新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

大衣

2010-01-31 08:19:55 | 日記
写真の、オレンジ色の衣は、僕が去年タイで上座仏教僧侶として着ていたタイの法衣一式。

一方、広げてある黒の衣は、今年日本で曹洞宗僧侶として着用する予定の大衣である。


先月届いたジキトツ類の仕付け糸を取り去っておくように、方丈様(お師匠様)から言われていたので、自宅で広げてみたのだ。

まぁ、他のものは簡単に仕付け糸を取り去ることが出来た。

だがこの大衣は、多分形が崩れないようにであろう、上下左右あっちもこっちも仕付け糸だらけで、すべての糸を取り去るのに、多少時間がかかった。

着方はまだわからないが、半襦袢を着て、その上に白衣を着て、その上に写真にある大衣を羽織ってみた。

結構重い…しかも暑い。

夏には夏物があるかも知れないが、「こりゃ夏は暑くて地獄だなw」と思った。

七条袈裟?と座具は、広げたら畳めなくなりそうでw、仕付け糸を取り去っておくだけにとどめた。

大衣も、広げたのはいいが、袖の部分だけでも驚くほどデカいのと、身の部分の下半分はプリーツになっていて、た…畳めないw

なんとか適当に ごまかして畳んでおいた(汗)


だけど、こうしていると、着実に出家の日が近づいてきている事を実感する。

嬉しいし、方丈様(お師匠様)はじめ全てのご縁に感謝 合掌。




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E寺の作法

2010-01-28 09:37:29 | 日記
27日(水)、大学の参禅部部室に、僕ら参禅部員が集まった。
去年12月中旬に少し片付けたのだが今回はその時の続き。
要するに、部室の場所が移転になるので、そのための片付けや荷物運びをおこなったのだ。

新たな部室に荷物を運び入れるため、多分4月頃にもう一度集まる事になると思う。

今回は、さっさと終わって、皆で学食で一息ついた。


その後、IGさんからお聞きしたお話を頼りに、僕は大学の坐禅堂へ行った。

坐禅堂では、E寺での修行を終えられたある方が、これからE寺に上山する数名のある方々を対象に、応量器の使い方をご指導なさるとのこと。

そこに僕は、ご無理を言ってお願いして、幸運にもご指導うけたまわることが出来た。

皆さん我が大学に在学中の方々で、お寺の御子息さんばかりのよう。

家がお寺でもなく、出家もまだなのは僕だけである。

さて、僕は以前E寺東京別院の摂心で、応量器を使わせていただいた事があるので、少しは知ってるつもりだった。
だがその考えは甘かった。

先ず単に上がるとき、そのとき自分が着ている法衣のさばき方から始まり、また、手先で応量器を器用に使いつつ、同時に法衣の袖等の位置にも注意をはらう…等々。
想像以上に細かく様々な決まり事がある。

お話は、応量器の作法だけにとどまらず、E寺での修行生活全般の注意点にも及んだ。

E寺上山を志す僕にとっては、お話やご指導の全てが、この上なく興味深く、時を忘れて夢中で拝聴させていただいた。

帰る頃、気付けば外はすっかり日が暮れて、夜になっていた。




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自殺者数

2010-01-27 08:50:01 | 日記
26日(火)、2年次最後の試験が終了した♪
普通はここで、「さぁ、これから遊べるぞ~♪」。
とか、
「これからバイト頑張ろう!」。
などという学生が少なくないのではないだろうか、と勝手に想像している。


だが僕は、「これから自分のペースで勉強できることが嬉しい♪」のである。

IS先生の本は先日読み終えて、今は禅の思想に関する資料を色々と読んでいる。

あれやこれや読んでいるうちに、どこに何が書いてあったか、わからなくなりそうなので、ある程度読んだらノートに簡単に要点を書いておくようにしている。

パソコンではなく、手書きでノートに書いておくのだ。

なぜ手書きかというと、大学の試験で「手書きノートのみ持込可」なんてことが結構あるしw

軽くて何処にでも持って歩けてパッと見る事が出来る。
また、僧侶になってからも活用できる手控えとしたい。

そして、何より書いて覚えるっていう効果もある。


ところで、日本の自殺者数が12年連続で、3万人超えたとニュースが伝えていた。
男女比でみると、圧倒的に男性の自殺者が多いようだ。
様々な諸事情があるのだろうけど、ある意味女性より男性のほうが、精神的に弱い部分があるのだろうか。

まぁ、一概に「自殺はやめたほうがいい!」なんて無責任な事は言いたくないが、「気分転換に自殺以外の事も考えてみては?」とは言ってあげたくなる。

「命を」捨てるのではなくて、自殺を考える「気持ちを」捨てたらどうだろう。


5年前僕は、坐禅で、捨てられない「こだわり」を、捨てることを覚えた。



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禅の種類

2010-01-24 09:13:33 | 日記
2年次最後の試験は、まだあと1教科残っているが、個人的に読みかけていた本を再び読みはじめた。

それは、4月、3年次からのゼミで教えていただく予定のIS先生が書かれた本である。

勿論、その内容は「禅」についての研究になっている。
読んでいると「やっぱ、IS先生すっげぇ~なぁ!」と感心するのと同時に、凄くハイレベル過ぎて 若干ヘコむw
「あ~…俺なんかが、どんだけ頑張って勉強してもIS先生のレベルには遠く及ばないだろうな…」と思わずにはいられない。



さて、IS先生の本の内容とは直接関係がないが、「禅」って何だろう?

確か、8世紀頃のある禅者は、「具体的に、これだという作為的なものがあったら、それらはすべて間違いである。」と言っているようだ。

「これだ!」と断定するところに落とし穴があるんじゃないかな?


また、一般的に浄土系は「他力」。禅宗系は「自力」。といわれたりする。

しかし、禅宗系が必ずしも「自力」というわけではない。

ある本で目にした事だが、臨済禅には「自力」、曹洞禅には「他力」的要素がみられる。とあって、僕は基本的にこの意見に賛同する。

優劣の話しではなくて、臨済禅と曹洞禅には違いがあり、ついでに、あと三宗加えて、いわゆる「禅宗五家」の違いでみていくと結構面白い。が、ここでは詳しく触れない。


まぁ、要するに「禅」にも種類があって、そこには共通点もあるが違いもある。そして、なぜ共通しているのか、或いはなぜ違うのか、そこには様々な背景があったりするのだ。

とにかく「禅」と言って一括りにして、何でもかんでも一緒というわけにはいかない。

同時に、一口に「これ」といえるものでもないのだ。


…はぁ…くだらない話しをした…。

こんな事より、IS先生の本読もうぉw




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禅の伝記の嘘

2010-01-21 08:20:33 | 日記
「禅」は、釈尊の時代から変わっていない。
とか、
達磨から始まるとされる禅の歴史と、そこに登場する禅僧たちのエピソードが、すべて歴史的事実だ。
とか思っている方がいらっしゃったら、それは間違いである。


禅を含めて「宗教」と関わるとき、きちんと冷静な判断をもって、臨むほうがいいと思う。


とはいえ、僕も出家して僧侶になったら、(本当は過去の禅僧たちの作り話なのに)、あたかも真実であるかのように彼らのエピソードを語る事もあるだろう。


何故なら、宗教を信仰の対象として位置付けた場合、そこで語られるエピソードは、歴史的事実かフィクションか、という事を問題視するよりも、布教という面、及び、衆生救済において有効なメッセージが、そこに込められていて、それこそが信仰上重要な側面であるからだ。


でも、子供の頃から正直者でw、嘘をつくのが嫌いな僕はw、ごちゃごちゃとそんな事を、あーでもない、こーでもないと考えていた。


あっ、結婚間近の人がマリッジブルーになったりするらしいけど、僕も日本での出家が近づいてきて軽~くブルー入ってるのかな…w




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