当時19歳の僕は、東京都内某芸術高校卒のM(18歳)と、同高校を1年ダブって卒業したH(19歳)と共に、3人でルームシェアして一緒に住み始めた。
そこは、湘南・鵠沼海岸の海の直ぐ近くのアパートK荘。湘南でサーフィンをするには、最高の場所だ。
さて、住み始めて最初の週末。
僕にとっては少々驚きの事があった。
まず、東京都内には、MとHらと同じ芸術高校卒のサーフィン仲間が沢山いるという。
彼ら彼女らの多くは、それぞれ、幾つかの有名芸術大学に進学していた。
そんな彼ら彼女らが、週末になると早朝から小田急線の電車に乗って、僕とMとHの3人が住むK荘に大勢でゾロゾロとやって来るのである。
そして、みんなでサーフィンを楽しむ。
当時はまだ、電車内にサーフボードの持ち込みは禁止されていたので、彼ら彼女らは、自分たちのサーフボードを予め僕らが住むK荘に置いていたのだ。
前にも書いた通り、リビングダイニングには多くのサーフボードやウェットスーツが置いてあるのだが、これらは、週末にやって来る彼ら彼女らのものだったのである。
つまり、アパートK荘の一室に住んでいるのは、僕とMとHの3人だけだが、週末には、10人前後で一緒にサーフィンをしたり部屋でくつろいだりして過ごすというパターンになる。
僕は初め、この賑やかさに少々驚いたのだった。
また、サーフィン中に彼ら彼女らのサーフボードが傷ついたりすると、次の週末までに、僕かMかHの誰かがそのボードのリペアをしてあげていた。
これは、当時の僕らにとって、決して苦痛ではなかった。寧ろ、やればやるほど自らのボードリペア技術が上がるので、サーファーとしては嬉しかった位だ。
ただ、僕とMとHの3人は、海の直ぐ近くK荘に住んでいて平日は毎日早朝からサーフィンをしているので、特に混雑する週末まで海に入る気にはなれない事もあった。
僕らは、土日はゆっくり寝ていた。
しかし、週末通い組の芸大生たちは、朝早くから騒がしくやって来て、「M~!H~!それにニューフェイスの禅蔵~!起きろ~!波乗り(サーフィン)しようぜ~!」と言って僕らを起こすのだった(笑)
そんな週末のある朝、僕にとって驚くべき事が起きた。
ぐっすり眠っている僕の上に、馬乗りになって僕の胸ぐらを大きく揺すって起こす奴がいた。
彼は大声で言った。
「起きろ~!起きろ~!波乗り波乗り~!」と。
彼は、週末通い組の芸大生たちの、大学からのサーフィン仲間らしく、K荘に来たのはこの日が初めてだった。
初めてなのに、初対面で寝ている僕を思いきり起こすのだった(笑)
「なんだよ、眠いよぉ」と言いながら、ふと目を開けると、その彼の顔が目の前にあった。
彼は、いたずらっ子のような笑顔で僕を揺すり続けた。
しかし、目を開けた僕と、僕を揺すり起こす彼とが、僅か数センチの至近距離で目を合わせた瞬間、僕と彼は同時に、「あっ!」と声を上げて驚いた。
お互いに、その顔に見覚えがあったのだ。
僕は、「キム(仮名)!」と彼の名を呼んだ。
彼もまた、「ぜ、禅蔵⁉」と僕の名を呼んだ。
そしてお互いに、「なっ、なんでお前ここにいるんだよ」「お前こそなんでここに?」などという言葉を交わした。
実は、彼は僕の中学生時代の同級生だった。彼の名前はキム。韓国人だ。
ただ、両親が韓国から日本に来てから彼が生まれたので、彼自身はほとんど韓国語はしゃべれない。ほぼ、日本人と同じだ。だから彼は僕と同じ普通の日本人の中学校に在学していたのだ。
だけど、中学を卒業して以来、彼とは会っていなかった。
そして、考えられないような偶然で、この日このK荘で再会したのは、凡そ4年ぶりだった。
少し前に、吉浜のレストランで、偶然K子とバッタリ会った偶然も驚きだったが、この時にキムと再会したのは更に驚きだった。
キムから見れば、初めて訪ねた場所で、いきなり馬乗りになって激しく揺すり起こしてみたら、それは中学生時代の同級生だったわけだ。
そんな偶然が、ふつう有り得るだろうか?
いや、本当に驚いた。
ただ、キムは、大学で知り合ったサーフィン仲間に誘われて、この日だけ湘南にサーフィンをしに来たそうだ。確か、この時キムは車で来ていたと思う。
そして普段は、その車で千葉の海へ行ってサーフィンをしているとの事だった。
だから、これ以後、キムがK荘に遊びに来る事は無かった。
そして、それ以来キムとは会っていない。
ただ、僕にとって最も考えられないような偶然の再会だったので、上記の通り、この出来事を紹介した。
ほかにも、週末通い組の芸大生たちの中で、取り分け思い出深いサーファーを2人ほど紹介したい。
まず、S井(18歳)。
MやHと同じ東京都内某芸術高校卒業後、某有名芸術大学に入学したサーファーだ。
そして彼の彼女もまた、同芸大生だった。
ある日、僕らはサーフィン仲間10人ほどで、某喫茶店で食事をした。その中には、S井とその彼女もいた。
S井は、その喫茶店に置いてあった週刊誌を手に取った。その週刊誌には、巻頭カラーで数ページに渡り水着姿のグラビア女性の写真が掲載されていた。
S井は、初め何げなくパラパラとそのグラビア写真を見たが、直ぐに凍りついたような衝撃を受けていた。
なんと、その水着姿のグラビア女性は、今まさにS井の隣に座っているS井の彼女だったのだw
S井は、手元の週刊誌と、隣に座っている彼女とを交互に見ながら、次のように言った。
「え~っ⁉ なんだこれ!なんでお前が巻頭カラーのグラビア写真で載ってるわけ⁉」と。
すると彼女は、ちょっと気まずそうに、「えへへ…。バレちゃったかぁw」と言った。そして次のように言葉を続けた。
「たまたまグラビア写真の話しがあって、結構いいお金になるから、ちょっとバイトとしてやってみたw」と。
S井は、「お前、何ナイショでバイトしてんだよ。一言ぐらい言っとけよ」と言った。
同じテーブルで彼らの正面に座っていた僕は、「こいつら、何かスゲーな」と思った。
その週刊誌は、全国的に有名な雑誌だ。巻頭カラーのグラビアは、通常アイドルが水着姿で載ってる。
そのスペースに、数ページに渡って写真を掲載されても、特に周囲に自慢するでもなく、単なるバイトとしてやっていたS井の彼女も凄いし、その彼氏であるS井も、「お前スゴいじゃん」ではなく、「バイトするなら一言ぐらい言えよ」と言っただけだ。
彼らにとって、雑誌に掲載される程度の事は、何ら特別な事ではないのだった。
因みに、僕のルームメイトのHの彼女は、プロのジャズシンガーで、そのマネージャーは、とにかく彼女を売れっ子の有名シンガーに仕立て上げたい。だから彼氏であるHはジャマな存在だった。一方、Hにしてみれば、彼女とのデートを尽くジャマしようとするマネージャーが嫌いだった。Hは穏やかな性格だが、彼女のマネージャーとは、いつもガチで言い争っていた(笑)
更に言えば、鵠沼海岸で、白○さん(25歳)というサーフィン仲間も出来たのだが、白○さんの学生時代からの友人の中には、当時、若者に絶大な人気があった超有名な女性歌手もいた。
そして、以前にも書いた通り、僕の過去のダンス仲間も、数人は芸能界に入っていった。
僕自身は、幾つかのドラマや映画にエキストラ出演し、中には、僕1人のアップで、簡単なセリフのあるシーンも経験させてもらった。その時の撮影現場では、主役や主要キャストの超有名俳優さんたちをその場で待たせながらの、僕1人のセリフシーン撮りだったので、多少緊張した(笑)
要するに、芸能界は、どこか遠くではなく、いつも、かなり身近に存在していた。だから僕は、芸能人を特別視する事が無くなっていったのだった。
そうそう、最近入籍した僕の彼女の親戚にも、現在、CM等で毎日テレビで見かける主役級の有名女優さんもいる。
だが、僕自身は、その女優さんと面識は無いので、テレビを観ながら「あっ、この女優さん、俺の親戚!」などと公言するような事はしない(笑)
さて、もう1人、Mらと同じ芸術高校卒業後、最も有名な某芸術大学に入学した○キ(18歳)というサーフィン仲間を紹介したい。
彼の父は画家で、彼の家は、渋谷駅の直ぐ近くのビルの高層階にあった。
そして彼の部屋は、更に高層階のワンフロア全てが彼の部屋だった。それはもう、部屋というより、恐ろしく広い空間だった。
間違いなく、かなりのお金持ちである事が理解できた。
その○キは、あるとき突然インド旅行に出かけ、帰国すると直ぐに、せっかく入った大学を休学して、今度はアメリカのニューヨークへ旅立って行った。
それ以後、○キの消息を知らない。
ニューヨークの治安の悪い地域で、何かトラブルに巻き込まれたのだろうか。
とにかく、僕は、その後○キと会っていない。
いずれにせよ、個性的な面々であった。
◆新・からっぽ禅蔵 別録~『波乗り雑記帳』~
そこは、湘南・鵠沼海岸の海の直ぐ近くのアパートK荘。湘南でサーフィンをするには、最高の場所だ。
さて、住み始めて最初の週末。
僕にとっては少々驚きの事があった。
まず、東京都内には、MとHらと同じ芸術高校卒のサーフィン仲間が沢山いるという。
彼ら彼女らの多くは、それぞれ、幾つかの有名芸術大学に進学していた。
そんな彼ら彼女らが、週末になると早朝から小田急線の電車に乗って、僕とMとHの3人が住むK荘に大勢でゾロゾロとやって来るのである。
そして、みんなでサーフィンを楽しむ。
当時はまだ、電車内にサーフボードの持ち込みは禁止されていたので、彼ら彼女らは、自分たちのサーフボードを予め僕らが住むK荘に置いていたのだ。
前にも書いた通り、リビングダイニングには多くのサーフボードやウェットスーツが置いてあるのだが、これらは、週末にやって来る彼ら彼女らのものだったのである。
つまり、アパートK荘の一室に住んでいるのは、僕とMとHの3人だけだが、週末には、10人前後で一緒にサーフィンをしたり部屋でくつろいだりして過ごすというパターンになる。
僕は初め、この賑やかさに少々驚いたのだった。
また、サーフィン中に彼ら彼女らのサーフボードが傷ついたりすると、次の週末までに、僕かMかHの誰かがそのボードのリペアをしてあげていた。
これは、当時の僕らにとって、決して苦痛ではなかった。寧ろ、やればやるほど自らのボードリペア技術が上がるので、サーファーとしては嬉しかった位だ。
ただ、僕とMとHの3人は、海の直ぐ近くK荘に住んでいて平日は毎日早朝からサーフィンをしているので、特に混雑する週末まで海に入る気にはなれない事もあった。
僕らは、土日はゆっくり寝ていた。
しかし、週末通い組の芸大生たちは、朝早くから騒がしくやって来て、「M~!H~!それにニューフェイスの禅蔵~!起きろ~!波乗り(サーフィン)しようぜ~!」と言って僕らを起こすのだった(笑)
そんな週末のある朝、僕にとって驚くべき事が起きた。
ぐっすり眠っている僕の上に、馬乗りになって僕の胸ぐらを大きく揺すって起こす奴がいた。
彼は大声で言った。
「起きろ~!起きろ~!波乗り波乗り~!」と。
彼は、週末通い組の芸大生たちの、大学からのサーフィン仲間らしく、K荘に来たのはこの日が初めてだった。
初めてなのに、初対面で寝ている僕を思いきり起こすのだった(笑)
「なんだよ、眠いよぉ」と言いながら、ふと目を開けると、その彼の顔が目の前にあった。
彼は、いたずらっ子のような笑顔で僕を揺すり続けた。
しかし、目を開けた僕と、僕を揺すり起こす彼とが、僅か数センチの至近距離で目を合わせた瞬間、僕と彼は同時に、「あっ!」と声を上げて驚いた。
お互いに、その顔に見覚えがあったのだ。
僕は、「キム(仮名)!」と彼の名を呼んだ。
彼もまた、「ぜ、禅蔵⁉」と僕の名を呼んだ。
そしてお互いに、「なっ、なんでお前ここにいるんだよ」「お前こそなんでここに?」などという言葉を交わした。
実は、彼は僕の中学生時代の同級生だった。彼の名前はキム。韓国人だ。
ただ、両親が韓国から日本に来てから彼が生まれたので、彼自身はほとんど韓国語はしゃべれない。ほぼ、日本人と同じだ。だから彼は僕と同じ普通の日本人の中学校に在学していたのだ。
だけど、中学を卒業して以来、彼とは会っていなかった。
そして、考えられないような偶然で、この日このK荘で再会したのは、凡そ4年ぶりだった。
少し前に、吉浜のレストランで、偶然K子とバッタリ会った偶然も驚きだったが、この時にキムと再会したのは更に驚きだった。
キムから見れば、初めて訪ねた場所で、いきなり馬乗りになって激しく揺すり起こしてみたら、それは中学生時代の同級生だったわけだ。
そんな偶然が、ふつう有り得るだろうか?
いや、本当に驚いた。
ただ、キムは、大学で知り合ったサーフィン仲間に誘われて、この日だけ湘南にサーフィンをしに来たそうだ。確か、この時キムは車で来ていたと思う。
そして普段は、その車で千葉の海へ行ってサーフィンをしているとの事だった。
だから、これ以後、キムがK荘に遊びに来る事は無かった。
そして、それ以来キムとは会っていない。
ただ、僕にとって最も考えられないような偶然の再会だったので、上記の通り、この出来事を紹介した。
ほかにも、週末通い組の芸大生たちの中で、取り分け思い出深いサーファーを2人ほど紹介したい。
まず、S井(18歳)。
MやHと同じ東京都内某芸術高校卒業後、某有名芸術大学に入学したサーファーだ。
そして彼の彼女もまた、同芸大生だった。
ある日、僕らはサーフィン仲間10人ほどで、某喫茶店で食事をした。その中には、S井とその彼女もいた。
S井は、その喫茶店に置いてあった週刊誌を手に取った。その週刊誌には、巻頭カラーで数ページに渡り水着姿のグラビア女性の写真が掲載されていた。
S井は、初め何げなくパラパラとそのグラビア写真を見たが、直ぐに凍りついたような衝撃を受けていた。
なんと、その水着姿のグラビア女性は、今まさにS井の隣に座っているS井の彼女だったのだw
S井は、手元の週刊誌と、隣に座っている彼女とを交互に見ながら、次のように言った。
「え~っ⁉ なんだこれ!なんでお前が巻頭カラーのグラビア写真で載ってるわけ⁉」と。
すると彼女は、ちょっと気まずそうに、「えへへ…。バレちゃったかぁw」と言った。そして次のように言葉を続けた。
「たまたまグラビア写真の話しがあって、結構いいお金になるから、ちょっとバイトとしてやってみたw」と。
S井は、「お前、何ナイショでバイトしてんだよ。一言ぐらい言っとけよ」と言った。
同じテーブルで彼らの正面に座っていた僕は、「こいつら、何かスゲーな」と思った。
その週刊誌は、全国的に有名な雑誌だ。巻頭カラーのグラビアは、通常アイドルが水着姿で載ってる。
そのスペースに、数ページに渡って写真を掲載されても、特に周囲に自慢するでもなく、単なるバイトとしてやっていたS井の彼女も凄いし、その彼氏であるS井も、「お前スゴいじゃん」ではなく、「バイトするなら一言ぐらい言えよ」と言っただけだ。
彼らにとって、雑誌に掲載される程度の事は、何ら特別な事ではないのだった。
因みに、僕のルームメイトのHの彼女は、プロのジャズシンガーで、そのマネージャーは、とにかく彼女を売れっ子の有名シンガーに仕立て上げたい。だから彼氏であるHはジャマな存在だった。一方、Hにしてみれば、彼女とのデートを尽くジャマしようとするマネージャーが嫌いだった。Hは穏やかな性格だが、彼女のマネージャーとは、いつもガチで言い争っていた(笑)
更に言えば、鵠沼海岸で、白○さん(25歳)というサーフィン仲間も出来たのだが、白○さんの学生時代からの友人の中には、当時、若者に絶大な人気があった超有名な女性歌手もいた。
そして、以前にも書いた通り、僕の過去のダンス仲間も、数人は芸能界に入っていった。
僕自身は、幾つかのドラマや映画にエキストラ出演し、中には、僕1人のアップで、簡単なセリフのあるシーンも経験させてもらった。その時の撮影現場では、主役や主要キャストの超有名俳優さんたちをその場で待たせながらの、僕1人のセリフシーン撮りだったので、多少緊張した(笑)
要するに、芸能界は、どこか遠くではなく、いつも、かなり身近に存在していた。だから僕は、芸能人を特別視する事が無くなっていったのだった。
そうそう、最近入籍した僕の彼女の親戚にも、現在、CM等で毎日テレビで見かける主役級の有名女優さんもいる。
だが、僕自身は、その女優さんと面識は無いので、テレビを観ながら「あっ、この女優さん、俺の親戚!」などと公言するような事はしない(笑)
さて、もう1人、Mらと同じ芸術高校卒業後、最も有名な某芸術大学に入学した○キ(18歳)というサーフィン仲間を紹介したい。
彼の父は画家で、彼の家は、渋谷駅の直ぐ近くのビルの高層階にあった。
そして彼の部屋は、更に高層階のワンフロア全てが彼の部屋だった。それはもう、部屋というより、恐ろしく広い空間だった。
間違いなく、かなりのお金持ちである事が理解できた。
その○キは、あるとき突然インド旅行に出かけ、帰国すると直ぐに、せっかく入った大学を休学して、今度はアメリカのニューヨークへ旅立って行った。
それ以後、○キの消息を知らない。
ニューヨークの治安の悪い地域で、何かトラブルに巻き込まれたのだろうか。
とにかく、僕は、その後○キと会っていない。
いずれにせよ、個性的な面々であった。
◆新・からっぽ禅蔵 別録~『波乗り雑記帳』~