新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

スポーツマンシップという嘘

2018-05-27 05:52:26 | 日記
健全なスポーツマンシップというのは、幻想ではなかろうか?

例えば、昔から、ボクシングやキックボクシング等々の打撃系の選手の中には、プロ引退後に一般人への暴力事件や脅迫事件を起こした、という報道を度々耳にした。
打撃の元プロが一般人を殴ったり脅したりするというのは、悪質極まりない事だ。

サッカースタジアムでは、サッカーの試合中に一部のサポーターが、「Japanese only」という言葉を掲げて、外国人の方々の排除を目指すという人種差別を行なった。
国際的な試合が頻繁に行われるサッカーなのに、人種差別してどうするのだろうか? 全く最低な話しだ。

野球に於いては、野球賭博などが よく問題になる。
そんな人達にとって野球は、スポーツというよりギャンブルらしい。

相撲の世界では、暴力事件が絶えず、一方で、あの貴乃花親方は、自らの弟子が暴力を受けたという理由で、相撲界のルールを無視した好き勝手な振る舞いを繰り返した事は記憶に新しい。
どうやら、相撲道とやらを極めると、「被害者側は何でもやりたい放題して良い!」という考えに達するらしい。

まだまだある。

女子レスリングの監督によるパワハラ問題。
選手の才能を伸ばすべき監督が、選手に圧力をかけてどうするのか?
それは “監督” ではなく、単なる意地悪なオッサンと言うべきであろう。

そして、日大アメフト部による試合中の相手選手への傷害事件(悪質タックル)。
こちらの元監督・内田氏は、卑怯で最低な輩だ!と断言したい。

もっとも、我々禅僧の安居修行道場の厳しい上下関係では、もっと卑劣で不条理な事が山ほどあるが(笑)
「いやそんなに卑劣で不条理な事なんて無いよ」と言う禅僧がもし居たとしたら、その人は安居修行をした事が無い人である。

まあ それはともかく、スポーツに於いての上記のような事は、どれもこれも、呆れてものが言えない。

では、僕の好きなサーフィンではどうか?

いや、実は、サーフィン中のトラブルも少なくない。
特に、ローカルとビジターとの間での、サーフィン中のルールやマナーについてのトラブルをよく見聞きする。(その件について詳しくは別の機会に譲る)

ともかく僕は、元々はサーフィンはスポーツではない、と考えていた。
良くも悪くも、いろんな意味で、サーフィンはスポーツという枠組みに収まるものではない、と思うのだ。

いずれにせよ、どのスポーツに於いても、“健全なスポーツマンシップ” なんてのは ほとんど存在しない、という事実を、まずは直視するべきではなかろうか?

加えて、以前にも書いたが、莫大なお金を湯水のようにジャブジャブ使う2020東京オリンピックも、僕は基本的に反対だ。

そもそも、莫大なお金が動かなきゃ出来ないスポーツなんて、もうその時点で健全ではないでしょう(笑)




【写真:先日サーフィンをした某海】
◆新・からっぽ禅蔵◆

波乗り雑記帳6ーサーファーたちー

2018-05-20 09:23:39 | 日記
僕が18歳の年の12月。
サーフショップ店長のIさんの誘いで、そのサーフィンクラブの忘年会に参加した。

場所は、赤坂ムゲン。

ムゲンは、新宿にもあったが、新宿ムゲンと赤坂ムゲンでは、店の雰囲気がかなり違う。
赤坂ムゲンのほうは、当時、知る人ぞ知る有名ディスコだった。
その赤坂ムゲンの夜。
カッコイイ曲に乗って、イケてるお兄さんお姉さんたちが店内一杯に溢れて踊っている。
その店内の一角に、一際カッコイイお兄さんたちが20人近く集まり、ダンスやカクテルを楽しんでいた。
彼らが、サーフィンクラブのメンバーだった。
彼らはみんな真っ黒に日焼けしていて、髪の毛の色は潮と太陽に焼けて茶髪だった。
誰が見ても、彼らがサーファーである事がわかった。
また、彼ら全員が、当時18歳の僕より歳上の20歳以上だった。
なので、いろんな面で面倒を見てくれた。
その点、とても感謝している。

中でも、イケイケの雰囲気のKさん(23歳)と、Sさん(21歳)・Nさん(21歳)の3人が、比較的、僕と年齢も近い事もあって、僕の面倒をよく見てくれた。
特にKさんは、僕のダンスを見て「お前ダンス上手いなあ!」と言ってくれた。
そう、以前にも書いたが、僕はサーフィンを始める前は、ダンサーを目指すほど本気でダンスに取り組んでいた。
そんな事もあって、Kさんたちには可愛がってもらった。

また、ほとんどのメンバーが20歳代であるのに対して、1人だけ年輩のメンバーがいた。
それは、このサーフィンクラブのリーダーのAさんだった。Aさんは、確か40歳前後だったと思う。

さて、深夜まで赤坂ムゲンで楽しく踊った僕らは、それぞれのサーフボードを積んだ車数台に乗り込み、みんなで千葉の海へ向かった。

そして、翌朝早朝には現地に到着した。
そこは、南房総の平砂浦の某海岸だった。
その日、そこには、サーファーは僕らのグループしかいなかった。
天気はほぼ快晴で、波は腰~胸サイズの波が立っていた。

到着して直ぐに、リーダーのAさんが、空を見上げてボソッと言った。
「雨が降るなあ」と。
「このオジサンは何を言っているのだろう。こんなに天気が良くて、雨なんか絶対に降るわけがないのに」と僕は思った。

しかし、みんながウェットスーツに着替えて海に入る頃、突然空が薄暗くなって、本当に雨が降ってきた。
「Aさんはこの天気の急変を予知していたのか。いやあ、ダテに年は取っていないベテランサーファーって凄いなあ!」と僕は思った。
僕の目には、Aさんはまるで、頼もしいインディアンの酋長のように見えたw
実際Aさんは、肌は黒くて顔の彫りが深くて、かなり長い茶髪のロン毛であったので、インディアンみたいだったのだw

ともかく、僕にとって人生2回目のサーフィンは、この平砂浦であった。
1回目の太東の時と同じく、今回もテイクオフさえ出来ないままだった。
それでも、太東ではボードに腹ばいのままスープ(白い泡状の波)に乗って楽しめた。
しかし今回は、胸サイズの波にグシャグシャに飲み込まれて、かなり苦しい思いをした。
そう、胸サイズの波でも、その時の僕には大きな波に見えたのだ。
そして、その波の大きさとパワーに恐怖を感じた。
また、ウェットスーツは、3㍉ジャージのフルスーツしかない僕にとって、12月の海は冷たくて寒かった。
初心者なので、中上級者よりも やたらと無駄に波を食らい、ウェットスーツ内に冷たい海水が浸入する回数も多いので、とにかく寒かった。
それでも、いつかこのサーフィンクラブのみなさんのように上手にサーフィン出来るようになりたい、と思っていた。

ところで、クラブのみなさんと大勢で海へ行ったのは、この忘年会後の1回だけだった。
その後は、週1ペースでKさんたちに海に連れて行ってもらうようになった。

KさんとSさんとNさんの3人は、共同で1台の中古車を所有していた。
それは、オンボロのワンボックスカーだったが、彼ら3人が海へサーフィンをしに行くには充分な車だった。
3人とも車の免許を持っているので、行き帰りのロングドライブの運転も3人で交代交代で出かけていた。
そこに、僕も乗せて行ってもらうようになったのだ。

それは、Kさんの提案だった。「禅蔵も一緒に乗せて行ってやろうぜ。」
Nさん「でも、この車は俺たち3人でお金を出し合って買った車なわけで、禅蔵はお金を出してないんだし、そもそも禅蔵は免許も無いから途中で運転してもらう事も出来ない。禅蔵を連れて行っても何もメリットがないじゃん。」
Kさん「だから乗せて行ってやるんだよ!禅蔵は車も免許も無いんだから、俺たちが乗せて行ってやらなきゃ、アイツどうやって海に行くんだよ⁉ それに、アイツはダンスが上手いからさあw 連れて行ってやれば、海でカワイイ女の子でもナンパしてくれるかもよw」
Nさん「海は、ディスコじゃないし!」
Sさん「うん、まあ、乗せて行ってやろうよ。禅蔵は車の購入費は出してないけど、乗せて行ってやる時にはガソリン代は割り勘で出してもらう。俺ら3人で割り勘にするより、禅蔵を入れて4人で割り勘にしたほうが安い! ねえ?Kさん?」
Kさん「そうそう!」
Nさん「うん、それなら、まあいいか。でも、禅蔵に合わせて波の小さい所なんかには行かないからね!入る海は俺たちが決める! それでいいよね? Kさん?」
Kさん「もちろん!」

彼ら3人は、そんな事を話し合い、そして、SさんとNさんからは3歳も年下、Kさんからは5歳も年下の、当時18歳の僕を海に連れて行ってくれるようになった。

本当に、感謝している。




以下はまた次回。

【写真:記事内の写真は平砂浦ではない。】
◆新・からっぽ禅蔵 別録~『波乗り雑記帳』~◆

ZEN & SURFING

2018-05-13 06:56:20 | 日記
先日、『サーファーへ100の言葉~ONE HUNDRED GREAT WORDS FOR SURFERS ~』 (えい出版社 2018年4月10日 第一版発行) という本を買って読んだ。

その本の内容について触れる前に、以下の事を確認しておきたい。

僕は、今から9年前、2009年の2月に、当ブログをスタートさせた。
ブログを始めて直ぐに、僕は、禅仏教とサーフィンの共通点を指摘した。
そしてその後も、度々、双方の共通点について言及し続けている。

例えば、2009年2月22日「鎌倉」と題した記事内では、次のように書いた。

「サーフィンって禅や仏教に通じるものがあるなぁ。
様々な気象条件が重なりあう “縁起” によって、はじめて波が立つ。
そしてその波に乗る。
頭で考えていたら間に合わない。
流動的に動き続ける波に、反射的に反応しながら、岸辺まで乗り継いでいく。
“今 ここ” に成りきってなきゃ上手くいかないかも。
そして岸辺まで乗って、振り返ると今乗った波は、もう跡形もない。
そしてもう二度と同じ波は訪れない。
“一期一会” そのものなんだ。
海面は、次の波を産み出そうとして流動的に動き続けている。
サーファーはまた、宇宙でたった一回きりの波を追う。」

上に引用した僕自身の言葉を踏まえて、冒頭に示した本の中から、目に止まった言葉を幾つか、以下に紹介したい。


●「禅は自己と一体になることだ。サーフィンも同じだよ。」
(Dick Brewer氏の言葉。サーフボード作りの神様のような存在であった彼が、精神の支えとした教えが “禅” であった、と説明が付されている。)
彼が言う「禅は自己と一体になること」というのは、おそらく、凝り固まった自我から離れて本来の自己を取り戻す、という事を言いたいのかも知れない。


●「調和に身をまかせろ」
(サーフィンの神様 Gerry Lopez氏の父の言葉。海は常に動き続けている。それは波も然りだ。その常に動き続ける波に乗るためには、自分本位にやろうとしても無理だ。調和することが大切なのである、というような説明が付されている。)
この説明を見ての通り、これはもう、僕が度々ブログにも書いている事とほぼ同じだ。また、「調和に身をまかせろ」という言葉は、坐禅中にあれこれ考えたりせずに あるがままに身を任せる事と一致する。尚、Gerry Lopez氏もまた、禅を学んだサーファーである。


●「海に入っていると、大自然と一緒になることができ、波に乗ることで、地球のエネルギーとつながる。」
(アメリカのザ・サーファーズ・ジャーナル誌に所属する写真家で編集者である Shawn Parkin氏の言葉。勿論、彼自身もサーファーであり、そのサーフィンの腕前もプロ級だそうだ。)
道元禅師は、次のように言った。
「自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心を脱落せしむるなり。」と。
サーフィンも同様に、自己中心的な己から離れて海に身をゆだね、波という万法の有り様と一体になる事だ。

以上。
『サーファーへ100の言葉』から、3つだけ引用して紹介し、僕なりのコメントも加えた。

上記の引用文から、禅とサーフィンの間に共通性を感じているのは、僕だけではない事が確認できた。

この事を、僕の彼女に話したら、彼女は次のように言った。

「ふ~ん。でも、サーフィンに内在する禅的な要素に気づくサーファーは他にも居ても、本物の禅僧になっちゃったサーファーは、禅蔵、あなただけかもねw」と。

確かに、世襲で禅僧になった人の中にはサーフィンを趣味にしている人だって居るだろうが、僕のように、サーフィンをしていて後に禅僧になった者は、そう多くはないかも知れない。

いずれにせよ、薄暗い室内で坐るだけで、“禅” を知った気になっている人は、申し訳ないが とても滑稽に見えてしまう。
いや それとも、「坐る事こそが禅だ」と思い込んでいる人達こそ、ホトケなのかな?
そう、“知らぬがホトケ”という名のホトケ様ですか?w





◆新・からっぽ禅蔵◆

禅話117ー胸ぐらをつかむ!?ー

2018-05-06 08:54:57 | 日記
◆鼓山和尚〔神晏〕


○原文

遭雪峯、雪峯闌(※)胸把駐云、「是什摩?」
師乃豁然而已、尋便挙手揺曳(※)。
峯云、「又作道理、作什摩?」
師云、「作何道理?」
峯乃呵曰、「大有人未到此境界、切須保任護持!」

(※)=「闌」字と「曳」字は、正しくは手偏が付く。


○試訳

雪峯(せっぽう=超有名な禅僧で、今回の鼓山和尚の師匠)に遭いて、雪峯は、まっこうから〔鼓山和尚の〕胸ぐらを つかみ とどまりて云(い)わく、「是(こ)れは什摩(なに)か?」
師(鼓山和尚)、乃(すなわ)ち豁然(かつねん=ハッキリと)するのみにして、尋便(じんべん=すぐに)手を挙げて揺曳(ゆさぶりて ひっぱる)。
峯、云わく、「また道理を作(な)して、什摩(なに)をか作(な)す?」
師、云わく、「何の道理を作すと?」
峯、乃ち呵(かっ)して曰(い)わく、「大いに人有りても未(いまだ)此(こ)の境界に到(いた)らず。切(せつ)に須(すべか)らく任を保ち護持すべし!」

※参考書などを頼れば、どうも、「普通はこの境界に達しないが、キミは達した。それを大事に保持しなさい。」というような事らしい。

しかし、僕が注目したいのは別の点だ。
それは、師弟の間で胸ぐらをつかんだり、その手をゆさぶったり引っ張ったり、禅の問答の激しさを表している点である。
これは、一歩間違えば “暴力的” とも思える。

こうした暴力的な教えは、現代社会ではタブーであろう。
他者に手を出した場合、相手が怪我をすれば傷害罪、相手が無傷であっても、暴行罪が成り立つ可能性がある。
僕も禅僧ではあるが、そんな犯罪めいた教えの片棒を担ぐつもりはサラサラ無い。

そもそも、暴力的な手段を使わないと物事を伝えられないものなのか?
だとしたら、随分と不自由な話しだ。

僕は、表面上「自由」を主張しながらその実は暴力的なほどに厳しい上下関係が存する教団という枠組みのなかで僧侶としてのお勤めをさせて頂いている。
一方で、「自由」も何も語る事のない海では、変幻自在に “自由” にサーフィンをする。



◆新・からっぽ禅蔵◆