医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

医療不信に立ち向かうには

2009-04-20 19:16:13 | 日記
 前回の答え合わせと行きましょう。まず大前提に、究極の目標は目の前の患者さんの生活を出来るだけ良くするようにすることである、ということを忘れないことです。そのためにどの様な言葉を選び、相手にどの様に感じてもらうか、に集中することが大切です。
 今回の場合、家族はすでに医療に対して不信感を抱いています。まずはこの不信感を払拭する必要があります。最もまずい方法は前医の対応の悪さを指摘して、自分たちの対応が正しかったと主張することです。この方法は一見他者と比較することで当方の優位を証明することで信頼を得るかのように考えますが、実は全く逆のことが起こります。結局信頼関係のまだ築けていない段階では、患者家族は前医のやり方を非難され、「医療に対する不信」が広がるだけです。それはつまるところ我々への不信にもつながります。前医の対応が遅かったとか、もうちょっと早く来ていればという言葉は絶対に発してはなりません。この様な不用意な言葉は「自分だけが正しい」という見栄を表しており、見透かされます。逆に少々対応がまずいことがあったとしても前医のことをまずはねぎらうべきです。医療に絶対はありません。どの様な治療がどのように転んでうまい方向にいくかわかるわけがないのです。今現在最もいい、と言われている治療だってあくまで確率的にうまくいく人が他よりやや高いというだけで、人によって別の治療がベストであった可能性が十分に残されているのですから。我々の治療の方が良いとか、正しいなどと自信をもって言うことなどできないと思います。外科医の領域ではもしかしたらそうではないかもしれません、が内科領域では結局患者さんの生きる力がものをいうことが多いような気がします。
 「前医の方も一番いい方法を模索されてこの様な治療を選択されたのだと思います。結果的に完全にいい方向にはなりませんでしたが、それでもベストを尽くしてしてくださったと我々も考えています。」とまず安心させるように努めるべきです。よく、医療事故のニュースで患者さんが亡くなったりして、どこかの偉い先生で「うちでみていれば助かった」などと平気でコメントされる方がいますが、何を根拠にそんなことがいえるのかわかりません。現場の細かい状況や本当にわずかな病態が左右する中、助かるか助からないかはほとんど紙一重だと思います。そんなことを言えるのは治る症例ばかり手術する先生や現場から離れた先生、自己顕示欲の強い先生だけだと思うのです。そしてそんな発言をすることで医療は一つもよくなりはしない、むしろ悪い方向へ向かうかもしれないという自覚が足りません。システムの整備・医療体制の改善等しなければならないことがたくさんあるのは事実ですし、それに対し常に努力は必要です。しかし地域によって格差もまだまだあり、できるレベルでやらざるを得ないこの現状の中不用意な発言だと思います。
 そしてもうひとつ、医療訴訟まで考えてしまう心理ですが、もちろん腎臓が悪くなってしまったことへの怒りや悲しみがこちらに向いていることも一つではあります。しかし他のところなら治っていたかもしれないという思いがそれを掻き立てているのは間違いありません。もし、この先生でしか治る方法がないという権威のある先生の治療でも治らなかったらおそらく諦めもつくものです。訴えたいと思う気持ちは前回のケースと同様「後ろめたさ」から来るものです。早くにもっと大きな病院へ連れて行けばよかったとか、前々からこんな症状を訴えていたのにしばらくほってしまったとか。親族に医療関係者がいた場合、その人が医療に携わっているにも関わらずこんなになってしまい責任を感じているとか。そちらの方々へのフォローも同様に必要だと思われます。看護学雑誌3月号の名越先生と内田先生の対談にも愛情とは後ろめたさからくるものが本物である、と素晴らしい意見が出ており、そのとおりだと言わんばかりです。後ろめたさは究極の愛情です。きちんと受け止め、その後ろめたさ=愛情に対応してゆかねばいい医療はできないと思います。

1 コメント

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これなんて錬金術?? (クリトリーズ)
2009-07-07 08:20:28

> 教えてくれた人
書き込み消えてるから名前わかりません(すいません・・)
半信半疑で試してみたんすけど、その日にハメちゃいましたwwww
本当に一発で5万貰えるって思ってなかったんで正直ビビりましたよ(^^;
思ってる以上に世の中甘いもんなんすねーーwwwww


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