皆さん、いつも有難うございます♪
桑田真澄さんのエピソード集、続きをシェアします^^
★ノーヒットノーランに抑えられた中日の近藤真一投手から、巨人で初安打を放ったのは桑田である。
レフトスタンドへの本塁打だった。
★打撃に関しては本人も自信があるのか、シーズン前のインタビューで今年の目標を尋ねられた際に
「打率2割5分、本塁打 10本」と力強く答え、インタビュアーは冗談とも本気ともとれずに困惑したことがある。
★青田昇は生前桑田の打力を高く評価しており、「打者としても清原以上に成功する可能性があった。
プロに入って最初から野手でやっていたら3割3分、 30本塁打は打てただろう。
( 1995年の故障以後に)打者に転向しても、2割8分で 20本ならいけたと思う」と語っていた。
★高校時代の同級生である清原和博と併せて「 KKコンビ」と呼ばれる。
同級生の2人の選手が共に 20年現役を続けたのは史上初である。
★ドラフトでのトラブル以来、仲が悪くなってしまったといわれた清原との関係は、プロ入り後もしばしば連絡を取り合っており、険悪な関係ではない。
★オールスターゲームや西武 vs 巨人の日本シリーズでの清原との対決は「KK対決」と呼ばれ、大きな注目を集めた。
清原との対決について桑田は
「日本シリーズという大事な舞台での登板なんですけど、清原と対戦する時だけは申し訳ないけどチームの勝敗がどうなるかは一切考えずに、清原との勝負の事だけに集中する」と語っている。
事実、 1994年の日本シリーズでの清原との対決では、ド真ん中への直球で真っ向勝負してホームランを打たれている。
★引退後も週2回のジム通いのほか、ピッチングを欠かさず続けている。
この裏にはリハビリ後の清原のバッティングピッチャーをぜひ務めたいという思いがあり、そのためにもプロのレベルを維持しているという。
★1995年の右肘手術後、投球練習もままならない桑田は、清原から
「お前が本当に使いモンにならんようになったら、ワシが最初にお前にいうたる」と激励を受け、涙したという・・・
★手術後、ボールが投げられない期間が続いたが
「ボールは投げられなくても、下半身は鍛えられる」とジャイアンツ球場の外野を走り続けた。
桑田が走り続けた部分は芝が剥げ上がり、「桑田ロード」と呼ばれるようになった☆
桑田真澄さんのエピソード集、続きをシェアします^^
★ノーヒットノーランに抑えられた中日の近藤真一投手から、巨人で初安打を放ったのは桑田である。
レフトスタンドへの本塁打だった。
★打撃に関しては本人も自信があるのか、シーズン前のインタビューで今年の目標を尋ねられた際に
「打率2割5分、本塁打 10本」と力強く答え、インタビュアーは冗談とも本気ともとれずに困惑したことがある。
★青田昇は生前桑田の打力を高く評価しており、「打者としても清原以上に成功する可能性があった。
プロに入って最初から野手でやっていたら3割3分、 30本塁打は打てただろう。
( 1995年の故障以後に)打者に転向しても、2割8分で 20本ならいけたと思う」と語っていた。
★高校時代の同級生である清原和博と併せて「 KKコンビ」と呼ばれる。
同級生の2人の選手が共に 20年現役を続けたのは史上初である。
★ドラフトでのトラブル以来、仲が悪くなってしまったといわれた清原との関係は、プロ入り後もしばしば連絡を取り合っており、険悪な関係ではない。
★オールスターゲームや西武 vs 巨人の日本シリーズでの清原との対決は「KK対決」と呼ばれ、大きな注目を集めた。
清原との対決について桑田は
「日本シリーズという大事な舞台での登板なんですけど、清原と対戦する時だけは申し訳ないけどチームの勝敗がどうなるかは一切考えずに、清原との勝負の事だけに集中する」と語っている。
事実、 1994年の日本シリーズでの清原との対決では、ド真ん中への直球で真っ向勝負してホームランを打たれている。
★引退後も週2回のジム通いのほか、ピッチングを欠かさず続けている。
この裏にはリハビリ後の清原のバッティングピッチャーをぜひ務めたいという思いがあり、そのためにもプロのレベルを維持しているという。
★1995年の右肘手術後、投球練習もままならない桑田は、清原から
「お前が本当に使いモンにならんようになったら、ワシが最初にお前にいうたる」と激励を受け、涙したという・・・
★手術後、ボールが投げられない期間が続いたが
「ボールは投げられなくても、下半身は鍛えられる」とジャイアンツ球場の外野を走り続けた。
桑田が走り続けた部分は芝が剥げ上がり、「桑田ロード」と呼ばれるようになった☆