亀戸で行われた福島原発告訴説明会。
大勢の人が集まった。
武藤類子さんから、あまりにも人命が軽んじられている福島の現状が語られましたが、福島だけの問題ではなく、私たちの問題です。
武藤類子さんからのメッセージ*****************
本年6月11日、1324人の福島県民は「福島原発事故の責任を問う」告訴を行いました。
事故により日常を奪われ、人権を踏みにじられた者たちが力を一つに合わせ、怒りの声をあげました。
現在2号機の放射線量の高い所は1時間当たり73シーベルトもあります。
7シーベルトの所では20分で死ぬという値の10倍です。
また4号機には1500本以上の使用済み核燃料が、危ない状態で放置されています。
原発事故の関連死はないと言われていますが、自殺者がいることは知られていません。
そして情報隠しによる被害は深刻です。
事故後、SPEEDIの情報を出さず、県は安全キャンペーンを行っていました。
そして、放射線リスク安全委員会は年間100ミリシーベルトまで大丈夫として、いわき市から講演会を開始したのです。
専門家の言うことだからと人々は信じて、子どもたちは給水車や食品の配給の列に親と長時間並び、無用の被ばくをしてしまいました。
放射線の基準値を年間20ミリシーベルトに上げてしまい、反対運動で何とか年間1ミリシーベルトをめざすところまではいったが、まだ高い基準値のままです。
事故直後、70万人分の安定ヨウ素剤は県庁の廊下にまであふれていましたが、自治体は県の指示により飲むことになっているので、そのままになっていました。
3/14に3号機の爆発し、3/15には10ミリシーベルトのブルームがきました。
三春町では自治体独自の判断で安定ヨウ素剤を配布し、対応しました。
(三春町の取り組みがNHKの番組に取り上げられていましたが、その時県職員は「だれの指示で配布しているか」「即刻回収しろ」と指示し、町の職員と押し問答をしています)
現在、川内村では20kmに3000人の作業員を配置し除染活動をしています。
帰村宣言を出して全戸除染をしました。
人家から20m以内の木を伐採し、表土5cmを剥ぎ、土を入れ替えましたが、それでも家の玄関では1.4マイクロシーベルト。
除染土を入れたフレコンは4マイクロシーベルトもあります。
大熊町に中間保管として搬入予定です。
3000人の除染作業員のうち70%が被災者で、使い捨ての薄いマスクと軍手、ゴム手袋を支給されるだけです。
なんと不条理なことでしょうか。
事故から1年たち終息宣言後、復興という名のもと、子どもたちの鼓笛隊パレード、幼児のマラソン、子ども祭りが行われました。
また、大人はラーメン祭り、ビール祭りです。
4月から学校では子どもたちは外で活動できる3時間ルールが解除されてしまいました。
プールサイドで1マイクロシーベルトだったらプールが使えるということだが、清掃しても線量の高い所があるため、なんと、ゴムマットの上に鉄板を敷き、その上にまたゴムマットを引いて人工芝を置くという状況でプール授業をしたとか。
また伊達市へ大阪の子どもたちを呼んで桃の食べ放題のイベントがあり、それは止めたけど、代わりに大学生が来てイベントが行われたということです。
今福島では原発事故の放射能被害は風化させられています。
IAEAが福島に常駐し、新聞報道の通り甲状腺検査に秘密会議がありました。
しかし、市民同士の分断させられ対立するのではなく、同じ方向に向かいやっていきたいと思います。
使用済み核燃料の問題、食物による放射能汚染は広がっています。
原発はウラン採掘から発電まで、被曝は避けられないエネルギーです。
私たちは原発事故をきっかけに、日本の国の在り方、原子力行政の在り方を、それぞれ自分の問題として取り組んでもらいたいと思います。
大勢の人が集まった。
武藤類子さんから、あまりにも人命が軽んじられている福島の現状が語られましたが、福島だけの問題ではなく、私たちの問題です。
武藤類子さんからのメッセージ*****************
本年6月11日、1324人の福島県民は「福島原発事故の責任を問う」告訴を行いました。
事故により日常を奪われ、人権を踏みにじられた者たちが力を一つに合わせ、怒りの声をあげました。
現在2号機の放射線量の高い所は1時間当たり73シーベルトもあります。
7シーベルトの所では20分で死ぬという値の10倍です。
また4号機には1500本以上の使用済み核燃料が、危ない状態で放置されています。
原発事故の関連死はないと言われていますが、自殺者がいることは知られていません。
そして情報隠しによる被害は深刻です。
事故後、SPEEDIの情報を出さず、県は安全キャンペーンを行っていました。
そして、放射線リスク安全委員会は年間100ミリシーベルトまで大丈夫として、いわき市から講演会を開始したのです。
専門家の言うことだからと人々は信じて、子どもたちは給水車や食品の配給の列に親と長時間並び、無用の被ばくをしてしまいました。
放射線の基準値を年間20ミリシーベルトに上げてしまい、反対運動で何とか年間1ミリシーベルトをめざすところまではいったが、まだ高い基準値のままです。
事故直後、70万人分の安定ヨウ素剤は県庁の廊下にまであふれていましたが、自治体は県の指示により飲むことになっているので、そのままになっていました。
3/14に3号機の爆発し、3/15には10ミリシーベルトのブルームがきました。
三春町では自治体独自の判断で安定ヨウ素剤を配布し、対応しました。
(三春町の取り組みがNHKの番組に取り上げられていましたが、その時県職員は「だれの指示で配布しているか」「即刻回収しろ」と指示し、町の職員と押し問答をしています)
現在、川内村では20kmに3000人の作業員を配置し除染活動をしています。
帰村宣言を出して全戸除染をしました。
人家から20m以内の木を伐採し、表土5cmを剥ぎ、土を入れ替えましたが、それでも家の玄関では1.4マイクロシーベルト。
除染土を入れたフレコンは4マイクロシーベルトもあります。
大熊町に中間保管として搬入予定です。
3000人の除染作業員のうち70%が被災者で、使い捨ての薄いマスクと軍手、ゴム手袋を支給されるだけです。
なんと不条理なことでしょうか。
事故から1年たち終息宣言後、復興という名のもと、子どもたちの鼓笛隊パレード、幼児のマラソン、子ども祭りが行われました。
また、大人はラーメン祭り、ビール祭りです。
4月から学校では子どもたちは外で活動できる3時間ルールが解除されてしまいました。
プールサイドで1マイクロシーベルトだったらプールが使えるということだが、清掃しても線量の高い所があるため、なんと、ゴムマットの上に鉄板を敷き、その上にまたゴムマットを引いて人工芝を置くという状況でプール授業をしたとか。
また伊達市へ大阪の子どもたちを呼んで桃の食べ放題のイベントがあり、それは止めたけど、代わりに大学生が来てイベントが行われたということです。
今福島では原発事故の放射能被害は風化させられています。
IAEAが福島に常駐し、新聞報道の通り甲状腺検査に秘密会議がありました。
しかし、市民同士の分断させられ対立するのではなく、同じ方向に向かいやっていきたいと思います。
使用済み核燃料の問題、食物による放射能汚染は広がっています。
原発はウラン採掘から発電まで、被曝は避けられないエネルギーです。
私たちは原発事故をきっかけに、日本の国の在り方、原子力行政の在り方を、それぞれ自分の問題として取り組んでもらいたいと思います。