医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

同じ物をみているはずだが

2012-01-05 02:06:59 | 日記
つい最近この様なブログを読んだ。以下のところだ。
http://asada0.tumblr.com/post/11323024757
ゴッホは色覚異常があったのではないかという。確かに今までのゴッホの作品をこのブログにで考える色覚異常で見ると全く違った表現が現れる。それは本当に色覚異常があったのではないかと思わせるほど鮮やかである。
ところで信じてもらえるかわからないが、私は右目と左目である色の見え方にやや色調の差が出る。特に肌色は左目はやや赤味がかって、右目は緑がかって見えている。この事実に小学生頃気づき、面白がって片目をつぶっては変化を楽しんでいた。特に女性の顔を見るときには左目で見たほうが魅力的に見えることに気がついた。ちなみに利き目は左である。そのため他の人はもっと違う見え方があるのだろうと思っていたし、その見え方によって印象も随分かわることも感じていた。最近の日々の忙しさにこの事実をすっかり忘れていたのを思い出させてくれる記事であった。

当時この事実は大変な不安をもたらした。自分の2つの目ですらそうなのだから、皆が見ている同じものが皆違うように見えているのではないか。そしてその感じ方も違ってくる。なにやら一人ぼっちになったような気分。私のことを理解できる人はいるのだろうかと。その結論に、人はだれも自分の感覚と同一の感覚を得ている人はいない、つまりは完全な理解は不能であることが前提に人と接していかなければならないと思っていた。だから「何で理解してくれないの?」などと言われてもアホちゃうかと思っていた。結局この問題を解決するキーワードは共感性という文化ということになるのだが。

何かの能力が欠如しているためにはっきりわかったり、感じたりできることがある。それも視力がないというレベルではなく、ほんの少しの色調の変化で。そしてそれはどんなに努力してもなかなか除外することができない。赤ちゃんは生まれてしばらくは色がわからない、そしてまず赤からわかるようになるといわれている。しかしこうやって何かを獲得しながら何かを失っていくのだろう。小さな頃に見えていたもの、感じていたものが。

という訳で今年の目標。とにかく不要なものを極力削ぎ落してゆく努力をすること。

コメントを投稿