
1971年ごろのゴングの付録です。
当時の3大世界チャンピオンをはじめ、なんとも豪華な顔ぶれでした。
これが印刷でなければと何度思ったことか。(苦笑)
サインのあとに白紙のページが10枚ぐらい付いていて「あなたの好きなレスラーのサインを!」みたいなことが印刷されていました
このうちの誰でも本物のサインをもらって見比べられたらすごいだろうな~
そんなことをこのサイン集を見ながら思い、胸を膨らませていました。
この後ろのページには上田馬之助選手にサインをしてもらいましたが、インクが乾いてしまいうまく書けず、上田選手が一生懸命にマジックに吐息をかけて書いてくれました。結局それ以降はこのサイン集にもらうのはやめてしまいました。(苦笑)



当時の3大世界チャンピオンをはじめ、なんとも豪華な顔ぶれでした。
これが印刷でなければと何度思ったことか。(苦笑)
サインのあとに白紙のページが10枚ぐらい付いていて「あなたの好きなレスラーのサインを!」みたいなことが印刷されていました
このうちの誰でも本物のサインをもらって見比べられたらすごいだろうな~
そんなことをこのサイン集を見ながら思い、胸を膨らませていました。
この後ろのページには上田馬之助選手にサインをしてもらいましたが、インクが乾いてしまいうまく書けず、上田選手が一生懸命にマジックに吐息をかけて書いてくれました。結局それ以降はこのサイン集にもらうのはやめてしまいました。(苦笑)




コックスとミラーが欲しかった~
コックスは無理やりサインペンを持たせたんだけどね~試合後でダメージが大きかったみたいです。
あの馬場の「河津落とし」は昭和48年7月20日
函館大会で試運転、コックスは初めて受けて脳震盪を
起こした・・・なんて、事は無いかな?
当時、欠かさずテレビで全日本プロレス観ていたけど
僕は初めて、函館で河津落としを見た。
だから技の名前も知らなかった。
後日、テレビ中継で馬場が河津落としを決めて、
おっ!あれは函館でやった奴だ!と思った。
函館大会以前に河津落とし決めている事実があれば
僕の勘違い、思い込みの世界だ。
迷探偵ユーマン
あの頃は、鉄柵もないし終わった後はファンがリングサイドまであがってレスラーを触ったりロープを触ったり出来て嬉しかった。
テレビで見るのと違いロープの張りがすごく強くて、レスラーの重量感をあらためて感じましたね。
僕は、見た瞬間、やっぱりローカル会場だなと思いました。
僕らはリングサイドでした。
でも、明確に席が指定されていなかったね。
僕らが陣取ったあと前にオヤジが数人座りました。
あの時、オヤジの背中で見えなくなったんですよ。
すかさず僕、「ウソ」つきました。
わざと聞こえるように、、、
「レスラー落ちてきて客も巻き添え食らうんだよね」
すると、オヤジたちが
「危ないか?あまり前は」と別な席に移りましたね
あれは機転効いた、、、、、、←小鹿ブログのまね。
でも、小鹿さんのブログ
力道山を「力動山」はないよね。。。
それ以外にも誤字が多かったと思います。
でも、逆に小鹿さん本人が書いてるってのが良くわかりますね。