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新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

景徳伝灯録・2( 神会の正体)

2010-05-09 09:42:56 | 日記
私が、授業で先生からのご指導を受けて学んでいるのは『景徳伝灯録』のテキストの135頁「巻八・南泉普願禅師」の途中からである。

しかし先ずは、そこに至る迄の、巻一から巻八の内容を概観し、その中から幾つか部分的に簡単に触れておこうと思う。

①巻一、「7仏と15祖」
②巻二、「15祖~27祖までの13祖と旁出の22祖の名をあげて、その中13祖のみの語を記す」
③巻三、「28祖・達磨から32祖・弘忍までの5祖と旁出の20祖の都合25祖の名をあげその中の8祖の話のみ記す」
④巻四、「牛頭宗の6祖とその旁出70人、北宗の神秀ら北宗の祖師117人の都合183人の名をあげ28人の語を示す」
⑤巻五、 「33祖慧能とその法嗣43人の名を記しその中の19人について語をあげる」
⑥巻六、「南嶽懐譲の法嗣9人、馬祖の法嗣37人、都合46人の名を記し、馬祖ら14人の語を述べている」
⑦巻七、「巻六につづいて馬祖の法嗣45人の名をあげて18人の語を示す」
⑧巻八、「ここでも馬祖の法嗣で56人の名をあげて43人の語を載せている」

次に巻一~巻八内から幾つかを選び、簡単に触れておく。

巻五に、南嶽懐譲禅師が登場し、坐禅ばかりしている弟子の馬祖道一に言う。「汝若坐仏、即是殺仏。若執坐相、非達其理。」〔君がもし坐仏すれば仏を殺すことになる。もし坐る形にとらわれていたら禅の本質に達する事はない。〕

まぁ、「ただ闇雲に坐禅さえしていればいいという事ではない」と、禅宗史の初期から言われていたようだ。

同じく巻五に、荷沢神会禅師(668~760)の章がある。
『伝灯録』から一旦離れて荷沢神会の著『菩提達磨南宗定是非論』(732成立)に触れたい。
この著書で神会は、本来六祖になるはずだった神秀と、その弟子、七祖になるはずだった普寂らの立場を北宗と呼んで批判した。
その目的は、神会自らの師、慧能を六祖とし、自分が七祖になるためだったのだ。
そのために神会は自らの立場を南宗と主張し、敵対視する神秀らを北宗という名称で呼んで退けた。
「南頓北漸」と言われて有名な“南宗と北宗”の分類は、実は、神会の一方的な主張でしかなかった。
更に、達磨と梁の武帝による問答「無功徳」や、師匠から弟子へお袈裟を伝える伝衣説も、この神会の作り話しから始まるのであった。

結果的には、神会の思惑通り、自らの師、慧能を六祖にする事に成功。
しかし神会自身は七祖になれなかった。

だが、神会ほど禅宗界に大きな影響を与えた人物は他にいない。

神会は更に、身の修行としての坐禅を否定し、坐禅とは身体ではなく精神的な“はたらき”だと言っている。
次の言葉がそれである。
「坐というは念の起こらざるを坐となす。禅というは本性を見るを禅となす。」

また、六祖慧能の説法を記録した構成になっている『六祖壇経』の制作にも神会が関与し、慧能下の禅思想に、後々まで影響を与え続ける。

さて、『伝灯録』に話しを戻そう。
巻六には、馬祖道一禅師が登場する。
馬祖は、上に書いた通り師の南嶽懐譲から「若し坐仏せば即ち是れ仏を殺す…」と言われ、更に師の南嶽とは兄弟弟子の、荷沢神会の影響も受けていたと思われる。
だからこそ馬祖は言う。
「即心是仏」と。

これは身の坐禅などには全く関わらず、無明煩悩に満ちている衆生心と仏心とは相即不二。心が即そのまま仏であるとする。

但し「即心是仏」の“心”だが、心は実体ではなく現象であり、対象が無ければ、はたらかない。
体用論に引き寄せて考えてみると、心は対象によってはたらく“用”(=はたらき、無常、表層)でしかない。
心=用(はたらき)が“仏”というのでは全く不十分であり、本来“体”(=本体、常、性、深層)が問われなければならない。
従って馬祖の言う「即心是仏」は、禅の核心を述べたものではなく“方便”として捉えるべきだ。と言うのは、後に馬祖の弟子も述べている。

ただここで一つ注意しておきたい。
「禅」について少しばかり哲学的な部分に触れると、禅を哲学の領域に引き入れて理解し結論付けてしまう方が希にいらっしゃる。
こうなると、禅は哲学の一つに過ぎぬことになる。
しかし実際には、禅は哲学的側面を含んではいるが「哲学」ではない。
禅は禅で、「禅学」の領域で研究されている。

さて、馬祖の弟子たちの系譜は「禅」を大いに盛んなものにしていく。
『伝灯録』においても、不当なほど多数、馬祖門下の禅者が紹介されている事は既に触れた。

以下は、また次回記す。


合掌

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