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大学時代:グリー4年目最後の定期演奏会(後編)

2007年03月06日 | 音楽のルーツ
第3ステージで、落語の語り部に抜擢されたのが4年目のH君と1年目のK君でした。
特にK君は1年目にして大抜擢!彼は高校時代、演劇の経験があり見事O先生の選考にパス!
実は彼は4月に勧誘され入団を渋っているところを、私が必死に口説いた男だったのでした。思わぬ彼の大活躍に私も内心大いに喜んでいたのです。

このステージはある意味O先生の4年間の集大成でありました。
O先生はこの作品を我々のグリーで是非やってみたかったようです。演奏も大変好評でO先生も満足そうでありました。

当初、語り部の二人には落語研究会などからレンタルすることも検討したようですが、実際聴いてみてこの2人の方が上手い!ということになったそうです。
確かにナイス人選でありました。
そしていよいよ我々の最終ステージはもちろんK君の指揮。
公害問題を歌ったメッセージ色の濃いちょっと異色作品でありましたが、K君らしい選曲。
しかし不協和音も多く、なかなか難しい曲でありましたが、何とか無事に歌うことが出来ました。

そして、アンコール。。。
定演の前にK君のアパートで飲みながらアンコールを何にしようかという話になり、私は前からやりたかった「海・その愛」はどうかと提案しました。
特に今年は「シーシャンティ」、「はじめに青い海があった」と海の歌が多く、アンコールも海の歌でステージにトータル感を持たせよう!と理屈をこねました。
K君もこの歌は知っていたようで、よし!それで行こう!ということになったのです。

「海・その愛」の最後のさびの部分を繰り返し歌いながら、やはりこれが最後か。という思いが募り、グッとこみ上げるものをこらえながら、いろいろな思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡るのでした。

そのあとの打ち上げだったか忘れましたが、アンケートに「サミーさんのソロは去年の方がよかった」と書かれてあり、I君などに爆笑されてしまいました。

そのアンケートの張本人はなんとあのMちゃんだったのです!
あとで問いただすと「だって本当のことだもん」とまたあのいたずらっぽい目で笑う彼女に、私は何も言うことができませんでした。
確かに、本当のことなんですが・・・書くか普通~

こうして、大学最後のグリークラブの定期演奏会は無事に終わったのでした。

大学時代:グリー4年目 最後の定期演奏会(前編)

2007年03月05日 | 音楽のルーツ
1981年12月。
いよいよ大学生活最後の定期演奏会の日がやってきました。

今日で事実上現役引退かと思うと感慨深いものがありました。
曲目は
第1ステージ:シー・シャンティ
第2ステージ:中勘助の詩から
第3ステージ:多田武彦名曲集(OBとの合同ステージ)
第4ステージ:おとこはおとこ
第5ステージ:はじめに青い海があった

という30周年特別バージョンでした。
第1ステージ、1曲目は「セイリングセイリング」
最初から豪快にお客さんをひきつけようというK君の狙いです。
問題の私のソロは2曲目。なんとか無事に歌うことが出来ました。
しかし、最後まで歌い切れなかったな~去年のほうが達成感はありました。
ただ、このシー・シャンティでのソロ乱発についてはちょっとした批判も聞こえてきたことも事実でした。

第2ステージは副指揮のF君です。
ご存知多田武彦の作品。これまた王道を行く作品で、彼の定演初指揮は無事に終了。

第3ステージは30周年を記念してOBとの合同ステージ。
やはり男声合唱の定番、OBも歌いやすい選曲で、多田武彦の作品集です。
第4ステージはO先生の指揮で上方落語による男声合唱組曲というユニークな作品。
ステージの前面で2人が掛け合いの落語を演じ、我々はその合間にコーラスを入れるのです。
しかも、バックは全員黒子の如く黒ずくめの格好なのです。

大学時代:悪夢のフォークコンサート女子大編その3

2007年03月01日 | 音楽のルーツ
今日から3月。
皆様いつもご訪問ありがとうございます!

さて、悪夢のフォーク・コンサート最終回です。

「微笑日記」の失敗を引きずりながらも、一応、最後までやりましたが、もうなにがなんだか訳が分からなくなるし、自己嫌悪でした。。。
まあ、ちゃんと聴いているお客さんはほとんどいないのですが・・・
それにしても、またまた一人でやって失敗。前にも増してガックリ落ち込んだのはいうまでもありません。

どうも、こういうコンサートには弱いというか、自分の実力に限界を感じてしまいました。
やはりギターを弾きながら歌うのは難しい、ギターの練習不足なのは分かりきっているのですが。。。

思えば、最初に人前でやった高校の学際の時は2人で出て、ギターはほとんど後輩に任せ(こいつがまた上手かった!)私は歌に専念することができました。
もう、一人では人前でやるまい、と心に誓うのでした。

しかし、コンサートはこの学際と例のグリーの仲間とやった2回だけでしたが、結婚式では何回か1人でやって失敗してないんですよね~

結婚式の時はオリジナル1曲でしたから大丈夫だったのでしょうか?
それに少しアルコールも入っていましたし。

あ、一回グリーの後輩のお姉さんの結婚式でその後輩に頼まれ、一緒に歌ったことがありました!
しかもそいつはギターが弾けないからなんと私に弾いてくれと!オイオイ
確か、夏の終わりのハーモニーと秋桜だったとい思いますが、この時は秋桜の前奏のギターもちゃんとできました。
このように結婚式での演奏はなぜか上手くいくのでした。

大学時代:悪夢のフォークコンサート女子大編その2

2007年02月28日 | 音楽のルーツ
お客さんは親子連れが多く、ざわざわしていてちょっと集中力に欠ける環境でした。
さらに、マイクがないのでざわついた教室ではちょっとしっとりと聴かせるということは難しい。悪い癖で、ちゃんと気持ちの整理がつかないまま始めてしまいました。

曲は5曲ぐらいやったと思いますが、その中でちょっと受け狙いで榊原郁恵ちゃんの「微笑日記」をこの学際用に用意していました。
ギターも自分でアレンジし、なかなか気に入っていた曲でした。

ところがこの曲でハプニングが!

ちゃんと練習をしてマスターしたはずの前奏を途中で忘れてしまったのです。
ここは落ち着いて、ともう一度やり直したのですが
また同じところで止まってしまいました。
客席で聴いていた彼女はこっちが心配になるくらい蒼い顔をして心配そうにこちらを見ています。
T大のMちゃんやKさんも心配そうにしています。
もはや自分の中でもパニック状態。
彼女の前でカッコいいところを見せようと思ったのが、滅茶苦茶カッコ悪い!
とっさに前奏をやめ歌から歌い、一応曲の最後まで歌ったのでした。

大学時代:悪夢のフォーク・コンサート 女子大編その1

2007年02月27日 | 音楽のルーツ
大学4年目の9月ごろだったと思います。
私はこの大学の4年間、グリー活動のほかに自分でも曲を作り親しい友人には聴かせていました。
グリーの同期のK君とH君が住んでいたIアパートには、T女子大の合唱団のKさんも住んでいて、その近くに住んでいる彼女の友達Mちゃんは良くこのアパートに遊びに来ていました。同じ合唱団同士ということもあり、K,H君とK、Mちゃん達はいつの間にか知り合いに。

そのうち、よく遊びに行く我々とも仲良くなり、いつしか私のテープも聴いてもらうことに。
それがよかったのか、彼女たちの学際で喫茶店をやるのでそこで歌って欲しいといわれたのです。

女子大の学際からオファー!!!
内心はすごく嬉しかったのですが、前の苦い経験もあるので最初は断りました。しかし、かわいい女の子2人からどうしてもと言われると断りきれません。ついに学際で歌うことを了解してしまいました。

その頃私には彼女がいて、この学際の話をすると、彼女がものすごく心配してくれたのを覚えています。

当日、学際に行きT女子大名物のソフトクリームをご馳走になり、KさんとMちゃんの喫茶店へ!
ステージとなる教壇の上には椅子と譜面台が置いてありました。

しかし、あれ、マイクが無い!?私はすぐに
「マイクは?」と聞くと無いと・・・「ないの、マイクなきゃダメ?」とMちゃん独特の甘えっこの目で言われ「あ、いや、なくても大丈夫」。。。
とはいったものの、ちょっと不安が・・・
そして、間もなくその不安は現実となってしまったのです。

大学時代:グリー4年目 史上最大の演奏旅行 M子感動のアナウンス事件

2007年02月23日 | 音楽のルーツ
演奏旅行も終盤、前半の不調が嘘のように気持ちの入った演奏が続きます。
しかし、5日目あたりになると疲れがピークに達してきます。やはり今年は長い。

そして迎えた最終日、みんな目いっぱい歌いました。
もう声が枯れて出ない人も根性で歌いました。
演奏旅行でこれだけ気持ちが一つになったのは初めてではないかと思います。
歌いながらグッとこみ上げるものがありました。
そしてアンコールで副指揮者のF君をみると、なんと指揮をしながら泣いているではありませんか!

これを見たらもうだめでした。
もう歌いながら泣いている人もいました。
最終ステージが終わると、全員が前代未聞の涙!涙!涙!

よしっ!アフターに行くぞ~~~!!!!
と、外に出ようとしたときでした。

演奏会の終了を告げるマネージャーのM子のアナウンスが耳に入ってきました。
「本日は○○グリークラブの演奏会にご来場いただき、ううううぅぅぅああぁぁえーん・・・・」

なんと、M子は感動のあまり涙で最後のアナウンスがいえません!

我々はそれを聞きながら大爆笑!!!
「なにやってんだ、あいつは~」
というみんなの顔も泣き笑いでもうクシャクシャ、もちろん誰もM子を責めていません。
もう、可愛くてしょうがない!!!

みんなから頭を小突かれ、撫でられグシャグシャになって泣きじゃくるM子はこの日、譜めくりピアニストから本当のグリーの一員になったのでした。

大学時代:グリー4年目史上最大の演奏旅行 伝説の寝言事件

2007年02月22日 | 音楽のルーツ
K君にはこの演奏旅行の他に、もう1回、喝を入れられた記憶があります。

それはある日K君が何か用事で練習の時間になっても現れなかった時のことです。
なかなかK君が現れないので、待っているうちに、みんなまだ学生ですから段々と調子に乗って騒がしくなってしまいました。

そこへ、K君が入ってきたのですが、その時は結構ふざけて騒いでいる最中で、それを見たK君はそのまま黙って帰ってしまったのです。

あわてて、数人が引止めに行きましたが、戻ってくれません。

我々もすぐにK君の意図を読んで、パートリーダーを中心に一生懸命練習を始めました。
そうして、暫く時間が経ちましたがまだK君は現れませんでした。

まずいな、またK君怒らせちゃったぞ~
と誰もが思い、ふざけて騒いでいたことを恥ずかしく思っていました。

終わり頃になってようやくK君が戻ってきてくれました。
我々は誰からともなく
「K、悪かったな」「申し訳ない!」「そんなに怒んなよ!」
「まったく!」「年よりは気が短い!」オイオイ

現れたK君もみんなから謝罪?され少し恥ずかしそうにしていたのがなんとも彼らしい。
実は、もっと前に戻っていたらしいのですが、その時みんな真面目に練習していたので、逆に入りにくなって外で聴いていたんだそうです。

後で聞いた話ですが、戻ってみると自分なしでもちゃんと練習できていたので、嬉しかった反面、「俺いなくてもいいのかな~と思って、ちょっと寂しかった」というのです。
そんなわけないだろ!あほ!と私は言いました。
彼の人柄が表われたある日の練習風景の一コマでありました。。。

さて、話は戻って。。。

演奏旅行でK君の雷が落ちた夜、私はH君の「頑張るぞー!!!」という声に眼を覚ましました。
しかし、彼を見るとムニャムニャと寝ています。。。

なんと、H君は寝言で自分に気合を入れていたのです!
実は彼は寝言の常習犯で、この感動的な一言のほかにもいろいろな名言を残していたのです。
このH君の寝言事件はK君や我々を深く感動させ、この年のパンフレットの絶好のネタとなったのでありました。ヤッパリナ~

大学時代:グリー4年目、史上最大の演奏旅行 K君、気合を入れる!

2007年02月20日 | 音楽のルーツ
この年の演奏旅行はカルテット大会のすぐあとに行われ、なんと6泊7日と史上最大!
またまた、トランプ、マージャン、花札の賭博列車に揺られ向かったのは美幌、東藻琴村、清里町、小清水町そして網走!

いよいよ、グリー創立30周年を記念する大演奏旅行が始まりました。

しかし、当初の意気込みとは裏腹に、悪天候と移動疲れからか前半はあまりいい演奏が出来ませんでした。
特に3日目はまれに見る不出来で、音がばらばら。
私もソロの音がとれずビシッと歌うことが出来ません。
K君は指揮をしながら音が低いのサイン。しかし、こいうときは修正がききません。
しかし、こんな中、カルテットは選抜隊も我が優勝組みもまずまずの出来で振り付けもばっちり決まっていたと思います。

ところが、演奏会でのあまりのふがいない出来に、ついにその夜、K君の雷が落ちてしまいました。

普段は穏やかなK君が怒っただけにこれは効き目がありました。
彼はかなり危機感を感じ、我々に気合を入れたのです。
確かその後パートごとに体制を整えるべく自主的にミーティングを行ったような気がします。
K君は我々に自ら建て直しを図って欲しかったのです。

怒るK君もつらいのです。指揮者はつらいよ!

しかし、K君の思い切った喝!の甲斐あってか4日目からは全員見違えるように気合の入った演奏になりました。
ハーモニーが日を追うごとに良くなっていくのが分かりました。
みんなにK君の気持ちが伝わったのです!

大学時代:グリー4年目 選抜カルテットを食え!その3

2007年02月17日 | 音楽のルーツ
我々の演奏が終わった後、グリー選抜隊が非常にやりにくそうにステージに上がりました。
しかし、そこはさすがに実力者ぞろいのチーム。
代々受け継がれているカルテットの定番ナンバーを貫禄の演奏!さすがに上手い!
しかし、彼らの不安は別のところにあったのです。

彼らも演奏旅行用に新曲を用意していました。1曲は寺尾聡の「出航 SASURAI」これはI君のセンスを感じる選曲でアレンジもよかった。
そして最後にもう1曲、やるかどうかステージの上で少しもめていたような気もします。
その訳はすぐ分かりました。最後の曲ではなんと我がチームと同じようなシャネルズばりのエンディングの振り付けを考えていたのです。
しかし、まだ不完全だったのか、同じことを先にやられてやりづらかったのか上手く決まりませんでした。

「だからやりたくなかったんだ・・・」I君のはき捨てるような呟きが私の耳に入りました。照れ笑いはしていても悔しさがありあり。
練習不足だとこういうことになるんだ。優勝カルテットを甘く見ると痛い目に合うぞ。彼の目は他の選抜メンバーに対しそう言っているようでした。

しかし、彼らは我々と違い何曲も持ち歌があるのですから多少練習不足の曲があっても当然なのです。
選抜カルテットとしてのプライドを強く感じた出来事でありました。
そして、いよいよ演奏旅行へ!

大学時代:グリー4年目 選抜カルテットを食え!その2

2007年02月16日 | 音楽のルーツ
演奏旅行の直前に、選抜チームと優勝チームと2つのカルテットがみんなの前でデモンストレーションをすることになりました。

我々のカルテットの持ち歌は、たった2曲でしたので十分練習をして仕上げていました。
1曲目の「希望の島」はカルテット大会の時以上に朗々と強弱をつけ全員が正面を向いて歌うというちょっと変わったポジションを取ったりして。もはや余裕の演奏!?
そして秘密兵器の2曲目は最初から手拍子をいれ1曲目とは打って変わって元気良くアップテンポで歌います。
聴いているほかの団員も一緒になって手拍子をしてくれて盛り上がります。

そしてエンディングは、ちょっとアレンジを加え当時流行っていたシャネルズさながらに一人ずつ時間差で大きく手を開いて深々と礼をしてフィニッシュ!

これがばっちり決まり、団員からはやんややんやの大喝采!
そうです。秘密の特訓とは、このシャネルズばりの振り付けだったのであります!

大学時代:グリー4年目 選抜カルテットを食え!その1

2007年02月15日 | 音楽のルーツ
我がグリークラブには4年目になると代々受け継がれている選抜のカルテットチームがありました。
このチームはなんと演奏旅行においてワンステージを持つことが出来るのです。

各パートを代表して1人ずつ選ばれるこのカルテットはなんといってもみんなの憧れでした。
しかし、トップは不動のエースI君がいましたので私はまったくおよびでない。コリャマタシツレイ
まあ、仕方がないとは思ってもなぜか心は寂しいものです。

ところが、カルテット大会の表彰式で事態は一転します。
なんと、優勝チームに演奏旅行で歌う機会が与えられたのです。
こうして、我が優勝チームは期せずして演奏旅行でも歌うことになってしまいました。
しかし、この時、優勝メンバーだったバリトンのO君は選抜チームへ参加のため、脱退。この機会にひとり立ちしてくれ!と後輩にエールを送り去っていきました。
「ちょっとカッコよすぎるんじゃないの」審査員で来ていたO先生が珍しく冷やかしました。

さて我々は考えました。
出るからには選抜隊の前座という気持ちじゃなく、選抜隊を食ってしまうぐらいの演奏をしよう!
そうして、演奏旅行用に選んだ曲が「アビニョンの橋の上で」
この曲は軽快でリズム感があり、パート一人一人のちょっとしたソロもあるので面白い。
「希望(のぞみ)の島」はゆったりと、もう1曲はアップテンポの乗りのいいやつと対照的でいいと思いました。
そしてさらに我々はもう一工夫しようと秘密の特訓をして本番に備えたのでした。

その特訓とは!?

大学時代:グリー4年目 カルテット大会 悲願の初優勝

2007年02月12日 | 音楽のルーツ
長い長~い道のりでした。

札幌の初夏7月に私にとっては難関のカルテット大会が開催されました。
いよいよチームのメンバーが発表になりました。
見てみるとなかなかいいメンバーが揃っているでないですか!

早速セカンドの後輩のI君が曲を持ってきました。
それは「希望(のぞみ)の島」という前に何かでやった(聴いた?)ことがあったのか私も知っている曲でした。
彼は「先輩に絶対合う!」とこの曲を持ってきました。
しかし、私は彼の声にも非常に合う曲だと思い、他のメンバーとも相談しこの曲に決定しました。
確かにゆったりとのびのびと歌える壮大で美しいメロディの曲でした。
課題曲もあったと思いますが、よく覚えておりません。

練習も順調に進み本番を迎えました。

審査員の指揮者のK君が我々が歌う前に「このチームは優勝候補だな」などとプレッシャーをかけます。

そしていよいよ本番。
今回はメンバーと曲とがうまくかみ合い、私も力むことなく伸び伸びと歌うことが出来ました。

そして、結果は・・・

ついに優勝!!!やった~!!!

講評でK君から「このチームは歌う前の態度も非常によく、文句なしでした。」というようなコメントを戴きすごく嬉しかったですね~
歌う姿勢というか、その前の態度を評価されたのは特に嬉しく、同時にちょっとヒヤッとさせられました。やはり、見る人は普段から態度を見ているのだ。

メンバーにも恵まれ自分でも満足のいく演奏でようやく優勝できたことはものすごく嬉しかった。ある意味、前年のソロ以上に嬉しいカルテット大会での初優勝でありました。

大学時代:グリー4年目 K君にソロを直訴

2007年02月09日 | 音楽のルーツ
さて、1981年。
この頃アサヒビールのCMで「セイリング セイリング」という曲が流行っていました。覚えている方も多いと思います。

この曲はシー・シャンティといわれる海の男たちの歌の中の1曲で、早速K君は定演に選曲しました。
このシー・シャンティも前年の黒人霊歌同様ソロのある曲が多く、私にも又チャンスが回ってきました。

この曲をやると決まる前だったかもしれませんが、私はK君とアパ-トで飲みながら「何でもいいから今年もソロをやらせてくれ!」と直訴!
私の熱意にK君も了解してくれたのでした。

K君が私に用意してくれたのは「Rolling Home」という曲で、シー・シャンティの中でもミディアムテンポでおとなしめのきれいな曲でした。
ソロの部分は途中の2フレーズぐらいで前年に比べると短いものでしたが、K君の厚意に感謝したものです。

ところが、これが私にとってはなかなか厄介な曲だったのです。

メロディと歌詞はシンプルで覚えやすいものだったのですが、ソロに入るところから転調するという曲で私は結構これに手こずってしまいました。
転調を気にするあまり、周りの音を聞きすぎて音がとれなくなってしまう事もあり、演奏旅行では冷や汗の連続でした。

やめときゃよかったかな~
しかし、直訴しておいて今更降りるなんてことは・・・出来るわきゃないよ!

大学時代:グリー4年目 イルカちゃん登場

2007年02月08日 | 音楽のルーツ
1981年。いよいよ大学4年目、無事に最後の年を迎えました。

この年、わがグリークラブは創立30周年を迎え、演奏旅行にしても定演にしても30周年記念として大々的に行われ、さらに姉妹校であるT大学とのジョイントコンサートが秋に企画されていました。

この年も我がグリーのトップに新人が入ってきました。
そのうちの一人は、な、な、な、なんと定演で私のソロを聴いて感動し、入部してきたというではないですか~!!!???
彼はその後トップの中心的存在になっていくのですが、本当に嬉しかったですね~
こんなこともあるのだと、正直言って驚きました。

さて、我が函館の母校からもかわいい後輩達が札幌の大学に入学してきました。
そのうちの一人がイルカちゃんです。
そして札幌にいる高校のOBで歓迎会をすることになり、歓迎会で隣に座ったのがイルカちゃんだったのです。

彼女とはその前にもコンクールの会場などでLS君やSS君と一緒に会ったことがありましたので面識はありましたが、ゆっくり話したのはこのときが最初だったと思います。
そのときのことで良く覚えているのは、彼女の魚の骨を私が取ってあげたこと。
私も小さい頃は骨を取るのが苦手だったのですが、その頃は上手くなっていました。
彼女もこのことは今でも覚えているそうです。

この歓迎会にはもちろんSS君も来ていました。
そういえばイルカちゃんとSS君は兄妹といわれていましたね~ニテル!?

イルカちゃんはあのO先生の大学で合唱団にも入り、定演やコンパなど他の後輩に比べるといろいろと会う機会が多かったのです。
その後も就職浪人の札幌時代、社会人になってからの札幌時代、そして札幌から転勤しても夏にはよく札幌に里帰りしていましたので、グリーの連中とも一時期よく会いました。時々イルカちゃんも誘って飲みに行ったものです。

それにしてもイルカちゃんやみんなともしばらく会ってないな~

大学時代:グリークラブ、爆笑!!!定演のパンフレット

2007年02月05日 | 音楽のルーツ
我がグリークラブを語る上で忘れてはならないのが定演のパンフレットです。
定期演奏会では当然のごとくパンフレットを作成するのですが、その中にメンバー紹介というコーナーがあります。
もちろん、この日の定演で歌う我がグリーメンを紹介するコーナーです。
紹介は各パートごとに集合写真を載せ、メンバー1人ずつ、簡単に紹介するものなのですが、これが、毎年メチャクチャ面白いのです!

書くのはそのパートリーダーに限らず、陰の実力者といわれる、こういうのが得意な人が必ずどのパートにもいまして、その鋭い観察力と的確な表現と嘘も本当に思わせるような文才には毎年感心させられたものです。
とにかく面白い!お見せできないのが残念ですが、今読んでも爆笑してしまいます。(^□^;)ギャハハ

しかし、このコーナーでバカ受けする記事を書かれるとあと1年間はそのイメージがついて回るので、パンフに変なことを書かれたくないがため、なるべくグリーでは大人しくしていようとする団員もいました。
しかし、それでもちょっとしたエピソードを誰かが掘り起こし、面白おかしく書かれてしまうのです。

まあ、自分もそうですがこのパンフレットに面白い記事を書かれるようになれば1人前かな~
それだけ、みんなから中身を良く知られているということなのですから。。。

兎にも角にも、1年の集大成である定期演奏会のパンフレットに我がグリーメンは戦々恐々としある意味それは人生の縮図ともいえるドラマがつづられていたのであります。マタオオゲサナ