医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

ムンテラ力は不安を除く言葉

2009-02-05 01:25:43 | 日記
例題1の状況を考察してみましょう。こちらから読み進めている方は是非前回のブログから読み、例題1の説明について考えてから今回を読んで頂いたほうが面白いかと思います。
ただし考察といっても前回のブログのコメントにズバリ解答の要素が書かれています、さすがふみさんです。この例題はまずなぜ弟さんは見舞いにも来ていなかったのにこんな剣幕で怒鳴り込んできたのかを考えることです。それが理解できていればややこしい話に発展することはおそらくないでしょう。まずは悪い解答から示します。つまり、弟の聞いた内容にそのまま解答することで、なぜこの様な病状になったのか病態を説明し、今後どの様な選択肢があるかを説明するということです。この説明だけで終わってしまった場合、弟は更なる注文をつけることとなり、こちらも細かい説明に追われるばかりかちょっとした言葉尻を攻め立てられる機会を増やすだけになってしまいます。はっきり言って弟は細かい病態のことを知りたいわけでも、現段階ではこちらの医療ミスを攻め立てているわけでもないのです。一言で言えば数々の「不安」が彼を突き動かしているだけなのです。

 ではどの様な不安かというと、その患者を失ってしまう失望感・不安もあるかとは思いますが、それだけの場合はこういう言動にはなりません。やはり見舞いにいけなかったという後ろめたさが一番だと思います。この後ろめたさもピンきりのレベルがあり、見舞いに行きたかったが仕事の都合などでいけず申し訳なかったというレベルから、死後に遺産分配のときに見舞いにも来なかったと親族に言われるのを避けたいからというレベルまであるわけです。少しでも患者のことを考えたんだということをこの場で出来るだけアピールしたいわけです。とあるケースになると自分の見舞いにいけなかった後ろめたさ・責任を看護をずっとしていた妻にあたることで逃れようとすることすらあります。まるで妻の看病が悪かったから患者はこんなになったんだといわんばかりに。弟が医師に対してした発言は、妻の立場からするとまるで妻が言われているような感覚になってしまうのです。妻もこの時点で大きな不安に取り付かれます。もちろん献身的な看病を続けてきたわけですし、ある程度できることはやってきたわけです。それでももしかしたらもっとこうしてれば助かったかもしれないと悔やんでいるかも知れないわけです。そこを弟に責められているかのような状況、非常に危険な状況です。なぜなら一歩間違えれば次の責任転嫁を医療に向けられてしまうぎりぎりのところだからです。妻も少なからずいろんな後悔、こうすればよかったという気持ちがあると思います。それは何かが出来なかったかもしれないという恐怖です。そこへ弟から例の言葉を浴びせかけられたらどうでしょうか。あたかも患者の死は妻がちゃんとしていなかったからだといわんばかりの言葉、それに対して恐怖の気持ちから「違う、私は悪くない」と思いたくなり、では誰が悪いのかということになるときちんと治療しなかった医師が・・という方向へ進んでしまうことになるのです。何度も言いますが人は必ず死にます。その責任など誰にもありません。それなのに誰かに責任を押し付けるような流れを作ってはいけないのです。この例で弟は死の責任という今回のケースでは本来ないはずの概念を造り上げ、火をつけてしまいます。この様な場合火付け役中心に相手するのはいい方法とは思えません。彼は火をつけて、自分を守るために火の粉を撒き散らしたいと考えているからです。弟の派手なせりふに惑わされ、彼ばかりを相手することになりがちです。そうなると彼のペースに巻き込まれることすら起こりえます。こうなったときに取り残されるのは誰なのでしょうか。彼には必要最低限の説明で十分です。では何が今回一番大切なことなのでしょうか。

 今回の例の本質に戻ってみることです。この例で中心になるのはやはり妻なのです。この事態を解決するのはたったひとつのキーワードです。どんなに詳しい説明をしてもこの言葉には勝てないと思います。それはまず最初に「弟の目の前で妻の献身的な看病をねぎらうこと」です。今回の例題のポイントは弟をフォローすることではなく、まず妻をフォローし、安心させてあげることにあります。家族・親戚の前で「奥さんは本当に熱心に患者さんを看病してくださって、ここまで何とか生きていい人生をおくることができたんじゃないかと思います。私たちも奥さんにとても感謝しています」と。たとえ余り看病しに来れていなくてもこう言うべきです。妻の自尊心も保たれますし、夫の死を目の前に医師からこの様に言われると少しでも自分のしてきたことを肯定でき安心できると思います。そしてこう言っておけば弟の出る幕はもはやありません。妻をフォローした後に病状についてある程度説明し、妻が望んでいる今後の方針を説明すればよいだけです。もちろんその間に、来てくれた弟さんにも感謝の意を示せば最高です。すんなりと終わると思います。

 死に対する責任者探しなど本当は誰も望んでいないのです。それぞれがもつさまざまな不安がそれをかきたててしまうのです。見た目派手に見える人の不安にまず焦点を当てがちになってしまいます。しかし逆効果になってしまうことすらあるのが今回の例だと思います。まずはキーパーソンになる人の不安に焦点を絞るべきです。家族の誰かが何かを言ったときキーパーソンはどの様に思い、どの様な不安をかきたてられるのか、どうフォローするのが良いかを瞬時に判断しなければなりません。しかしそれほど難しいことではなく、とにかく安心させてあげるように言葉をかける、つまりねぎらう、ほめる、感謝するといった基本的なことだと思います。この様な言葉がきちんとちりばめられ、みんなをフォローできるようになれば大きな問題は起こり得ないはずです。