
いきなり第2期から入って恐縮ですが、私が中学1年の時、ディープ・パープルはすでに第2期黄金時代を迎えていました。
第1期は後追いで、ちょっと聴いただけ(苦笑)
ディープ・パープルはイギリスのロックバンドで、私は第2期から第3期への大きな転換期をリアルタイムで見ていたことになります。
第2期のディープ・パープルは、それ以前のジョン・ロード(key)を中心としたクラシックの要素を取り入れたロックからリッチー・ブラックモア(g)を中心としたハード・ロック路線に転換し大成功を納めていました。
マシン・ヘッド - Machine Head (1972)
ライヴ・イン・ジャパン - Live In Japan (1972)
紫の軌跡 - Purple Passages (1972)
紫の肖像 - Who Do We Think Are (1973)
紫の炎 - Burn (1974)
これが、私の中学時代に発表されたアルバムです。
マシン・ヘッド(写真左上)がでる前にイン・ロック(写真左下)、ファイア・ボール(写真右上)をすでに発表しており、これにマシン・ヘッドを加えた俗に言う第2期の3部作、特にマシン・ヘッドは後にロックのバイブルとも呼ばれるぐらいの傑作でした。
さらに72年の「ライブ・イン・ジャパン」(写真右下)は世界的に大ヒット。
ディープ・パールがまさにブリティッシュ・ハード・ロックの雄として君臨していた絶頂期でした。
なんといっても魅力は、リッチーの神業的な早弾きリードギターとイアン・ギランの驚異のボーカルにありましたが、ベースのロジャー・グローバー、ドラムスのイアン・ペイスという強力なリズム・セクションに支えられていたことは言うまでもなく、さらにキーボードのジョン・ロードが英国的な様式美を醸し出すという、まさに、当時最強のハード・ロック・バンドで、私もすぐにその魅力に取り付かれてしまうのでした。
第1期は後追いで、ちょっと聴いただけ(苦笑)
ディープ・パープルはイギリスのロックバンドで、私は第2期から第3期への大きな転換期をリアルタイムで見ていたことになります。
第2期のディープ・パープルは、それ以前のジョン・ロード(key)を中心としたクラシックの要素を取り入れたロックからリッチー・ブラックモア(g)を中心としたハード・ロック路線に転換し大成功を納めていました。
マシン・ヘッド - Machine Head (1972)
ライヴ・イン・ジャパン - Live In Japan (1972)
紫の軌跡 - Purple Passages (1972)
紫の肖像 - Who Do We Think Are (1973)
紫の炎 - Burn (1974)
これが、私の中学時代に発表されたアルバムです。
マシン・ヘッド(写真左上)がでる前にイン・ロック(写真左下)、ファイア・ボール(写真右上)をすでに発表しており、これにマシン・ヘッドを加えた俗に言う第2期の3部作、特にマシン・ヘッドは後にロックのバイブルとも呼ばれるぐらいの傑作でした。
さらに72年の「ライブ・イン・ジャパン」(写真右下)は世界的に大ヒット。
ディープ・パールがまさにブリティッシュ・ハード・ロックの雄として君臨していた絶頂期でした。
なんといっても魅力は、リッチーの神業的な早弾きリードギターとイアン・ギランの驚異のボーカルにありましたが、ベースのロジャー・グローバー、ドラムスのイアン・ペイスという強力なリズム・セクションに支えられていたことは言うまでもなく、さらにキーボードのジョン・ロードが英国的な様式美を醸し出すという、まさに、当時最強のハード・ロック・バンドで、私もすぐにその魅力に取り付かれてしまうのでした。
ブラック・ナイト(ディープ・パープル)
流浪の民(レッド・ツェッペリン)でしたね。
この2曲が好きでそれぞれのLPを買ったんでしたっけ
二人ともお見事、参りました。
そーだった
なーんか変だと思った
ブロディの入場曲です!>移民の歌
どっちでもいいけど・・・似たようなもんだよね。