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試練が人を磨く!桑田真澄という生き方②

2009年01月09日 | スポーツ
皆さん、いつも有難うございます♪
桑田真澄さんのエピソード集、続きをシェアします^^

★ノーヒットノーランに抑えられた中日の近藤真一投手から、巨人で初安打を放ったのは桑田である。
レフトスタンドへの本塁打だった。

★打撃に関しては本人も自信があるのか、シーズン前のインタビューで今年の目標を尋ねられた際に
「打率2割5分、本塁打 10本」と力強く答え、インタビュアーは冗談とも本気ともとれずに困惑したことがある。

★青田昇は生前桑田の打力を高く評価しており、「打者としても清原以上に成功する可能性があった。
プロに入って最初から野手でやっていたら3割3分、 30本塁打は打てただろう。

( 1995年の故障以後に)打者に転向しても、2割8分で 20本ならいけたと思う」と語っていた。

★高校時代の同級生である清原和博と併せて「 KKコンビ」と呼ばれる。
同級生の2人の選手が共に 20年現役を続けたのは史上初である。

★ドラフトでのトラブル以来、仲が悪くなってしまったといわれた清原との関係は、プロ入り後もしばしば連絡を取り合っており、険悪な関係ではない。

★オールスターゲームや西武 vs 巨人の日本シリーズでの清原との対決は「KK対決」と呼ばれ、大きな注目を集めた。

清原との対決について桑田は
「日本シリーズという大事な舞台での登板なんですけど、清原と対戦する時だけは申し訳ないけどチームの勝敗がどうなるかは一切考えずに、清原との勝負の事だけに集中する」と語っている。

事実、 1994年の日本シリーズでの清原との対決では、ド真ん中への直球で真っ向勝負してホームランを打たれている。

★引退後も週2回のジム通いのほか、ピッチングを欠かさず続けている。
この裏にはリハビリ後の清原のバッティングピッチャーをぜひ務めたいという思いがあり、そのためにもプロのレベルを維持しているという。

★1995年の右肘手術後、投球練習もままならない桑田は、清原から
「お前が本当に使いモンにならんようになったら、ワシが最初にお前にいうたる」と激励を受け、涙したという・・・

★手術後、ボールが投げられない期間が続いたが
「ボールは投げられなくても、下半身は鍛えられる」とジャイアンツ球場の外野を走り続けた。

桑田が走り続けた部分は芝が剥げ上がり、「桑田ロード」と呼ばれるようになった☆

☆試練が人を磨く☆桑田真澄という生き方☆

2009年01月04日 | スポーツ
皆さん、いつも有難うございます♪

「結果は結果でしかない。
いかに努力したかというプロセスに比べたら、それはたいしたものではないと思う。

大切なのは、あくまでもプロセス。それは結果の上にあるものだ。

目標に向かって、いかに努力するか。その過程こそが、重要なのだ」
(桑田真澄・著「試練が人を磨く」より)

桑田さんの考え方、素晴らしいですね☆
桑田さんのエピソード集を頂いたので、シェアします^^

★趣味はピアノ、ワイン、英会話。英会話は独学で英語が喋れるまでに
なった。

★ウォーレン・クロマティやビル・ガリクソンとの交友が深く、特にガリクソンは息子のミドルネームに“クワタ”の名を付けたほど。

★自主トレは毎年、彼を慕う後輩らとともにオーストラリアのケアンズで行っている。
三澤興一や岡島秀樹など、桑田を慕ってともにトレーニングを行う選手は少なくないが、かつてその中には韓国人投手の趙成も居た。

趙も同じく右肘を手術した経験を持ち一時は自暴自棄にもなりかけたが、桑田から「リハビリをすれば必ず良くなるから」と促されトレーニングを続けた。

巨人ではその後僅か2勝しか出来ずに一度は引退したが、2005年シーズン中に韓国で現役復帰。
「桑田さんは尊敬できる人」と語っている。

★PL野球部の先輩で、大学時代に試合中に不慮の事故で首から下が不随になった清水哲の支援を、清原らとともに現在も続けている。

★1991年に義兄(当時、現 NPO法人「夢空間 21KIDSプロジェクト」代表理事)が莫大な借金をし、連帯保証人として桑田はその肩代わりをしていたが、 2002年の活躍でオーナー渡辺恒雄によって解決された。

★著書の中で、自分は様々な疑惑をかけられたが一切言い訳はしなかったし
それが自分の生き方であると述べている。

★頭脳的な投球術と日頃の静かな語り口調から、クールなイメージが持たれやすい桑田だが、その一方で自身の投手としての誇り、そして清原との対決については尋常ではないほど強気でプライドの高い一面を持っている。

代表的なものとして「打たれた球で勝負する」「一軍でリリーフ登板するよりも二軍での先発登板を選ぶ」などが挙げられる。

前者は、以前の対戦で安打を打たれている打者と対戦した時に、安打を打たれた球をウイニングショットに選ぶというもの。

これによって抑える事で相手に自分の気迫を見せ付けることが出来る一方、痛打をくらうこともある。
この強気な投球は清原との対決でも現れている。

後者は、少年時代からずっと先発投手一筋で投げてきた事に対する、強いこだわりが現れている。

★通算本塁打数は、 2006年終了時点における日本球界での現役の投手では川上憲伸と並んで1位!!
史上1位は金田正一の 36本(ただし投手として出場した時のみ)。

無事に感謝!明けましておめでとう^^

2009年01月02日 | Weblog
皆さん、いつも有難うございます♪

素晴らしい2009年がスタート!無事に新年を迎えられたこと、感謝イッパイです☆

最近は「試練が人を磨く 桑田真澄という生き方」という本を読んでいます。

「僕は何でも“有難うございました”なのだ。
僕はワンアウト取れたら“有難うございました”、そうやってボールとお喋りし続けた。

高校時代から僕はそうなのだ。感謝の気持ちというのを、僕は忘れたことがない。

僕が一番大切にしているのは、プロセスなんだ。必ず何年か後には、今やっていることがプラスになる」

不調だったシーズンも、感謝して練習と掃除を続けた桑田真澄さん。
僕も感謝イッパイで、できることを続けていきます☆

皆さんにとって、素晴らしい年でありますように!^^