医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

幸せの流れ

2005-05-06 01:16:26 | 日記
幸せとか優しさとかそういったものにはとある法則がある気がします。「優しさは一方通行の法則」と呼んでいるのですが。これを教えてもらったのはかつて自転車で東北旅行をしていた時に出会ったおにいちゃんでした。秋田の乳頭温泉で出会ったカップルの写真を撮ってあげたのが出会いで、彼が北上に住んでおり通るならよっていきなと言ってくれたのです。4日後、北上を通る時に連絡をしたら是非泊まっていけといってくれ、そこで本当に手厚いもてなしをうけました。非常にうまい料理、温泉は全おごりで、そして彼のすばらしき生き様の話。彼は若き頃から養ってくれるものもなく、一文なしでヒッチで移動しながら仕事をし、全国を渡り歩いてきた。この北上ももうしばらくしたら移動するつもりだとかで、次は岐阜にいくとか。かれの屈託のない明るい性格はどこに行っても受け入れてもらえそうで、これもおそらくそんな人生で培ったものなんでしょうね。

そんな彼にどうやってこのこのご恩を返したらいいかと思っていたらこんな話をしてくれた。「僕も若い頃から本当に沢山の人たちに助けられ、支えられたおかげでここまでやってこれた。だから今こうやってそのご恩をしたの人に返しているんだ。君も僕に何かお礼したいと思うなら将来下の人たちにその気持ちを返してあげて。」一生忘れられない言葉の一つです。幸せ、優しさとはこうやって上から下にひきつがれ、続いててゆくものだったんだと、驚かされました。というのも今まで幸せはもらった人に返すもの、としか思ってもみなかったからです。しかし、よく考えてみたら幸せ、やさしさを2人の間だけでやり取りしてしまうのはいつだって閉塞的で最後はつまってしまうことも多いですよね。風のように流れてゆく幸せ、いいなぁ。

それに彼がこれだけ見返りのない愛を見ず知らずの人に与えられるのは、やはり彼がそれまで多くの人にそれをもらって大きくなったからなんだろうなと。そういう余裕をとても感じるのです。人間の余裕、それはもらった幸せに比例しそうな気がします。幸せは流れてゆくもの。風のように。だからカップルで幸せを交換し合うのは非常に危険です。長い間それを続けてはいけない気がします。子供を作ってそちらに流してあげないとだめなんだろうなぁと。

今日も和歌山はいい風が吹いてます。夏の薫り溢れるいい風が流れています。こんな風を僕達も流していければいいなぁといつも思います。そうやって気持ちいい街、コミュニティはは造られてゆくのですから。風は常に一方通行です。でも一方通行、そんなに悪いもんじゃないですよ。きっと。みんなもいい片思いをしましょう(笑

やさしさのゆくえ

2005-05-01 04:57:15 | 日記
梅干を買いにとある店に行くと随分盛況な店で店員さんも非常にいそがしそうに働いていた。お目当ての20%塩分の梅干を見つけレジに行くと、研修生なるバッジをつけた娘がしかめっ面をしながらなれない手つきでレジを打ってくれた。私はコンビニでもどこでも好感がもてる人には必ず「ありがとう」という事にしていて、まだなれない仕事を頑張っている彼女に微妙な共感もあってかいつもより3割増に気持ちを込めて「ありがとう」と言ってみた。この時のポイントは3つである。商品を受け取ってほんの少し間をあけて。笑顔で。相手の目をみて言うこと。すると随分いい顔で嬉しそうにしてくれるではないか。こっちも何だか嬉しくなってしまった。

実は私が考えている医療のイメージは以上のようなものです。それは生活レベルから始まっているし、大袈裟にいえば、この一言のおかげで元気が出て明日風邪をひかずに済むかもしれないと。だから私にとって医療行為などというものはそこいら中に転がっている身近なもので、医療なんていう大層な名前をつけるのもおこがましいくらい。世間様みんな医者ですよ。昔ブログに書いていた「何故医者はこんなにも忙しくなってしまったのか」という答えに世間様のやぶ医者が増えつづけているからじゃないかとちょっと思っています。

飲み屋でもそうですし、いろんな恋愛本なんかでも書いてありますが、男が女と仲良くなる一番いい方法は女の愚痴を聞いて共感してやる事、だそうです。確かに仲良くはなれるんですが、、、私はあまりオススメはしません。何故ならその人は「愚痴を聞いてくれる→彼はやさしい→もっと優しさを確認したい→もっと愚痴をしゃべろう→ますます劣悪さ、不幸を探し身をゆだねる」とデフレスパイラルのような状態に陥るのです。聞いているこっちも最初はまだいいのですが、だんだん嫌気がさしてくるでしょう?だから飲み屋でコンビニバイトのお姉ちゃんが愚痴を言い始めたらこう切り替えしてください。「どんな時に楽しかったり嬉しかったりした?」実は先の「ありがとう」のテクニック、こんな流れで教えてもらったんです。私はレジうちの仕事はしたことがないわけで、想像力も貧困なのでこうやって教えられてようやく気づいたのです。知らない世界のことは知識として聞かないとわからないですし、人を少しでも幸せにするのはこういうレベルでは技術ですよね。

話をもどすと、要は愚痴を聞くのはやぶ医者の仕事だといいたいわけです。愚痴が人と人をつなぐ接点であれば人はそれをますます求めるのですから。病院にもいるでしょう。そういう患者さん。病気だけを接点にするとだめでしょうね。病気になると人と接せられる、病気になると親切にしてもらえる。それを求めて身体が病気を欲しがっているような人。逆にいえば病気にならないと人と接せられない、親切にしてもらえないわけで。やな世の中です。そして病気かどうかを判断できるのは医師だけ。医師は免罪符発行人ですな。

高年齢の患者さんを診るときによく上の先生に言われるのは「自分の祖父母だと思って相手しなさい。そうすればちゃんと接することもできるでしょ」と。でもそれはちょっと違うんじゃないかなぁ。いまどき自分の親や自分の子供にも優しく出来なくなってしまった人種が沢山いるでしょう。お節介に公共広告機構でも「子供の愛し方がわからなければ、まず抱きしめてあげてください」なんてCMをやってるし。もう技術がないんですよ。それに気持ちだけでどうにかなるのなら世の中こんなに失恋が蔓延したりはしないはずです。伝えるのは技術です。人が元気になるとはどういうことか、それに関する知識は余りに少なくなってしまっているとおもいます。

元気とはどこから来るのか、それを学びまた返していく行為、これも医療だろうなと思うのです。病棟を回っていて色んな患者さんと話をします。私の場合一人につき30分以上だらだらしゃべったりしているのですが、それでも重症な患者さんにはどう接していいのやら悩んで沈黙してしまう事もあります。ただ、少しでも状態がよいときはこういうことにしています。「今日は○○さん、元気そうな顔がみれてよかったです。僕もすごく嬉しいです」大抵の患者さんは嬉しそうにしてくれます。ただ、もっといいセリフ、言い回しあるでしょうね。人にもよりますし。