京都の通りは縦と横の碁盤目の様になっており、それぞれの通りには名前がついている。そして交差点はその通りをつなげた名前がつけられる事が多い。例えば烏丸通と四条通の交差点は四条烏丸と呼ばれるし、堀川通と丸太町通は堀川丸太町と呼ばれる。ところがどちらが先に呼ばれるのか、という問題は少々厄介で地元の人間でも間違うことがある。大まかには南北の通りが先に呼ばれることが多いのだが例外も多く先ほどの四条烏丸は四条が東西の通りである。どうやら通りには序列がありそうである。そこで京都の通りで相撲の番付を組んでみた。小学生のころ興味をもって自由研究した記憶があり、今回改めて勝っている(前に名前のある)方を上の番付にし、並べてみた。
西の横綱 西大路
東の横綱 東大路(東山)
ここは譲れないところで、どちらもそれなりに対戦が多くなおかつ全勝優勝。歴代最強の兄弟であり、東西大路時代を築いた。東大路は幕内入幕後四股名を東山に変えている。西大路は今出川、丸太町と対戦成績がなく、各々北野白梅町、円町、などと呼ばれ対戦を望む声が大きい。東大路に至っては北大路、今出川、四条と対戦成績がなく、高野、百万遍、祇園と呼ばれている。四条との対戦は好勝負になるとファンの間では期待されている。この様に対戦成績が残っておらず、別の名前になっているケースは他の力士の取組でも多々あり、大概は大一番になる可能性がある取組ばかりである。勝ち負けではなく、そのすばらしい試合内容に重きが置かれすぎたため、別の呼び名で呼ばれ試合結果はどうでもよくなったためにこうなったと分析をする専門家もいる。なお前頭にいる北大路とは兄弟ではないとされている。また北山は北大路と別の力士であり、四股名を変えたわけではない。
大関
天神川 葛野大路。西側の今勢いのある若い力士。しかし天神川は御池、三条、四条を撃破したものの前頭3枚目の五条に何故か敗北。(五条天神川)葛野大路に至っては前頭4枚目の小兵、高辻に負けるという取りこぼしがある。ただしバス停から物言いがつき、こちらは葛野大路高辻と葛野大路側に軍配をあげている。従ってこの取組は極めて微妙な勝負となっており、審議不十分であったと言われている。西側の南北部屋には若い大型力士がそろっており、古参の東西部屋を圧倒ている。ただし北側の東西部屋力士とは対戦成績がなく今後対戦があれば楽しみである。
このように若手の南北大通りがとにかく強く、上位を独占しており大相撲でいうところのモンゴル出身力士を彷彿とさせる。
関脇
九条 上位陣にどうしても勝てないが下位への取りこぼしがまったくないのが好印象。東西の通り部屋出身で初めての三役である。河原町、大宮、千本、御前など古参の南北部屋を撃破。古株の堅実な実力派はここで踏ん張っている。殊勲賞を何度か受賞。
十条 こちらも下位への取りこぼしがあまりない。ただし河原町には河原町十条と負けた取組があり、唯一の不覚である。実はこの十条、十両時代の四股名を鳥羽とよばれており、他の一条から九条の古参力士とは出身が違いまだ若い力士である。そのため派手な河原町戦では緊張があったとも言われている。
四条 派手な古参力士で、見た目もイケメンで通りのプリンスと呼ばれた。南北の大型力士にめっぽう強いのに何故か大宮より西側の平幕(御前、壬生川、西小路、葛野西)に取りこぼしまくるのが玉にキズ。小型力士が苦手なのかというとそうでもなく、堀川より東では無双である。派手な東場所での強さは際立つが、やや地味な西場所では負けるという気性のムラが上位進出を阻んでいるといえる。
小結
烏丸 京都相撲界の大黒柱的存在であり部屋の顔である。正統派のがっちり組んでからの寄り切り相撲をとる。四条との取組は史上最大の一番と言われ注目を浴びたが、四条への派手な応援を背に敗北を期した。古参で取組数も多いがとりこぼしはほとんどなく安定した能力を維持している。
大宮 南場所では強いがそれほど強い力士のいないはずの北場所が苦手で敗北が目立つ(北山、北大路、今出川、三条)。それもそのはずで、北場所時代は非常に痩せており貧弱な力士であったのだが、四条より南に来て体重を大幅に増やしたことで急に成績が伸びた。
前頭筆頭
東洞院 小型力士ながらかなりの実力者であり技巧派。古参の七条をも撃破している。しかしながら五条とは五条東洞院、東洞院五条とどちらにも軍配があがっており両者同体と判定された。九条、十条とは対戦成績なくどちらが強いかは不明。同レベルの軽量級力士の中では卓越した力を持っている。技のデパートとも評されており、今後の取組が楽しみである。技能賞を何度か獲得。
七条 下位への取りこぼしなく堅実。小柄な東洞院に何故か負けている。格から言えばもう少し上位でも良さそうだが。
前頭2枚目
堀川、最も大型の力士。本道一直線のつっぱりからの押し出しずもうである。玄以、今宮、紫明、寺之内など北場所の珍しい力士とも対戦がありすべて蹴散らしている。北から南まで広範囲の力士と対戦しており経験豊富。この力士、七条戦以後は油小路に道を譲るのだが、その油小路は八条、九条、十条にすべて敗北している。また北大路にも何故か敗北している。
河原町 こちらは派手な技で魅了するタイプ。容姿もよく人気力士の一人。南北の通り部屋にもかかわらず前頭にとどまっているのが不思議なくらい。その理由は四条、七条、九条兄弟にどうしても勝てないためだが、十条を撃破しておりこれは金星といって良いだろう。派手同士の対戦といえば四条との一戦であり、懸賞金は3周したとも言われている。
前頭3枚目
五条 大型力士で見た目は強そうだがこの位置に留まっている。大宮、天神川には勝利しており、堀川より西側での無双っぷりが目立つ。敢闘賞を何度か受賞している。西に弱く東に強い四条とは真逆の成績を見せている。
千本 北側は敵なしだが四条より南では体重を減らしてしまい急激に力を落とした。大宮とは逆のパターンをとった力士。
前頭4枚目
高辻 こちらも小型力士ながら強い。特に大関葛野大路を倒したと言われているが、前述の通り疑惑の一戦。四条、五条を倒している葛野西戦も制しており西場所でやや成績がよい。
三条 西の果てで横の通り同士の対決という極めて珍しい取り組みがあり、御池との一番で見事勝った。(三条御池)この力士は途中商店街の歩行者天国であったり、一方通行であったり、大通りであったりと様々な遍歴を経た異色力士でもある。
前頭5枚目
八条 この場所で安定。なかなか上位へ食い込めない。実はこの力士、西の果てで七条と東西同士の珍しい取組があったのだが、成績は伝わっていない。
西小路 西の若手力士の一人。五条、三条に負けたが御池、四条には勝っている。
前頭6枚目
白川 東の最果てにある。北山、北大路、今出川を撃破している。宝ヶ池、丸太町とは対戦しているが成績は伝わっていない。もう少し南側まで対戦していれば上位進出の可能性は高くなるが現在通りは丸太町止まりである。
今出川、北大路、北山
北側の大型力士3人。大型南北の通りにはどうしても勝てず全敗。小型力士にはそつのない相撲で勝利。北大路は堀川には勝利している。
前頭7枚目
丸太町 今出川と対戦成績はほぼ同じだがまだ痩せていた時期の大宮に負けており、(大宮丸太町)これは不覚であった。大宮はこの対戦を期に体重を増やしてゆき小結まで上り詰めており、好調のきっかけを与えてしまった一戦と言える。
高倉、寺町、室町
小さい古参力士3人衆。御池、二条に勝っており、小さいながら頑張っている。高倉は不覚にも六角に負けている。
前頭8枚目
二条 条兄弟の中では細身の部類だが以下の力士を倒しており東西の細い力士としては頑張っている。
富小路、御幸町、麩屋町、西洞院、新町、柳馬場、西洞院
いわゆる烏丸と河原町の間の一群。いずれも二条に勝てない。西洞院は東洞院の弟と言われているが、兄には到底及ばない。もともと平安時代には東西そろった大力士であったようで、今で言う東大路、西大路の役割を担っていたようだが、時代とともに体重を落としており、現在の位置にいる。その意味では兄東洞院はこの一群メンバーだったのだが稽古の虫といわれ頑張り一人抜けだした。
前頭9枚目
六角 高倉には勝っているが。前頭8枚目の一群に太刀打ちできず。
堺町 本来は前頭8枚目一群にいるべき力士だが、六角に負けているためこの位置
前頭10枚目
御池 超大型力士だがまだ若いためか取りこぼしが多く、この位置に留まっている。重量級過ぎて小兵力士の動きについていけないという弱点がある。また東西の通り同士の三条に負けたという珍事も忘れられない。
御前 西にいるだけのことはあり、四条への対策は万全で倒している。
番外
もっとも北に部屋を持つ宝ヶ池は対戦が少なく番付外。久世橋も烏丸、新町、大宮、油小路、御前、千本を倒しているが今回は京都中心部から外れる力士のため番付外とした。
西の横綱 西大路
東の横綱 東大路(東山)
ここは譲れないところで、どちらもそれなりに対戦が多くなおかつ全勝優勝。歴代最強の兄弟であり、東西大路時代を築いた。東大路は幕内入幕後四股名を東山に変えている。西大路は今出川、丸太町と対戦成績がなく、各々北野白梅町、円町、などと呼ばれ対戦を望む声が大きい。東大路に至っては北大路、今出川、四条と対戦成績がなく、高野、百万遍、祇園と呼ばれている。四条との対戦は好勝負になるとファンの間では期待されている。この様に対戦成績が残っておらず、別の名前になっているケースは他の力士の取組でも多々あり、大概は大一番になる可能性がある取組ばかりである。勝ち負けではなく、そのすばらしい試合内容に重きが置かれすぎたため、別の呼び名で呼ばれ試合結果はどうでもよくなったためにこうなったと分析をする専門家もいる。なお前頭にいる北大路とは兄弟ではないとされている。また北山は北大路と別の力士であり、四股名を変えたわけではない。
大関
天神川 葛野大路。西側の今勢いのある若い力士。しかし天神川は御池、三条、四条を撃破したものの前頭3枚目の五条に何故か敗北。(五条天神川)葛野大路に至っては前頭4枚目の小兵、高辻に負けるという取りこぼしがある。ただしバス停から物言いがつき、こちらは葛野大路高辻と葛野大路側に軍配をあげている。従ってこの取組は極めて微妙な勝負となっており、審議不十分であったと言われている。西側の南北部屋には若い大型力士がそろっており、古参の東西部屋を圧倒ている。ただし北側の東西部屋力士とは対戦成績がなく今後対戦があれば楽しみである。
このように若手の南北大通りがとにかく強く、上位を独占しており大相撲でいうところのモンゴル出身力士を彷彿とさせる。
関脇
九条 上位陣にどうしても勝てないが下位への取りこぼしがまったくないのが好印象。東西の通り部屋出身で初めての三役である。河原町、大宮、千本、御前など古参の南北部屋を撃破。古株の堅実な実力派はここで踏ん張っている。殊勲賞を何度か受賞。
十条 こちらも下位への取りこぼしがあまりない。ただし河原町には河原町十条と負けた取組があり、唯一の不覚である。実はこの十条、十両時代の四股名を鳥羽とよばれており、他の一条から九条の古参力士とは出身が違いまだ若い力士である。そのため派手な河原町戦では緊張があったとも言われている。
四条 派手な古参力士で、見た目もイケメンで通りのプリンスと呼ばれた。南北の大型力士にめっぽう強いのに何故か大宮より西側の平幕(御前、壬生川、西小路、葛野西)に取りこぼしまくるのが玉にキズ。小型力士が苦手なのかというとそうでもなく、堀川より東では無双である。派手な東場所での強さは際立つが、やや地味な西場所では負けるという気性のムラが上位進出を阻んでいるといえる。
小結
烏丸 京都相撲界の大黒柱的存在であり部屋の顔である。正統派のがっちり組んでからの寄り切り相撲をとる。四条との取組は史上最大の一番と言われ注目を浴びたが、四条への派手な応援を背に敗北を期した。古参で取組数も多いがとりこぼしはほとんどなく安定した能力を維持している。
大宮 南場所では強いがそれほど強い力士のいないはずの北場所が苦手で敗北が目立つ(北山、北大路、今出川、三条)。それもそのはずで、北場所時代は非常に痩せており貧弱な力士であったのだが、四条より南に来て体重を大幅に増やしたことで急に成績が伸びた。
前頭筆頭
東洞院 小型力士ながらかなりの実力者であり技巧派。古参の七条をも撃破している。しかしながら五条とは五条東洞院、東洞院五条とどちらにも軍配があがっており両者同体と判定された。九条、十条とは対戦成績なくどちらが強いかは不明。同レベルの軽量級力士の中では卓越した力を持っている。技のデパートとも評されており、今後の取組が楽しみである。技能賞を何度か獲得。
七条 下位への取りこぼしなく堅実。小柄な東洞院に何故か負けている。格から言えばもう少し上位でも良さそうだが。
前頭2枚目
堀川、最も大型の力士。本道一直線のつっぱりからの押し出しずもうである。玄以、今宮、紫明、寺之内など北場所の珍しい力士とも対戦がありすべて蹴散らしている。北から南まで広範囲の力士と対戦しており経験豊富。この力士、七条戦以後は油小路に道を譲るのだが、その油小路は八条、九条、十条にすべて敗北している。また北大路にも何故か敗北している。
河原町 こちらは派手な技で魅了するタイプ。容姿もよく人気力士の一人。南北の通り部屋にもかかわらず前頭にとどまっているのが不思議なくらい。その理由は四条、七条、九条兄弟にどうしても勝てないためだが、十条を撃破しておりこれは金星といって良いだろう。派手同士の対戦といえば四条との一戦であり、懸賞金は3周したとも言われている。
前頭3枚目
五条 大型力士で見た目は強そうだがこの位置に留まっている。大宮、天神川には勝利しており、堀川より西側での無双っぷりが目立つ。敢闘賞を何度か受賞している。西に弱く東に強い四条とは真逆の成績を見せている。
千本 北側は敵なしだが四条より南では体重を減らしてしまい急激に力を落とした。大宮とは逆のパターンをとった力士。
前頭4枚目
高辻 こちらも小型力士ながら強い。特に大関葛野大路を倒したと言われているが、前述の通り疑惑の一戦。四条、五条を倒している葛野西戦も制しており西場所でやや成績がよい。
三条 西の果てで横の通り同士の対決という極めて珍しい取り組みがあり、御池との一番で見事勝った。(三条御池)この力士は途中商店街の歩行者天国であったり、一方通行であったり、大通りであったりと様々な遍歴を経た異色力士でもある。
前頭5枚目
八条 この場所で安定。なかなか上位へ食い込めない。実はこの力士、西の果てで七条と東西同士の珍しい取組があったのだが、成績は伝わっていない。
西小路 西の若手力士の一人。五条、三条に負けたが御池、四条には勝っている。
前頭6枚目
白川 東の最果てにある。北山、北大路、今出川を撃破している。宝ヶ池、丸太町とは対戦しているが成績は伝わっていない。もう少し南側まで対戦していれば上位進出の可能性は高くなるが現在通りは丸太町止まりである。
今出川、北大路、北山
北側の大型力士3人。大型南北の通りにはどうしても勝てず全敗。小型力士にはそつのない相撲で勝利。北大路は堀川には勝利している。
前頭7枚目
丸太町 今出川と対戦成績はほぼ同じだがまだ痩せていた時期の大宮に負けており、(大宮丸太町)これは不覚であった。大宮はこの対戦を期に体重を増やしてゆき小結まで上り詰めており、好調のきっかけを与えてしまった一戦と言える。
高倉、寺町、室町
小さい古参力士3人衆。御池、二条に勝っており、小さいながら頑張っている。高倉は不覚にも六角に負けている。
前頭8枚目
二条 条兄弟の中では細身の部類だが以下の力士を倒しており東西の細い力士としては頑張っている。
富小路、御幸町、麩屋町、西洞院、新町、柳馬場、西洞院
いわゆる烏丸と河原町の間の一群。いずれも二条に勝てない。西洞院は東洞院の弟と言われているが、兄には到底及ばない。もともと平安時代には東西そろった大力士であったようで、今で言う東大路、西大路の役割を担っていたようだが、時代とともに体重を落としており、現在の位置にいる。その意味では兄東洞院はこの一群メンバーだったのだが稽古の虫といわれ頑張り一人抜けだした。
前頭9枚目
六角 高倉には勝っているが。前頭8枚目の一群に太刀打ちできず。
堺町 本来は前頭8枚目一群にいるべき力士だが、六角に負けているためこの位置
前頭10枚目
御池 超大型力士だがまだ若いためか取りこぼしが多く、この位置に留まっている。重量級過ぎて小兵力士の動きについていけないという弱点がある。また東西の通り同士の三条に負けたという珍事も忘れられない。
御前 西にいるだけのことはあり、四条への対策は万全で倒している。
番外
もっとも北に部屋を持つ宝ヶ池は対戦が少なく番付外。久世橋も烏丸、新町、大宮、油小路、御前、千本を倒しているが今回は京都中心部から外れる力士のため番付外とした。
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