某O病院のO先生による感染症セミナーが遂に幕を閉じた。この夏はこの感染症と病院実習と試験でほとんど全て潰れた。忙しくて充実はしていたが思い出してみれば夏の薫りはよみがえってこなかったなぁ。かろうじて思い出される薫りは秋田と富山で堪能した薫りだろうか。例年の夏はこの京都でもそれなりに夏を全身で実感できる過ごし方をしてきただけにすごく意外であった。こんなに遅い夏の終わりだというのに。
そういう視点で思い起こせばこの春はすばらしい春であった。国試に落ちてから私は延々壬生狂言に通いつづけた。初めて見にいったのだがあまりに素晴らしくて。今でもあの映像、音を思い出せば春の薫りまでしっかりついてくる。全身で全てをうけとめていたのだろう。こういう集中感がとても好きである。頭の中でいろんなものを感じながらいろんな発想が次々と浮かんでは消える、その場限りの思想の流れ。
充実した夏ではあった。が、随分疲れてしまった。その理由は全体を感じる集中感でなく、一部に入れ込んだ集中感を使いすぎたからかもしれない。できうるならば季節までしっかり感じ取れる医師に私はなりたい。そうでなければ見逃すものがあまりに多くなってしまう気がするのだ。
そういう視点で思い起こせばこの春はすばらしい春であった。国試に落ちてから私は延々壬生狂言に通いつづけた。初めて見にいったのだがあまりに素晴らしくて。今でもあの映像、音を思い出せば春の薫りまでしっかりついてくる。全身で全てをうけとめていたのだろう。こういう集中感がとても好きである。頭の中でいろんなものを感じながらいろんな発想が次々と浮かんでは消える、その場限りの思想の流れ。
充実した夏ではあった。が、随分疲れてしまった。その理由は全体を感じる集中感でなく、一部に入れ込んだ集中感を使いすぎたからかもしれない。できうるならば季節までしっかり感じ取れる医師に私はなりたい。そうでなければ見逃すものがあまりに多くなってしまう気がするのだ。