医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

コミュニティの届く範囲

2004-12-31 06:02:38 | 医学ネタ
居酒屋系医療をしようと思っているとどうしても避けて通れないのがコミュニティの話。医療というのは絶対コミュニティに溶け込んでないとできるものではないと思っています。(特殊な高度な医療は別ですが)極論を言わせてもらえればやっぱり「知らない人は診れない」です。普段がどんなだか分からない人を責任を持って診ることなんかできるのでしょうか?まぁ急に病気になって来られれば診ます。けど健康な時を知らない、信頼関係もそういった緊急の状態から作っていかなければならなかったりでお互いが大変な思いをするでしょう。医師はコミュニティに溶け込んでいなければならないと思うのです。「医師よ、診察室を捨てて街へ出よう」と言いたいわけです。街飲みをしているとわかります。いかに街の人たちがお医者さんとつながりが薄いか。お医者さんの知り合いがいない。皮膚の状態が悪い、けどどこに行ったらいいかわからない。かかりつけ医がいない。いてもそのお医者さんがどんな人かはあんまり知らない。医療知識がTVの放送するものばかりで固められ偏っている。もう酷い状態です。そういった人たちに少しでも接してあげれれば医療現場はそれだけで劇的に変わると思うのです。

ただコミュニティと言った時現代社会には沢山の問題があります。まず一つにはコミュニティの細分化が進んでいるということです。昔なら村全体が一つのコミュニティになっていたわけで、その村に住んで一緒にお祭したりしていればだいたい全員の事が把握できる。ところが現代の都市化によって一つの街で把握できる量は非常に限られてくる。(街の範囲の境界すら曖昧になってきているが。村なら本当に一つに固まっていてここまでが~村の人、と言えただろう)私はつくづくいい街、住みやすい街の条件にある程度住んでいればその街のことをある程度把握できる規模、があると思う。そういう意味で京都は一人の人間が把握できる最大ギリギリの規模ではないかと。大概のこと、住人は一人あいだにはさめば分かったりするわけで。東京は手の届かないものが多すぎて恐ろしく不安です。池袋一つをとっても物、店、人が多すぎて掌握しきれない巨大なモンスターのような印象があるのです。知らない事が多すぎる場所は精神衛生上よくないはずです。特にその街に住んでいるにも関わらず分からないというのは。そして分からない不安をかき消すように分からないということから無関心でいる、そういった流れが数々の問題を生んでいるような気もするのです。無関心さが生む犯罪、無関心さが生む心の閉塞、無関心さが奪ってゆく情熱・・・この前東京に行ったときに池袋駅で酔っ払っていたおじさんが突然頭から地面に落ちてピクリとも動かなかったのです。遠くからでも大きな音が聞こえてきてびっくりしたのですが、もっとびっくりしたのはそれを見ていたそばの人たちが本当に何もなかったかのように平然としていた事です。そして平然と横を歩いて通り過ぎてゆくのです。その事にあまりに衝撃を受けしばらく立ち尽くしてしまったのですが(最低な自分でした)、結局同じく遠巻きに見ていた女子高生が駅員さんに言って事なきを得たようでした。非情なまでの無関心、これは街の構造が生んだ無関心なのかもしれない、分からないことから逃げるための。その時そう思ったのです。

話をもどすと、そうやって巨大化した都市ではコミュニティは細分化されざるをえない。しかもそのコミュニティは住んでいる場所で区切られるのではなく仕事先であったり趣味であったりとある店であったり複雑な分布をしている。さらにコミュニティが閉塞していたり、さらに酷いケースではどのコミュニティにも所属できていない人たちも沢山いるのである。こうなるとコミュニティを使った医療はあまりに難しいものにも思えてくる。そこで開業してもそこの街はただ単なるベッドタウンでコミュニティがなければそれは使えないのである。そういえば従兄弟に会いに神戸の名谷というところに言った時も衝撃を受けました。駅前にでかいダイエーと総合施設があるだけで後はだだっ広いところに高層マンションだらけ。バスでそこまで向かうのです。そういえば西神戸医療センターのある西神中央駅も同じ構造でした。こういう街は多いのでしょうか。見たとき「うわっひど過ぎる」と思ってしまったのです。そういえば震災後の神戸の街も一部そういう構造の街になってしまいました。大きな総合施設と区画整理された高層マンション。前そこに住んでいた友人が街が死んだとつぶやいた事を忘れる事が出来ません。そういった構造の街でいかにコミュニティのある医療をするのか、が大きな課題でもあります。私の住んでいる京都はそういう意味ではあまりに恵まれすぎた環境でした。こういう街でコミュニティ医療の大切さを解くのは藤井フミヤが目と目が合ったら恋におちるよ、といってるのと同じですよね。とにかく、コミュニティと街の構造は大きく関係していて私が何か居酒屋系医療を唱える時に街づくりの視点からも物を考える必要性が出てくる事が分かってきました。今知り合いに街づくりで起業しようとしているやつがいます。あまりに優秀でとにかく動くのが早く、へんてこりんに魅力的なやつです。思ってもみなかったですがこういう人たちと連携する必要がでてくるのかもしれません。

最後のプロデュース、時間との出会い

2004-12-30 03:48:08 | 日記
でした、感染症勉強会。相変わらず至らないところが多くてすみまで気を配れていなかったこと申し訳なかったです。でも本当に素晴らしい感染症でした。一応これで僕らが教えた学生さん達が次に教えることで一周させる事が出来、もう僕らのここでの役割は終わりかなぁと。しかしびっくりしたのは2世代目になると本当に個性的な講義が増えてきます。もし、万が一この会が続く事があればしばらくは面白い、工夫された講義が次々とでてくるのでしょうね。

組織の世代論としては有名な話ですが、1世代目というのはエネルギーのあるやつらが集まってなんかやってみよう、みたいなノリがあるわけです。しかも1からのスタートなので試行錯誤も本当に多い。毎回反省しまくりながらやっていくわけですよね。ここで育っていく2世代目は当時のまだトライアンドエラーの時期かつまだ人材がそろっていないところに集まってきた人たちなので結構ノリとしては「お、なんかおもろそうなことやってそうやん。」みたいな感じで適当系も多いのでやや無責任に(いい意味でです)自由に面白い発想を試してくれたりします。土台が出来てるから出来るわけですが。場はダイナミズムに溢れ面白くなってきます。次にこういう場にやってくる3世代目はある意味で完成されてきた場所だから参加しているところがあるわけです。しかも2世代目はそこそこ適当なので、彼らの意識にはきちんとこれらを守っていこうという発想で運営されていきます。彼らの持続させようという工夫がモチベーションになりえるのです。ところがです、ここで物事のダイナミズムは終了してしまいます。一度こわしてしまわない限り。。。

参加するときの場の状態、その時の参加者の意識(動機)、どこに楽しみを見つけていくか、の3点は常に連携していてそれが次の場を作っていく。そうしていくと何れは終焉が来るのではないかと。その通りで組織は衰退していくものなのです。3世代以降の人たちは先の3点が何に当てはまっていくかは恐くて書けません。一つには権威主義につながるパターンがあります。ただ、全く衰退していかない組織というものも沢山あるわけで、例えば最近見にいっていた「歌舞伎」業界なんかはそうですよね。ほとんど同じようなことを何回も何回もやるわけで衰退しないのかと思いますが、あれは理由がありそうです。習得に身体と時間が関係しているからですね。決して楽にするためにどこどこをはしょったり、などできないし、世代を超えて蓄積していくと言う事もないのです。実は科学と言うものは常に再現性があるとかいろいろ定義がありますが、私は一つに必ず次に蓄積していけるもの、という概念もあると思います。科学の知識は常に蓄積されることで発展してきました。そして蓄積していけるものを重視しすぎたあまり、蓄積できないものを見逃すようになってきています。それは言語化(記号化)できないもの、ということです。「悟り」という言葉がありますよね。大昔知り合いと早く悟る方法を編み出したらすごいよね。脳の研究が進んだら悟りの状態を理解してできるかも。みたいな話をした事があります。でも今思えば問の設定事態が間違っていましたね。たぶん「悟り」は状態ではない。どちらかと言うと「悟った」と思うまでの道のりすべてを含んだ概念、例えると音楽のようなものなんじゃないかと。音楽は終わりだけ取り出してもそれはその「曲」じゃないですよね。こう、ずーっと曲を聴いていて最後まで聞いたところで「あぁ~よかった」と思える。それが「悟った」に近いのじゃないかと最近は思うのです。音楽ははしょれません。「わかる」という概念も同じのようなきがします。

長くなったので話をまとめましょう。その記号化できないなにか、を大切にする限り物事は続いていきそうな気がします。何かをみんなでする時、自分の中でその音楽を奏でてください。きっと途中で終わったり、納得できない曲になってしまったり、あるでしょう。大丈夫、僕らには時間があります。また続きを奏でましょう。時間と言うものは意外といいものですね。

可哀想な犬に必要だった物語

2004-12-22 05:37:57 | 医学ネタ
昨日の飲み屋で教わった話。いつも一緒に陽気に飲んでくれる人なのだが、その人の家で飼っていた犬がだんだん弱って左半分が動かなくなってしまったそうだ。で、家の人が病院に連れて行ったところ理由がわからないからとりあえず脳のCTをとりましょう、と。しかしその人はそれを拒否して帰ってきたそうである。何故?と聞いてみると、医師もこちらも犬が助からない事は薄々わかっていた。なのに何故さらに原因検索する必要があるのだろうと。ここでもし原因がわかったとしてどうなっただろう、何か変わっただろうかと、思ったらしい。彼は酔っ払いながらさらに持ち前の毒舌を続けてくれた。医療が一体どんなつじつまのあった原因論を展開してくれるというのだろう。仮にそうであったとしてもそれが受け入れられるかどうか、は全く別次元の話なのじゃないかと。

私は最近多い犯罪事件のことを思い出していた。誰かが(今回は娘としよう)殺される。親が犯人を見つけるまでは整理がつかないと訴える。そして何故殺したのかをはっきりさせて欲しいと。そうしないと浮かばれないと。しかしである。おそらく犯人が捕まっても親の怒りは収まることはないだろう。理由がはっきりしても、である。(しかもその理由などというものは非常に常識的なレベルに還元されて初めて理由になるのだ)

現在医療の原因論は見た目科学的に行われている、とされている。しかし、少し勉強すればわかることだが、科学だって非常にいんちき臭いものが多い。つじつまが合うから、という理由だけで採用された概念が山のように出てくるのである。しかも、仮につじつまが合ったとしよう。それを人が受け入れられるかは確かに別の問題なのである。親に「勉強しなさい」と言われるとそんなことは自分だって十分承知しているのにやりたくなくなる、受け入れられなくなるのと同じである。正しい(これも怪しい言葉だが)事を言えばそれが受け入れられるわけではない。

彼はまさに「物語」の話をしていたのだ。科学が作り上げる「物語」が面白いと感じるのはほんの一握りである。残りの大勢の人たちはそんな物語に興味などないのだ。それならまだ安倍晴明が花山天皇の頭痛を治療する話の方がよっぽど効果的かもしれない。花山天皇の前世は高尚な行者であったが熊野の山の中の岩にその骸骨が挟まったままになっており、雨が降ると岩が水を吸って膨張し、その頭蓋骨を圧迫する。そのせいで頭痛が起きるのだ、と。いうわけで、天皇はその頭蓋骨を探させるのである。結局見つかって天皇の頭痛はウソのように消えたそうである。(古事談)
骸骨は天皇の力のおかげで見つかるのだが、この話見つからなくてもよかったと思う。結局人は運命的に受け入れなければならない痛み、不利がある。それをどういたわって受け止めていけるか、が特に頭痛や腰痛なんかでは大切になってこよう。その時にこういう「物語」は当時大きな助けになったに違いない。

彼は話を続けた。別に医師にあれこれ言ってもらわなくても全然いいんだ。むしろ余りに機械的に処理してくれても構わない。その方が自分たちで考えることだってできるから。下手に医師に解釈(診断)されるのが最もむかつくんだと。随分医者という仕事も低く見られたものだが、その気持ちは私もすごくよくわかるのだ。今の医療の解釈モデルは余りにお粗末である。「癌になりました、治療法はこれとこれとあります。どれになさいますか?」

解釈モデルをどこにゆだねるのか、も問題ではある。先の殺人事件では常に裁判所と警察にゆだねられるが、そこは物語を教えてくれる場所ではない。では医療はどうなのだろう。これはとても微妙なところである。宗教と医療はかつて一緒であった。我々はそこに戻る事ができるのであろうか?そのために必要なコミュニケーション、言葉、技法はとっくに廃れてしまったのである。我々は一から作り直さねばならないのかもしれない。

最後の独白にしようと思う。何かの序文です

2004-12-20 14:50:43 | 医学ネタ
大分時間がなくなってきました。そろそろ私の自由な時間も限られてきたようです。国家試験も2月の中旬、そのための勉強も切羽詰ってきた時期です。それは私が何をするべきか、と考える事にもはやモラトリアムが許されなくなってきた、ということでもあるのです。今の研修医達(つまりは元々同級生達)を見ていてはっきり解る事は彼らには考える時間すら与えられないのだ、と言う事です。とにかく現状の医療に対して身体で覚えなさい、と言う事を強要されます。もちろん身体で覚えること、は大切なことでもあります。が、今の医療を現状のまま受け止める事は余りに躊躇を禁じ得ません。これに流されてしまっては絶対にいけない。そういう強い決意を持って研修医を勤めあげなければならない、という気持ちなのです。

私が掲げてきた「居酒屋系医療」に答えを出す日は迫ってきています。確かに全く漠然とした概念、いや、全く新しい医療の形なのでこれから構築していかなければいけない概念ではあるのですが。先日とある方に「言っている事が全く解らない」と言われ余りにショックを受けた次第です。確かに漠然としすぎています。そしてある意味現実離れした概念の様な気もします。このブログをずっと読んでいただいた少数の方には少しは理解していただけたのでしょうか。そうであってくれればとても嬉しいのですが。私もまだまだ説明不足だと思っています。しばらくはこの新しい医療について大いに考え、語らねばならないと思っています。言葉足らず、思考不足なのは重々承知です。にもかかわらず表現していく、そしてその言葉に責任を持つ、大人の辛い宿命からもはや逃げる事はできません。

最近とどまる事ができなくなってきました。微妙に暴走特急です。いろんなものを取りこぼすようになってしまいました。それほどきっちりした性格でもないので、本来もっていた「適当」というモットーはすごく似合っていたのですが、こういう生活に自分を浸らせてから「適当」と折り合いをつけるのも難しくなってきました。見えるものも随分変わってきました。息の合う友人もとても増えました。なのにとどまれなくなってしまい微妙に苦しい自分がいます。自分が苦しくて他人を幸せに出来るはずはありません、人は同調して生きているのだから。しかしおかげで私は救われています。沢山の素晴らしい仲間とまた同調して幸せをシェアしていけるのだから。「同調」「共鳴」これは大きなキーワードになるでしょう。

最近しょうもない独白が多いですね。申し訳ない

やらかしてしまいました×_×

2004-12-19 20:51:14 | 日記
昨日元気に飲みに行こうと書いたのですが、やらかしてしまいました。途中(22時ごろ)から全く記憶がありません。基本的に酒の量は調節できるタイプなので、次の日に何かあるからとなると控えめに飲むのですが。今日一緒にかに食べに行くはずだったみなさん、本当に申し訳ありませんでした。相当迷惑かけたと思います。

昨日はやけ酒に近い形で飲んでました。そしておぼろげながら祇園に引っ張られていったようなきがします。さらにおぼろげながら変な兄ちゃん達にからまれてたような気もします。携帯の発信歴を見ると意味不明の電話をしまくってます。どうやって帰ってきたのかわかりません。もっと言うならなぜこうして生きているのかもわかりません。22時まではとても楽しかったのを覚えてます。いつもの飲み屋でジョッパラーズと「じょっぱり」を飲みまくってました。人と人のつながりのありがたさです。こんなに楽しくつながれる人たちがいるのにうまくつながれない人たちもいるのはなんでなのでしょう。だめですね、ちょっと最近よわってます。というよりまだ酒が残ってます。こんな飲み方がまだできたんだと驚いてます。私もまた一つ経験を重ね年をとったんだなぁと感じます。自暴自棄はもうたくさんです。

帰ってくると前の自分はいなかった

2004-12-18 16:02:28 | 旅行
この1週間、ちょっと遠征にいってました。先週の土日は東海の名古屋市立大学にて感染症勉強会、その後つかの間の休息のつもりで金曜まで東京に滞在していたのです。

東海感染症は本当に楽しかったです。自分としては最後の感染症レクチャーにしようと意気込んでいったものの微妙に空回りしてしまったことをちょっと恥じています。ただこういったレクチャーは確かに、解りやすい、為になる、勉強になるものであって欲しいのですが、私にはそれよりももっと重視している視点があるのです。それは「すげぇ!こんな世界が、講義があるんだ!おれも勉強してみよう!」という本人の鼓舞を促すような講義がしたい、ということです。昔書いたライブ感にもつながるのですが、結局勉強は本人がしなければ身につきません。それをやってみたいと促すような講義、生(せい)の躍動感を取り戻す講義が出来れば少々意味がわからなくても、少々めちゃくちゃな講義でも構わないのではないかと。少しでもそうあってくれれば嬉しいです。(この前私の敬愛するNちゃんが感染症勉強会のそのすごい世界にハマってついて来てくれたと言ってくれた時はとても嬉しかったのです)医療もそうですよね。本人が生きる躍動感を取り戻すような医療が早くしてみたいのです。

さて、東海ではそこそこに大成功を収め、意気揚揚と何かしらの自信も感じながらそしてそれを支えてくれている周りのみんなの力を全身に感じ感謝しながら東京に向かったのです。ちょっとのんびりしたいなぁと、で夕方まではのんびりカフェで勉強したり観光したりして、それからは何人かの友人と遊んで帰ろうと。そして、それはそれは楽しい時間を過ごす事が出来たのです。ただ、最近ちょっと感じていたのですが、自分のテンションとその表現形式に何かしらの解離があってそのギャップを上手く埋められない自分がいるのです。そして今回は如実にそれが出てしまった。今思えば東京の自分は本当に自分だったのだろうか、とさえ思えてくるです。(多分そういう自分もいるのでしょうが)それは場所が及ぼす影響だったのでしょうか、それとも一緒にいた環境が及ぼした影響だったのかもしれません。上手く何かを表現できない自分がいた。何で心のテンポと表現するテンポにこんなに解離ができているのだろうと。

帰りの電車では珍しく不安定でした。なんだか自分を支えていたものがさっとなくなったかのような。鈍行でチンタラ帰る選択をとても後悔してしまいました。そういえば東京に行く前に持っていたあの自信と安定感はなんだったんだろう。基本的には何も状況は変わらないはずなのに。あいつらはどこへ消えてしまったのだろう。私は実はその答えをとっくに知っていいました。心の拠り所は余りに相対的なもの。支え、支えられるものはそこに「ある」のではなく関係性のみでしか与えられません。その事をすっかり忘れてしまっていたのでした。本当にアホですね!相変わらず。また今日から元気に飲みにいきます。ありがとう。

世はすべて無常である

2004-12-01 10:47:27 | 日記
永平寺にて道元禅師がおっしゃってました。この前も書いてたのですが、ライブの後の終わっていく静けさ、別れていく感じ。福井にて感染症レクチャーを終えて永平寺に向かい、この言葉を見たときに「あ~これこれ!これだわ、感じてたものは」とちょっと小躍りしちゃいました。そうですね。世の中はすべて無常です。でも私、無常観結構好きです。この感覚結構愛しちゃってます。禅師はそこから見えてくる何かまで追求なさってます。そういえばこの無常観から見えてくるもの、私にはまだわかりません。何かが始まる時必ず終わりが来ます。無常です。だからといって、じゃぁやらない!なんてことにはならないです。この無常をひたすら味わいたいです。ひたすら追求したいです。その先に見えてくるものはなんなのでしょうね。楽しみです。

それにしても道元って不敵な顔をしてるよなぁ。。こんな顔。こんな顔。系列としては足利義満系の。こういう顔ってすごくかっこいいよね。ちょっとねくらで現代だとオタク系ともとられかねない、なのに当時はバリバリ動いてる人たちに多い顔。脱力系なのにするどい目とオーラ。周りにも何人かいるなぁ。大学のN尾君とか、高校のI股君とか。ああいう顔って昔の人物画では結構多い。多分トレンドやったのかもね。ちょっと不細工な侍も、絵描きに「じゃぁおれ、義満系でお願い」みたいな。最近ああいう顔書ける漫画家とかちょっと見当たらないなぁ。あんまり流行り顔じゃないみたい。

ああいう感じの一見何考えてるか解らない、けど絶対すごい事考えてそうなオーラ。恐いですよね。僕はああいうタイプの人、カリウム系って呼んでます。カリウムって血中ではかるとたかだか3.7~4.8くらい。値も低ければ、正常値の範囲も狭い。ちょっとでもくるってくると結構ヤバイってなっちゃう。それは何でかというと本来カリウムは細胞内に大量にあって血中の濃度はその中からポロっとこぼれ落ちた値を拾っているだけなんです。だから見た目ちょっと値が狂うという事は細胞内ではすーごく変化があったという事。だからああいうタイプの人が何かちょっとした発言をしたときは要注意です。僕達が思っている以上の劇的な変化が内部で起こったのかもしれないのですから。

で、道元。そんなタイプの彼が三法眼蔵なんか書いてるわけでしょ。相当だよね。もう、周期性四肢麻痺が低K高K交互に来てるようなもんだよね。僕達常人には理解できない世界が細胞レベルでおきていそうな。