医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

医療崩壊について。非常に重要な問題

2007-01-27 02:17:43 | 医学ネタ
昨年下半期から医療問題の雲行きが非常に怪しくなってきました。ことの発端は平成18年2月に起こった福島県立大野病院の産婦人科医が逮捕されたことから始まったのです。昨日はこの医療訴訟の初公判がありました。詳しいことは下記のブログを参照していただければと思います。いずれも医療問題について冷静かつ的確にコメント・議論がされています。医療従事者には是非しっていただかねばまずい問題ばかりであり、この事実を知らずして医療を続けることは無知の罪となりかねません。また、この問題は医療従事者に留まらず、医療を受ける側にも甚大な影響を及ぼしています。ブログでの議論はややもすれば専門的になっており、医療・法律の正確かつ詳細な知識なしには難解な部分もあるのですが、なんとか雰囲気だけでも感じ取っていただきたいです。

大野病院事件以降、われわれ医療側にとって衝撃的な医療事件・訴訟がいくつかありました。それは医療行為の正当性の根幹を揺るがすことばかりでした。特に産科で著名であり、このままでは医師は出産を扱うことなど到底できないこととなります。ひいては医療行為も行えない事態になろうとしているのです。われわれ医療側ができることはもはや非難することだけとなりつつあるのです。

とにかく医療問題、財源問題、保険問題、報道問題にはあまりに多くの誤解と誤報が満ち満ちているのだ。そしてその過ちはほとんどがごく一部の利益(今回の場合は外資系保険会社であったりするのだが)が画策したものなのだ。日本は欧米化を勧めた文明開化以来、いつだってこの構造だった。西洋欧化政策が本当にごく一部の商人(その多くが財閥となった)の利益のために、そしてそのおこぼれを与る政治家のためになされた事実を多くの日本人は教えられず未だに知らないのだ。是非以下のブログをじっくりと熟読していただきたい。これはささやかな緊急提言なのである。

ある産婦人科医のひとりごと 大野病院事件以来、産科崩壊を扱ってきた急先鋒です。
新小児科医のつぶやき 多岐にわたる医療問題をしっかり扱っています。ここのブログのコメントはあまりに充実した議論がなされています。量はとても多いのですが是非読破をお勧めします。
元検弁護士のつぶやき 医療問題を司法の立場から適切に議論されています。
東京日和@元勤務医の日々 数々の医療問題を扱っています。日本にはこれほどに問題が蔓延しているのかと考えさせられます。
勤務医 開業つれづれ日記 こちらも同様多数の医療問題にコメントをいれています。
出もの腫れもの処嫌わず 超個性的な発言で的確に医療問題をずばずばきっています。

他にも多数の優れたブログが医療問題を扱っています。とにかく今起こっている医療についての崩壊劇は医療従事者だけの問題ではもはやありません。ほんの少しでもお時間がありましたら是非一読をお願いいたします。

久しぶりの感染症セミナーでした

2007-01-23 00:10:11 | 医学ネタ
本当に久しぶりに感染症セミナーに参加でした。恩師である大野先生がまだ一人で学生相手に教えてから徐々に規模は大きくなり、いつの間にか感染症のエキスパート達が集まる場所になりつつあります。雰囲気も随分と変わり、いいこともあり、悪いこともありという印象でした。

学生時代全く勉強をしなかった私が初めて医学に興味を持ち、のめり込むきっかけをくれたのがこの大野先生の感染症セミナーでした。当時はまだ講師は大野先生一人、学生相手がメインで、講義もスタイルも超適当で、気が向いたら延長・脱線なんでもありのスリル溢れるライブ感が魅力的だったのをはっきりと覚えています。講義スタイルも白板2枚を用意して、大野先生がしゃべくりながらだだーっと書いてゆく、僕らはそれに必死について行って書き写してゆく、みたいな一体感もありました。多分このブログの初期の頃に大いに語ったはずです。
それにくらべると今回は感染症の大御所青木先生をはじめエキスパートがきら星の様に並ぶ講師陣!相手も専門の先生達も混じってのディスカッションと来れば流石に内容も形式も変わっていました。まずパワーポイントを使った講義というのが一つ。講義は洗練されたものにはなるのですが、その分しゃべる道筋は最初からつけられておりスリル感は失われています。白板の文字をお互い書き倒すといった一体感はもはやありません。脱線も延長もない講義です。そこは確かに惜しむべき個所ではあるのですが、やはり青木先生の講義のすばらしさに、このような形式でも燃える講義が可能なのだと可能性を教えていただきました。パワーポイントはともすれば知識の羅列に走ってしまいがちで、最も忌むべき点でもあります。それを彼は一つの知識・知見だけをとってきてそこに、伝えたい概念、考え方をそっと滑り込ませるような手法をとってきたのです。非常に緻密で洗練された講義でありました。

さらに私に火を付けたのが周囲の参加者さんたちのレベルの高さです。感染症やACLSの同期のみんなに会え刺激をもらったことはいうまでもないのですが、他にも尋常じゃない先生方が多数いらっしゃってました。特にG大学のI先生!見た目クールでダンディで太い声、しかしその博学な感染症知識、本当に麻酔科医なのかと問いつめたいくらい。すごい数の文献を読みあさっていなければ出来ない発言の数々。私は自分を反省してしまいました。確かにうちの病院は感染症のレベルは低い。何せ私ごときが感染症コンサルトを受けてしまうことがあるくらいなのです。それに応えられるよう確かに勉強もしてきました、がこんなひよっこの知識では全くお話にならないということを痛感したわけです。まだまだ奥の深い世界が山のようにあったわけで。私は襟を正して再度勉強し直そうと心に誓ったのです。そういう意味で今回のセミナーには参加できて本当によかった。うちのような病院ではすごい先生がいないので、最上級の基準値が2年でいつの間にか下がっていたのでした。この3日間でまたもや最上級の基準はぐんと上がり、そこを目標に再設定できたことは大きな収穫でした。こうなったら次くる1年目には講義・セミナーをしまくってあげるべく更なる勉強をしなければなりません。飯塚病院のすべての症例は「シェア」しなければならないという考え、大いに賛同つかまつります。

早く人間になりたい。

正月の風景はすでに終わっている

2007-01-07 23:15:05 | 日記
正月はどこも混んでいた。車も沢山、しかしこの田舎の県でみなが行くのは大概大きなショッピングセンターか大企業のファミレス・居酒屋。なんだか喜ばしい光景とはいえない。正月早々からこんな場所にくるしかないのかと思うと。確かに驚くことに(それはずっと京都にいたからかもしれないが)まず個人商店が開いていない。やっている店は全てチェーン店だけである。どこの店も国道沿いにあって、車でないといけない。そう、もはやわれわれは国道沿いのチェーン店くらいしか行き場がないということである。もちろんそうなるとそのあたりは渋滞している。駐車場もいっぱいである。住宅地は閑散としていてさびしい場所である。なんだか私の知っているものとは大きく違う光景。ここ数年格差社会と言われてきた。実はその原因のいくつかがこの光景にあると思うのだ。2つだけ挙げておこう。

1つ目は「便利にはそれなりに金が必要で、その利便システムに乗ってしまうとお金なしに機能を果たさなくなる」ということである。1例を挙げれば、田舎町に認める車社会は街の形相を一変させた。昔は住宅街のいたるところに個人経営の商店があったはずである。ところが車という簡単に遠隔移動できる装置が普及すると、今度は車による移動を中心とした街づくりがなされてしまう。ここにはトリックがあって、車での移動の普及は効率的な大店舗の経営を可能にする。国道沿いのチェーン大店舗の登場である。ひとつの場所であらゆるものが買える総合店舗は確かに効率的な買い物が可能である。そうなると地元の個人商店は倒産し、店舗の偏在空洞化が進んでしまう。いまや田舎の中規模都市は車なしに生活ができなくなり、全ての市民がこの金食い虫を一家に1台以上飼う羽目になってしまったのである。結局その挙句生まれたのは渋滞だけなのである。

もう1つに、われわれの大規模チェーン店思考はそのまま大会社の利益につながり、個人店舗の敬遠はそのまま個人収入の減少を生んでいるということです。これは当たり前のことなのですが、格差社会を非難する市民達はそのことがわかっているのでしょうか?おそらくは便利で品揃えがよく、安いからという理由でダイエーとドンキホーテに買い物に行き、ユニクロで服を買い、コンビニとチェーンファミレス・居酒屋で食事を済ませるのではないでしょうか。どう考えても今の格差社会はわれわれ自身が招いたものです。その意識がない限り大企業と個人所得格差は開いてゆくと思われます。個人への所得の回復は個人へ直接支払わねば起こりえません。今こそ個人店舗を見直す時がきています。皆は個人店舗の商品の品数の悪さや回転の悪さを指摘するのでしょう。しかし店主も本当にいいものをチェックして売ればいいのです。現代社会において、その溢れんばかりの品数は消費者を混乱させています。それは安くて品の悪い大量生産品を売るトリックにすぎません。プロはきちんと選別すべきです。が、いずれにしても品揃え云々にかかわらず個人への還元は結局個人所得を増やすことの利点がはるかに重要ではないでしょうか。

これがいわゆる街の活性化ということです。街づくりに大規模店舗を入れたり、総合施設を作ったりするのははっきりいってまったく逆の結果を生むのみです。いっておきますが私はこれで医療の話もしてしまいました。

今年の自分を展望する

2007-01-04 02:52:04 | 日記
あけましておめでとうございました。昨年は医療崩壊序章といった感じでしたが、今年は本格的に医療崩壊が進むものと思われます。私のいる病院などは田舎の大病院なので忙しいながらもこの点ではまだ恵まれた環境といえます。しかし、今や医療側と患者側との意識のズレは限界にまで来ています。このズレはもちろんマスコミが煽って広げたものです。それに加えて医療費削減しか考えない国家政策が医療崩壊を完全に加速させました。しかしこの医療崩壊、一般の方々にはまだ実際より認識が薄いのかもしれません。今年はそれが一気に加速するはずです。

といきなり暗い話からすすめてしまいましたが、かくいう私は本年は形成外科、産婦人科を回って、4月からは「表向きは」腎臓内科医となります。どのような医療をやるのか、はすでに決めているのですが、どのような形式でそれを実現させるのがベストかというところで迷っております。それは究極出生で実現させるのか、終末で実現させるのか、ということです。どちらでも携われればいいのですが、今の医療形態では小児と老人を両方見れる場所は限られているのです。そういう意味では今年もいくつかの科をふらふらと回るのではないかと思います。

昨今医療は標準化が進んでいます。ガイドラインも増えてきました。これだけ出来ればとりあえずは文句は言われないということです。そういう知識と技術はさっさと習得して新たな局面に行きたいのが今年の目標です。どう考えても今の医療、医者に必要な知識は医療だけでは話にならないです。医療だけ出来る医者は出来ない医者とみなされかねません。必要な法律、裁判の知識はさっさと習得し、次は電子工学系・プログラミング技術です。簡単な機械とプログラム言語は扱えねばなりません。そして相変わらずのコミュニティの発展です。久しぶりに楽器もいじる事にしました。カメラもいじり出しました。どれも必須のアイテムです。

みなさんも良い1年を、つくっていきましょう。