医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

佐久にて

2004-07-29 07:39:08 | 日記
只今佐久にて病院実習中です。本当に片田舎でありますが、田畑あり酒蔵あり街灯なしの景色は結構気に入っております。同じ実習仲間に知り合いが多くてびっくりしました。ACLS仲間やESS仲間など懐かしい人達もいてこれも醍醐味でありますなあ。

先日場末の飯屋(飲みあり系)にみなでいきました。ここ、一目見た時からあなどれねえとは思っていたのですが。こういう店はすごい人達が集まってくる匂いがあるものです。実際入ってみると、いつのまにやら店内は和気あいあいとしたムード。お客さんの一人に本を何冊も出してらっしゃる朝日新聞社のおじいさまがいたりして、興味深い話を山のように聞かせてもらえました。佐久の病院の変遷やら貴重な昔話やらをユーモアを交えてのトークはみごと。。こういう出会いはいつも唐突ですが、いいものです。

化粧の危うさ、美しさ

2004-07-25 02:48:03 | 日記
道端や電車や喫茶店で化粧をする女性をよく見かける。そういう女性は完璧なまでにびしっときめてらっしゃるのである。その顔をうかがうと、常に何らかの危うさを感じてしまうのである。

ここのチークがなかったら、このアイラインがもうちょっと薄かったらどんな顔になってただろう?そう、そこには本当に微妙なバランスで成り立っている美しい顔があるのである。美人にはある種の危うさがある。そう、この目がもうちょっとちいさかったら・・・相当やばいんじゃないかい?みたいな。かつてシーザーもクレオパトラをこう評したではないか。「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていた」まぁこれには相当不細工すぎて、これ以上ひどかったらみることも出来なかった説などあるのだが。

昔はこの危うさに、そんな無理しなくてもいいのに、ひやひやするぜ。おれはだまされはしないぞ、などと思っていたのだが、今日その考えは遂に払拭される事になる。この危うさがいいではないか!そこに見える顔は明らかに未来が想像できる顔なのである。あぁ、将来はこんな感じに老けそうだなと。それをひた隠しに作ったこの造形美。そう、将来の死を意識できるがゆえにある美しさを感じてしまったのである。美しいもの、価値のあるものはそれが失われてしまうことを想定できるがゆえに美しい、価値があるとみなされるわけで、常に死と隣り合わせの概念である。(最近読んだ内田樹の「街場の現代思想」でも書いてあったが。ちなみにこの本面白い)

滅んでゆく、崩れてゆくものを想定出来るがゆえの美しさと価値。こんな事に気づく事が出来たのもひとえに浪人のおかげかもしれない。誠に感謝である。

本屋にて、熱い抱擁

2004-07-23 20:45:48 | 日記
とある漫画を探して珍しく漫画コーナーにはいった。探している漫画はややマニアックでなかなか見付からず、おたくうけしそうなロリータな女の子を横目に必死で捜索を続けた。結局発見できずに落胆していたところ、後ろで気持ち悪いくらい甘い声。「ひろ~」私と同じ名を呼ぶものだから思わず振り返ってしまった。見ると先ほどのロリータである。彼氏と思われるオタク系男に走りよったかと思うと熱い抱擁を交したのである。よりによって本屋でこんな光景を見てしまうなどどうもついてないらしい。しかし彼女らの抱擁は尋常ではない。君達は一体どんな運命で何年も引き裂かれてしまったんだとといつめたいくらいである。普段なら勝手にやってくれと気にも停めないところだが、場所とシチュエーションの異常さに思考が奪われてしまったのだ。

しかしそのあとがいけなかった。男「いや~、バイト長引いちゃって」もうここでブチキレである。曽我ひとみさんの様な状況ならいざ知らず、ここはただの本屋で君達もただの日常ではないか。君達は自分達の世界を勝手に作り上げて楽しむのはまあいい。がそれを半ば強制的に見せられる立場も考えてみたまえ。ここに個人と公共の微妙な関係が垣間見える

が、私の悪い癖で妄想が先行してゆく。このシチュエーション、並の生活では生まれまい。生死をかけた戦国時代か、回りは全部エイリアンか。いや、もしかしたらあの連中ほんとにギリギリで生きているのでは?回りの人間は皆宇宙人に見えていたりして。おれでも宇宙人の海の中唯一の同族を見つけたら熱く抱き締めるかもなあ。そういや当たり前だがこの本屋人は多いが誰ともコミュニケーションなんかとりゃしないな。あながち宇宙人といってもおかしくないぞ。いや、こういうことが正常な感覚の方がおかしいんじゃないか?
妙に同情的になってる自分。しかしギリギリの感覚で生きているというのはあながち間違ってなさそうだ。これって我々が失ってしまった大切な感覚なのでは?現代文明のおかげで適当や怠惰な感覚を身に付けた現代人。その弊害はいたるところに及んでいるらしい。そんな大切な感覚をやつらは身に付けているというのか!また同情的になってるな。ただ単に閉鎖的と片付けるのが正しいのかもしれんが、いろんなことを示唆する出来事であった。

ACLS佐賀に行っておりました

2004-07-21 15:20:12 | 医学ネタ
しばらく更新がなかったのは以上のわけで、佐賀に行っておりました。
ACLSとは救急救命医療のことで、ここしばらく、学生の間でのワークショップが流行りになりつつあります。関西ACLSはすでに足掛け2年で第8回を迎え、一つの完成系が見えた気がするのですが、ここ佐賀はまだ新しいワークショップで、未熟な分新しい力と独創性が見えてそれはそれは楽しいものでした。また佐賀の皆さんきめ細かい気遣いありがとうございました。

このワークショップで気づいたことは本当に沢山あるのですが、(それは教えるということや、組織ということや、気遣いということなんか)出来なかった事が見る見るうちに出来るようになる瞬間というのはいつ見ても不思議なものです。わずか2日間であれだけ身体が動くようになる、というのはなんなんでしょう?そして一方でどれだけ手取り足取りやっても心マがうまく出来ない人がいるのはなんでなのでしょう?そこに頭で考える、ということを越えた何かがある気がしてなりません。

インストラクターという役目は往々にしてすれ違いがちです。自分では気づいていて凹んでいるところに追い討ちをかけてしまったり、教えようとして余計に混乱させてしまったり。ポジティブフィードバックが主流の中、今回私は皆が顎先挙上と人工呼吸時の気道確保がきちんとできておらず、(人工呼吸中にのどに手を置く人もいたり)上手にやっている人を見つけてほめてあげようと思ったら誰も手本になる人がおらず、言いそびれてしまうという失敗を犯してしまいました。けれどもし本当の人間相手だと感覚的に気道を確保しようとするのではないか、とも思ったりしたのはちょっと甘いでしょうか。

教わりに来た参加者のモチベーションや心の余裕度、身体的感覚の鋭さなどを瞬時に考慮してあげるのは難しいものです。そういうときにチームの中によく出来る人が1人いるだけでそういったものがだいぶ解決するのだなぁと感じます。余裕のある人はいいフォローをしますし、うまい実技は何故か近くの人に伝播していきます。まさに武道の師匠を真似る精神ですね。そういう工夫をしたらどうかと感じた日々でした。

ちなみに、行き帰りの車の旅行は楽しかったねぇ。グルメ三昧でした。声が出なくなるくらい騒いだし。ちょっと調子に乗りすぎてました。ほんの少し反省。

人のふるさとがよく見える

2004-07-15 03:05:22 | 日記
ここ数年「ふるさと」という言葉にすごく感心がある。いろんな哲学者が都市化した「ふるさと」不在の社会が及ぼす影響やなんかを並べたて、逐一ごせつごもっとな意見を拝聴できる。ふるさと不在のキーワードは都市化、コピー化、遊牧化だと思うのだが今日はこのことにはふれない。

何故急にこんな話を書く気になったかというと、最近3つの出来事が身の回りを渦巻いたからである。一つは最近手に入れた千住明の楽譜に「日本 映像の20世紀」という曲が入っていてこれ、NHKでやっていたお気に入りの番組なのである。マニアックな番組で県別に映像でその県の一世紀を追っていく番組なのだが、県ごとに今に至るまでの流れが非常によくつかめる素晴らしい番組であった。DVDが欲しいと思ったのだが50巻で十数万円するので断念。この番組でも常に県民が資本主義の荒波に呑まれ、何かを得る代わりに失っていったものをよく対比させてやっていた。失っていくふるさと、を強く感じる番組で、曲がまたいいんですよ。
2つ目はこの前深夜みた「鉄塔 武蔵野線」というまたちょっとマニアックな映画で、子供が近所の鉄塔に数字がふられているのに気づき、その数字をさかのぼって1まで追っていこうとする冒険もの?である。武蔵野線の鉄塔は実在するらしく、東京保谷から埼玉日高市までの28キロで、いろんな出来事(多くは大人の世界との対立)を乗り越えて進んでゆく映画である。妹が保谷に住んでいるのでこのあたりは少し知っているのだが、まだまだ田舎でキャベツ畑なんかが点在する落ち着いた場所である。そういえば私が小学校のころは京都の北の方(北山)は一面畑と田んぼであった。低学年頃までそこらでよく遊んだものである。確か高学年(バブル末期だが誰も末期だとは気づかなかった頃)ごろ大開発があり北山は一気に商業地(つまり大人だけの場所)になったのであった。そういう思い出がこの映画にリンクさせるのかもしれない。

最後3つ目は、この前大阪に遊びに行ったのだが、案内してくれたこが大阪出身で、大阪をふるさとと思える感覚に触れたことに感動したのである。大きな通りにでかい高速高架、ごちゃっとした街並。そこの活気。すべて京都にはない感覚。あまり大阪にはこないのでとても不思議な気持ちになるが、千日前通のあの風をなんだか忘れることができない。ここがふるさとでもきっとよかっただろうなぁと思えるすがすがしさがあった。こんなに都会を肯定できるとは自分でも思っても見なかった。いや、大阪はやや特殊かもしれないが。確かに典型的なベッドタウン、大都市から地下鉄で数十分、駅前にダイエーとモールがあって、そこからバスでマンション街へ、見たいなところは好きになれる気がしない。けど、最近、田舎も都会も実はそれほど大差ないのではないか、という不思議な感覚に取り付かれつつあるのである。

手付かずの自然はほとんど存在しないからいいとして、手のついた田んぼや畑とマンション、ビル街が同じような感覚で見れるようになってきた自分が異常なんじゃないかと心配している今日このごろなのである。

医師国家試験にも模試はあって・・・

2004-07-15 01:42:57 | 医学ネタ
またこの季節がやってきた。医師国家試験には模試があるのである。
しかもやっている会社、3社もあるのである。
王道をやるならここ、大穴を狙うならここみたいな特徴があるのだが、2社をすべて受けるとこれから6回も模試をするはめになる。知らない方のためにいっておくと、国家試験はオールマークシートである。面接や実技はない。その中で禁忌枝なる選択枝があり、それを2つ以上選んでしまうとその時点で不合格となる。それがどの問題なのかは受験生はわからない。という至極不愉快な試験である。

問題の中身も随分重箱の隅をつつくような問題から、連想ゲームみたいな問題まで(顔は満月のようにふくれ、体幹は肥満である。満月→クッシング症候群が国試の常識らしい。しかしそういう人普通に見るんだけどなぁ、みたいな)しかも去年はこんな問題もでた。皆さんで考えていただきたい。

医療面接で最も大切な事はどれ
1.姿勢 2.表情 3.目線 4.声のトーン 5.言葉遣い

おい、全部大切だろ。必死で選択枝6.全部 を探したよ。

とまぁ結構馬鹿らしい問題も多いわけで、こんなんで医者を決めてんのかと思うと医療改革ってなんだと思ってしまうわけで、まぁそういうしょうもない試験に落ちるおれもどうかしてるのだが。
国試に落ちて半年、初めての模試であった。驚いた。こんだけ忘れているとは。決して怠けていたわけでもなく、医学の勉強もしていたのだが、この国試独特の知識はすっかり半年で抜け落ちてしまったのである。たぶん医師になってる同級生はこういう知識は一気に忘れてしまわれたのであろう。うらやましい限りである。

もうろうとした生の実感

2004-07-12 04:14:44 | 日記
先日は青ケースの仲間と勉強をするはずがただの飲み会になってしまい、いや、「ただの」ではなかったですね。結構面白かったです。その後飲み足りなかったのか別の店で朝まで飲み明かす。そのまま本日の赤ケースの準備をもうろうとした気分でやり(おかげであまりちゃんとしたものが出来なくて申し訳なかったです)お昼は赤ケース勉強会。夜は選挙速報のばかばかしい報道を見ながら今も明日の黄ケースの準備中である。という事はこの3日間ほとんど寝ることもなく過ごしているはめになる。まったくもって時間のつかい方を知らない男である。明日は明日で大阪で黄ケースの勉強会、プラスどっかで飯でも食って帰る予定で、久しぶりにタフな自分を見ている。こういうノリノリなときってなぜか散財気味にお金をつかう悪い癖があり、デパートでズボンを買ってみたりする。

変に疲労感がたまっている時ほど生きるエネルギーを強く感じてしまうことはないだろうか?今まさにそんな状態である。

節目では一度足踏みと深呼吸を

2004-07-10 05:40:09 | 日記
自分の人生を振り返ればまぁほんとにろくなもんじゃないのだけれど、回りの環境が大きく変わる節目に一度足踏みをする癖があるようだ。一度目は大学受験。高校までほとんど人付き合いをしてこなかった私にとってここで一度呼吸を置いたのは大きかった。予備校時代私はほとんど受験勉強などすることなく、人付き合いの初歩を学んだといっていい。いろんなやつと喧嘩したり、泣かせたり泣いたりして手探りで進んでいた日々。

今でも感心するのは大学受験予備校という場所の特殊性である。人は色々な場所で出会いがある。それは学校であったり、習い事であったり、飲み屋であったり、スポーツであったり。しかしその中にはある程度の共通性が常に付きまとう。地域性であったり、学力であったり、環境であったり、好きなものであったり。何かしらの似たものを頼りに仲良くなれるのである。が、予備校はそういった意味では同年代での人種のるつぼであった。本当に多種多様で雑多なあの雰囲気。今でも忘れる事が出来ない。

大学受験に落ちたあと、私は予備校のクラス分けテストをサボり、半年間最もレベルの低いクラスに分類されたのである。一番上のクラスにはもうちょっとやったら受かってたのに、みたいなやつらが多く、まじめでいわゆる進学校タイプが多かった。
それと比べればこの一番下のクラスときたら!朝から屋上で煙草タイム、カラオケへいって夕方から飲みに行く。話す事は女の話ばかり。すぐに何かのきっかけをひねり出し女の子達と仲良くなる。まだよちよち歩きの私には四つんばいでプールに飛び込むようなレベルの高さであった。ある意味最上級クラスに入ったわけだ。ここで一つだけ幸だったのはそこのリーダー格のN君が私と小学校が一緒で仲がよかったことだった。すぐにおぼれてバタバタしているとんちんかんな私をネタにしながらも何度も気をつかってくれた。私は彼の技術を必死で盗もうとした。(結果的に彼の物まねレベルはまったくの失敗であったが)後半は上のクラスに上がってしまい交流は減ってしまった。私の知る限りあの下のクラスにいたほぼ全員が次の年も浪人し、ほとんど消息はわからない。ただ、一つだけいえることは彼らのようなまるで異世界のタイプと接する機会を予備校はつくってくれる貴重な空間だったということである。そしてこういう空間は他ではちょっとお目にかからないのではないだろうか。失敗続きの一年ではあったが、充実した一年でもあった。

手品、そして催眠

2004-07-09 15:46:06 | 日記
人の目や意識というものはこれほど当てにならないのか!先日の驚愕ぶりをお見せしたかった。
時々信じられないような人と知り合いになれることがある。時々飲み屋などでお会いしていたのだが、手品師である。とはいってもメディアにはあまり露出をしないので業界で知るひとぞ知るといった人らしく、テーブルマジックに関しては世界レベル、そして彼は催眠術もつかうため、それをうまく活用されているのである。見せてくれるマジックはどれも本当に素晴らしいものである事はいうまでもないのだが、彼は人の目がどれほど当てにならないのか、を見事に説明してくれるのである。目は残像を追ってしまうので、視覚情報は動きより処理が遅く全く追えていないこと。目は所詮思い込みに縛られてしか見えていないこと。そして人の意識はいともかんたんに誘導されてしまうこと、をまざまざと見せてくれるのである。

自分の認知、いや、人の認知がどれだけいいかげんなものか!こんな人が日常で何かやらかしてもおそらく気づかないままにだまされているであろう。それぐらい簡単に我々の意識は誘導されてしまうのである。そして自分自身というものがあまりに馬鹿らしくなってくる。裁判の証言が視覚認知に重きを置いている事や、世の中の物理化学ありとあらゆることがゆがんだ見方をしている可能性があるという事を考えるほど認知の根本の土台がガラガラと崩れ去っていくのである。

彼の催眠の技術も素晴らしいもので、騒がしい居酒屋でも簡単に誘導されるの姿は驚きであった。またこういった技術が今やいたるところでつかわれており、例えばパチンコ機器などもトランス状態にもっていくような仕掛けになっているらしい。もう自己という概念自体が危うく感じられる。(もとより私は自我の概念を信じてはいないが)

それにしてもこういった催眠などの概念は科学からはややかけ離れている。無意識やそれに伴うあらゆる超常現象は科学になじまないと思われているばかりか、否定される傾向にある。先日そうなるのも当たり前だと気づいた。無意識は科学的に証明出来ないのではなく、わざわざしないのではないか、と。科学と経済は常にタイアップされている。もし無意識を科学で証明したとしよう。パチンコメーカーは人をトランス状態に巻き込み、金をむしりとった疑いで潰れてしまう。科学至上主義の現代、科学で証明されていないがゆえにまかり通っているのではないか。こうなると証明などしないほうがいいに決まっている。そして今や催眠技術を応用した商売が我々の知らないうちに氾濫、浸透しているのである。まったく恐ろしいことである。

医師国家試験向け悪い見本

2004-07-07 08:26:30 | 医学ネタ
せっかくなので去年の1年の過ごし方を書いておこう。よいこのみんなはもちろん真似をしないように。あと去年は今年と違い3月20日から試験であったことを間違えないように。

6回生まで:まったく勉強せず。そのかわり医学部外の人たちといろいろやらかしてすごす。
6回生春:今まで医学についてはまったく触れてこなかった事を反省して初めて関西ACLSとやらに参加してみる。仲間が出来るとモチベーションも上がるものである。とはいっても国試の勉強を始めるわけでもなし。アジアに旅行に行ったり適当にポリクリしてすごす。
6回生夏:病院の試験パレード!もちろん筆記はほとんどできず。面接で挽回を図るも撃沈気味。それでも拾ってくれる病院はあった。これではいかんと一念発起。ようやくQBを解き始める。
とはいっても9月は東北チャリ旅行に行く。
10月以降、卒試が続く中、同級生がやってくれた感染症セミナーに感銘。色々勉強を始める(国試からそれていくのだが・・・)とともに忙しくなるとさらに忙しくする悪い癖がでてしまい、整体を習いに行ったりハードな日々。模試はもちろん大学内下から5番以内。
年内にQB臨床を終わらせる。
一月下旬に金沢ACLSの手伝いに行く馬鹿っぷり(楽しかったが)
以降は模試の復習に明け暮れる。新年から3ヶ月は1日15時間ほど勉強してようやく様になったかに見えたが、結果不合格。
一般問題が3点たりず。
総評:一般問題は過去問を解いた量に比例する気がします。11月から本気でやればよかったと後悔・・・・・はあんまりしてません。実は今浪人してて本当に良かったと思えることが多いのです。ある人から「おまえ京都に何か残してきて引っ張られたんちゃうか?」と言われましたが確かにそうかもしれないです。というわけで、皆さんも浪人生活どうですか?まさか今になってフリーターなどという職業をやるとは思ってもみませんでした。いろんな体験ができるものです。