SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

院長辞任

2024-01-06 09:38:00 | 日記

今どきの若い生徒の
憧れの作曲家は
ラヴェルのようで
3人がそれぞれ
練習を初めています。

   ✨✨✨✨✨


モ―リス・ラヴェル
(1875−1937)

スペイン国境に近い
漁村シブ―ルに
生まれました。

父はスイス生まれの
著名なエンジニアで
深い教養の持ち主。
母のマリ―は
鋭い美的感覚を持つ
バスク人でした。

父が幼いラヴェルの
才能を見抜いて
早くから
高度な音楽教育を
受けさせました。

7歳でパリでも有数の
ピアノ教師に習い
9歳で作曲の勉強を
はじめます。

14歳で
パリ音楽院に入学
フォーレに作曲を
学びました。
在学中に
「古風なメヌエット」や
「亡き王女のための
パヴァーヌ」などを
発表して
注目を集めます。
1901年にロ―マ賞に応募
しましたが2位でした。
翌年とその翌年は
最終選考に残ることなく
3回続けて落選し
1905年
年齢制限ギリギリの
最後のチャンスも
審査員側は
前衛的すぎると
応募さえ
認めませんでした。
ラヴェルが
異端児サティに心酔
していることや
彼の大胆な和声や
斬新な色彩感覚が
音楽界の長老たちに
受け入れられ
なかったのです。

このような事態を
ジャ―ナリズムは
見過ごすことはなく
新聞が一斉に
報じたことにより
国民からも
ラヴェル擁護の声が
巻きおこります。
ついに
パリ音楽院に
非難が集中し
院長は責任を取り
辞職しました。
これが有名な
ラヴェル事件です。

彼の知名度は
かえってあがり
新進作曲家としての
地位を築くことに
なったのです。