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僕とマクベスのいちゃいちゃ日記っ

愛機――マクベスで綴る、日常系プログ。
小説、アニメ、遊戯王 他

ロシアンルーレット 冒頭部

2012年07月01日 | 小説
今日のチャットは楽しかったゼェ
一応、最初のところだけ乗せてみようと思います。これだけ読んで
もうちょっと続きを見てやってもいいかな
って思ってくれれば大成功です。

ロシアン・ルーレット (前編)

             1

 僕は母の入院費を稼がなければいけないんだ。その為には、どうしてもこのゲームで勝ち残らなければいけない。それ以外に僕達親子が助かる道はない。皆はきっと私利私欲の為に命を投げ出しているに違いない。ただ単に金が欲しいからって銃口の前に立つなんて、全くおかしな話だ。こいつらはきっと気を違えているに違いないんだ。そんなキチガイ共の命なんて全く、これっぽっちの価値もない。ありんこを踏み潰すのと一緒だ。むしろ、害虫だ。平然と相手の頭に銃を突きつけるような連中をこの世界に野放しにしておくことは、犯罪者を野さばらしておくことと同じ。僕はそんな犯罪者共を四人も駆除してやったんだ。僕に正当性があって彼らに非があるのは誰の目から見ても明らかだろう? 君もそう思うだろう。え? 君って誰? まあいいやそんなこと。とにかく僕はここに到るまで何匹も駆除してきた。危ない場面は何回もあったけど、僕にはきっと神の加護が付いているに違いない。そうに決まっている。なぜならそれは正当性が僕の方にあるからだ。全てはお母さんのせいなんだ。こんなところに立っているのも全部あいつのせいなんだ。もしも、じゃない。生きて帰ったらあいつの生命維持装置を踏みつぶしてやる。散々僕のことを縛り付けやがって邪魔なんだよ。僕はこの聖戦(ジハード)で得たお金を使って贅沢に遊ぶんだ。今住んでいる家を豚小屋に使ってやるぞ。着ている服(小汚い刺繍がされている)を炉の火にくべて、余生を豪遊するんだ。女も沢山侍らせてやる。僕のことを貧乏って馬鹿にしてたあいつらに靴の底を舐めさせてやる。
――「御手洗 ゼロ発」
――「志乃 七発」
――「釘山 ゼロ発」
……
 この女もきっと屈服させてや――。
「え?」
 今、なんて言った? なんて言った?
 振り向いて、後ろに立つ女を見る。回転式拳銃のシリンダーを熱心に回転させる女は、にんまりと笑って、まるで小型犬と戯れているみたいに楽しげに、鼻歌なんて歌っていた。
「七発? 七?」
 七って、リボルバーの穴全部じゃないか。
 あれ? おかしいな?
 僕は空っぽのリボルバーを見つめる。そして、僕の前に立つ男を見つめる。彼は絶対に死なない。そりゃあ僕の銃に弾は込められていないんだから当然だ。でも、僕は絶対に死ぬ? あれれ? 僕はずれた眼鏡をかけ直し、乱れた前髪を整える。馬鹿な、そんなはずない。だってさっきの話し合いの時、決まったじゃないか。今回は全員の弾を抜いて撃ち合おうって。話し合いが進まなかったから。
「志乃さん? リボルバーの中、見せてもらっていい?」
 振り向いて彼女に訊くと、志乃さんは「いいよ」と明るく返事して、まるで良い点を取ったテストを見せるように、誇らし気に穴の中を見せてくる。――いや、穴は無かった。全部埋まっていた(・・・・・・・・)。
「あ、あはは。間違えちゃったんだね。ねぇジャッジ。この勝負はおかしいよ。仕切りなおしだろう?」
 僕は輪の中央に立つ一体のテディベアに問いかける。彼(正確に言えば彼に内蔵されているスピーカー)は、僕の問いに対して一切反応しない。やがて、リボルバーを回す音が室内に響き始める。まるで雨でも降っているかのような音。シャーシャーと、いつまでも振り続ける雨。雨。志乃さんも回している。全部弾が入っているのに、まるで救いの道があるかのように。
「み、皆。志乃さんが僕を殺そうとしているよ? いいのかい? 君たちも近々彼女の毒牙にかかるかも知れないんだよ?」
 雨は僕の言葉を遮るかのように、降り続ける。誰も、返事一つしない。彼らは能面のような無表情で、自分の前の人間の後頭部に銃口を向けた。
「おい。おい、僕の話を聞いてんのかよ!? お前ら皆騙されてんだよ!」
 こんな勝負やってられない。銃を床に叩きつけると、雨の音がピタっと止んだ。それはもう、怖いくらいに息があっていて、僕はその時確信した。僕の知らないところでなんらかのやりとりが行われていて、そのやりとりの結果、僕は要らない人間だと判断されたんだ。
 なんで、正当性は僕にあるじゃないか。こいつらは皆狂人だ。金欲しさに平気で人を殺しやがって。皆死ね。皆死ねばいいんだ。ジャッジが「構え」と声をかけると、皆は銃口を前の人間の頭部に押し当てる。僕の頭にも、そんな感覚があった。なぜ、なぜ僕だけこんな目に。助けて、よ。たすけておかあ――


村上春樹 「青が消える」 考察

2012年06月18日 | 小説
国語の授業村上春樹氏の短編小説「青が消える」
読解しています。管理人が本書を読んで思ったことを述べていこうと思います。

主人公の「岡田」はねじまき鳥クロニクルの「岡田トオル」と本質が同一であると管理人は思いました。
著者は「岡田」性に何らかの思い入れがあると見た。

青が消えるでは主人公の岡田は
・突然青(僕の大切な色)が消えたことに戸惑い捜索を開始する
・周りは誰も助けてくれない
・総理大臣が説諭する
という体験をします。この間にはブルーラインの鉄道警備員とのお話だとか、元ガールフレンドとのお話が盛り込まれている。

一方ねじまき鳥クロニクルでは主人公の岡田トオルは
・突然妻(僕の大切な人)が消えたことに戸惑い捜索を開始する
・周りは誰も助けてくれない
綿谷昇が説諭する

と、とても似た構図が取られていることが分かる。
この岡田トオルと岡田が同一人物であるとは言い難いが、少なくともパラレルワールドの同一存在であると私は思う。
そしてもう一つ気になるのはどうして青は消えたのか?という点である。
この秘密を解くには総理大臣の言葉を引用するのが手っ取り早い。

形のあるものは、必ずなくなるのです、岡田さん。石油、ウラニウム、コミュニズム、オゾン層。岡田さん、どうして青がなくなってはいけないのですか、岡田さん、明るい面に目を向けなさい
コミュニズム=共産主義
察しの良い方はもうお気づきでしょうが共産主義者の事を「アカ」と呼びます。
この「アカ」はロシア(国旗が赤)が共産主義だったと言う事に由来していて、その意味は「美しい」だそうです。
春樹氏は一見すれば単語の羅列に過ぎないようなところで、こうして重要な手がかりを隠し、読者を撹乱させているのです。
石油、ウラニウム、オゾン層もこの際重要ではありません。このシーンで重要なのは青とはただの青ではない。
ということです。その証拠に、大臣は

白鳥は哀しからずや/空の青/海のあをにも染まずただよふ
という俳句を引用している。この俳句に隠された意味は「青はあをでも空も海も違う青」と言うことです。
この小説が発表されたのはフランスでの事だったそうです。フランスは国旗に青が含まれていますよね?
あの青の意味は自由だそうです。また、アカを共産主義とするならばその対色である青は資本主義とも取れます。
青とはつまり、1999年までに存在したあらゆる物を指しており、2000年になることによってそのあらゆるものが消滅してしまう。でも誰も気づかない。果てには国のトップである総理大臣が「明るい面に目を向けなさい」と青が消えたことを隠匿しようとする。また総理大臣は「失くなったものを補っていくのが経済だ」と主張します。逆に言えば、亡くならなければ補えない。青は2000年と言う新しい世界を迎えるための生贄になってしまったのかなと自分は思いました。

余談ですが総理大臣がなぜ岡田の名を言ったのか? という疑問があります。
これは本当に憶測の域を出ないのですが、あの総理大臣とはつまりパラレルワールドの綿谷昇だったのではないかなー。
……これはまぁ本当に推測です(笑) でも、綿谷昇の存在と総理大臣の存在がとても良く似ているのは確かです。

婚約者 衝動 幼稚園児

2012年06月17日 | 小説
文字数:7000


 幼稚園児 衝動 婚約者


小さいころ、祖母が私の手を握って気の毒そうに呟いた。
 ――可哀想に。この子はとても大きな宿命を背負っているよ。
 ――私にはどうすることも出来ないけど、強く生きなさい。
 シワだらけの瞼から覗く、強い意志を持ったきれいな瞳。両親はそんなことを言う祖母のことを、呆け老人としか認識していなかったが、私と眼を合わせた彼女は完全な正気だったし、その言葉には「同情」と汲み取れる感情が、確かに含まれていた。
 なぜ私がこんな事を思い出したのか。それは、祖母が以前口にした「宿命」と言う言葉が脳裏を過ぎったからである。今までの私の人生に、宿命と呼ばれるような「大きな力」が作用したことは一度もなく、一般的に見て可哀想な境遇に陥ったこともなかった。むしろ充実していたと思う。婚約者もいるし、就職も決まっていた。
 でも、たった一つの間違いで、僕の人生というものは全て否定されてしまった。否、僕が否定してしまった。誰のせいでもない、これは全て、自分のせいなのである。
 青山トンネル、という場所がある。かなり昔に閉鎖されたトンネルで、その全長は百メートルほど、入り口に立った状態で出口まで見通すことが出来るくらいの長さだ。トンネルの出入口の周りを金網が囲っており、普段そこには南京錠が掛けられ何人たりとも立ち入れないようになっているのだが、今日に限ってはその鍵が壊されていた。大学へ行く途中、私はそれを発見し、子供が入ったら大変だと憂いだものだが、とくに処置をとるわけではなかった。だが大学の帰り道、突然降りだした今流行のゲリラ豪雨にすっかり身を濡らされ、私はなし崩し的にトンネルの中で雨宿りすることにしたのである。
 今の季節は六月である。梅雨の雨というのは一滴一滴が氷の粒のように冷たくて、迎合される「恵みの雨」とは相反していると私は思う。ボトボトと音を立てて地面に激突する大粒の雨は、傑作絵画を描こうと苦心する若輩画家のように、地面の斑紋を何度も描き直した。
 しばらくは天を睨みつけて、この雨を降らしている雲か、はたまた神を見定めようとしていた私だったが、やがてそれが徒労と判明し、私はべたと地面に尻をつけて、この雨が止むまで腰を据えようと決意した。何気なく、トンネルの彼方に視線を走らせる。そして、眩しさから眼を細めた。半円に切り取られた風景、そこから差し込む強い日の光に目を奪われる。
 月並みだが、私は自分の目をこすって正気を確認し、今もどうどうと雨を降らせている雲を見た。そして、トンネルの果てにあるカラッと晴れた景色も見る。これが集中豪雨たる所以なのかと一人合点し、私は陽が射す方へ歩き始めた。どうしてだろうか、おぼろげに蝉の鳴き声すら聞こえてきた。
 ――蝉の鳴き声。
 私はかつてこのトンネルに入ったことがある。今までどうしてそれを思い出さなかったのだろう。もう十五年も前の話になるが、私は近所の悪友を連れ、柵を乗り越えたのである。地面に散らばる砂の感覚が、私に何かを訴える。蝉の声が、私を叱責しているかのようにすら感じられた。
 眩しい光が半分濡れた私の革靴のつま先を、神々しく光らせた。「どうして濡れているの?」と不審がるように、大きなアゲハチョウが私の頭の上を旋回する。頭上に気を取られていたせいで、私は足元でうずくまる少年の存在に、少し経ってから気がついた。彼はまるでてるてる坊主みたいな服を着ている。まるで散髪屋から抜けだしてきたみたいな服だと思った。胸のところにはワッペンが安全ピンで留められており、チューリップの形が象られたそれには「年長組 松永」と書かれている。
 松永、その文字の発見に目を剥いた。松永、私と同じ名字ではないか。それどころじゃない。彼は私の幼少期と瓜二つ。戦隊物のキャラクターが書かれた大きさ十五センチの靴まで、昔私が使っていたものと同じだ。実家には、今でもそれが残っているかも知れない。
 彼は砂いじりをやめると、私のことを見上げた。イガグリ頭の少年は、作り物のような綺麗な目に私の姿を映した。そのおっとりとした表情、それは正しく、かつての私だった。
 自分はたぬきか狐に化かされているのかも知れない。そんな古典的発想を、頭を振って追い払う。私が狂っていないのならば、今眼の前に起きていることは現実であり、幻でも、ましてや雑食の動物によるものでもない。
「おじさん、だれ?」
 声変わりもまだな、高い声。私は短く息を何度も吐き出すと、「私は……」と、自分の声の低さに驚いた。これじゃあまるで別人ではないか。声変わりをしたときは、自分では大して変わらないと思っていたのだが。いや、もしかしたらこれは一年前から吸い始めたタバコの影響かもしれない。彼女には体に悪いから辞めてと吸う度に毎回言われている。
「ちょっと、雨宿りをしているんだ」
 まさか名乗るわけにも行かず、私は彼からしてみればとんちんかんな答えを返す。彼の目の前に広がる夏の景色は、晴天のお手本のような天気であり、降水確率はゼロパーセントと言われたって納得するような快晴だった。
 だが、彼は最初っから私の返答なんて期待していなかったらしくて、彼は再び砂いじりを始める。私は奇妙だと思いつつも、なぜだかここから離れられなくて、しばらく、彼の隣でトンネルから見える風景を眺めていた。
 砂利が敷き詰められた小路は坂になっており、それは渓谷を流れる渓流まで続いている。古びたガードレールには苔がむしており、私が通っている医学系の大学の姿も山の合間に見ることが出来た。
「いま、友達をまってるんだー」
 と、彼はこちらに目もくれず言った。
 友達……。ズキンと私の後頭部に痛みが走る。友達、そう、友達だ。私は十五年前、ここで友達を失った。中村という男だ。私よりも一つ年上で、先に小学生になっていた。とても気のいい奴で、私を町にはばかるいじめっ子から救い出してくれた恩人でもある。初めてトンネルで待ち合わせをしたとき、私はこのトンネルの中で浮浪者に遭い、怖くて逃げ出した。そしてその日の夜、中村が何者かによって首を締められ殺された事を母から聞いたのだ。私は浮浪者にあったことなどを、怖くて言い出すことが出来なかった。結局、枯れを殺した犯人は見つからず仕舞いだったのだ。
 もしもこれが幻覚でないのなら、私は過去に戻った、ということになる。それにはきっと何らかの意味があるはずだ。私は過去の自分と目線を合わせるため、膝を折った。そして、彼が作る山に砂を被せながら、はっきりと言った。
「坊や。ここには幽霊が出るんだ。お友達と一緒に帰りなさい」
 彼はぼけーっとした表情のまま「ゆうれい?」と首を傾げる。
「ああ、そうだよ。とても悪い幽霊だ。君たちをどこかにさらってしまうかもしれない。だから、これで駄菓子屋にでも行きなさい。もうここに遊びに来てはだめだよ」
 私は財布から出した五百円玉を彼に渡す。過去の自分にお小遣いをあげるというのは、なんだか特異な気がしたが、悪い気はしなかった。自分にお金をあげているのだから当然か。
 彼は五百円玉を握りしめると、「分かった」と頷いて掛けて行った。その時、小路の向こうに別の少年の姿を見た。――中村だ。彼は真新しいランドセルと、黄色い帽子を被っている。そして、松永から事情を聞き受けると、私の方に軽く頭を下げて、二人で踵を返した。
 まさか、これで中村が生き返るなんて馬鹿な事を考えたわけではないが、私は過去の自分の過ちに、一つの折り合いを付けることが出来てほっとした。完全な自己満足かも知れないが、それでも、私は天国の中村に報いたと思ったのだ。
 さあもう元の世界に戻らなきゃいけない。振り返った私は膝を何かにぶっつけた。視線を落としてみると、そこには車椅子に乗った壮年が、私のことを恨めしそうに見つめていたのだ。本当に幽霊が出てしまったのかと思ったが、そうではないようだ。彼の顔は、だいぶ老けこんではいるが、私と良く似ていたのだ。
「……あなたは……私?」
 壮年は予め用意してあったのだろう紙を私に差し出す。そこには震える文字で「耳が聴こえない」と書いてあった。耳が聴こえない、私は背筋に冷たいもの感じる。つまり、私は将来的に聴覚障害を患うということか。それだけじゃない、彼は片足が無く、そこには義足の姿もなかった。ねずみ色の汚いズボンは、彼の右腿から中身を失っている。
「いいか! 私の話をよく聞け!」
 トンネルに響き渡るような怒鳴り声だった。
「今、清見はガンに侵されてる! 早く医者に見せろ! いいか! 帰ったらすぐに医者に見せるんだぞ! 今ならまだ助かる!」
 あ然とする私の腹を、彼は殴った。だが、車椅子に乗っている状態では、その拳に力は生まれなかった。
「はやくしろ!」
 壮年にせっつかれ、私は元来た道を歩き始めた。トンネルの中間まで来たとき、振り返ると、そこに車椅子の壮年の姿はなく、トンネルの出口の様子も一変していた。コンクリートが敷かれ、整備されている。空は相変わらずの曇り模様だったが、雨は振っていなかった。

 大学の寮に戻った私は、今まで起こったことが現実だったと認めることが出来なかった。清見がガンを患っているというのも信じられなかったし、私があと十数年以内に、難聴になり、あまつさえ片足を失うと言う事実。これは「信じたくない」事だった。
 だが、清見に電話を掛けるということは今まで起こったことを事実として信じるということであり、それは同時に、避けられない障害者としての余生を受け入れるということでもある気がしたのだ。私は小さな冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、それをコップにも注がずに飲んだ。鼓動は少しだけゆっくりになった。
 清見は今家にいるだろうか。突然彼女に「ガンになっているかも知れない」と忠告するのは不審がられる。ならば、それとなく検診した方がいいということを伝えたほうがいいだろう。
 私は受話器を持ち上げる。それを耳に近づけたとき、こうして電話で会話することが、いずれ出来なくなってしまんだなと、突然の絶望に襲われた。だが、例え自分がどんな人間になろうとも、彼女は側にいてくれる。今は彼女を助けることが先決だ。
 彼女の家の電話にかけると、彼女の母親が出た。他愛のない世間話のあと、清見が出る。いつも電話を掛けてくるのは彼女の方だったから、彼女は私からの電話に疑問をいだいているようだった。
「どうしたの? まっちゃん。何かあったの?」
 何かあったのではなく、これから何かがあるのである。私は「清見、最近検診を受けたか?」。すると彼女は「うん。中村先生のところで一ヶ月に一回は様子を見てもらってるよ。世間話のついでだけどね」と、笑いながら言う。
 中村先生? 私はその中村が、本来は浮浪者に殺されるはずであった中村であることに鳥肌がたった。話によれば、中村は医大を卒業後、故郷で開業医をしているらしい。性格に言えば、開業医である父親の手伝い、ということらしい。
 まっちゃんが中村君の病院に行きなさいって言ったんじゃない。と、彼女は呑気な口調でいう。私はあくまでも惚けた様子で「中村の専門ってなんだっけ?」と尋ねる。すると彼女は「内科だよ」という。開業医の連中は自分の専門が耳鼻科の癖に内科と書きたがる。そんな奴らに早期のガンの発見を望むこと事態がバカげている。
「清見。どこでもいいから大学病院に行ってくれ。中村の所の診断書は持って行くなよ。セカンドオピニオンとしてではなく、体調が悪いから人間ドックするために来たって言い張るんだ。分かったな?」
「なんで中村先生の所じゃだめなの?」
「……それは……。悪い夢をみたんだよ。お前が死んでしまう夢。だから、私を安心させるためだと思って、何も聴かずに行ってくれ。頼む」
 清見は「んー」と鼻を鳴らした後、「分かった。……気に掛けてくれてありがとうね。私はまっちゃんのためにも死なないよ。でも、大学の病院に行くには車が必要だなぁ」
 私は少し迷ったものの、背に腹は代えられないと思い「明日、迎えにいくよ」と約束した。
 電話を切った後、私は自分が思っているよりも、自分が疲れていることに気がついた。当然か。今日は色々なことがありすぎた。恐らく、自分は中村の運命を変え、清見の運命も変えようとしている。果たしてこれでいいのだろうか。自分は時間という大きな奔流に支障をきたす岩石になってはいないだろうか。
 多くの物語に置いて、このような歴史の変革を成功させたものは居ない。自分にもしっぺ返しが来るかも知れない。――いや、そのしっぺ返しこそが、聴覚障害と右足の切断なのかも。
 じゃあ中村を助けなければ自分は健常者のままだったのだろうか?
 それを考えるのは辞めておいた。今さらどうなる話でもない。それに、一人の人間の命を助けたのだから、それが悪いことであるはずがない。

 その日の夜。私は酷い夢をみた。
 それは清見が死ぬ夢でも、中村が死ぬ夢でもなかった。それは、私が死ぬ夢だったのだ。
 大学の地下にある解剖室に、私の死体が寝ていた。どうして自分が死んでいるのか、理解できなかったが、私は白い布を胸のあたりまで被せられている私の死体――それも、外見は今の私とほとんど同じではないか――を、入口近くから眺めている。
 次々に入ってくる医大生達は、私の死体を見ても表情ひとつ変えなかった。だが、彼らの持っているカルテに、私の死因が書かれていた。交通事故に寄る内臓破裂。私は、国道10X,号で車をガードレールに正面衝突させ、呆気無く死んでしまったらしい。それが起こるのは明日だ。
 どうしてだ。私は聴覚障害にこそなりはするものの、最低でもあと十年以上は生きることが出来たはずだ。どうして運命が変わっている。
――私が清見にガンの事を教えたからだ。
 思えば、国道10X号は清見の家に行くために必ず通らなければいけない道である。タイミングから考えて、私は彼女を迎えに行く時、事故を起こして死ぬのだ。たかが夢だと捨て去ることは出来ない。これは、死んだ私への警告のように思えた。――なら国道10X号を使わなければいい。その場所を清見に歩かせて……。そう考えた瞬間、カルテの文字が変わる。それは国道と言う文字を残して12Xだったり17Xだったりした。私が清見を助けようとすれば、必ず事故は起こるのだ。
 目を覚ますと、外は土砂降りの雨だった。雷まで鳴っている。今年に入って雷の音を聞いたのはこれが初めてだ。
 中村を助けなければ清見が誤診されることはなく、清見を助けなければ自分が事故死することもない。でも、私には清見を助けないという選択肢はなかったし、清見と結婚するまで、私は死ぬわけにも行かなかった。
 窓の外を見て、ふとあることを思いついた。
 ――今なら、青山トンネルは過去と通じているかも知れない。
 私は傘も差さず学生寮から飛び出した。車を使うという手もあったが、いつ何処で事故死するとも限らない。念のため、私は徒歩でそのトンネルまで向かうことにした。途中、幾度と無く車とぶつかりそうになった。時には水たまりの水を浴びせられたりもした。だが、この機会を逃したら私は死んでしまう。戻るわけにも行かず……、私が青山トンネルに到着する頃には、私の服は泥水でぐじゅぐじゅになっていた。
 ぴちゃぴちゃと音を鳴らしながらトンネルを歩いて行く。トンネルの向こうには、燦然とした太陽が輝いていた。よかった、まだ過去と通じている。私は過去の自分に言うつもりだった。将来、青山トンネルで雨宿りをするなと。そうすれば、中村は死に、時間は本来の流れに戻るはずだ。もう手段はそれしかない。中村には犠牲になってもらうしか無いのだ。
 過去の私は相変わらず砂の山を作っていた。もうここへは来るなと言ったのに――だが今ばかりはその無謀に感謝するほか無い。彼は懐中電灯を握っている。さしずめ、幽霊探しにでも来たのだろう。
 私は彼の肩を叩いた。
「……君、……君」
 過去の私が顔を上げ、そこに佇む未来の私の姿を捉えた。だが、彼はみるみるうちに顔を青くしていき、最後には叫び声を挙げて遠くへ走って行ってしまった。私の恰好は、とても正気の人間とは思えなかったからだ。彼を追おうとトンネルを出ようとする私だが、見えない壁に邪魔されて、トンネルから外に出ることはできなかった。私は小さくなっていく、小さな私の背中を見送ることしか出来なかったのである。
 ああ、これでもう私が明日死ぬことは確定してしまった。絶望に打ちのめされ、私はトンネルを背にして座り込む。私はただ、良かれと思って人の命を助けたのだ。それはもう医者の宿命とした言いようがない。人の命を助けることに罪が課せられるのならば、私という人間は生まれながらの咎人である。
 ゆえに、私は明日処刑されようとしている。予定調和のごとく、内蔵を破裂させ、解剖台の上に上るのである。そして、未熟な医大生に内蔵を引っ掻き回されて……。私はその場に激しく嘔吐すると、地面をなんども殴った。
 どうして、どうして私が。
 私には最愛の婚約者がいて、就職も決まっている。来年には結婚するつもりだったんだ。なのに、どうして私が。

 道の果てに見えた中村少年。彼は私の存在に気付くこと無くトンネルまでやって来た。
 ああ、そういう事だったのか。


後書き
今回はちょっとホラーチックに書いてみました。

チャット 外国人 UMA

2012年06月14日 | 小説
文字数:6000文字



チャット 外国人 UMA

 >>HQ。谷風の煽りを受け、着地目標座標から大分北にズレてしまった。それに、兵装を大樹の頂上に引っ掛けた。任務の続行は不可能だ。
 >>こちらHQ。敵襲で戦線が混乱し、そちらの援護には回れそうにない。待機せよ。
 >>HQ! 何者かが接近してきた。反撃の手段は限られている。
>>こちらHQ。通信を終了する。オーバー。
>>HQゥゥ!

 坂本上等兵の任務は、至極簡単に言ってしまえば、敵国の電波塔を破壊することだった。この時代の戦争に置いて、電波というのは何よりも重要なファクターである。ミサイルの弾頭には目標物へ直撃するようレーダーが着けられているし、(失われてしまったが)坂本の兵装にも敵の発する電波を察知するシステムが組み込まれていた。レーダー上に敵のマークがあったのならば、それを破壊するまで攻撃をやめない。例えそれが人間の目から見て、ただの岩石だったとしてもだ。
 この作戦に至るまでに、多くの作戦会議が(坂本抜きで)積み重ねられ、万全な状況での作戦執行――のはずだった。軍部が血税を費やして企てた作戦は、まるで敵国を守るかのような一陣の風によって脆くも崩壊し、戦線も危機に瀕しているという。坂本は木がパラシュートに引っかかり、地上一メートルと言うところで宙吊りになり、体をくの字に曲げてクルクルと回っていた。それのなんと滑稽なことか。
 国境にあるこの森には、多くの肉食獣が生息している。それが原因で敵国への進軍で回り道をしなければならないほどだった。無線以外の兵装を剥がれた坂本は、それら肉食獣の恰好の獲物であり、彼はなんとかパラシュートの紐を切ろうと、体をじたばたさせ、さらに回転に拍車を掛ける結果になった。
「くそう! 外れろ!」
 紐が切れないと悟った坂本は(そもそも、これくらいで切れてしまうような紐を使われていたら別の問題が発生する)、壊れてしまった着脱装置を親指で連打する。くるくる回りながらカチカチカチ。すぐ側の茂みでは、何らかの生物が枝を踏み折った音がした。
 あゝ、俺はこんな所で惨めに死ぬのか。
 脳裏を故郷の風景がよぎったとき、彼の回転を誰かがピタっと止めた。坂本の首根っこを、小さな手が掴んでいる。彼は装置から眼を離し、恐る恐る視線を上に向けた。
 そこにいたのは一人の女だ。およそ敵国の人間とも、坂本の国の人間とも違った。なによりも眼を引くのは、体が半分「透明」な点である。彼女の肌、服は透き通っていて、彼女を透過して向こうの景色を朧気ながら見ることができた。それはまるで、氷壁に自分を投影したかのようだった。自分の目がおかしくなっているのかと思った。だが、彼女以外の景色は(恐らく)完全に認識できているし、長い間宙吊りになっていたせいで頭に血が上っているわけでもない。彼女は確かにそこに存在し、同時に、半透明でもあったのだ。
 中立国の人間だろうか? いや、そもそも人間なのだろうか? 彼女はUMAとか、そういう類の生物ではないだろうか。だがそう考えるのも少々強引な気がしてくる。彼女は半透明という点を除けば自分と同じ人間なわけで、髪の毛の色も黒、坂本と一緒だった。
 彼女はおもむろにギラッと光るナイフを取り出すと、それを使って坂本を拘束していた紐を一本一本切っていった。それにはかなり長い時間が費やされた。

>>HQ。応答せよ。
 >>こちらHQ。戦線の一応の危機は脱した。状況を説明せよ。
>>こちら坂本。現地民と思われる少女と遭遇した。指示をくれ。
 >>こちらHQ。協力を仰ぎ、兵装の返還を第一目標にしろ。
 >>ラジャー。

 坂本は久方ぶりの地面を味わった。これほどまでに地上が恋しいと思ったことはない。今なら母なる大地に接吻してもいいくらいだった。つい彼女にお礼を言いそうになるが、慌てて自分を律する。俺は上等兵であり、他国の者(それも女に)に頭を垂れる事はできない。彼は意識的に作った不遜な態度で一つ咳払い、「感謝する」と述べた。女は小さく頷いた。
「君は俺の言葉が分かるのか?」
 一度頷く。そして「少しだけ」とも答えた。
 彼は懐かしき(本当は聞き離れてから一日も経っていないのだが)母国の言葉に感動し、気分を高揚させて「それは良かった!」と、彼女の手を取ってぶんぶん振った。最早半透明であることなんてお構いなしだった。坂本と言う人間は、よくも悪くも単純なのである。
「近くに村はないか? 梯子を貸してもらいたいんだ」
「村はありませんけど、近くに私の家がありますので、良ければお貸ししますよ」
 村はないけど家はある? 彼女の家族は社会とは隔絶した場所で生きているのだろうか。しかし、ここは戦地の真っ只中である。戦火が森を焼き尽くさんとも限らない。それに森の中には猛獣が跋扈している。スローラーフを送るには不向きなところである。
 森は高い樹が広げた枝葉によって光がほとんど入ってこず、巨木の根からは不思議な形のキノコが生えていたりした。多少地面が隆起していると言うことはあるが、基本的には平地であり、歩きにくいと言うことはなかった。空気はしっとりとしていて、静謐な雰囲気が森の中にはあった。
「ここです」
 と、指差した場所には、巨大な――それこそ、本来はどれくらいの大きさの樹が立っていたのか想像もできないくらい、大きな切り株があった。高さは五メートルくらいで、窓からは光が漏れていた。樹の周りには、青紫色の、赤子ほどの岩石がいくつも浮遊しており、それは時折赤、青、翠に光った。
「取ってきますので待っていてください」
 彼女が家の中に入っていったのを好機とばかりに、坂本は無線を取り出すとそれを口に当てた。

 >>こちら坂本。不思議な民家を発見した。我が国では見られない特殊な技術が多様に用いられているように見える。
 >>こちらHQ。それはどういうモノだ。まとめて報告しろ。
 >>ラジャー。

 樹皮で作られた戸が開き、彼女の細長くて薄い影が坂本の足元まで伸びた。彼女は坂本の身長の倍くらいはありそうな、大きな梯子を脇に携えて部屋の中から出てきた。
「これで足りますか?」
 彼女の言葉の意味に、坂本の脳が追いつかなかった。彼に取って最早梯子は大した問題ではなく、今はこの樹の周りを浮遊している巨大な石にすっかり気を取られていた。不審がっている彼女を見て、坂本は「あ、ああ! ……十分だ」と返事する。坂本の眼がすっかり梯子から離れている事に気付いた彼女は、「この魔晶石に興味がお有りですか?」。
「ましょうせき、と言うのかこれは。なんとも美しい……。俺が見たどんな宝石よりも綺麗だ」
「ふふっ。大袈裟ですね」
 初めて彼女が笑った。その笑みのなんとも麗美なことか。
「これは一体どこで採れているものなんだ? 俺の国には無かった」
「ええそうでしょう。この石はこの場所でしか採れない、珍しい物なんです。……良かったら、一緒に来てみますか?」
 坂本は嬉々として「いいのか!? 私のような部外者を入れてしまって」
 彼女は口元に細い人差し指を当てると、「そうですねぇ。確かに部外者を入れるのはよくないかも知れません」と思い直したように言う。肩を落とす坂本を見て、彼女はくすっと笑った。
「レイです」
「れい?」
「私の名前。レイ。貴方の名前はなんて言うんですか? これで部外者ではないでしょう?」
 坂本はぴしっと直立し、敬礼した。それは職務として行うような、形式的なものではなく、相手への敬意を表す、心からの敬礼だった。
「坂本上等兵であります」

 大樹の裏には、大人が一人、かろうじて入れるような穴が空いており、それは底が見えないほど深くへ続いていた。縄梯子が掛かっており、それを伝って降りていく。途中、先に降りているレイから「坂本さん、大丈夫ですか?」と声をかけられた。坂本は気丈に「これくらい。日頃の訓練でよくやっていた」と返答する。だが正直なところ、こんなに暗くて狭い場所を下っていくのは初めてだ。それに、どれくらいの深さがあるか分からないとあっては、その恐怖は尋常なものではなかった。だが彼女の前でそんなみっともない台詞や態度を出すことは出来ない。坂本は「早く着け、早く着け」と心のなかで祈り続けた。その祈りが通じたのか分からないが、間もなく地下へ到着した。地面は硬い地盤になっており、地下水が滲みでているのか、足を着くと水面が割れる音がした。彼の軍靴は底が高いので、水が染みてくる心配はない。
「坂本さん。こっちですよ」
 彼女が持つカンテラには、魔晶石の粉が入ったビンが詰められていた。なるほど、これならば炎を使わないから、地下に溜まったガスに火が引火することはないのか。それに、一酸化炭素中毒の心配もない。だが、坂本にはどうしてこの石がかくも美しく光るのかが分からなかった。金剛石のように、光を貯めこむ性質があるのだろうか。
 彼女は奥へ向かって歩きながら「お爺ちゃんの受け売りなのですが、魔晶石は周囲の電気を取り込む性質があるみたいです」
「電気を取り込む……?」
「お爺ちゃんはこの石の研究をしていたんです。でも、私にはよく分かりません。便利だから使っているけど、その仕組とかはちんぷんかんぷんなんです」
 変な話ですよね。と彼女が自嘲気味に笑う。
「そんな事はないと思うぞ。見た限り、危険なものではないみたいだ。――それを言うならばどうやって飛んでいるかも分からない輸送機に乗って来た俺が馬鹿みたいじゃないか」
 輸送機、という言葉を聞いて坂本は自分が此処に来た理由を思い出した。敵の電波塔の破壊が最重要任務だ。この魔晶石という未知の鉱物に興味を惹かれ寄り道をしているが、今も前線では仲間が敵の進行を食い止めるために、もしくは敵の陣地へ攻め入るために戦っている。悠長に会話している場合ではない。
 洞窟の果てにあったのは、王冠のような形をした巨大な魔晶石である。それはドーム状になっているこの場所を、燦然と照らしていた。そのあまりの巨大さに、坂本は自分が小人になったかのような錯覚を覚えた。ふらふらとその魔晶石の王冠に近寄り、その表面を手で撫でる。それは様々な色に変化して坂本の眼を疲れさせた。
 >>HQ。HQ。
 凄いものを見つけたと報告しようとする坂本だが、無線が通じないことに気がついた。それは本来有り得ないことだった。坂本の持つ無線機は、例え深海にいようとも電波が届くようになっている。例え地下にいようとも、圏外になるのはあってはならないことだった。
 坂本はハッとした。これは無線機が壊れているからじゃない。この魔晶石が電気――つまり電波を奪っているから無線が通じないんだと。この珍しい鉱物の存在をHQに報告したら、きっと任務の失敗にも眼を瞑ってくれるだろう。彼はぐっと拳を握りしめる。

 >>こちらHQ。坂本、無線をoffにして何処へ行っていた。
 >>こちら坂本。無線をoffにしたわけではない。珍しい鉱石を発見した。
 >>鉱石? 今はそんなモノどうでもいい。敵国の兵を人工衛星が察知した。彼らは不時着した君を追っている。直ちに退避せよ。以後、通信を制限する。オーバー。

 これはまずい事になった。坂本はたった今、地下へ続く穴から這い出てきたレイを見て、そう思った。自分だけ逃げることは簡単だ。しかし、それではレイが殺されてしまう。国に命を捧げた軍人たる者、一般人への被害はしょうがないと諦めるべきだと教えられた。だが、そんなに簡単に割り切れることではない。恩人である彼女を見捨てることなんて、彼には到底出来なかった。
「レイ。俺のパラシュートを切ったときに使ったナイフ、貸してくれないか?」
 彼女は一部の迷いも見せず、部屋の中から刃渡り半尺ほどのナイフを坂本に渡した。自分はいつの間にか彼女に信用されていたらしい。それはますます坂本に、「レイを見捨てられない」という思いを強くした。
 そのナイフもまた魔晶石で出来ている。鉄の物よりも頑丈そうだが、あくまでも日用品としてのナイフである。対人用の武器ではない証拠に、先端が丸められていた。
 敵国の兵士だとしたら、当然のようにEWW(電波兵器)を装備していることだろう。電波が兵器に流用されてから、科学技術が戦闘能力と直結するようになってしまった。最新のEWWを装備している兵士は、レーダーで敵を察知し、障害物を通り抜けるマイクロ波放射兵器で人体を沸騰させる。それ相手に、ナイフ一本で挑もうというのが無茶な話である。
 要はレイさえ守れればいいのである。そもそもこの作戦をしくじったのはこちらのミス故だし、彼女が居なければ、自分は宙吊りのまま餓死、または捕まって拷問されていたかもしれない。
 坂本はレイに強く言い聞かせた。
「君を巻き込みたくなかったんだが、すぐ近くまで敵の兵が来ているらしい。俺と一緒にいるところを見られたりしたら、相手は攻撃してくるだろう。だから、俺は行く」
 彼女はあらかたの事情を理解したようだった。坂本の腕を強くつかみ「地下に隠れましょう?」と提案する。だが、それは一時しのぎにしかならないし、自分をかくまっていることが知られたら、彼女は敵国から追われることになる。坂本は忠義に厚い男だ。受けた恩を仇で返そうとは思わない。
 彼はレイの手を振り切ると「美しい物を見せてくれてありがとう」と残して走りだした。
 EWWの重さは四十キロ。その巨躯を支えるための自立歩行ロボットが搭載されており、歩くたびに「ガチャン」「ガチャン」と音がする。音だけ聞けば、あたかも中世の甲冑でも着ているかのようだが、その殺傷能力は他の兵器の追随を許さない。
「……電波がない時代に生まれたかったぜ……」
 結局、この戦争だって電波の奪い合いなのだ。敵国と自国、それぞれの電波塔の電波が混線してしまい生活に支障が出る。ならば相手の国の電波も乗っ取ってしまえばいい。お互いがそんな事を考えている。
 電波は距離を縮め、娯楽を生み出し、個人が知り得る世界を拡大させたが、それは多くのデメリットを生み、人々はエレクトリックウェーブホリックとも言える状況に陥りつつある。それの最たる例がWEEではなかろうか。
 坂本は高い木の上に立ち、木々の間から見えるWEEを見下ろしていた。バッタのように長く、象のように太い足を交互に前に出し、WEEが近づいてくる。不思議な点がある。WEEは電磁フィールドを展開していて、間合いに入った「体温を持つ物」に無差別に攻撃してくる。自分はもうとっくにその間合いに入っているはずなのに、WEEは攻撃してくる気配がないのである。
 奴は何事もなかったかのように坂本の眼下を通過していく。彼は、電波塔爆破のために持ってきた特殊な爆弾を、下に落とした。

 >>HQ。WEEの撃破に成功した。繰り返す、WEEの撃破に成功した。
 >>よくやったぞ坂本。一体どんな魔法を使ったんだ?
 >>確証はないが、電波に掛からなくなる鉱石を発見した。名前を魔晶石というらしい。これは周囲に存在する電気を全て吸収してしまうため、敵が展開する電磁フィールドやレーダーの電磁波さえも吸収してしまうと思われる。
 >>それは凄い発見だぞ! そちらへ回収部隊を向かわせる。以後、この事はトップシークレットとする。

 坂本がレイの家に帰ってくると、彼女は怯えた様子でクローゼットの中に隠れていた。そして、来訪者が敵ではなく坂本であることを認めると、弩に弾かれたみたいに飛び出してきて、坂本の首根っこに抱きついた。
「坂本さん! 良かった……生きていて……!」
 坂本には、どうしてレイがこんなにも自分に良くしてくれるのか分からなかった。彼女には何か深い野心のようなものがあって、その為に自分を利用しているんじゃないか。そんな気さえしてくる。
 間もなく回収部隊がやってくる。その事を伝えなければいけないはずなのに、出来なかった。自分は彼女に憎まれることを恐れていたのである。そうなる前に聞いておこう。彼は心を決めて、レイに尋ねた。
「君はどうして俺に優しくするんだ。……俺は、君が思うような人じゃない」
 坂本は自分がいかに汚れているかを理解していた。この戦争中に何人もの人間を手に掛けている。電波塔の爆破だって、成功していたら犠牲者の数は十、二十では済まなかったはずだ。そんな自分に、レイは優しく接してくれる。それは、彼に取って救いでもあったが、拷問でもあった。
「坂本さんは悪いことをしているかも知れないけど、悪い人ではないと思います。いえ、むしろとてもいい人です。悪いのは全部戦争なんです。電波なんです。人は電波によって頭がおかしくなっているんです」
「電波……」
 今も、坂本の目の前を凄い速さで通り続けている電波の数々。それが人間の頭をおかしくしている。――確かにその通りだ。この魔晶石が自国に渡れば、自国は必ず勝つだろう。戦争の形態を丸々変えてしまうほど、この石は強力なのだから。
 でも、それは結局次の戦争への布石に過ぎない。次の戦争は、この石を巡る戦いだ。戦いは戦いを呼ぶ。それに終わりなんて無いんだ。坂本は豪快に哄笑する。
「確かに、確かにそうかも知れない! 俺達は頭がおかしくなっていたんだ!」
 戦争だから仕方ない。そんな風に自分を無理に納得させて引き金を絞る。スイッチを押す。ナイフを突き出す。それはまさに自己欺瞞。狂気の沙汰。

 坂本は電波塔を爆発させるための爆弾の残りを、全て地下のドームの崩壊に充てた。そして、回収部隊が来る前に、地盤を壊し、その魔晶石の冠をこの地上に出現させたのだ。地上に溢れていた電波という電波がこの魔晶石に吸収され、WEEは歩みを止め、空を飛んでいた輸送機は蚊トンボのように落ちて行った。

後書き
1日遅れてしまって申し訳ない。
今回はちょっと近未来もの。

国会議事堂 ネコ 気球

2012年06月11日 | 小説
文字数:8000文字
ジャンル:短編小説




三題小説 【国会議事堂】【猫】【気球】


 【徹虎宰相(さいしょう)、ネコ派の議員を拘置。国家反逆罪で立件の予定】
 二〇十七年に初めて誕生した女性総理・間徹虎(はざま てつこ)宰相が、ネコ派に属する議員二十五名を国家反逆罪で拘束した。以前より、徹虎宰相の強引とも取れる政策は同党の議員からも反発の声が上がるほどで、国民党では離党が相次いでいる状態だ。
 今日逮捕された議員は、徹虎宰相有するトラ派と対立する形で存在するネコ派の議員であり、トラ派の力尽くの政策を「国民無視」と批判を続けてきた。同日に公布された国守法は憲法違反とも取れる内容であり、一時、国会は暴徒と化したネコ派で騒然となったが間もなく鎮圧された。負傷者は二十人を超えており、徹虎宰相は毅然とした態度で……。


 男はダンボールに新聞をしっかりと敷き詰める。新聞は連日連夜この国守法についての事を書いているが、彼にとって、そんな世界の変移は果てしなく興味のない話題だった。
 男――美間坂は千代田区で駐車場管理を営む青年である。二代目の管理者であり、この場所を父から引き継いでいる。彼の仕事といえば、電話ボックスくらいの大きさしかない管理人室で、車の出入りを監視することだけだった。
 彼には夢もないし大志もない。学業も好きではなかったし、かと言って運動で優れているわけでもなかった。だから、家業である管理人の仕事を父から引き継ぎ、毎日七時間、朝からここに座っている。
 パイプ椅子の下には、小さなダンボールがひとつ置かれている。中には真新しい新聞が入っており、その上に、子猫が一匹ペタンと座っていた。時々箱から顔を出し、純真無垢な瞳で美間坂の事を見上げる。そのたびに彼はニッコリと微笑んで、ポケットに入っているビスケットを砕いて彼女の目の前に落とした。彼女の名はマリ。美間坂が一週間前に拾った猫だ。
 雨の中、ダンボールの中で死にそうになっている猫を見つけて、美間坂は咄嗟にこの管理人室の中へ連れ込んだ。その時感じた胸の高鳴りを、彼は今でもよく憶えている。
 俺が助けなければ、マリは絶対に死んでいただろう。
 そのことを思うと、彼の鼻はふっくらと膨らんだ。今まで何一つ自慢出来ることがなかった彼にとって、子猫の救出というのは人生観を変えるような大事だったのである。言わば、彼にとってマリとは勇気の象徴だったのだ。
 一台のトヨタ・センチュリーが駐車場に入ってくる。銀色フレームのシャープなボディが陽の光を浴びてきらきらと光っている。眩しさから眼を細めると、車から降りてきた男性が美間坂に近づいて来て、茶封筒を管理人室のディスクに叩きつけた。
「ここを借用させてもらう」
 男はかなりガタイが良かった。身長は二メートル以上ありそうだ。サングラスを掛けており、黒の背広を着ている。片耳にはイヤホンがはめられており、美間坂は人と話すときくらいイヤホンを取るべきだとのんきに考えた。
「構いませんが、そこは月極の方の場所なので、二個横にズレていただけませんか?」
「今は緊急を要しているんだ。そんな些事に付き合っている暇は――」
「――車の移動を頼む」
 センチュリーから降りてきた女性は、憤慨する男性に対してそうお願いした。男性は「しかし宰相、今は」と尚も愚図るが、女性が「私たちの都合で国民に迷惑を掛けるわけにはいかんよ」と一点張り。これ以上の言い合いは逆に時間を食うだけだと判断したのか、男性は車の中へ戻っていた。
 宰相と呼ばれた女性は管理人室の窓口までやってくると、「彼も仕事なんだ。悪く思わないでやってくれ」とフォローした。
 美間坂は、さいしょう? 変な名前だなぁと思いながらも、「ええ」と返事する。その時、宰相の顔を猫が見上げた。パイプ椅子の陰から恐る恐る顔を出す猫。その姿を見つけて、宰相は「キャ」と黄色い声を上げる。たった今車のエンジンを付けた男性が、破竹の勢いで車から飛び出してくると「どうかなさいましたか!?」と叫ぶ。
「猫だ。猫がいる」
「その管理人ですか!?」
 男の手がスーツの裾に触れる。すると宰相は慌てて「そういう猫じゃない! 普通の、動物としての猫だ!」と、早とちりした男性をたしなめた。
「彼は君の猫か? 名前はなんて言うんだ? 何歳くらいなんだ?」
 質問攻めにあった美間坂は、一個一個丁寧に答えた。本来、彼はこんな風に質問されることが好きではなかったのだが、話題がマリだと全く嫌な気はしない。むしろ、とても嬉しかった。応答の最後に、「彼ではなく彼女です」と付け足した。
 宰相は窓口から身を乗り出して――それこそ、彼女の長髪が美間坂の太ももに触れるくらい――猫のことをじっくりと見て、ふぅと短く息を吐く。
「そんなに猫が好きでしたら、飼ってみたらどうですか?」
 美間坂の提案に、彼女は消沈した様子で「……私が猫好きと言うのは……ある種のスキャンダルだろう?」と言う。美間坂にはどうしてそれがスキャンダルと成り得るのか全く分からなかった。ぽかんとする美間坂に、宰相はやや顔を引きつらせながら「こんな事は言いたくないが、君は新聞を読むか?」と尋ね、さらに「今の首相が誰だか分かるか?」とも付け足した。美間坂は正直に「分からない」と答える。
 宰相は穏やかに笑い、「それならそれでいいんだ」と言う。美間坂には何が何だか分からなかった。
「良かったら抱きます?」
 美間坂はパイプ椅子の下からダンボールを取り出すと、それをディスクの上に置く。ダンボールの中の子猫は、急に広がった世界に当惑し、ニャーニャーと泣いていた。その鳴き声がますます宰相の羨望を強くしたらしい。「いいのか!?」と、ぱぁっと明るくなる。美間坂がどうぞと勧めると、宰相は正に恐る恐ると言った感じで、子猫を抱き上げる。
 腕の中で丸くなる猫を見て、宰相は本当に嬉しそうに、愛おしそうに子猫をなでて「かわゆいなぁ」と二三度繰り返す。マリが目を細め、小さく鳴いた時、――乾いた音が遠方から聞こえた。その音がなんなのか、美間坂にはさっぱり分からなかった。管理人室からでは窓口がある方向しか見えないからだ。一方、宰相はその音の原因に瞬時に気づいたようだった。顔から血がさーっと引いていくのが、傍から見てもよく分かった。
 車の移動を今終えたばかりの男性が、すぐさま宰相に駆け寄ると、彼女を庇いながら車の中へ押し込んだ。美間坂は宰相に抱かれたままになっている子猫を案じて窓から身を乗り出す。その時、彼にも何が起こったのか理解できた。駐車場の入口を堰き止めるように停められた一台のバンから、武装した男達が数人降りてきていたのだ。美間坂は慌てて頭を引っ込めた。その直後、彼らの持つマシンガンが火を吹いたのである。
 宰相を乗せた警護車両が弾幕を突き破りながら発進し、ものすごい勢いでバンに突進する。センチュリーは窓ガラスに白い模様を描きはするものの、銃弾にはびくともせず、バンを弾き飛ばしながら一般道路へもどっていった。男達は機敏な動作でバンに乗り込むと、センチュリーを追うために発進する。
 辺りには硝煙の匂いが漂っていた。

 マリと離れ離れになった次の日、美間坂はあの女性が現総理大臣であることを知った。だからと言って徹虎宰相への印象が変わることはなかったし、我が国の政治が彼にとってどうでもいい物であることは変りなかった。
 久しぶりに新聞へ眼を通したが、どうやら徹虎宰相は国会議事堂に設けられている総務室で一時、生活をしているらしい。そこは二十四時間厳重警備が敷かれ、鼠一匹立ち入れない状態だそうだ。果たしてマリは無事なのだろうか?
 彼は空虚になってしまったパイプ椅子の下に視線を向ける。今はダンボールのみが置かれていて、敷かれる新聞は全く汚れていない。ポケットに入ったままのビスケットをぽりぽりと食べている内に、彼は少しでも徹虎宰相の様子――本当はマリの様子だが――を知りたくなって、今日の朝刊を買いに行った。そこには信じられない見出しが書かれていた。
【徹虎宰相『ネコは根絶やしにする』と強い姿勢。本日の緊急国会にて立件を決定】
 マリ! 彼は管理人室からとび出すと、国会議事堂へ急いだ。
 国会の周りは百人規模の警官によって厳重に警備されていた。初めてパンダが来日したときと同じくらいの厳しさだ。美間坂が我が物顔で正門を通ろうとしたので、すぐさま警官に呼び止められた。
「今日は見学はできないよ」
 緊急国会――こと、今回のような場合――は、一般人の閲覧は出来ないことになっている。だが、美間坂は見学する気なんてなかった。いい年した大人が罵り合うのを見たって、何も面白くはない。彼は警官に徹虎宰相に個人的な用事があると告げた。
 警官は訝しげな表情をしながら「どのようなご用事ですか?」と尋ねる。美間坂は真顔で「猫を返してもらいに来ました」。
 美間坂はすぐさま警察に拘束されると、爆発物を所持していないことを入念に調べられ、かなり荒っぽく追い返された。彼はどうして自分がこんな扱いをされなければならないのか理解できなかった。自分はただ、マリを返してもらいたいだけなのに。
 とぼとぼと帰路につく彼を、白衣の男が呼び止めた。美間坂が億劫そうに顔を上げると、彼は「貴方はネコを返して欲しいんですよね?」と美間坂に尋ねる。美間坂が頷くと男は美間坂の手をつかんだ。
「さっきの、見ていました。貴方は素晴らしい勇気をお持ちの方だ。どうです? 英雄になりたくはありませんか?」
 美間坂は「なりたくないです」と即答する。しかし男は引き下がらない。
「世の英雄は皆、英雄になりたくて勇敢な行動をした訳ではありません。結果としてその行為が古人を英雄たらしめるのです。僕の手伝いをしてくれたら、きっとネコを開放することが出来ますよ」
 解き放たれても困るのだが……、とにかく、彼に協力すれば猫には会えるということらしい。他に頼りの無い美間坂は、分かったと返事した。その後連れてこられたのは、国会から程遠くない所にあるビルの屋上だった。男は双眼鏡を使って熱心に警備状態を確認している。美間坂が彼の隣に立つと、「離れてて! 風の状態が分からなくなる!」と叱られた。
 屋上には樹の皮を編んで作られた大きなゴンドラと、電球型に作られた巨大な布が敷かれている。美間坂はそれがなんなのかすぐに分かった。気球だ。この気球を使って国会の中へ入るのだろう。
「よし! 風が止んだぞ!」
 白衣の男が双眼鏡を首からたらすと、球皮の入り口を持ち上げて、そこにインフレーターを向ける。男は美間坂に「早く! バーナーに火をつけて!」と命令した。美間坂は慌ててバーナーに駆け寄ると、男の指示通りに火をつける。
 白衣の男は豪快に哄笑すると「助手には逃げられたが、ギリギリ代役が決まって良かった!」と叫ぶ。球皮が完全に空を向いたとき、男がゴンドラの中へ飛び込んだ。そして、戸惑う美間坂の腕を掴むと、彼を無理やり中へ引きずり込む。それから間もなく、気球は宙へ浮かび上がった。
 美間坂は気球がビルの屋上から離れたことを知ると、白衣の男に向き直る。彼はゴンドラの中に積まれた数十個の紙袋を見てくすくす笑っている。その様が余りにも怪しげだったので、紙袋を一個つまみ上げると、中身を改めた。
 中からは、千歳飴よりも二回りほど太いダイナマイトが何本も出てきた。
「これは?」
 白衣の男はZIPPOのライターをいじくりながら「希望だよ。この国を変えるための」と返事する。
「我が国はすっかり腐敗している。全てはあの女のせいだ。私は女が首相をやることには最初っから反対だったんだ。このままでは独裁になる。虎狩り、そう、これは虎狩りだ」
 気球が国会議事堂の上空を通ろうとする。白衣の男は紙袋の中から一本のダイナマイトを取り出すと、導火線をライターに近づける。
美間坂は自然な動作で男からライターを奪い取ると、それをどこか遠くへ向かって投げた。ライターは一般家屋の屋根にぶつかり、カランカランと音を立てる。白衣の男は血相抱えてゴンドラから身を乗り出すと「何をするんだ!? 気でも狂ったのか!?」と騒いだ。
「これじゃあ猫が死ぬ」
「ネコを助けるためにやってるんだぞ!? そのためには国会の爆破は必要不可欠――」
 地上が騒がしくなっていることに二人は気づいた。警備の人間がとうとう気球の存在に気づいたのだ。発砲音が聞こえてくるが、二人には反撃の手段はなく、まさに生板の上の鯉。男は恨めしそうに「君は国家の敵だ!」と美間坂の事を罵った。やがて、一発の銃弾が気球の球皮に当たり、空気が漏れ出した。気球はぐんぐん高度を下げ、国会の役員専用駐車場に不時着した。
 ゴンドラの中からそっと顔を出す白衣の男。彼はまだ警備の人間が着ていない事を確認すると、紙袋を名残惜しそうに見ると、すぐさま外へ向かってかけ出した。一方美間坂は、ダイナマイトの事なんて思考の隅にも置かず、国会の中へ向かって走りだす。背後では、警察官の怒号が聞こえていた。

 総務室での生活は窮屈極まりないものだった。食べる物は全て政府直属の店から卸された物でなければならず、三軒茶屋の抹茶クリームたい焼きも、クルス製菓の黄金カステラも食べることはままならなかった。風呂が無いのが気にならないのは女としてどうかと思うが、とにかく、この部屋には楽しみと呼べるものが全くない。唯一心を癒してくれるのは、この子猫の存在だった。
 襲撃の時に立ち会ったボディーガードが「猫を返してきましょうか?」と何度か訊いてきた。トラ派の議員に猫の存在を知られたら、笑い話ではすまないからだ。今や、トラとネコはただの動物ではない。政争の御旗となっている。それを知りつつも、つい「もうちょっと預かっていてもいいんじゃないか?」と返すことを先延ばしにしてしまう。
 猫に対して気がない訳ではないが、それよりも、自分の手で返したい。という思いがあった。あの美間坂と言う男は、徹虎の人生に初めて登場したタイプであり、現総理を前にしても物怖じしない姿勢には感服させられる。自分は、ちょっと野次を飛ばされただけでも震えてしまうのに。
 総務室のドアが開き、徹虎宰相は肩をはねさせた。まだ、襲撃の苦い記憶から開放されていないせいだ。彼女は寝ている時でさえ、鳥の羽ばたく音でも目を覚ます。警備の人間は、皆歩く音さえ気を配っていると言うのに、その男は普通の人でも思わず振り返ってしまうくらいの大音を立てて、部屋に入ってきたのだ。宰相は慌てて猫をソファーの裏に隠す。
 沼本議員。国民党の重鎮であり、彼女を国民党に引き入れた張本人でもある。彼は右頬にある大きなほくろを人差し指で撫でながら徹虎の元までやってくると、「今日の緊急国会での台本は配られているかね?」と徹虎に尋ねた。徹虎は頷くと、続けて「しかし、これは読まないつもりです」と言った。
 台本には、ネコ派の議員を国家反逆罪で立件する内容が書かれていたのだ。下手をすれば二度と牢屋から出てこられなくなるかも知れない。徹虎は例え敵対関係にあろうとも相手の議員を尊敬していたし、「国をより良くすため」と言う目標は同じだと考えていた。だから、考えが違うという理由だけで排除しようとするこの台本に従う気にはなれなかったのだ。
「私はもっと周りの意見を取り入れ、国をより良く――」
「ここは選挙カーの上じゃないんだよ?」
 徹虎の熱弁を、沼本はあっさりと遮った。
「彼らを野に放しておけば、必ず国民党に害となる。そうだろう?」
「確かにそうかも知れませんが、国にとって益となるなら……」
「そんな事は我党にとって関係ない」
 沼本はぴしゃりとそう言い放ち踵を返す。その時、彼はソファーの裏から顔を出す、一匹の猫を見つけた。沼本は明らかに怪訝な顔をすると、その子猫を引っつかむ。猫は目を細めて身体を縮こませていた。
「これは君のか?」
 まさか頷くわけにも行かず、宰相は「おそらく、誤って紛れ込んだのでしょう。私の警護が連れていきます」と、背後に立つ男性に目配せする。沼本は「君の手を煩わせるには及ばない」と、窓を開けると外へ向かって投げ捨てた。愕然とする宰相。沼本は「もう一度しっかり読み込んでくれよ」と念を押してから部屋を出て行った。
 沼本が部屋を出ていった瞬間、宰相が振り返るとそこには既に警護の姿はなかった。彼は窓を乗り越えると、外を確認する。そして、そこにあの子猫がいないことを確認すると短く息を吐いた。
「駄目です、宰相。見当たりません」
 徹虎は溜息をつくと「私はつくづく猫に嫌われるな……」と、無理に微笑んだ。これから緊急国会が始まるというのに、まさか泣くわけには行かない。そんな彼女のことを気の毒に思ったのか、警備の男が「探してきます」と残して出て行った。その後すぐに召集が掛かった。
 本会議場へ向かう途中、徹虎は子供の頃のことを思い出していた。彼女は自分の名前が嫌いだった。虎は縁起の良い獣だからこの字を使ったと言うが、これならまだ『子』の方がマシだった。虎は獰猛だし、怖いし、人を食べるし、いいところは一つもなかった。
 だがある日、彼女はインターネットで虎が『猫科』であることを知った。思えば、虎と猫はよく似ている。大きさは五倍くらい差があるけど、走り方とかはまさにソレだ。そうか、虎も猫も一緒なのか。それは彼女にとって正しく救いだった。
 総理大臣席に座ると、本会議室の中は水を打ったように静まり返った。多くの議員は徹虎の事を血も涙もない鬼総理だと思っているし、ほとんどの国民もそう思っているだろう。そして今日、その「ほとんど」を「全て」に変えなければならないことが、心の底から悔やまれる。
 彼女は大きく息を吸ってから立ち上がる。そして台本のセリフを口にする。
「五月十四日に拘束された25名の議員を、国家反逆罪として――」
 本当にこれでいいのか?
 自分と違う意見の人間を追いだして、その先に良い国が待っているのだろうか?
 彼女の言葉がピタリと止まる。会議室の中に不穏な空気が流れ始めたとき、テラスのように作られている傍聴席から扉の開く音が聞こえた。四百名あまりの国会議員が、首を曲げて二階を確認する。そこには、一人の男が身を乗り出していた。テロか? 暗殺か? 様々な言葉が錯綜する中、徹虎だけは驚きから眼を瞬いていた。美間坂がそこにいたからだ。
 美間坂は徹虎に向かって叫んだ。
「猫は殺さないよな!?」
 徹虎はマイクを使ってすぐに返事する。
「ああ、もちろんだ!」
 そう言ってから、しまったと言うように、彼女は口に手を当てる。トラ派の議員たちは困惑し「ネコ派を立件しないということか?」と、口々に言い合っている。テレビカメラが徹虎の事をアップで写す中、彼女は長い息を吐き、穏やかに笑う。もう、自分に嘘を吐くことは止めよう。そう、心に決めたのだ。
 ――その時、全国民が、徹虎が普通に笑うことができると言う点に驚いた。
「私たちはトラ派ネコ派と勝手に別けられ、まるで戦争のようにお互いを傷つけあったが、ネコもトラも、同じ科ではないか。25名の議員は立件しない。今すぐ解放する」
 徹虎はそれだけ言うと、持っていた台本を机の上に置いたまま、大会議室を去っていった。

 その後すぐに警備から猫を保護したという報告が入った。美間坂は無事猫と再会し、低迷していた支持率も何故か急上昇した。そして徹虎は、国会へ行くときは国会の駐車場は使わず、少し歩くようにした。雑誌には運動不足解消のためと言っているが、彼女のポケットには常にカロリーの高いビスケットが入っている。

-後書き-
もう1ヶ月も前の作品です。本当はその日のうちにできていたのですが、印刷室が使えなかったり
テスト期間に入ってしまったりとタイミングを何度も逃してしまいました。
しびれを切らした管理人は、こうしてブログに挙げる事を決断。
結構長い作品なので、読んでいただけたら幸いです。

魔法 少女 宇宙

2012年06月10日 | 小説
魔法 少女 宇宙

「……あんま見てっと殺されっぞ」
 と、僕の肘をつついて来たのはクラスメートの供田だった。僕は、どうやら客観的に見ても異常なほど彼女を見つめていたらしい。恥ずかしさから俯いた。
 明後日に文化祭が控えた今日、教室装飾を任されていた数人のクラスメートは担任の許可を取り、夜七時まで居残りを許された。僕と供田と木下さんは看板係であり、供田が作った紙の花と鎖を、ダンボールの看板に貼りつけている。作業をしているのは僕と供田だけで、木下さんは机の上にふんぞりかえってチュッパチャップスを舐めていた。
「ああ供田。確かに死にそうだよ」
 木下さんを見ていると、僕は首を絞められたように息が苦しくなって、本気で腹パンされたあとみたいに、心臓の鼓動が早くなる。顔からは血の気が引いていくし、目元は痙攣する。これが「恋」なのだろうか。
「いや、そういう比喩的な死ぬじゃなくて――」
「そんな事より供田。木下さんってひらひらした服を着たことがなかったっけ?」
 木下さんは少し変わったファッションをしている。僕の高校はブレザーが規則で決まっているのに、何故か紺のセーラー服を着ているし、勘違いしているロッカーが装備するような指だしグローブをはめている。いつもこの服装なのだが、僕の記憶には妙な映像が一片残されているのだ。それは、彼女がピンク色のフリフリレースが付いたドレスのような服をきている、そんな映像。
「俺はあいつとは中学ん時から一緒の学校だが、昔っからあんなだぜ。フリフリレースなんざ釈迦に頼まれたって着ないだろうよ」
「どうして着ないんだろう。似合うだろうに」
 彼は「うへー」と長い息を吐くと両手の指先をノリでベトベトにしながら、色紙を鎖にする作業に戻った。
 僕の視線に気付いた木下さんは、眠たげな瞳をこすりながら僕と目を合わせる。彼女が机から飛び降りると、賑やかだった教室の中の空気が水を打ったように静かになった。
「おい。斉藤よぉ。あたいに何か用かい?」
 しゃがれ声で言う木下さん。供田は言わんこっちゃ無いとでも言うように、額に手を当てていた。僕は彼女の手を掴むと「僕の苗字、覚えててくれたんだね! 下の名前は優木って言うんだよ!」
 彼女は僕の手を振り払うと「白けたぜ。先に帰るぜ」と残して教室を出ていってしまった。
完成した紙の鎖を僕に手渡しながら、供田が言った。
「……お前って怖い物無しだよな……。なんつーか、尊敬するわ」
 僕にはなぜクラスメートがそこまで彼女を恐れるのかが理解できなかった。木下さんはちょっと服装が変って所はあるけど、それなら担任が時々着けてくるパイロンのような色をしたネクタイだって変じゃないか。
「僕は供田がだっさいストラップを携帯電話に着けていても嫌ったりしてないよ?」
「さり気無くひどい事言ったろお前」
 そういう事じゃなくてだなぁ。と説明しようとする供田。僕は木下さんが座っていた机に鞄が置きっぱなしになっていることに気がついた。平べったく潰された学生鞄だ。教科書なんて三冊くらいしか入らないと思う。僕は供田に看板を押し付けると「今なら間に合うかも知れない。これ渡してくるよ!」と残して教室を出た。

 学校を出る途中、僕はどうしても気になるものを見てしまった。それは、彼女の鞄の中で見え隠れする、ピンク色のステッキである。大きさは三十センチくらい。子供のおもちゃとしてよく売られている物だ。どうしてこんなものが木下さんの鞄の中にあるのか、僕には分からなかった。
 校門を出た、まさにその時、僕はすごい勢いで走ってきた誰かとぶつかったのである。外はもう真っ暗で、校門横に立っている街灯が、彼女の姿をおぼろげに照らした。それは、息を切らした木下さんだったのだ。彼女は僕の手に握られるバックを見るや否や、「てめぇが盗りやがったのか!」と、すごい剣幕で迫ってきた。
 弁明しようとした時、大きな陰が僕達に覆いかぶさる。逆光のせいで良く見えなかったが、それの全長は二メートルを優に超えていた。木下さんは舌打ちすると、僕の事を突き飛ばす。僕達の間を分かつように、その巨大な生物から伸びてきた触手が地面を穿った。
「きききき、木下さん! あれなに!? 怪物!?」
 距離を取れたことで、その物体の全貌を見ることが出来た。それは、極々大きなスライムだ。体の色は藍色で、縦に長い卵型をしている。そこからは子どもの腕程の太さの触手が伸びていた。
 木下さんは鞄の中を探り、そこから件のステッキを取り出した。ステッキの先っちょには星のレリーフが掘りこまれてあり、天使の羽を模した装飾が付けられている。それを怪物に向ける木下さん。彼女は敵ではなく僕を睨むと「こっち見んな!」と怒鳴った。
「木下さん! そんなんじゃ勝てないよ! 警察か自衛隊を呼ばないとぉぉぉ」
「いいから! てめぇは校舎の中に戻ってろ!」
 牽制しあう怪物と木下さん。僕は女の子を置いて逃げられるほど臆病ではない。彼女が立ち向かうなら、僕も立ち向かわなきゃ……。僕は林の中から細い木の棒を掴むと、それを怪物に向ける。
「きき、木下さん! 逃げて!」
「いいから! そんな無け無しの勇気を振り絞らなくていいから! 本当に邪魔ですからどっかいってくださいお願いしますこのとおりです!」
 いつもと口調が違う木下さん。声もしゃがれていなかった。供田は以前、木下さんの声についてタバコを吸っているからあんな変なんだと語っていたが、今の彼女は至って普通。むしろ美声だ。ほらみろ供田。彼女は喫煙なんてしていなかったではないか。僕が得意げになっていると、怪物は僕に向かって触手を伸ばす。それを弾き落とそうと木の棒を振るが、触手は思った以上に液体らしい柔らかさをしていて、木の棒は何ごともなかったかのように空を切ると、触手は僕の体に巻きついた。
「木下さん! 僕が囮になっているうちに逃げてくれー!」
「どんだけ前向きなんだお前は!」
 うう、苦しい。でもこれで彼女が助かるのならば……!
 朦朧とする意識の中、僕は白い光を見た。それは木下さんの体を包みこみ、怪物は触手の力を弱める。何度も咳き込んだ後顔を上げると、そこに立っていたのは木下さんだった。それも、ひらひらのレースが付いたピンク色のドレスを身にまとっている。スカートの中にパニエを忍ばせているのか、まるで洋人形のようにふっくらと膨らんでいた。ヘッドドレスには、威圧感のない桜色の薔薇がそえられている。
「ま、魔女っ子キノリン、さ、参上……」
 木下さんは握った拳をぷるぷると震わせてうつむいている。怪物が木下さんを押潰さんと天高く飛翔した。「危ないキノリン!」と叫ぶ僕。木下さんはステッキの先から閃光をほとばしらせると「キノリンって呼ぶなバカヤロぉぉぉ!」と叫んだ。

 僕と木下さんはとりあえず、人目のつかない駐輪場まで退避する。閃光に釣られて残っていた生徒が校門に集まって来ていた。その中には、事務員の姿まである。僕は彼らから視線をそらすと、いつものセーラー服姿に戻った木下さんと視線を合わせた。
「木下さん……さっきのは何? 特撮、じゃないよね?」
 彼女は飽き飽きと言った様子で「ありゃあ宇宙人だよ」と答える。
「う、宇宙人!?」
「ああ。地球を侵略しようとしてる。……それを食い止めるのが、魔法少女の家系であるあたいの仕事なのさ」
 彼女は寂しげにそう答えるが、魔法少女という単語のせいでいまいち決まらなかった。普段の彼女からは想像もできない、奇妙な取り合わせだと僕は思った。
「そうか……そんな事情があったなんて知らなかったよ……。授業中に時々出ていってしまうのも、宇宙人を退治するためだったんだね」
「いや、あれは気分で――」
「赤点を付けた教師にラリーアットしたのも宇宙人を退治するためで、最近スカートを五センチ短くしたのも宇宙人を倒すため。帰り際に毎日たい焼きを二個買っているのも。スーパーの割引クーポンを密かに集めているのも。全部宇宙人を倒すためだったのか……」
「お前はどんだけあたいの事見てるんだよ!? 普通に気持ち悪いよ!?」
 僕は木下さんの両手をぎゅっと握ると
「大丈夫! 僕は君の味方だよ! これからは君の右腕として打倒宇宙人を」
「そんな事はしなくていい!」
 木下さんは僕の手を振り払う。
「私を手助けしたいって思うんなら、この事は絶対に他人に喋るな。わかったな?」
「なぜ? 君が世界を守ってるなら、誇って然るべきだと思うよ!」
 皆、木下さんのことを大いに誤解している。彼女が地球を護るため、日夜奮闘する魔法少女だとわかれば、きっとその誤解も解けるはずである。しかし彼女は「喋ったらあれするからな。あれ」と僕を脅す。自分の功績を頑なに誇らない。なんて謙虚な女性なんだろう。むしろそこには職人気質さえ汲み取れる。
「そこまで言うなら、君の意思を汲んで秘密にするよ。でも、魔法少女の君もとても魅力的だし、秘密にするようなことではないと思うんだ」
 木下さんは僕の本心を聞いても、冗談半分としか受け取ってくれない。彼女はふんと鼻を鳴らすと「こんな痛い姿を公衆の面前に晒すくらいなら割腹した方がマシだ」
「……君の制服姿も似たようなもんだと思うんだけどなぁ……」
「これはいいんだよ! こ・れ・は! かっこいいからな!」
 うーん。彼女の美的センスは謎だ。


後書き
一応短編という約束なのでここで〆。
この後の展開も考えているんだけど、また1万超えになったら読みにくいだろうから、ここらで終わっときます。
スケバン+魔法少女って取り合わせは面白いと思うんだけどなー。

熊 豆電球 バンジージャンプ

2012年06月05日 | 小説
文字数:917
原稿用紙:ニ枚半


豆電球 熊 バンジージャンプ

 これは、私がフリーのルポライターをしていたときに聞いた話だ。
 青森県のH市には、未だにマタギの職業が残っていて、冬になると、山を下りてくる熊に備え、里の周りに電気柵を作ったりする。もちろん、本業である熊狩も行っていて、枯れ枝のような老人が日を決めては集合し、骨董品のような銃をかついで山へ登る。時々、銃声が里に響き、そういう日は決まって熊の肉を使った鍋を喰らうそうだ。
 しかし、銃声がした日に熊を食べないこともある。それは、射殺した熊が「人間を食っていた」時だ。人間を食べた熊と言うのは、他の熊とは全く違う匂いがするらしい。一般的な熊はどんぐりなど、植物性の物を主食としているので(北海道の鮭を喰らう熊は特別だ)、肉は爽やかな木の匂いがする。それはまるで、香草で浸け込まれた肉のようだと訊く。だが人間を食べた熊と言うのは、嗅ぐに耐えない醜悪な匂いを発するそうだ。
 じゃあそういう熊の処理をどうするかって? 木に吊るすのさ。里への入り口に紐で吊るしておく。こうすると、熊は同族の血の臭いを恐れてしばらくの間里へは来なくなるそうだ。時期がよければ、君だって熊のバンジージャンプが見られるってことさ。
 冬が深まり、例年よりも早くに雪が降った時、その事件は起こった。冬眠のための食料を確保できなかった熊が、子供を咥えて森の中へ入ってしまったって言うんだ。マタギの人間はすぐに集められ、豆電球のような小さな灯を頼り雪の道を歩いた。しんしんと降る新雪が、容赦なく熊の痕跡を消し去る。森の中に子供の叫び声が反響するのだが、それがどこから発せられたものなのかは、ついぞ分からぬままだった。つい昨日までは元気に熊鍋を食べていた少年。マタギたちの必死の捜索虚しく、彼は発見されなかった。そして、その年の冬が終わった。
 春になり、雪解け水が川に注ぎ始めた頃、予想外の形で少年が発見されることになった。彼は熊に食べられたわけではなかったんだ。その証拠に、死体には多少の腐食があるものの、噛み付かれた後なんてほとんど無かった。だが、発見された場所があまりにも出来すぎていたんで、その日は騒然となった。
 少年は、山の入口の木に吊るされていたんだ。紐で。


後書き
今回は大分短くなってしまった。というのも、0時17分から50分の間で
着想・構成・執筆の全てをやらなきゃならなかったからなんだ。(結局30分で書けた)
これもいい練習になったと思う。結構ホラーチックに書いてみたぜ!

お題をくださった奏日亜さん! ありがとうございました!

松 マトリョーシカ 大学生 完成したぉ

2012年06月04日 | 小説
目標は6月3日の間に書き終える。だったんだけど、十分くらいオーバーしてしまった。
全ては「宇宙戦争」のせいだから勘弁して欲しい。

文字:12000
原稿用紙:30牧
中編小説


マトリョーシカ 大学生 松

 帝都が戦火に沈むかもしれない。そんな噂が実しやかに囁かれ始め、日露の激突は最早避けられない事態となりつつあった。ロシアという広大な国土を持つ相手に、一島国が戦争を挑むというのは、政治に明るくない私でも、敗色濃厚なのは理解できる。
「もしも我が国で陸上戦となるのならば、戦場はロシアに一番近い北海道だろう。留守第七師団が屯田兵を吸収しつつそこに居着いたのには、上陸を防ぐという目的がある」教授が講義の終わり際にそう話したので、私の不安は胸の内で膨らみ続けた。標津村には両親を残している。背の高い露兵が根釧台地を行軍してくる様がありありと浮かび、それが明日にでも起こるのではないかと気が気でならない。次の週、私は大学に休学届を出すと、青函連絡船が止まらぬ内に、青森港に向かったのである。
 船から降りてくる者は多かったが、その中に若者の姿は殆ど無かった。代わりに、船へ乗り込む男は相当な数が居た。道民を兵士として募ったと聞くが、きっとそれでも足りなかったから、本島から派遣されたのだろう。その中で、私のような女の姿は明らかに浮いていた。もしかしたら彼らには、私が軍人を客に取る娼婦とでも写ったのかも知れない。視線が嫌に集まり、私は彼らと離れた場所にいることにした。
 船が出るとき、船尾には男達が集まった。港には、彼らの親と思われる多くの男女が手を振っており、激を飛ばしている。まるで処女航海のようだった。港から船はどんどん遠ざかっていくのに、若者たちは船尾を去ろうとしなかったので、私は誰もいない船首に出て、欄干に寄りかかり、故郷の方を眺めていた。
 おそらく、若者たちは意識的に船首の方を恐れていたのだと思う。この場所には驚くほど人が居なかった。代わりに、軍需物資と思われる木箱が(貨物室だけでは収まらなかったのか)甲板にまで置かれていた。碧色のシートが被せてあるが、潮の匂いにまざって、かすかに油の匂いがする。
 私がそれらの内の一つの木箱に座って水平線を眺めていると、もしかしたら、もう本島には戻って来られないかも知れないと、そんな不安が生まれ始める。でもそれは同時に、故郷で死ねるという事でもあるから、悲観することでもないなと思い直した。赤松をぶち割ったような性格と私のことを評した両親の気持ちが分かった気がする。
 ドスン、と木箱が揺れたので、何事かと思い、私はその箱から飛び退いた。木箱が開こうとしているが、シートがかかっているせいで開かない。私は咄嗟に、「今開けますよ」と言ってシートを剥がした。剥がしてから、なんで私は一部の疑いもなくそんな事をしてしまったのだろうと自省した。箱の中に隠れていたと言うことは、密航者ではないか。私は一一〇〇円も払って船に乗ったのに卑怯じゃないか。
箱から出てきたのは、驚くべきものだった。髪の毛の色素が極端に薄い少年だ。年齢は十五六だと思う。私よりは年下だ。英国のものと思われるホワイトシャツに、釣り革帯がついた茶色の下服。あずき色の帯をしっかりと締めており、眼の色が青色だ。青色と言っても、米人のような鮮やかな青色ではなく、まるで空のように透き通った青だった。
 少年は私のことをじっと見る。私も彼のことをじっと見る。奇妙な沈黙が少し続いた後、少年は私から目をそらして、ここが海上であることを確認した。ほっと胸を撫で下ろし「良かった。乗れて」と、はっきりとした日本語で喋ったのだ。
「あ、あなた誰? 日本人?」
「ロシア人」
 足音が船首に近づいてきたので、私は少年の頭を掴むと、彼を箱の中へ押し戻し、上から蓋をした。箱の中から「なにするだよぉ」と声が聞こえてきたので、私は箱をつま先で蹴ると「死にたくなかったら黙ってて!」と鋭い声で叫ぶ。
 二人の若者は船首の景色を観たかっただけなのか、こちらまで来ることはなく、通路の終わりで引き返した。私は安堵の息をこぼすと、箱を開けた。
「もう行ったわよ」
 少年はにこにこ笑って「ありがと」と言った。

 船首の端っこで、私と少年は方を並べて座った。少年はロシア人と日本人のハーフであり、今までは青森県に住んでいたのだという。だが戦争が始まるということで、父親の実家に帰省しなければいけないことになった。
 それがどうして青函連絡船に乗る理由になるのかというと、母方の祖父が標津村に住んでおり、彼を置いて帰ろうとする両親と少年の間で対立してしまったらしい。だから、彼は半ば家出のように家を飛び出して、この木箱の中に隠れ潜んだのだ。
「なんというか……すごいわね。あなた」
「へへへ。ありがと」
 祖父を思う少年――レオの気持ちはよく分かるが、いくらなんでも無謀ではないか。北海道は臨戦状態に入り、ただでさえピリピリしているというのに、外見上は完全な異人である少年が入っていくのは、まさに火に油だ。
 それに、私は標津村の出身だが、ロシア人がいるなんて話は聞いたことがない。実家を出てから三年、その間に移り住んだということだろうか。
「君のおじいさんは標津村のどこに住んでいるの?」
「えーっと、格子状防風林の中だよ」
 私は思わず吹き出した。
 格子状防風林と言うのは根釧台地に広がる巨大な松林で、その全長は何十キロとも言われている。私は子供の頃から、あの松林に入ったら出てこられなくなると、何度も言い聞かせられた。一度迷子になって以来、見るのも嫌な場所だ(それでも大きすぎるから、否が応でも視界に入ってしまうが)。
 目的地は一緒なわけだし、なんなら連れていってあげようかとも思った。でもあそこは駄目だ。入ったらまず間違いなく出てこられなくなる。私は彼を諭した。
「あんな場所へ行っちゃダメよ。絶対に帰って来られなくなるから」
「大丈夫だよ。僕は一人でおじいちゃんの家に行ったことが何回もある。もちろん、その時はちゃんとお金を払って船に乗ったけど」
この船はそのまま標津村へいけるわけじゃない。標津村に行くには船を降りた後、多くの路面電車を乗り継いで、果てには、徒歩でかなり歩かなければいけないのだ。船に乗るお金もない彼が、そんな交通機関を使えるはずがない。
「大丈夫だよ。今は標津村まで直接の便が出ているからね」
「はあ? そんな訳――」
「戦争のおかげだよ。釧路(くしろ)連隊区への輸送車に乗せてもらえばいいのさ。ほら、この船にも兵隊志願者が沢山乗っているだろう? 港にはそれを受け入れる護送車が来てる。紛れ込んでしまえばバレないさ!」
 バレないさと言われても……。君の容姿じゃ絶対に無理だろう。一目で異邦人であることが分かってしまう。そしてさっきのように臆面も無くロシアンだと答えたりしたら、どのような扱いをされるか分かったものじゃない。
「君ねぇ……。凄い危ない事をしようとしてるって分かって――」
――「そこで何をしている」
 レオが慌てて箱の裏に隠れる。私は箱の上から飛び降りると、その場に直立不動した。
 声をかけてきたのは、角刈りの男性だ。軍服に身を包んでいる。青年将校の多くに見られるような、他を威圧する鋭い眼光を持っており、身長は私よりも頭二つ分くらい大きい。太い腕っ節で、私が座っていた箱の戸を開けると、舌打ちした。
「貴様、これを見ろ!」
 恐怖のあまり立ちすくむ。軍人は私の肩を乱暴に引っつかむと木箱の中をのぞかせた。そこには、若竹色の軍服が綺麗に折りたたまれて入っていたのだ。
「貴様の尻に敷かれていた軍衣だ。女の分際で、兵士の聖装を愚弄するとはどういう了見だ」
 言い訳のしようがない追求に、私は返す言葉もなかった。相手は戦地入り前でただでさえ気の立っている男、一方、こちらには無力な女一人。とてもじゃないが勝ち目は無い。男は私を突き飛ばして欄干に叩きつける。
「さしずめ軍人相手に身を売ろうとでも考えていたんだろう。国賊め。恥を知れ」
 男が髪を乱暴にひっつかんだ時、別の男が船首へやって来て、声高に叫んだ。
「おい! 火災があったみたいだぞ! 来てくれ!」
 あまりの恐怖から気がつかなかったが、遠くで防災鐘の音がする。私の髪を掴んでいた男は、一瞬、名残惜しそうに私のことを見るが、手の力を緩めると船尾の方へ走って行ってしまった。欄干にもたれかかったまま、私はしばらく放心していた。恐怖のせいで腰が抜けてしまっていたのだ。そんな私の頬を、レオが撫でた。彼は「お姉さん。大丈夫?」と本当に心配そうに訊いてくる。
 その時になって初めて、自分が難を逃れたことを知り、私は年甲斐もなく泣いてしまった。売女と罵られたことがとても悔しかったのだ。彼はそんな私の側にいて、いつまでも手を握ってくれていた。
 一通り泣いてしまうと、気も大分晴れた。ぶつけた背中はまだ痛かったし、私の事情を訊きもせずに軽蔑した男への怒りも収まらなかったけど、なんとか立てるようにはなった。そしてその時になって、どうしてあんなに都合のいい時に警報が鳴ってくれたのだろうと思った。
 レオの方を見てみると、彼は得意満面。「どうかした?」と首をかしげた。
 彼の見識の深さには度々驚かされるが、こんな事態に発展する前に止めてくれればよかったのに。そう思いはするものの、彼の屈託の無い笑顔を見ていると、つい赦してしまう。スカートについた埃を払う時、私はあることに気がついた。
 ポケットに入れておいたはずの財布が無くなっているのである。私は直ぐ様欄干から身を乗り出し、海面を眺める。きっと、さっきぶつけたとき海へ放り出されてしまったんだ。
 財布がなければ、当然正攻法の道で標津村へ行くことは出来ない。かと言って、帰りの船賃も無い。全財産を海へ寄付してしまったのだ。
 目の前が真っ暗になる。それこそ、身売りでもしてお金を稼ぐしか……。ああ、でも純情をこんなところで売りさばきたくない。軍人なんて嫌味な人種に体を触られたくない。私の中で軍人への好感度は急落していた。
 すべての事情を察したレオは手を打つと「お姉さん。良い方法があるよ」と言った。そして、見たくもない軍服が入った箱を開けるのだ。この中に隠れていろ、ということか? 

 船を降りたとき、私は今現在もっとも触れたくない物に身を包まれていた。そう、軍服だ。帽子を目深に被り、マフラーをしてしまうと、確かに男と女の判別はつかなかった。レオは一番小さい軍服を着ているのに、それでも大きすぎて、下服の丈を二回も折っている。
 幸い、雪は降って居なかったが、空気は凍てついていて、地獄のように寒かった。私はマフラーに顎を押し付け、俯きかげんのままレオに尋ねる。
「本当にこれで大丈夫?」
「うん。どこからどう見ても女の子には見えないよ」
 何故だか分からないけど腹が立って、私はレオの足を踏んだ。
 港には何台もの輸送車が停められており、目標の釧路連隊区への連絡車両も止まっていた。輸送車は車の後ろ戸が無く、車内の両壁に、板が突起している。私とレオを含め、何人かの男が乗り込むと、彼らは寒さで真っ赤になる両手を、神に祈るように組み合わせて、なんとか暖をとろうとしていた。彼らは皆、少年のように頬を赤く染めていて、綺麗な目をしていた。その中には、さっき私のことを突き飛ばした男の姿もあった。私は、今にでも突き飛ばされるのではないかとひやひやしていたが、彼は脇目もふらず私の前の席に腰掛けると、前かがみになり、自分の膝に肘を着いた。
 輸送車は時折激しく揺れながら、まっすぐ釧路へ向かって進んでいった。兵士たちの中に会話はなく、地獄のような極寒と、深海のような静寂だけが車内に充満していた。レオは私の隣に腰掛けて、床に届かない足をぶらぶら揺らしている。彼は私と同じように、帽子とマフラーを被っている。短い髪(どんな色かは形容しがたい)は完全に帽子の中に隠れているが、高い鼻と透き通った瞳は隠せない。だから彼はうつむいたまま、顔を上げようとはしなかった。
 二時間ほど走っただろうか。車が止まり、私は顔を上げる。釣られて上げそうになったレオの頭を、無理に下げさせて、辺りを見回した。車の後ろに広がるのは、ひたすらの雪原である。いつの間にか、車は雪が降っている地域に入っていたらしい。周りの兵士もその異変に気付き始め、挙動不審に首を振っていた。
「降りてくれ!」
 そう命令されて、私はてっきり自分たちの正体が運転手によって看破されたのかと思ったが、そうではない。降りて前方を確認すると、そこに倒木の姿を認めることが出来た。雪降り積もるそれは、道を分断している。兵士たちは一人、また一人と倒木に近づき始めた。下手な行動は起こすまいと思っていた私は、車の横でその様子を見守っていたのだが、運転手が「お前たちも行くんだよ!」と、私とレオの事を叱咤したので、最早ここに棒立ちでいる事自体が不審と思われた。
 私達は倒木と地面の隙間に手を回すと、目一杯力を込めた。その時になって気付いたのだが、もうここは釧路地区らしい。格子状防風林が、雪原の向こうに見えた。丸裸になった松の木の元に、雪の絨毯が敷かれている。防風林は鬱蒼と茂る森とは違って見通しが良いのだが、この林には果てが見えない。どこまでも続いて行くように感じられてしまう。
 その目の覚めるような景色に、すっかり心を奪われていた私は、大木が持ち上げられた時の風圧で我に返った。そしてその時には既に手遅れで、私が被っていた帽子が空に舞い上がり、肩甲骨まで伸びる黒髪が雪と共に宙を舞ったのだ。
 しまった。
 そう思うよりも早く、レオは私の手を取っていた。兵士たちが、一人、また一人と闖入者の存在に気付き、今まで腹にたまっていた言葉を嘔吐するみたいに叫んだ。待て、とか、捕まえろ、とか、そう言う怒号を全て置き去りにして、レオは走っていた。彼の帽子も途中で脱げて、その色素の薄い髪が露わになった。身体は私よりも小さいのに、引っ張る力はとても力強くて、私は生き先の全てを彼に委ねていた。
 何故だか分からないけど、私は彼の手を懐かしく思った。どうしてだろう。この光景を、私は以前見た気がする。
 どれくらい走ったのだろう。彼が足を止めたとき、辺りは驚くほど静かだった。雪がふっているせいで、鳥の鳴き声すらせず、全ての生物が私とレオを残して死滅してしまったのではないかとすら思った。あたりを見回せど、見えるのは松、雪、曇り空の三つだけで、私たちが走ってきた足あとも、雪によって帳消しにされようとしていた。
「大丈夫? お姉さん」
 レオが振り返る。彼は息一つ乱しておらず、寒そうにしている様子もなかった。ロシアンの血のせいだろうか。寒さには耐性があるのだろう。一方の私は、完全に息は上がっていたし、雪の中を走ったせいで靴はびしょ濡れ、疲れのせいか寒さのせいか、眠気まで襲ってくるという状態だ。私たちは格子状防風林の中へ入ってしまった。地図もコンパスも、食料も無しに。仕方なかったとは言え、どうしてわざわざこの中へ入るのかと言う不満が、レオにむかって噴出しそうだった。
 だが彼が居なかったら、自分は下手をすれば殺されていた。命の恩人に向かって文句を言うわけにも行かず、私はとにかくここからでなければいけないという一心で、かすかに残っている足あとの方向へ歩き出す。
「どこいくの?」
 と、脳天気に訊いてくるレオに、私は「家に帰るの!」と主張する。いつもはもっと冷静で理知的なのに、今ばっかりは言葉が乱れて仕方がなかった。彼にぶつけるのはお門違いだと分かっているのだが、口言葉がどうしても乱暴になってしまう。もう二度とこの場所には足を踏み入れないと誓ったのに、最悪の形で迷い込むことになってしまった。最悪の形とは、太平楽なロシアンと一緒に軍服姿で迷いこむ、ということだ。
 それから十分くらい歩いた。とっくのとうに足あとは消えていたけど、足をとめるわけには行かなかった。しかし、段々に足の指先から感覚がなくなっていき、歩くたびに釘で啄かれるような痛みが走った。我慢できなくなった私は、倒れた松の木に腰掛ける。
 レオは今まで文句を言わずについてきていた。私は、この問題続きの原因がすべて自分にあるように感じられて、どう仕様も無いほど申し訳ない気持ちになった。疲れているせいで弱気になっているんだと考えはするのだが、もしも一人だったら寂しさや悔しさ、それに不甲斐なさで泣いてしまっていたと思う。
「靴、脱がすよ」
 彼は私の足元に跪(ひざまず)くと、つま先が凍り始めている私の靴を脱がし、びしょ濡れの靴下を、まるで大根でも抜くみたいにして取り去った。私は、足の指先が暗紫色になっていることに気が付き、短い悲鳴を上げる。
「凍傷になりかけてるよ。お姉さん」
 レオが自分の軍服の釦(ぼたん)を外し始めたので、何事かと思った。何をするの? と訊く前に、レオは顕になった自分のお腹に私の両足を当てて、それをぎゅっと抱きしめた。心地のよい暖かさが足先から伝わってくる。
 どうしてだろう。とても懐かしい気持ちになった。かつて、自分は他人にこのような事をされたことがある? いや、そんなはずはない。第一、記憶にない。記憶にはないが体が憶えている。不思議な感覚だった。
「……ねえ、レオ。私とあなたは昔、逢ったことがないかしら?」
 レオは目を細めて首を傾げる。
「僕は覚えてないよ。でも、そう思うならそうなんだと思う」
「それってどういう事?」
「そのままの意味さ」
 惚けたような言い方だった。だが、これ以上追求する手立てはなく、私は閉口してしまった。彼とは昔、どこかで会ったことがある。それは最早確信に変わりつつあったのだが、いかんせん証拠がない。
「ところでお姉さん。どこに向かって歩いてたの? そっちは奥の方だけど、海を見に行きたいの?」
「え? 貴方は道がわかるの?」
 彼は大きく頷くと「当然だよ。お姉さんには分からないの?」と肩をすくめた。
 私が凍傷になりかけている間も、彼は正しい道を知っていて、敢えて何も言わずに付いて来ていたのだ。腹が立つのも忘れて、呆れてしまう。
「じゃあ標津村に案内してよ」
「ここからだと少し遠いからさ、まずはおじいちゃんの家においでよ。ここからすぐ近くだから」
 彼は渋る私の事をおぶった。だが自分としては、こんな風にお荷物になってしまうことは嫌だったし、わずかばかりの恥ずかしさもあった。しかし、彼にとって私の内心なんて言うのはどうでもいいことらしくて、どんな事を言っても下ろしてくれなかった。たどたどしい足取りでどれほど歩いただろうか、木造建築の一軒家が見えてきた。松の丸太を組んで造られた平屋で、はめ込み式の窓からオレンジ色の光が差していた。辺りは大分暗くなっていて、寒さも尚険しくなっている。
 レオはデッキに上がると、つま先でコツコツと扉を蹴った。すると、二重になっている扉の一つが開き、白いあごひげを沢山蓄えた男性が姿を現した。扉が縮んで見えてしまうほどの大男で、髪の毛や眼の色はレオに通じるところがある。男は「おお!」と歓声をあげると、急いでもう一枚の扉も開いた。
「レオ! どうしたんだこんな所まで……。お父さんとお母さんは? それに、その子は?」
「お爺ちゃん、色々と話したいことがあるからさ。とりあえず家に入れてくれるかな? それと、お湯を沸かしてもらいたいんだ。ボウル一杯分でいいから。この子、凍傷になりかけてて」
 彼は「分かった」と返事すると、私たちを家の中に入らせ、暖炉へ向かって走っていった。部屋の中を濡らすのは申し訳ないので、私は自分の靴と靴下を玄関前の敷物の上に落とす。レオは木の椅子に私を降ろすと、玄関先に置かれる靴を取り、それを暖炉の方へ持っていった。
 寒さで鼻がおかしくなっていたのが、ようやく正常に戻ってきた。そして、その時になって初めてこの家が異様に絵の具臭いことに気がついた。机の上にはめいっぱい絞られた絵の具の管や、使い込まれた筆が転がっており、老眼鏡のすぐ近くに卵型のコケシが一体置かれていた。今さっきまで、このコケシに色を塗る作業をしていたようだ。
 お湯を張った盥(たらい)を持ってきたレオは、それを私の足元に置くと「冷たくない? 丁度いい?」と尋ねる。お湯は、それこそ涙が出そうなくらいに心地良く、私は何度も頷いた。するとレオは自分の靴下も脱ぎ始め、私と同じ盥に足を突っ込んだのだ。彼の指先は私のよりも酷い暗紫色に変化しており、今になって私は、彼も凍傷になっていたのだと気が付いた。しかしレオはそれを誇るでもなく、私を攻めるでもなく、相変わらず何も考えていないような笑顔で「暖かいねぇ」と呟く。自分は彼に比べたらずっと子供で、未熟な人間なのだと思い知らされてしまい、私の虚栄心は脆くも崩れ去った。
「お姉さんはあれがなんだか分かる?」
 彼が指さす先にあるのは、机の上にある小さなコケシだ。私の家にもある。そう言うと彼は「あれはコケシじゃないよ」と首を振る。
「あれはマトリョーシュカ人形って言うんだよ。お爺さんが趣味で作っているんだ」
 レオはその人形をこっちへ取り寄せると、なんと、真っ二つに壊してしまったのだ。慌てる私を見て、レオは哄笑する。そして涙を目尻に浮かべながら「これはこう言うものなんだよ」と、人形の中を見せた。中が空洞になっている。
「何かを入れるものなの?」
「うん。ここにはもう少し小さいサイズの人形が入るんだ。そうやって何層も作って、人形を開けたら人形、人形を開けたら人形……って言う風になる」
 それは、なんだか不気味な気がした。
 だがそのマトリョーシュカ人形自体はとても可愛らしく、少女がにっこりと微笑んだ絵が描かれている。日本のコケシはあれで笑っているつもりなのだろうが、昔は少々怖く感じたものだ。
「その人形にはどんな意味があるの?」
「意味?」
「そう。人形には皆意味があるものでしょう? 例えばおまじないとか、祈願とか」
「うーん。聞いたことがないけど、貰った人がお願いすればいいんじゃないかな?」
 ずいぶん適当だなと私は思った。
 それから程なく、お爺さんが金属の湯呑みに珈琲を入れてきてくれた。家の中は程良く暖かく、絵の具臭いことを除けば正しく極楽だった。
 暖炉の中で薪の爆ぜる音が聞こえる。窓を揺らす風は、夜が深まるのに呼応するかのように激しくなっていった。盥から足を引き上げたレオは、祖父にこう切り出した。
「お爺ちゃん。お父さんとお母さんが一緒にロシアへ帰ろうって。もう戦争が始まるんだよ。僕達はここにいちゃいけない」
 彼は、両親が祖父を置いてけぼりにしようとした事は伏せていた。それが賢明な判断であることは明らかだ。同時に、私はここに居てはいけないような気がして、席を外そうと視線を部屋の中に彷徨わせるが、この家には食料貯蓄用の地下室しか別の部屋がない。私が席を外すには、地下室か外かの二択だった。仕方なく、私は自分が場違いであることを認めながらも、肩を窄めてその場から動かなかった。
「そうか……。始まるのか」
 彼は長い息を吐くと、自分の珈琲に口をつける。
「……私はここにいるよ」
「え? どうして?」
 とレオが聞き返す。彼には祖父の残りたい気持ちが全く理解出来ないのだろうが、私にはよくわかった。
「レオ。迎えに来てくれてありがとう。君はとっても良い子に育ってくれた。その姿を見れただけで私はもう満足なんだ。余生はここで過ごすと決めた。だから、私はこの場所を離れないよ」
 彼はレオの頭をくしゃくしゃと撫でる。その動作から、彼の固い意志を感じ取ったのだろう。レオはこれ以上お爺さんを連れだそうとする素振りは見せなかった。もしかしたら、彼の両親もこの事を見越して放っておいてあげたのかもしれない。

 夜の間、彼の祖父は夢中でマトリョーシュカ人形に絵を書き入れていた。ここに来るまでの疲れが溜まっていたのか、レオは暖炉の前で毛布にくるまってすっかり眠っている。私は椅子に腰掛けて、老人の手の中で鮮やかに変化している人形を見守っていた。
「レオは良い子だろう?」
 お爺さんが唐突に私に話しかけたので驚いてしまった。私は彼の言葉をよく理解した後、「はい」と答えた。レオが良い子なのはここに来るまでで痛いほどよく分かった。ちょっと行動的すぎるところがあるけど、潜在的な賢さを感じる。
 私は今までずっと気になっていたことを口にした。
「あの……。変なように思われるかも知れませんが、私はずっと前に彼に逢ったような気がするんです。この松林の中で。お爺さんは何か知りませんか?」
 彼は筆を動かす手を休めると、老眼鏡越しに私のことをじっと見る。そして、短い息を吐くと「私は知らないな」と首を振った。
「しかし、君がどこかで逢ったというのならば逢ったのだろう」
 レオと同じようにお茶を濁そうとしてきたので、私はすぐに「それじゃ駄目なんです」と言った。この記憶を、自己完結で終わらせたくない。私が迷子になった時、自分は確かにレオと遭遇した。そして、彼の暖かさに触れた。確かにそれが起こったことなのだと証明したところで、何かの利があるわけではない。でも、私はこの記憶を確かめたかった。
 するとお爺さんは、再び筆を動かし始め「それ以上追い求めるのはやめなさい」と諭すようにいった。
「思い出とはマトリョーシカの様なものだよ」
「……というと?」
 お爺さんは、マトリョーシュカの中から、また小さなマトリョーシュカを取り出す。その中からさらに小さなマトリョーシュカを取り出し、更に小さなマトリョーシュカを出す。そうして机の上に八つも並べると、最後の人形の中身は存在しなかった。
「思い出して、思い出して、最後には空っぽになってしまう。きっとレオもそれに気付いているんだと思う。君の思い出が何かで満たされている内に手を引くべきだ」
 私は空っぽになったマトリョーシュカを見て、愕然とした。
 確かに、私がここでレオとの思い出に気づいたとしても、その後は何も起こらない。ならば彼の言うとおり、忘れてしまったほうがいいのかも知れない。私は暖炉の前でいびきをかくレオに視線を送った。彼は私よりも年下だけど、その存在はとても大きかった。

 次の日の朝、外はカラッと晴れていた。前日に降った雪が松林を覆っていたが、幸い凍っていたため、足が埋もれると言うことはなかった。私とレオは標津村に向かって歩き出す。足の具合もずっと良かったし、靴や靴下も綺麗に乾いていた。
 お爺さんは私達と別れるとき、レオと私に一回ずつハグをした。私にハグをしたとき、彼は耳元でささやいたのだ。もうここへ来てはいけないよ、と。
 前を歩くレオは、お爺さんを連れていけなかったことに消沈していた。彼は祖父から帰りの電車賃と船賃を貰ったので、帰るのに不自由しないだろうが、きっと家に帰ったら両親の雷が彼に落ちるに違いない。
 私の前を歩くレオの後ろ姿が、過去の映像と重なった。それは、昨日の事ではない。もっと、ずっと前のことだ。私たちは会話なく、松の間を歩き続けた。
 やがて、松の切れ間に標津村が見えてきた。雪に埋もれた広大な畑が広がっている。家を出てからこの村は驚くほど変わっていなかった。松林が途切れたところで、レオは足を止めた。そして、私を前に歩かせる。彼はもう、急いでこの地から離れなければならないのだ。レオはその綺麗な髪を帽子の中に隠すと、藍色のマフラーで口を隠した。そして、霜焼けで赤くなった右手を挙げると、
「それじゃあ僕は行くよ」
 こんな終わり方でいいのだろうか? 私はどうしようもない焦燥感に駆られ、手をぎゅっと握った。
 ――レオに行ってほしくない。出来れば側にいて欲しい。
 自分の願望が明瞭に見えてしまい、驚愕する。でも、まさかこんな事を言うわけには行かない。お爺さんも言っていたとおり、思い出とは追求し続けてしまえば空虚になってしまうのだ。今ここでレオに哀願したって、彼がロシアに渡ってしまうのは決定している。
 私は空虚な気持ちを抱えたまま生きていかなければならないのだ。
 そんなのは嫌だ。ならやっぱり、綺麗さっぱり彼のことを忘れてしまったほうがいいんじゃないか。レオが踵を返し、松林の方へ戻って行く。その後姿も、私は見たことがある。そして、このどう仕様も無い程寂しい気持ちも。
 レオは立ち止まった。そしてくるっと振り返ると、私に向かって何かを投げる。私はそれを両手で受け取った。女の子の人形だ。お爺さんの家で見た物の中で、一番小さい。レオは言った。
「お爺ちゃんが別れ際に君に上げないさいって言ってたんだ! 多分、マトリョーシュカの最後の人形だと思う!」
 最後の人形? 私はお爺さんが見せてくれたマトリョーシュカの事を思い出した。中身の空虚なマトリョーシュカ。あの中には、本来これが入っていたということか。私はその人形の中を見ようとした。だが、人形は二つには割れない。これ以上の中身がないからだ。つまり、これこそがマトリョーシュカの中身、という事だ。
 ――なんだ。全然空虚じゃない。
 私は笑ってしまった。かわいい女の子の人形が私に微笑み返している。
 それじゃあ、と前に向き直るレオに向かって、私はかけ出した。そして、自分よりすこしばかり背の小さい少年を、後ろから抱きしめた。驚いて眼をぱちくりするレオ。私は彼の耳元で囁いた。
「レオ。戦争が終わったら、きっと逢いに来て。私、待ってるから。絶対に待ってるから」
 彼は困ったような笑顔を浮かべる。だが、私が泣いてしまっていることに気づくと、嘆息の後、今まで見たことがないくらい真面目な顔で「君はよく道に迷うね。今回も、迷ってるだけかも知れないよ」
「そうかもしれない。でも、その時は迎えに来てくれるんでしょう?」
 レオはしっかりと頷くと、私の手を取って、「当たり前じゃないか」と言って笑った。


後書き
思ったよりも長くなってしまったので、暇なときに読んでいただきたいです。
お題が結構難しくって、ストーリーに絡めながら登場させるのが大変でした。
個人的には「大学生」の部分をもっと強調したかったかな。

読者の方々>お付き合いいただきありがとうございます。
バリオン氏>お題、ありがとうございます。

石畳の街道 メープルシロップ 王女様

2012年06月01日 | 小説
で書いてみたよ!
量:1700文字 原稿用紙四牧分くらい



【石畳の道 王女様 メープルシロップ】


 ふわふわのスポンジで作られたテラスを、一人の女の子が行ったり来たりしています。眉間にしわを寄せ、きれいな形をした顎に指を当てて、ああでもない、こうでもないと酷く切羽詰った様子で何度も繰り返しました。やがて諦めるようにため息を吐くと、チョコレートで出来た椅子に腰掛けて、執事が持ってきたシフォンケーキにフォークを突き立てました。そして気難しい調子で「美味い! 作った人を褒めといて!」と大きな声で言いながら、むしゃむしゃとケーキを平らげてしまうのでした。
「どうかなさったのですか?」
その様子を見守っていた姫様の弟、王子様が姫様に尋ねました。彼女はいつも、自分から何かを話そうとはしません。だから、何かを話したいときはこのようにあからさまな動きをして、他人の質問を待つのです。でも、姫様に話を振れる人間は、この国には一部限られた大臣と、姫様の弟である王子様くらいしかいません。そして、姫様の戯言に付き合ってあげられるほど暇な人間は、王子様しかいないのでした。
 姫様は酷く憤慨した様子で言います。
「せっかく我が国を綺麗で素晴らしいお菓子で統一したのにっ。お城へ続く道だけは未だに石畳なのよ!? 信じられない! どうしてあんなにみすぼらしくて汚くて硬くて靴が汚れる道を私が歩かなきゃいけないの!?」
「それは、あの石畳が隣国の石の国から寄贈された大切な物だからですよ」
「でも、私たちがあげたクッキーの石畳を彼らは目の前で食べちゃったじゃない。私たちが律儀に石を使う必要はないわ。あれをさっさと片付けて、石の国には『美味しかったです』って一言返信すればいいのよ!」
「ふむふむ、仰せのままに。――君、将軍はどこにいるかな?」
 王子様はクッキーの机の前で日傘を持っていた執事に、そう尋ねました。

 将軍はメープルシロップの川で釣りを楽しんでいました。王子様は持ってきたチョロスの釣竿に、グミの糸をたれると、シロップの川にそれを垂らします。川の中を、たい焼きが群れを成して泳いでいます。
 将軍は軍服の胸ポケットからシガレットクッキーを取り出しました。バニラエッセンスのいい匂いがします。
「将軍。姫様からまた提案があるんだけど……」
 将軍は深々とため息を吐きました。本来、王子様の前でこんな行為をしたら、一週間おやつ禁止の刑になってしまうのですが、将軍と王子様は幼なじみであり、「僕と話すときは気を使わないでくれ」と頼んだのはそもそも王子様です。
「また厄介な頼みごとか?」
「うーん。『城の庭にメープルシロップの川を作ってくれ』よりかはマシなお願いだと思うよ。庭に続く桟橋があるだろ? そこから城門まで石畳があるじゃないか。姫様はあれが気に食わないらしいんだ」
「姫様は何でも食える物で作らなきゃ気が済まないらしいな」
 釣竿がぴくっと揺れたので、王子様は慌てて釣竿を立てました。すると、小物ですが、たい焼きが釣れています。たい焼きは湯気を立ち上らせながらも、シロップを地面にたらして、しっぽをゆっくりと振っていました。王子様はたい焼きをグミの糸から外すとシロップの川に返してしまいました。
 将軍は桟橋から城門まで続く石畳に視線を向けました。言われてみれば、無骨な気がしないでもありません。
「しかし、あれは石の国との友好条約の証として贈られた物だろう。俺は外交に関してはよく分からないが、勝手に変えてしまったりしたら不味いんじゃないか?」
「うん。デリケートな問題だから、勝手にデザートに変えてしまうのは、僕も辞めたほうがいいと思う。でも、姫様の気持ちもわからなくないんだ。石の国には……その、なんというか、姫様には苦い思い出があるだろう? だから、石畳を見て、その記憶を思い出したくないんだと思うんだよ」
 いつまで経っても揺れない釣りに愛想を尽かした将軍は、チョロスとグミをさっさと食べてしまい、口の中に沢山の物を詰め込んだまま「王子様って言うのも大変だ」と肩をすくめます。そして直ぐ様自分の部下に石畳の撤去とクッキーの舗装を頼みました。

 紺碧の空にはホットケーキのような満月が上り、城下町からは焼き菓子の匂いが城に漂ってきます。姫様は灯の灯ったお菓子の家々を眺めていました。いつに無い真剣な表情だと王子様は思いました。テラスに置かれるクッキーのテーブルには、太いバースデーキャンドルが一つ置かれています。王女様の前には、シューパフとぶどうジュースが置かれているのですが、まだそれには手をつけていません。
「王子。そこに座りなさい」
 王子様は言われたとおり、彼女の向かいに腰掛けました。姫様と同じく、城下を眺めることにします。この国は、草も木も川も、全てがお菓子で出来ています。甘い匂いは四六時中、街から流れる賑やかな音楽も夜遅くまで途絶えません。本当に良い国だと王子様は改めて思いました。
「石畳の事、あ、ありがとう」
「お褒めに預かり光栄です」
 王子様はそう気のないような言い方で返しますが、内心とても喜んでいました。姫様から直々に褒められる事なんて滅多にないことだからです。将軍と一緒に川を拵えた時も「ご苦労」の一言でした(その事に付いて将軍は今でも根に持っています)。
「いくら友好条約を結んだからと言って、やっぱり私にはどうしてもあれを此処に置いておきたくなかったの。貴方ならもう察していると思うけど」
 姫様は二年前、石の国との戦争中に敵国に誘拐されてしまったのです。それから半年後、戦争が終わるまで。石の牢の中、まともな服も着ることも出来ず、ろくな食事を摂ることも出来ず、監禁されて生活していました。国単位で見るなら、石の国とお菓子の国はとても友好的ですが、姫様個人としては、今でも石を見るのは嫌なのです。
「こんな事で再び戦争になったりしたら――」
「大丈夫ですよ、姫様」
 弱気になっている姫様を、王子様は鼓舞しました。
「もう二度と戦争なんて起きません。石の国が今回の件で怒ったら、目の前で石を喰ってやればいいんです。その役は、僕が甘んじて受けましょう」
 その事を、王子様はお姫様が城に帰ってきた時から決意していました。
 姫様が思いつく馬鹿みたいな政策は全て、「人々が飢える事のないように」を原則としています。牢の中で姫様は気付いたのでしょう、平和にとって何が一番大切なのか。
 ――人は空腹になるから諍いを起こすのです。
 姫様のそんな深い思慮を理解しようとしない大臣は、誰一人彼女の言葉に耳を傾けようとはしませんでした。だから王子様は、王女様が話したい言葉の全てを聞いてあげよう。彼女が想像する夢の世界を、可能なかぎり創造してあげようと思ったのです。
 おかげで、お菓子の国はこんなにも平和になりました。飢える人はいません。皆、お菓子が大好きで、姫様が大好きです。
 姫様はシューパフをナイフで切り分けると、それを口に運び「今日も美味しかったと伝えて!」と大きな声で言いました。彼女は知りません、姫様が食べるお菓子の全てを王子様が作っていることを。


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主人公がヒロインの家に転がり込む理由

2012年05月20日 | 小説
ラブコメと言えば学園モノ居候モノですが、
これに必需品なのはどうして主人公(ORヒロイン)がヒロイン(OR主人公)の家に転がり込まなくてはいけないのかという動機です。

多くの作者はこの動機をできるだけ手短に済ませて、
ギシアン一歩手前の甘甘居候ライフを書きたいって考えているでしょう。
ですが、ここをおざなりにしては作品としての完成度は大きく落ちてしまいます。
「居候させてください」「はい」
こんなやり取りで済ませてしまったら、キャラ立ちもへったくれもありませんよね?
このあとヒロインがお風呂を覗かれて「キャー」なんてやっても
読者は「そもそもお前が男を家の中に入れたんだろうが」と興ざめするしかありません。
この動機はじっくりと大切に書くべきなのです。
では、どうやってじっくりと大切に書くのか?

①家主のキャラクターを定める必要がある。
物語には必ず起伏が必要なので、この「居候騒動」でも、必ず山とオチを作りましょう。
例えば、らんま1/2では親どうしの事情から、別にその家に住みたくもないらんまと、
らんまと住みたくない茜が一つ屋根の下で住むことになります。
家主である茜は男嫌いで、女で登場したらんまの事を最初は歓迎しますが
らんまが実は男だったと知って彼を追いだそうとします。
つまり茜のキャラクターの特徴①は男嫌い
そして次の段ではすぐさま九能帯刀が登場、茜を倒した者が彼女の彼氏になれると振れ回り、
茜を倒そうと多くの男が襲いかかってきます。この時点で茜は多くの男から好意をもたれる美少女であると言う
情報を与えつつ武術でも抜きん出ているという情報が明かされる。
高橋留美子先生はほんとうに素晴らしいですね。
ちなみに、これらはまだ本編にも入らない居候騒動ですが、
ヒロインの茜のキャラクターが物語に関わりながらも伝わっていると思います。

②居候のキャラクターを定める必要がある。
じゃあ留美子先生にあやかって、これもらんまで説明しようと思います。
彼は最初のうち、自発的に家を出ていこうとするくらい居候を反対しています。
それは、許嫁を認められないという気持ちがあるからです。でも、どうして許嫁を認めないかっていうと
彼は水をかぶると女になってしまうという欠点があり、半分女である自分が結婚を騒ぐなんて馬鹿らしいそう考えているのです。
でも、その体質を直せる中国へ行くための旅費が無く、仕方なく天道家に居候します。だから最初は凄い不貞腐れているし、
女の子と一つ屋根の下なのに武道ばっかり傾倒していたせいでデリカシーというものがない。
そういう所で茜と衝突するのですが、茜の男嫌いの真相を知った彼は少しだけ彼女に同情し、
そういう事情があったとは知らず彼女のことを拒んでいた事を反省します。
つまり乱馬は水をかぶると女になる武道家で直情的だが芯が通っているってことがわかります。

主人公とヒロインを一緒に暮らさせなければいけない!
これを先行して考えてはいけません。ヒロインが主人公を嫌うなら一度離れさせればいいんです。
作者の都合を読者が感じてしまったら、その小説は失敗ですからね。