医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

誰の為の健康か

2006-12-07 00:38:34 | 日記
他人の為に何かを指導したりする方法を学ぶうちに自分がそのもの自体を最も学んでいる、という事は3年前に感染症セミナーを全国行脚している時に感じた。
自分の心に浮かぶ言葉の主語のほとんどが「自分」である人が病的精神状態の定義だと教えてくれたのは宗教学者の植島先生。
そして、リストカットをしてしまう人に「今まで他人の為に何かをしたことがあるか?一度他人の為に何かをしてごらん」と諭す事でその自己に閉じた空間を開こうとする夜回り水谷先生。
他人の幸せの為に何かをして上げられるのが自分の楽しみや幸せの秘訣と教えてくれた先の和歌山のバーのおばあさま。
すべては何かに通じている気がするのだ。
自分で自分を守ろうと心がけた瞬間、その人は病人になってしまうのかもしれない。自分を忘れることがすべての解決策なのだ。だとしたら現代に蔓延する思想は最低ではないか。

和歌山にもいるものだ、風林火山のようなおばあさまが

2006-12-03 01:58:25 | 日記
昨日とあるバーでたまたま隣になったのが70歳すぎのお婆様。私の知っている別のバーのママさんと入店され、「先ほど見てきたジャズがとにかく素晴らしかった」とご機嫌に席につかれた。とにかく入店時からオーラがすさまじくまぶしい。しゃべり方も非常に陽気でえらぶった感がない。よくよく話を聴いているとどうやら和歌山大阪バー業界の超大御所、人脈もすごい。しかしその人生はさらにすごい。ほんのさわりを拝聴させていただいたが、当時まだ暖房もなにもない同志社大学での破天荒な生活ぶり、その為に寮を追われ、そのまま教授のうちに転がり込んだとか・・・とにかくバカをやって楽しく過ごしなさい、人生無駄にしてはだめよと。
さらに「あんた、うちのバーにきたらどれだけでも飲ませてあげるわ、私はそうやって今まで生かされてきたの。今度は私が若い人にお返しして楽しみを教えてあげなくちゃ。それにそうやって来てもらって楽しんでもらって残りの人生の生きる元気を分けてもらえるんだから。まだまだ死にたくないわ」と。これほどに豪快で、どっしりとして、陽気なおばあさまを私は未だ知らなかった。70過ぎにして生きるべき、死ぬべきをはっきりとわきまえ、このような形で伝えてくれる。

私はいつだって思う。人は死に際と死に方を、常に意識して生きていった方がよい。しかしそれは本来悲惨なことでも、むなしい事でもなんでもない。病院で数々の形で亡くなってゆく人たちを見ていると、いつもこのことを意識せざるをえない。誰かから必要とされ、誰かのために何かが出来るということが、人が生き生きと輝けるために必要であり、それが出来ない時に人は既に死んでいるのである。それを自分で見極め観念し、後は夕日が沈むのをじっと待つような感覚があってもいいのではないだろうか。それを実践している人達が我々の日常であまりに遭遇できないのだ。作家の団鬼六氏は腎不全の診断を受け透析しなければ寿命がない時点で透析を拒否し、自分の生き方を貫いている。こんな大人が周囲にもう少しいれば若い世代もそこから何かを学び取ったはずなのだ。それが失われたのは戦後の価値観の大きな変動の波と、近隣の異世界、異世代との流通経路の消失がもたらした結果だ。その中でこうやって今でもその人生をさらけ出してくれる大先輩に出会えたことに、今日こうやって感謝を述べたいのである。その感謝のしるしに私はそのバーでまた少し人生の勉強をさせてもらいにゆくのです。

結局イクラちゃんの年はいくつなのだと

2006-12-01 00:53:51 | 日記
 かつてより私の人生において考えるべき5大テーマの一つに「イクラちゃんはいくつなのだ?」というものがある。公式データ(?)では1歳という話だが、ううむ。1歳の割にはしっかり走れるし、ジャンプも出来る。大人のいうことをほぼ理解している。その割にはまだ言語を発することがない。そして、私の「イクラちゃん1歳説」に疑問を投げかける10項目に盛り込まれているものに「イクラちゃんは正座をする」というのがある。イクラちゃんは磯野家ではいつもタラちゃんと並んでお利巧に正座をしている。果たして1歳の子供が誰からも促されず正座などできるのだろうか。その為私は「イクラちゃんは並外れた身体能力と理解能力を持ち、わけあってわざと言語を発さない1歳児」という結論に至っていた。小児科を回っていてもイクラちゃんのような1歳児は今だお見受けできない。

 しかしだ。今日丁度1歳になった患者Sちゃんの病室に入ったところ、美人なお母さんの隣にいたのは「ちょこんと正座したSちゃん1歳0ヶ月」だったのだ。私はもう一度Sちゃんの足もとをまじまじと眺めてしまった。これが20歳の女性や隣のお母さんだったら明らかに「主治医を変えてください」と看護師長さんに訴えられているところだが、有りがたい事にSちゃんはその辺まだ寛大である。確かに彼女はしっかりと足を折りたたみ正座できている。もうイクラちゃん状態である。イクラちゃんと違うところといえばまだ歩くのが精一杯なことと、ママパパはしゃべれること、聴診器に異様な興味を示し既に使い方を知っているくらいだ。

「へー、Sちゃん正座できるんですね」とお母さんにいうと、「そうなんです。Sは正座が大好きなんですよ。うふふ」と。誰が教えたわけでもないのに正座をしてしまう子供。これは日本だけの現象なのだろうか。そしてその正座姿の収まりのよさも驚きであった。本当にきれいな正座をなさる。思わずこちらも姿勢をただし拝みたくなるほどであった。本当にいいお姿を見せていただきました。小児科のいいところですよね、患者さんにこちらが癒されるのは。まぁおじいちゃんおばあちゃんでも癒されることは多いですけどね。