11月17日、市民ネットワーク千葉県20周年記念シンポジウムが幕張メッセで行われた。
テーマは「市民力で動かす政治 ~私たちは何を選択するのか~」
パネラーは秋葉忠利前広島市長、山口二郎北海道大学教授、上原公子元国立市長。
国会ではちょうど衆議院が解散し、激動の真っただ中でのタイムリーな開催となった。
三人の方々からの発信もとても示唆に富み、ぴか一の企画だった。
そして、県ネットから発表された「私たちのエネルギー政策」は、パブリックコメントを募集し大勢の方から寄せられた意見を反映した力作。
原発なくても大丈夫、再生可能エネルギーで産業構造の転換を、という内容だったが、県ネット政策室(政策室長は大野ひろみ)の力技、私たちのドイツデンマーク視察も大いに反映しています。
シンポジウム
秋葉忠利さんからは、
広島市長時代千葉県の堂本知事が作った「障がいのある人もない人も共に暮らす千葉県づくり条例」を広島市でも実現させたという事だった。
→堂本知事時代は福祉の面でも進んでいたのに、森田知事になって福祉も後退し続け見る影もない千葉県。
秋葉さんからは、パラダイムの転換について語られた。
山から平地へ。右肩上がりの社会ではなく、山から下りてくると平地になる。
国家ではなく都市を考える。都市は軍隊を持っていない。
イデオロギーから人間社会へ。核廃絶を。
専門家から市民へ。世界の大多数の国民は脱原発を望んでいる。
パートナー同志平地を基にした枠組みで考える。
民主主義とは平和を実現するために作られた。人類史の中で戦争を放棄した。
被爆体験は日本国憲法に影響を与えている。和解の哲学に達した。
→さすが平和市長として活躍されてきただけあり、とても暖かい気持ちになる魅力にあふれた社会論が語られた。
そして多様性を表す言葉として、パッチワークキルトのたとえが出てきた。
都市の活力は多様な人々が生きる社会である。
共通の一片を見つけることが大事である。
上原公子さんからは、
原発事故が起こり、幸せってなんだったろうと考えた。
日常生活の当たり前の生活こそ幸せではないか。
東日本以北の日本人はそれをはっきりと認識したが、西日本の人はどうだろうか?
イメージできることが日常の暮らしの大事さではないだろうか。
現在、脱原発首長会議に名前を連ねている首長は80人。
原発立地市町村で原発と共存できないことを明確に打ち出したことは、大変難しい選択のはず。
原発事故を起こし、リスクだけを子どもたちに残してしまった。
福島では、「来てくれるのはうれしいけど、放射能の事は言ってくれるな。
聞きたくない、言いたくない。避難した人と、残った人がせめぎ合う。
九州の野菜を使った保育園へ、農家から抗議が寄せられた」現実がある。
今、お任せ民主主義ではだめと市民が気が付いている。
憲法25条 生存権、26条 教育の権利、27条 労働の権利である。
人間の幸せ、文化的生活を表している。
今までは経済効率を求めて来たけれど、これからは地域に合ったエネルギー政策を自治体が作り出していく時代。
持続可能エネルギーは地域資源を上手に使って、自然と付き合って産業を作り出す。
たとえば、公共施設の屋根を貸し出して、市民ファンドでエネルギーを作り出すことができる。
ドイツでは雇用が3万人から40万人に増えた。
→さすが上原さん。
脱原発首長会議の事務局長として、活躍されているだけあり、福島の人々の苦しみ、原発立地自治体首長たちが発信し続けている立場、気持ちがひしひしと伝わってきました。
山口二郎さんは今の政治状況から、
市民自治の危うさとして、民主主義を破壊する者たちも民意を振りかざす。(ハシモトのように)
せめぎあいが起こっている。
議論することに飽きてきて、決められないフラストレーションがたまってきている。
第三勢力は既存勢力の破壊をめざしている=民主主義の破壊行動。
メディアを使ってフラストレーションをあおり、リセットを求める。
ステレオタイプをふりまいている。たとえば公務員バッシングで決めつけて、やっつける。
ステレオタイプを疑う必要がある。
それには根っこの部分の民主主義を強化する必要がある。
私たち市民ネットのような中間団体が民意を束ねると有効だが、一つ一つの原子状態が生まれるとナショナリスト(=ハシズム)が喝采される。
市民ネットは中間団体として頑張ってほしい。
→とエールを送られました。
憲法九条の改悪と脱原発は最優先課題である。消費税もTPPも後から何とかなるが、九条と原発は後戻りすれば手遅れになる。
と選挙に向けたメッセージが山口二郎さんから発せられました。
これは会場に集まった私たちみんなの気持ちでもあったはずです。
テーマは「市民力で動かす政治 ~私たちは何を選択するのか~」
パネラーは秋葉忠利前広島市長、山口二郎北海道大学教授、上原公子元国立市長。
国会ではちょうど衆議院が解散し、激動の真っただ中でのタイムリーな開催となった。
三人の方々からの発信もとても示唆に富み、ぴか一の企画だった。
そして、県ネットから発表された「私たちのエネルギー政策」は、パブリックコメントを募集し大勢の方から寄せられた意見を反映した力作。
原発なくても大丈夫、再生可能エネルギーで産業構造の転換を、という内容だったが、県ネット政策室(政策室長は大野ひろみ)の力技、私たちのドイツデンマーク視察も大いに反映しています。
シンポジウム
秋葉忠利さんからは、
広島市長時代千葉県の堂本知事が作った「障がいのある人もない人も共に暮らす千葉県づくり条例」を広島市でも実現させたという事だった。
→堂本知事時代は福祉の面でも進んでいたのに、森田知事になって福祉も後退し続け見る影もない千葉県。
秋葉さんからは、パラダイムの転換について語られた。
山から平地へ。右肩上がりの社会ではなく、山から下りてくると平地になる。
国家ではなく都市を考える。都市は軍隊を持っていない。
イデオロギーから人間社会へ。核廃絶を。
専門家から市民へ。世界の大多数の国民は脱原発を望んでいる。
パートナー同志平地を基にした枠組みで考える。
民主主義とは平和を実現するために作られた。人類史の中で戦争を放棄した。
被爆体験は日本国憲法に影響を与えている。和解の哲学に達した。
→さすが平和市長として活躍されてきただけあり、とても暖かい気持ちになる魅力にあふれた社会論が語られた。
そして多様性を表す言葉として、パッチワークキルトのたとえが出てきた。
都市の活力は多様な人々が生きる社会である。
共通の一片を見つけることが大事である。
上原公子さんからは、
原発事故が起こり、幸せってなんだったろうと考えた。
日常生活の当たり前の生活こそ幸せではないか。
東日本以北の日本人はそれをはっきりと認識したが、西日本の人はどうだろうか?
イメージできることが日常の暮らしの大事さではないだろうか。
現在、脱原発首長会議に名前を連ねている首長は80人。
原発立地市町村で原発と共存できないことを明確に打ち出したことは、大変難しい選択のはず。
原発事故を起こし、リスクだけを子どもたちに残してしまった。
福島では、「来てくれるのはうれしいけど、放射能の事は言ってくれるな。
聞きたくない、言いたくない。避難した人と、残った人がせめぎ合う。
九州の野菜を使った保育園へ、農家から抗議が寄せられた」現実がある。
今、お任せ民主主義ではだめと市民が気が付いている。
憲法25条 生存権、26条 教育の権利、27条 労働の権利である。
人間の幸せ、文化的生活を表している。
今までは経済効率を求めて来たけれど、これからは地域に合ったエネルギー政策を自治体が作り出していく時代。
持続可能エネルギーは地域資源を上手に使って、自然と付き合って産業を作り出す。
たとえば、公共施設の屋根を貸し出して、市民ファンドでエネルギーを作り出すことができる。
ドイツでは雇用が3万人から40万人に増えた。
→さすが上原さん。
脱原発首長会議の事務局長として、活躍されているだけあり、福島の人々の苦しみ、原発立地自治体首長たちが発信し続けている立場、気持ちがひしひしと伝わってきました。
山口二郎さんは今の政治状況から、
市民自治の危うさとして、民主主義を破壊する者たちも民意を振りかざす。(ハシモトのように)
せめぎあいが起こっている。
議論することに飽きてきて、決められないフラストレーションがたまってきている。
第三勢力は既存勢力の破壊をめざしている=民主主義の破壊行動。
メディアを使ってフラストレーションをあおり、リセットを求める。
ステレオタイプをふりまいている。たとえば公務員バッシングで決めつけて、やっつける。
ステレオタイプを疑う必要がある。
それには根っこの部分の民主主義を強化する必要がある。
私たち市民ネットのような中間団体が民意を束ねると有効だが、一つ一つの原子状態が生まれるとナショナリスト(=ハシズム)が喝采される。
市民ネットは中間団体として頑張ってほしい。
→とエールを送られました。
憲法九条の改悪と脱原発は最優先課題である。消費税もTPPも後から何とかなるが、九条と原発は後戻りすれば手遅れになる。
と選挙に向けたメッセージが山口二郎さんから発せられました。
これは会場に集まった私たちみんなの気持ちでもあったはずです。