笑う居候犬・・・ぶらり日記

保護犬の預かり記録です    

一言、いや二言、、とにかくモノ申す!!

2009年04月01日 | その他 ワンコ話

【はじめに】
今日はアタシ個人の意見、ウップン晴らしなので、
軽くスル~しちゃって下さい・・・



アタシはノーリードの飼い主にかなりうるさい。
見つければ、平気で怒鳴り飛ばすし、そういうヤカラとはしっかりと線を引いている。
家の目の前が多摩川緑地という事もあり、バカみたいに犬を放すヤカラが多いのです。
区の行政センターに何度もかけ合い、区も多少なりではあるが行動をしてくれている。

先月3月13日、譲渡の会ブログ  ここをクリック
会スタッフ様の苦悩に私も心がシクシクした。

ではどうして犬を放してはいけないのか。
まず、訓練していようが人がいなかろうがなんだろうがドッグラン以外の公共の場所で犬を放すという行為は禁止されている。
アタシ自身がノーリードにうるさい事もあり、犬を放す飼い主に「どうして犬を放すのか」
その真意を聞いてみると大体がこれだ。

「お友達のワンちゃんがいるから」
「うちの子は大丈夫よ」
「うちの子が喜ぶから」


まぁ、他にもありますが法律上禁止されているにも関わらず、全て独りよがりの答え。
何の罪悪感もなく、言ってのけるのだからビックリする。
それは間違った愛情ではないだろうか。
いろんな事を言ってはいるが犬が一人で運動してくれれば飼い主がラクなのだ。
犬が嫌いな人間もたくさんいる。
モラルのない飼い主が犬嫌いを作っているのではないだろうか。
犬嫌いの人の意見は「犬に追い回された」「犬に咬まれた経験がある」など。
以前、TVで犬のノーリードに対する報道番組をやっていたが、犬が好きな人と嫌いな人が犬を見たときの心拍数を計ったら小さなオドオドしたチワワでも犬嫌いの人はかなりの恐怖を感じてる事が実験で証明されていた。
アタシ自身も犬好きではあるが、知らない犬に無防備に近寄る事はない。

そんな中、内輪の話だがこんな事があった。
アタシの妹も自分の犬を散歩中に放しているようなのだ。
これは怒りというよりも、裏切られたという悲しい気持ちになった。

妹はアタシがノーリードにかなりうるさい事も知っているし、ボランティアのお手伝いをしているのも知っている。
それなりに理解も示していた。なのに姉妹でもこんな有様だ。
これはアタシをおちょくっているのか、ふざけているのか悪意を感じた。
もちろん妹に昏々と問い詰め
「そんな飼い主じゃ犬が可哀想だからお留守番も無いしっかりした里親を探そうか」
と言ったら妹は大切なおもちゃを取り上げられた子供のようにグズグズやっていた。
妹は自分は放さないけど旦那さんが放すとか言っていた。
果たしてどうだか。。。
アタシだったらなんの根拠や保証もなく無責任に放す人間に犬の散歩を任せない。
自分の大切な犬であったら、そんな行為を許せるのだろうか。
今まで何の事故にも遭わなかった事を奇跡だと思えないだろうか。
もう一度、言わせてもらうが犬を放すという行為は法律上禁止されている。
時には本能で動く犬に絶対という文字はない。犬を擬人化し過信するのは危険な事だと思う。

人間の子供と違って犬は手が繋げない。だからリードで手を繋がれている。
犬が元気にはしゃぐ姿が見たいのならドッグランに行けばいい。
放すヤカラにかぎって「ドッグランだとうちの子、走らないのよ」と自分の犬が特別だとでも言いたいような言い訳をする。
探せば貸切ドッグランもあるし、そんだけ走らせたければ愛犬の為に牧場でも買ってひろ~いMyドッグランでも作ってあげればいい。
施設はちゃんとあるのだ。
飼い主が無料で手間を省くただの言い訳。

確かに犬が自由になれば犬は喜ぶだろう。
でもこの国では犬と人間が共存する為のルールがある。
以前、犬に関わる仕事をしている人間がうちの前で犬を何匹も放牧し「この国は遅れている。ヨーロッパでは・・・」とかウンチクを並べるヤツがいた。
「はぁ??ここは日本だよッ!!」
そういう方はどうぞ、イタリアでもフランスでも移住してください。
でなければ、そういう環境が作れるよう行政に正当なモーションをかけていけばいい。

犬の本意がどうであろうがルールは守らなければいけないし、犬が自由でなくて可哀想と思うなら犬を最初から飼うべきではない。
その中で、犬が快適である環境を探すべきなのだ。

犬がひとりで走り回って楽しいのだろうか。
「走ってこい」と言われ、走ると飼い主が喜んでいるから走るのではないだろうか。
本当は信頼している飼い主と一緒に走るのが楽しいのではないのだろうか。
今まで居候も含め、いろんな犬と関わってきたけれど、犬の本当の気持ちなんて犬の一生をかかっても理解する事はできない。
でも自由という言葉で無責任に犬を放し「うちの犬が喜んでいる」と手放しでアタシは喜ぶ事ができない。

今まで譲渡の会でも殺処分になる運命からせっかく助けた命を飼い主の不注意により事故死させられたという話は多数ある。
会スタッフ様はどうしてこの方を選んでしまったのか・・・と自分を責めてしまう。
譲渡までにはじっくりと時間・段階を経て、口うるさく注意し誓約書も交わす。
誓約書の中には「必ず首輪・迷子札をつける」「外では必ずリードで保持する」内容も含まれている。
その一匹に関わったボランティアはたくさんいる。
みんなその子の幸せを願って命を繋いでいる。
にも関わらず、飼い主の犬に対する過信と勝手な思い上がりで不幸な事件は後を絶たない。
先日もやはり某ボランティアさんから譲渡されたミニピン飼いのブログを見ていたら、堂々とノーリードの画像でガッカリした。
おまけにコメント欄に「ミニピンをノーリードで歩けるなんてスゴイ」と称賛する低レベルな飼い主の発言。
それともそのコメントは嫌味だったのかな。

散歩中、ちゃんとリードで繋がれ飼い主さんが犬に合わせて一生懸命走っている姿を見ると「この犬はしかりした飼い主さんと生活ができて幸せだな・・・」とうれしくなる。
先日は病院で「アジリティをやらせてみたいんですけど、この子は大丈夫ですか」と獣医に相談に来ている飼い主さんと遭遇した。
闇雲にジャンプさせたりガンガン走らせている飼い主さんが多い中、犬の体を気遣い検査をしている飼い主さんを見てレベルの高さを感じた。

本当の愛情とはこういうものではないのだろうか。
それとも、アタシの考え方が独りよがりなんだろうか。。。


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