと帰ろうぜ」
彼女と僕は人間友達だった。今の世の中、人間と言うだけで、不思議な絆が生まれた。それは一種の仲間意識のようなもので、群れから逸れた草食動物が寄りそうのと一緒だった。
久方はずーっと昔から変わらないショートカットを揺らして僕を見た。すると、ホッと安堵したような表情を浮かべた。
「宵ノ口。君はもう卒業できないそうだね」
「今の世の中、学歴なんて大した意味を持たないんだ」
「負け惜しみに聞こえるよ」
彼女が何故安堵したように見えたのか、僕には分かった。久方はもう半年前から卒業できない事が決まっていて、人間仲間である僕が久方と同じ退学or留年仲間である事が心強いのだろう。
「これからどうしよう」
「宵ノ口の留年祝いに何処か寄って帰ろうか」
「それも悪くないな」
僕と久方は揃って校門を出た。整然とした道路が何処までも続いている。車は環境に悪いと言う事で、乗るのは人間に限られている。その為、多くの自動車会社が倒産した。一時期、失業者で街は溢れていたが、彼らは皆人間である事を捨ててしまった。
これは壮大なロールプレイングだ、と僕は思う。僕と久方が立ち寄った駄菓子屋は、僕たちが生まれるずっと前から店を維持し続けている。しかし、駄菓子屋に来る人間を、僕は久方くらいしか知らない。二人の客の為に、この駄菓子屋は開いている。
この駄菓子屋のお婆さんはロボットと言うものが心底嫌いらしい。だから、今もたった一人で店を切り盛りしている。駄菓子と言う、心底無駄な物を売りさばいて、ロボット化に反発の意を示している。
だから、僕は出来るだけこの店に来ようと心に決めていた。僕がこの場所を忘れてしまったら、ここは本当に誰も来ない場所になってしまう。
まだロボット化が進んでいなかった頃、百円を握りしめてこの駄菓子屋に駆け込んだ記憶を廃れさせない為に、僕はここに通い続けている。
「あっ」
久方がポツンとこぼした。僕は身を乗り出して、久方の視線の先にあるものを見た。開けるのにコツが要るガラス戸は、木の板によって打ちつけられ、「閉店しました」と、赤字で書かれた張り紙が空しく風になびいていた。
僕たちは何も言う事が出来ず、その場に固まった。足元にはタールのようにべっとりとした影が張り付いていた。右こめかみから発生した汗が頬を伝って顎から落ちる。
久方は僕の肩を叩いた。
「……入って見ようか」
僕は黙ってうなずいた。打ち付けられた木を剥がすのは到底無理だったので、僕たちは店の裏側から回って店の中へ入った。まるで何百年もの間時を止めていたような店内には、埃が空気中を漂っていた。割れた窓から入る光がゴムボールを輝かせる。天井からぶら下がる飛行機の模型は、僕が生まれる半世紀も前に戦争で使われた戦闘機らしい。
いつもお婆さんが座っていた上座には、誰もいなかった。僕は今更ながらに、お婆さんが座っていた座布団が自分の家にもある桜模様である事に気が付いた。
「お婆さん。どうしたんだろう。死んだのかな」
久方がアイスのボックスを開ける。電気が止められていたせいで、氷菓子は全て解け、アイスクリームからは嫌な臭いがした。
「だったら良いんだけどね」
「だったら良い?」
「お婆さんがロボットになってたら悲しいだろ」
僕は久方の言葉に賛同しかねて俯いた。久方はそんな僕を責める気は更々ないようで、店の中を物色する。僕は彼女がこれから泥棒的な行為に及ぶのではないかと内心ビクビクしていたが、そんな事はなく、久方は駄菓子屋にすっかり興味を失ったようだった。
「宵ノ口」
「ん?」
「悲しいかい?」
「少しな」
僕と久方は店を出た。もう、ここへ来る事はないだろう。
駄菓子屋は不思議な魔力を持っていた。それが全ての駄菓子屋に通ずるものなのかは分からない。何故なら、僕達の知っている駄菓子屋はここだけだったのだから。きっと、僕達の人生で再び駄菓子屋が登場する事はないだろう。
駄菓子屋前の公園は寂然とした空気を内包しながらも、確かにそこに存在した。人の姿は見られない。僕達はブランコの裏にあるベンチに腰掛けた。自販機でコーラを二つ買う。一つを久方に渡した。
久方はあたかもそれが当然だと言うように、僕の手からコーラを奪うと、口に付けようとはせず、それを両手で軽く握った。
「何で皆ロボットになろうと思うんだろうね」
「悲しい事や辛い事があっても苦にならず。寝る必要も無く、疲れを知らない」
「確かにロボットは人より優れているかもしれない。でも、辛い事や苦しい事も含めて人生のはずだろ」
「それを皆が知ってたら世界はこんな風にならなかったんだろうな。……人生ってのは険しすぎる」
僕の訳知った物言いに、久方は少しだけ眉を吊った。
「じゃあ、その人生が険しすぎると知っている君は、何でロボットになろうと思わないんだ?」
僕は閉口した。察してはくれないものかと、久方の方をチラチラと見やる。しかし、彼女は一切気付く様子なく、首を傾げた。
僕がロボットになろうとしない理由は一つ。彼女の為だった。久方とは五歳の頃から友達だった。久方は昔から引っ込み思案な奴で、いつも僕の後ろに隠れていた。今も、僕の前だと強がってはいるが、人見知りは相変わらずだ。
久方を残して、僕だけロボットになる訳にはいかないと思った。だから、僕は久方が人間である内は、このままでいようと決めていた。
そんな事露知らず、彼女は首をかしげている。僕は無性に腹が立ち、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。久方は「良く分からない奴だなぁ」と言って、初めてコーラに口を付けた。
「じゃあ逆に訊くけど、久方は何でロボットにならないんだ」
久方はコーラから口を離さず、視線だけ僕の方へ向けた。ゆっくりコーラをベンチへ置く。きっと彼女はワザと遅い動作をして考える時間を稼いでいるのだろう。
久方はその理由を決して明かそうとはしなかった。今日も誤魔化されるのだろう。その為、僕は「どうせ言う気はないんだろ」と言って、早々に会話を切り上げた。
久方が不敵に笑う。まるで、分かっているじゃないかと言っているようだった。
僕達がコーラを飲み終える頃には、日はすっかり傾いていた。僕はコーラの入っていた紙コップをゴミ箱へ捨てて立ち上がった。
「そろそろ帰るか」
久方は乗り気ではなかった。
もう少し此処に居ないか? と、執拗に僕を誘ってくる。普段、彼女からこのように言われる事はなかった。僕は妙な胸騒ぎを覚えて、久方の隣に再び腰を下ろした。
「不良少女じゃねーんだから、家に帰りたくないとか言うなよ」
「ふふ、そんな扇情的な言葉を言って襲われたんじゃ堪らない」
久方の笑顔は無理に造られているような気がして、僕は急に心配になった。しかし、久方と言う女は自分の弱みを人に見せたがらない。僕では相談相手として力不足だ。
「……なんかあったなら言えよ」
「もう少し経ってからでいいかい」
久方はその後、ずーっと黙り込んでいた。果たして、僕が此処に居る意味はあるのか疑問だが、彼女に辛い事があったのは間違いない。久方はロボットではない、辛い事があったら人並みに苦しいのだ。
街灯がポツンポツンと点き始めた頃。久方は言った。
「何で私がロボットになろうとしないか、君は訊いたね」
突然の発言に、僕は少しだけ戸惑った。久方はそんな事お構いなしに話し始めた。
「私は、ロボット二人の子供なんだ。それは知ってるな」
「……ああ」
「私は父と母がダウンロードしたソフトを盗み見たんだ。五歳の夏、衝撃的だったよ。私は少なからず両親に愛されていると思っていた。でも、両親は私を愛していたのではなく。私が健全に育つようプログラムされていただけだったんだ」
街灯の灯に蛾が集まって来る。ジーっと言う電気の稼働音だけが公園に響いていた。鉄棒の影がゆっくりと消えて行く。空は夜の帳に切り替わっていた。
「その事を駄菓子屋の件で思い出してしまってね。どうにも、ロボットの待つ家へ帰る気になれなかったんだ」
そう言って、久方は皮肉めいた笑みを浮かべた。
僕は久方の言葉に共感する事は出来なかった。自分の冷静な部分が「止めろ」と警鐘を鳴らしている。しかし、僕は人間だ。感情に任せて発現する事もある。
「それは……間違っていると僕は思う」
「……」
「ロボットは無感情な訳じゃないんだ。人間らしくないって言うのは分かる。でも、両親が君を大事に思っていたのは……本当だと思う」
久方は、まるで信じられない物を見るかのように、僕を凝視した。僕も同じ気持ちだった。何故なら、僕は久方の意見を真っ向から反対する事なんて滅多になく、さらに、ロボット関連の話では、ろくに考えもせず頷いているだけだったからだ。
久方は僕に当たり散らすように言った。
「じゃあ、私が本当に不良少女になったら、両親は私の事を本気で怒ってくれるって言うのかい?」
「怒るさ。でも、彼らにはそれを表現するための術が無いんだよ」
「そんなの、嘘だよ」
「嘘じゃない」
「証拠は? ロボットが、内心怒っているって言う物的証拠でもあるのかい?」
「……久方、いい加減にしろ」
「無いんだろ。それなのに君は――」
「いい加減にしろって言ってんだろ!?」
久方は小さく震えた。僕は久しぶりに出した怒鳴り声に自分自身驚いてしまった。自分の喉には、まだこれだけの怒声を出す力が残っているとは、思ってもいなかったのだ。
続けて、怒鳴った事に後悔が押し寄せてくる。久方がこんなに頑なになるのも無理はない。彼女がそう思ったのは事実であり、ロボットに怒りや悲しみなどの感情がある証拠など、一切ないのだから。
久方は無言で立ちあがると、紙コップを踏みつけた。
彼女は何も言う事無く、振り返る事も無く去っていた。手持無沙汰になった僕は、久方が放置した紙コップをゴミ箱に投げ入れて公園を出た。
2
家に帰ると母親が僕を迎えてくれた。
「公宏、おかえりなさい」
「ただいま、母さん」
僕は鞄を自室のベッドに放り投げると直ぐに食卓に向かった。父さんが背筋を伸ばして僕が食事の席へ座るのを待っている。僕は黙々とご飯を食べた。
幸せだった。
例え、造られた幸せだったとしても、この幸福感に嘘偽りは存在しなかった。
僕の両親は、ずっと昔に亡くなっていた。だが、つい二年前、ロボットにする事が出来ると判明して、僕は間をおかず、二つ返事で返した。
「公宏、学校は、どう?」
「何も問題ないよ、母さん」
「そう」
そう言って、母親は軽く頷いた。
僕が久方の意見に賛成しかねる理由は、ここにあった。
僕はロボットの両親を自ら欲した。それは結果的に、人生に絶望しかけていた僕に一抹の希望をもたらしてくれた。だから、ロボットを必要無いもの、非人道的なものと捉える久方の意見には同意する事は出来なかった。
――その時、両親が一遍に立ちあがった。
まるで戦争時の兵隊のような、機敏な動作で、僕は唖然として直立不動する両親を仰いだ。眼が赤く点滅している。これはロボットが何らかの害を与えられた時に起こる現象だった。被害を受けたロボットが信号を発信して、近くのロボットに助けを求めるのだ。
僕がその事に気付いたのは、両親が家を出て行ったあとで、僕は少しばかりの好奇心に後押しされ、両親の後について行った。二体が足を止める。
――久方の家だ。
久方の家は僕の家の斜向かいにある。僕はロボットによって造られた垣根を超え、すっかり荒れ果てた久方の家を覗いた。
二体のロボットが、バラバラになっている。
金属片が飛び散り、腕はもげている。頭からバネのような物が飛び出しており、もの悲しさを演出していた。そして、その二体の近くには、久方がいた。彼女は警備のロボットに手錠を掛けられ、特に感情ない様子で、久方の両親のロボットを見下ろしていた。
「……久……方?」
久方は僕の声に気付き、面を上げた。そして、まるで僕を安心させるかのようにニコっと笑った。
「宵ノ口。君のせいじゃないよ」
久方はそれだけ言うと、警備ロボットによって連行されていった。僕は久方が見えなくなるまで、ただ、呆然とその場に立ちすくんでいた。
「久方ちゃんはね。犯罪者なの。もう、忘れなさい」
僕は肩に触れた母親の手を払い落した。
……まるで人形遊びじゃないか。
自分でも滑稽で泣けてくる。本当の母親は、絶対にこんな事言わない。僕が泣いている時は、いつも背中をさすって励ましてくれる。
つい先ほどまで、活き活きとした人間に見えていたそれは、酷く無機質な機械人形になり下がってしまい、僕は走って家に戻ると自室に引っ込んだ。
僕はただ、寂しかった。突然欠けてしまった心の隙間を、何とかして埋めようと考えた。だから、ロボットにするなんてバカな事を考えたんだ。
でも、それは間違っていた。
久方はずっとそれに気付いていた。だから彼女は、とうとう我慢できなくなって、自らの手で終止符を打った。無理やり心の隙間に入ってこようとするロボットを壊すことで。
3
次の日、僕は惰性で学校へ行った。久方はもういない。それなのに、朝礼の時、僕はついつい全校生徒の中から彼女を探してしまう。彼女が居るべき場所に、姿は発見できなかった。やはり、もう彼女は帰ってこないのだろう。
そう思った矢先、僕は驚愕した。なんと、久方が校長の隣に立っていたのだ。両手に手錠は掛けられていない。いつもの久方だ。
「久方!」
僕は隊列を崩して体育館の奥へ走った。ロボットをなぎ倒して、ひたすら久方のもとへ。
「宵ノ口君、まだ、朝礼、ですよ」
そう言って立ちはだかる校長を、僕は張り倒した。段差を一息に上がり、僕は久方の両肩を掴んだ。
「久方っ。お前、無事だったんだな!?」
久方は何も答えなかった。不自然な言動に、僕は当惑した。何故、どうして久方の肩がこんなに冷たいのだろう。人のぬくもりを宿していないのだろう。
「宵ノ口『君』。どうしたの、ですか?」
「……久方、じゃないのか? お前は俺を君付けで呼んだりしないだろ? なあ、からかってるなら止めてくれよぉ……」
「からかって、いません」
振り返ると、全校生徒が眼を赤くしていた。どうやら、僕は敵と認識されてしまったらしい。ふと、短く息を吐いた。もう、僕の目的は達成されたんだ。久方はロボットになってしまったわけだし、僕が人間に執着する理由はなくなった。
「久方。最後に、君に謝らせてくれ。あの時、怒鳴ってごめん。君はこんなにも悩んでいたのに、僕はそれを理解する事が出来なかった」
久方は何も言わなかった。ただ、冷たい視線を僕に送っている。
「僕は、ずーっと昔から久方の事が――」
その時、僕の腕を警備のロボットが掴んだ。抵抗しようとしたため、警備ロボットは容赦なく僕を組み伏せる。僕は久方の足元に這いつくばった。なんて情けないんだろう。
組み伏せられた僕の前に、一滴のオイルが落ちた。故障した警備ロボットの物かと思ったが、そんな事はなかった。それは、間違いなく久方の目から流れていた。
瞬き一つしない彼女は、その控えめな唇だけを小さく動かしてこう言った。
「わたしも」
来週から、ロボットになる事が義務化されるそうだ。
あとがき
久しぶりに短編を描いたよぉ! 以上
1
僕が大人になる頃には、ますます発達した科学が理想の世界を創ってくれるのだとばかり思っていた。では、理想の世界とは誰にとって理想の世界なのだろう。僕? それとも君?
この世界は『ロボット』の為の理想の世界となった。
張り付いたように笑みを浮かべる同級生。試しに殴って見るとどうだろう。頭に埋め込まれた発信機が異常を発して、ものの数分で、ここらは彼らに包囲されてしまうはずだ。
痛みを感じないロボットを殴ったところで、何か得がある訳ではないのだけれど、幾分僕の気は晴れるだろう。それで捕まってしまったら元も子も無いが。
僕は授業に出るのも億劫になり、藍色のデイパックを引っ掴んだ。教師が穏やかな声で言う。
「宵ノ口君。まだ、授業中、ですよ」
「うるせーよ」
僕が気のない声でそう言い返すと、教師は僕から視線を外し、授業を再開した。今日は『ロボット生誕日』と言う事もあってか、ロボットが出来るまでの過程の授業だった。
「2015年。ロブス社が人体の完全な機械化に成功し、それはあっという間に流行しました。そして……」
ロボットがロボット相手に授業をする事に、何の意味があるのだろう。計算が上手くなりたきゃ電卓機能をダウンロードすればいいし、歴史を学びたきゃ教科書一冊頭ん中に入れちまえばいい。
きっと、近い将来、学校はなくなるのだろう。
世界人口の約百十八分の百十七人がロボットとなってしまったこの世界には、そもそもやるべき事なんて皆無に等しいのだ。廊下に出たところで、久方と遭遇した。彼女も自分と同じ口なのか、学生鞄をぷらぷら振りまわして、所在なさそうに歩いていた。
僕は久方に歩み寄ると、後ろからポンと肩を叩いた。
「さっさと帰ろうぜ」
彼女と僕は人間友達だった。今の世の中、人間と言うだけで、不思議な絆が生まれた。それは一種の仲間意識のようなもので、群れから逸れた草食動物が寄りそうのと一緒だった。
久方はずーっと昔から変わらないショートカットを揺らして僕を見た。すると、ホッと安堵したような表情を浮かべた。
「宵ノ口。君はもう卒業できないそうだね」
「今の世の中、学歴なんて大した意味を持たないんだ」
「負け惜しみに聞こえるよ」
彼女が何故安堵したように見えたのか、僕には分かった。久方はもう半年前から卒業できない事が決まっていて、人間仲間である僕が久方と同じ退学or留年仲間である事が心強いのだろう。
「これからどうしよう」
「宵ノ口の留年祝いに何処か寄って帰ろうか」
「それも悪くないな」
僕と久方は揃って校門を出た。整然とした道路が何処までも続いている。車は環境に悪いと言う事で、乗るのは人間に限られている。その為、多くの自動車会社が倒産した。一時期、失業者で街は溢れていたが、彼らは皆人間である事を捨ててしまった。
これは壮大なロールプレイングだ、と僕は思う。僕と久方が立ち寄った駄菓子屋は、僕たちが生まれるずっと前から店を維持し続けている。しかし、駄菓子屋に来る人間を、僕は久方くらいしか知らない。二人の客の為に、この駄菓子屋は開いている。
この駄菓子屋のお婆さんはロボットと言うものが心底嫌いらしい。だから、今もたった一人で店を切り盛りしている。駄菓子と言う、心底無駄な物を売りさばいて、ロボット化に反発の意を示している。
だから、僕は出来るだけこの店に来ようと心に決めていた。僕がこの場所を忘れてしまったら、ここは本当に誰も来ない場所になってしまう。
まだロボット化が進んでいなかった頃、百円を握りしめてこの駄菓子屋に駆け込んだ記憶を廃れさせない為に、僕はここに通い続けている。
「あっ」
久方がポツンとこぼした。僕は身を乗り出して、久方の視線の先にあるものを見た。開けるのにコツが要るガラス戸は、木の板によって打ちつけられ、「閉店しました」と、赤字で書かれた張り紙が空しく風になびいていた。
僕たちは何も言う事が出来ず、その場に固まった。足元にはタールのようにべっとりとした影が張り付いていた。右こめかみから発生した汗が頬を伝って顎から落ちる。
久方は僕の肩を叩いた。
「……入って見ようか」
僕は黙ってうなずいた。打ち付けられた木を剥がすのは到底無理だったので、僕たちは店の裏側から回って店の中へ入った。まるで何百年もの間時を止めていたような店内には、埃が空気中を漂っていた。割れた窓から入る光がゴムボールを輝かせる。天井からぶら下がる飛行機の模型は、僕が生まれる半世紀も前に戦争で使われた戦闘機らしい。
いつもお婆さんが座っていた上座には、誰もいなかった。僕は今更ながらに、お婆さんが座っていた座布団が自分の家にもある桜模様である事に気が付いた。
「お婆さん。どうしたんだろう。死んだのかな」
久方がアイスのボックスを開ける。電気が止められていたせいで、氷菓子は全て解け、アイスクリームからは嫌な臭いがした。
「だったら良いんだけどね」
「だったら良い?」
「お婆さんがロボットになってたら悲しいだろ」
僕は久方の言葉に賛同しかねて俯いた。久方はそんな僕を責める気は更々ないようで、店の中を物色する。僕は彼女がこれから泥棒的な行為に及ぶのではないかと内心ビクビクしていたが、そんな事はなく、久方は駄菓子屋にすっかり興味を失ったようだった。
「宵ノ口」
「ん?」
「悲しいかい?」
「少しな」
僕と久方は店を出た。もう、ここへ来る事はないだろう。
駄菓子屋は不思議な魔力を持っていた。それが全ての駄菓子屋に通ずるものなのかは分からない。何故なら、僕達の知っている駄菓子屋はここだけだったのだから。きっと、僕達の人生で再び駄菓子屋が登場する事はないだろう。
駄菓子屋前の公園は寂然とした空気を内包しながらも、確かにそこに存在した。人の姿は見られない。僕達はブランコの裏にあるベンチに腰掛けた。自販機でコーラを二つ買う。一つを久方に渡した。
久方はあたかもそれが当然だと言うように、僕の手からコーラを奪うと、口に付けようとはせず、それを両手で軽く握った。
「何で皆ロボットになろうと思うんだろうね」
「悲しい事や辛い事があっても苦にならず。寝る必要も無く、疲れを知らない」
「確かにロボットは人より優れているかもしれない。でも、辛い事や苦しい事も含めて人生のはずだろ」
「それを皆が知ってたら世界はこんな風にならなかったんだろうな。……人生ってのは険しすぎる」
僕の訳知った物言いに、久方は少しだけ眉を吊った。
「じゃあ、その人生が険しすぎると知っている君は、何でロボットになろうと思わないんだ?」
僕は閉口した。察してはくれないものかと、久方の方をチラチラと見やる。しかし、彼女は一切気付く様子なく、首を傾げた。
僕がロボットになろうとしない理由は一つ。彼女の為だった。久方とは五歳の頃から友達だった。久方は昔から引っ込み思案な奴で、いつも僕の後ろに隠れていた。今も、僕の前だと強がってはいるが、人見知りは相変わらずだ。
久方を残して、僕だけロボットになる訳にはいかないと思った。だから、僕は久方が人間である内は、このままでいようと決めていた。
そんな事露知らず、彼女は首をかしげている。僕は無性に腹が立ち、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。久方は「良く分からない奴だなぁ」と言って、初めてコーラに口を付けた。
「じゃあ逆に訊くけど、久方は何でロボットにならないんだ」
久方はコーラから口を離さず、視線だけ僕の方へ向けた。ゆっくりコーラをベンチへ置く。きっと彼女はワザと遅い動作をして考える時間を稼いでいるのだろう。
久方はその理由を決して明かそうとはしなかった。今日も誤魔化されるのだろう。その為、僕は「どうせ言う気はないんだろ」と言って、早々に会話を切り上げた。
久方が不敵に笑う。まるで、分かっているじゃないかと言っているようだった。
僕達がコーラを飲み終える頃には、日はすっかり傾いていた。僕はコーラの入っていた紙コップをゴミ箱へ捨てて立ち上がった。
「そろそろ帰るか」
久方は乗り気ではなかった。
もう少し此処に居ないか? と、執拗に僕を誘ってくる。普段、彼女からこのように言われる事はなかった。僕は妙な胸騒ぎを覚えて、久方の隣に再び腰を下ろした。
「不良少女じゃねーんだから、家に帰りたくないとか言うなよ」
「ふふ、そんな扇情的な言葉を言って襲われたんじゃ堪らない」
久方の笑顔は無理に造られているような気がして、僕は急に心配になった。しかし、久方と言う女は自分の弱みを人に見せたがらない。僕では相談相手として力不足だ。
「……なんかあったなら言えよ」
「もう少し経ってからでいいかい」
久方はその後、ずーっと黙り込んでいた。果たして、僕が此処に居る意味はあるのか疑問だが、彼女に辛い事があったのは間違いない。久方はロボットではない、辛い事があったら人並みに苦しいのだ。
街灯がポツンポツンと点き始めた頃。久方は言った。
「何で私がロボットになろうとしないか、君は訊いたね」
突然の発言に、僕は少しだけ戸惑った。久方はそんな事お構いなしに話し始めた。
「私は、ロボット二人の子供なんだ。それは知ってるな」
「……ああ」
「私は父と母がダウンロードしたソフトを盗み見たんだ。五歳の夏、衝撃的だったよ。私は少なからず両親に愛されていると思っていた。でも、両親は私を愛していたのではなく。私が健全に育つようプログラムされていただけだったんだ」
街灯の灯に蛾が集まって来る。ジーっと言う電気の稼働音だけが公園に響いていた。鉄棒の影がゆっくりと消えて行く。空は夜の帳に切り替わっていた。
「その事を駄菓子屋の件で思い出してしまってね。どうにも、ロボットの待つ家へ帰る気になれなかったんだ」
そう言って、久方は皮肉めいた笑みを浮かべた。
僕は久方の言葉に共感する事は出来なかった。自分の冷静な部分が「止めろ」と警鐘を鳴らしている。しかし、僕は人間だ。感情に任せて発現する事もある。
「それは……間違っていると僕は思う」
「……」
「ロボットは無感情な訳じゃないんだ。人間らしくないって言うのは分かる。でも、両親が君を大事に思っていたのは……本当だと思う」
久方は、まるで信じられない物を見るかのように、僕を凝視した。僕も同じ気持ちだった。何故なら、僕は久方の意見を真っ向から反対する事なんて滅多になく、さらに、ロボット関連の話では、ろくに考えもせず頷いているだけだったからだ。
久方は僕に当たり散らすように言った。
「じゃあ、私が本当に不良少女になったら、両親は私の事を本気で怒ってくれるって言うのかい?」
「怒るさ。でも、彼らにはそれを表現するための術が無いんだよ」
「そんなの、嘘だよ」
「嘘じゃない」
「証拠は? ロボットが、内心怒っているって言う物的証拠でもあるのかい?」
「……久方、いい加減にしろ」
「無いんだろ。それなのに君は――」
「いい加減にしろって言ってんだろ!?」
久方は小さく震えた。僕は久しぶりに出した怒鳴り声に自分自身驚いてしまった。自分の喉には、まだこれだけの怒声を出す力が残っているとは、思ってもいなかったのだ。
続けて、怒鳴った事に後悔が押し寄せてくる。久方がこんなに頑なになるのも無理はない。彼女がそう思ったのは事実であり、ロボットに怒りや悲しみなどの感情がある証拠など、一切ないのだから。
久方は無言で立ちあがると、紙コップを踏みつけた。
彼女は何も言う事無く、振り返る事も無く去っていた。手持無沙汰になった僕は、久方が放置した紙コップをゴミ箱に投げ入れて公園を出た。
2
家に帰ると母親が僕を迎えてくれた。
「公宏、おかえりなさい」
「ただいま、母さん」
僕は鞄を自室のベッドに放り投げると直ぐに食卓に向かった。父さんが背筋を伸ばして僕が食事の席へ座るのを待っている。僕は黙々とご飯を食べた。
幸せだった。
例え、造られた幸せだったとしても、この幸福感に嘘偽りは存在しなかった。
僕の両親は、ずっと昔に亡くなっていた。だが、つい二年前、ロボットにする事が出来ると判明して、僕は間をおかず、二つ返事で返した。
「公宏、学校は、どう?」
「何も問題ないよ、母さん」
「そう」
そう言って、母親は軽く頷いた。
僕が久方の意見に賛成しかねる理由は、ここにあった。
僕はロボットの両親を自ら欲した。それは結果的に、人生に絶望しかけていた僕に一抹の希望をもたらしてくれた。だから、ロボットを必要無いもの、非人道的なものと捉える久方の意見には同意する事は出来なかった。
――その時、両親が一遍に立ちあがった。
まるで戦争時の兵隊のような、機敏な動作で、僕は唖然として直立不動する両親を仰いだ。眼が赤く点滅している。これはロボットが何らかの害を与えられた時に起こる現象だった。被害を受けたロボットが信号を発信して、近くのロボットに助けを求めるのだ。
僕がその事に気付いたのは、両親が家を出て行ったあとで、僕は少しばかりの好奇心に後押しされ、両親の後について行った。二体が足を止める。
――久方の家だ。
久方の家は僕の家の斜向かいにある。僕はロボットによって造られた垣根を超え、すっかり荒れ果てた久方の家を覗いた。
二体のロボットが、バラバラになっている。
金属片が飛び散り、腕はもげている。頭からバネのような物が飛び出しており、もの悲しさを演出していた。そして、その二体の近くには、久方がいた。彼女は警備のロボットに手錠を掛けられ、特に感情ない様子で、久方の両親のロボットを見下ろしていた。
「……久……方?」
久方は僕の声に気付き、面を上げた。そして、まるで僕を安心させるかのようにニコっと笑った。
「宵ノ口。君のせいじゃないよ」
久方はそれだけ言うと、警備ロボットによって連行されていった。僕は久方が見えなくなるまで、ただ、呆然とその場に立ちすくんでいた。
「久方ちゃんはね。犯罪者なの。もう、忘れなさい」
僕は肩に触れた母親の手を払い落した。
……まるで人形遊びじゃないか。
自分でも滑稽で泣けてくる。本当の母親は、絶対にこんな事言わない。僕が泣いている時は、いつも背中をさすって励ましてくれる。
つい先ほどまで、活き活きとした人間に見えていたそれは、酷く無機質な機械人形になり下がってしまい、僕は走って家に戻ると自室に引っ込んだ。
僕はただ、寂しかった。突然欠けてしまった心の隙間を、何とかして埋めようと考えた。だから、ロボットにするなんてバカな事を考えたんだ。
でも、それは間違っていた。
久方はずっとそれに気付いていた。だから彼女は、とうとう我慢できなくなって、自らの手で終止符を打った。無理やり心の隙間に入ってこようとするロボットを壊すことで。
3
次の日、僕は惰性で学校へ行った。久方はもういない。それなのに、朝礼の時、僕はついつい全校生徒の中から彼女を探してしまう。彼女が居るべき場所に、姿は発見できなかった。やはり、もう彼女は帰ってこないのだろう。
そう思った矢先、僕は驚愕した。なんと、久方が校長の隣に立っていたのだ。両手に手錠は掛けられていない。いつもの久方だ。
「久方!」
僕は隊列を崩して体育館の奥へ走った。ロボットをなぎ倒して、ひたすら久方のもとへ。
「宵ノ口君、まだ、朝礼、ですよ」
そう言って立ちはだかる校長を、僕は張り倒した。段差を一息に上がり、僕は久方の両肩を掴んだ。
「久方っ。お前、無事だったんだな!?」
久方は何も答えなかった。不自然な言動に、僕は当惑した。何故、どうして久方の肩がこんなに冷たいのだろう。人のぬくもりを宿していないのだろう。
「宵ノ口『君』。どうしたの、ですか?」
「……久方、じゃないのか? お前は俺を君付けで呼んだりしないだろ? なあ、からかってるなら止めてくれよぉ……」
「からかって、いません」
振り返ると、全校生徒が眼を赤くしていた。どうやら、僕は敵と認識されてしまったらしい。ふと、短く息を吐いた。もう、僕の目的は達成されたんだ。久方はロボットになってしまったわけだし、僕が人間に執着する理由はなくなった。
「久方。最後に、君に謝らせてくれ。あの時、怒鳴ってごめん。君はこんなにも悩んでいたのに、僕はそれを理解する事が出来なかった」
久方は何も言わなかった。ただ、冷たい視線を僕に送っている。
「僕は、ずーっと昔から久方の事が――」
その時、僕の腕を警備のロボットが掴んだ。抵抗しようとしたため、警備ロボットは容赦なく僕を組み伏せる。僕は久方の足元に這いつくばった。なんて情けないんだろう。
組み伏せられた僕の前に、一滴のオイルが落ちた。故障した警備ロボットの物かと思ったが、そんな事はなかった。それは、間違いなく久方の目から流れていた。
瞬き一つしない彼女は、その控えめな唇だけを小さく動かしてこう言った。
「わたしも」
来週から、ロボットになる事が義務化されるそうだ。
あとがき
久しぶりに短編を描いたよぉ! 以上