【写真は、SSさん出家のお寺から、山口県への移動途中の海】
3月26日(金)、SSさんの得度式へ出席後、山口県に移動した僕を待っていたのは我が師である。
今まで「山口の方丈様」と言ってきたが、これからは「我が師」と言おう。
我が師のお寺に到着後、明日の得度式のリハーサルをしたり、禅僧としての修行に関連した様々な事を教えていただいた。
僕は大学で禅・仏教を学んでいるが、基本的に大学では、禅・仏教を学問的な側面から学んでいるわけである。
その内容は、例えば禅宗史だったり禅の思想の変遷だったりして、具体的な禅僧としての修行方法を大学で教えているわけではない。仏教学部禅学科とはいえ、卒業後に全員が僧侶になるわけではないし、専門学校ではなく、あくまで大学なのだから当然である。
そういうわけだから、我が師から口伝で教わる禅修行の様々な事柄は、とても新鮮で興味深く、初めて知る内容も少なくなかった。
またこの日、明日の式本番で剃り落とすための一部分だけ髪の毛を残して、我が師に、粗方髪の毛を剃っていただいた。
そして師のお寺に一泊して、翌日は早朝起床。
いよいよ27日(土)、僕の出家得度式当日である。
まず、法堂で朝課。
そして午前中のうちに、四十九日法要に出かけた。
まさかと思って驚いたが、師が「四十九日法要があるからお前も一緒に来い。法要も経験しておけ。」と言うのである。
師と僕は、じきとつに絡子姿で塔婆等々、法要に必要なものを車に積み込んで檀家さんのお宅へ伺った。
大きな檀家さん宅で、何部屋かの仕切りとなっているふすまを取り払って、広々とした一部屋にしてあり、黒の喪服姿の檀家さんたち30~40人位が整然と着席している。
師と僕は、最前列前方の仏壇前に進み出て準備をする。
その場で、絡子から七条袈裟にサッと着替えた。
法要に先立って、師が僕を檀家の皆さんにご紹介くださった。
師と僕は、幾つかお経をあげたのち、近くにある故人様のお墓へ檀家さんたちと共に移動。
そちらでも幾つかお経をあげさせていただいた。
僕にとって、僧侶としての初仕事(?)であった。
昼食後、午後は師のお寺の灰作務等々雑用を少々。
そして午後3時過ぎ法堂にて、いよいよ僕の出家得度式である。
師の他に、侍者を担当してくださる方や、鳴らし物等を担当してくださる方、それにNSさんとSSさんが随喜してくださった。
勿論全員お袈裟を身に付けたお坊さんである。
長くなるので式の詳細は省略するが、とにかく我が師は勿論、侍者を担当してくださった方はじめ皆様に心より感謝している。
その翌日、東京へ向かう帰りの新幹線から窓の外の景色を見ていたら、大きな虹が現れた。
とても綺麗な虹だった。
その虹を見て思い出した事があった。
「あっ、そー言えばタイのチェンマイでの修行を終えて、バンコクに戻る時にも虹が出ていたなぁ。」と。
『禅語』
―禅蔵的解釈―
【8:自家宝蔵】仏法などと言って、外に求めるべからず。すべては自分次第。自らの中に、求める宝がある。
◆からっぽ禅蔵◆
禅・坐禅・宗教・仏教系大学生の独り言。
3月26日(金)、SSさんの得度式へ出席後、山口県に移動した僕を待っていたのは我が師である。
今まで「山口の方丈様」と言ってきたが、これからは「我が師」と言おう。
我が師のお寺に到着後、明日の得度式のリハーサルをしたり、禅僧としての修行に関連した様々な事を教えていただいた。
僕は大学で禅・仏教を学んでいるが、基本的に大学では、禅・仏教を学問的な側面から学んでいるわけである。
その内容は、例えば禅宗史だったり禅の思想の変遷だったりして、具体的な禅僧としての修行方法を大学で教えているわけではない。仏教学部禅学科とはいえ、卒業後に全員が僧侶になるわけではないし、専門学校ではなく、あくまで大学なのだから当然である。
そういうわけだから、我が師から口伝で教わる禅修行の様々な事柄は、とても新鮮で興味深く、初めて知る内容も少なくなかった。
またこの日、明日の式本番で剃り落とすための一部分だけ髪の毛を残して、我が師に、粗方髪の毛を剃っていただいた。
そして師のお寺に一泊して、翌日は早朝起床。
いよいよ27日(土)、僕の出家得度式当日である。
まず、法堂で朝課。
そして午前中のうちに、四十九日法要に出かけた。
まさかと思って驚いたが、師が「四十九日法要があるからお前も一緒に来い。法要も経験しておけ。」と言うのである。
師と僕は、じきとつに絡子姿で塔婆等々、法要に必要なものを車に積み込んで檀家さんのお宅へ伺った。
大きな檀家さん宅で、何部屋かの仕切りとなっているふすまを取り払って、広々とした一部屋にしてあり、黒の喪服姿の檀家さんたち30~40人位が整然と着席している。
師と僕は、最前列前方の仏壇前に進み出て準備をする。
その場で、絡子から七条袈裟にサッと着替えた。
法要に先立って、師が僕を檀家の皆さんにご紹介くださった。
師と僕は、幾つかお経をあげたのち、近くにある故人様のお墓へ檀家さんたちと共に移動。
そちらでも幾つかお経をあげさせていただいた。
僕にとって、僧侶としての初仕事(?)であった。
昼食後、午後は師のお寺の灰作務等々雑用を少々。
そして午後3時過ぎ法堂にて、いよいよ僕の出家得度式である。
師の他に、侍者を担当してくださる方や、鳴らし物等を担当してくださる方、それにNSさんとSSさんが随喜してくださった。
勿論全員お袈裟を身に付けたお坊さんである。
長くなるので式の詳細は省略するが、とにかく我が師は勿論、侍者を担当してくださった方はじめ皆様に心より感謝している。
その翌日、東京へ向かう帰りの新幹線から窓の外の景色を見ていたら、大きな虹が現れた。
とても綺麗な虹だった。
その虹を見て思い出した事があった。
「あっ、そー言えばタイのチェンマイでの修行を終えて、バンコクに戻る時にも虹が出ていたなぁ。」と。
『禅語』
―禅蔵的解釈―
【8:自家宝蔵】仏法などと言って、外に求めるべからず。すべては自分次第。自らの中に、求める宝がある。
◆からっぽ禅蔵◆
禅・坐禅・宗教・仏教系大学生の独り言。