新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

出家2・僧侶になりました!!

2010-03-30 09:51:09 | 日記
【写真は、SSさん出家のお寺から、山口県への移動途中の海】

3月26日(金)、SSさんの得度式へ出席後、山口県に移動した僕を待っていたのは我が師である。
今まで「山口の方丈様」と言ってきたが、これからは「我が師」と言おう。

我が師のお寺に到着後、明日の得度式のリハーサルをしたり、禅僧としての修行に関連した様々な事を教えていただいた。
僕は大学で禅・仏教を学んでいるが、基本的に大学では、禅・仏教を学問的な側面から学んでいるわけである。
その内容は、例えば禅宗史だったり禅の思想の変遷だったりして、具体的な禅僧としての修行方法を大学で教えているわけではない。仏教学部禅学科とはいえ、卒業後に全員が僧侶になるわけではないし、専門学校ではなく、あくまで大学なのだから当然である。

そういうわけだから、我が師から口伝で教わる禅修行の様々な事柄は、とても新鮮で興味深く、初めて知る内容も少なくなかった。

またこの日、明日の式本番で剃り落とすための一部分だけ髪の毛を残して、我が師に、粗方髪の毛を剃っていただいた。

そして師のお寺に一泊して、翌日は早朝起床。

いよいよ27日(土)、僕の出家得度式当日である。
まず、法堂で朝課。
そして午前中のうちに、四十九日法要に出かけた。
まさかと思って驚いたが、師が「四十九日法要があるからお前も一緒に来い。法要も経験しておけ。」と言うのである。

師と僕は、じきとつに絡子姿で塔婆等々、法要に必要なものを車に積み込んで檀家さんのお宅へ伺った。

大きな檀家さん宅で、何部屋かの仕切りとなっているふすまを取り払って、広々とした一部屋にしてあり、黒の喪服姿の檀家さんたち30~40人位が整然と着席している。
師と僕は、最前列前方の仏壇前に進み出て準備をする。
その場で、絡子から七条袈裟にサッと着替えた。
法要に先立って、師が僕を檀家の皆さんにご紹介くださった。
師と僕は、幾つかお経をあげたのち、近くにある故人様のお墓へ檀家さんたちと共に移動。
そちらでも幾つかお経をあげさせていただいた。
僕にとって、僧侶としての初仕事(?)であった。


昼食後、午後は師のお寺の灰作務等々雑用を少々。
そして午後3時過ぎ法堂にて、いよいよ僕の出家得度式である。
師の他に、侍者を担当してくださる方や、鳴らし物等を担当してくださる方、それにNSさんとSSさんが随喜してくださった。
勿論全員お袈裟を身に付けたお坊さんである。

長くなるので式の詳細は省略するが、とにかく我が師は勿論、侍者を担当してくださった方はじめ皆様に心より感謝している。

その翌日、東京へ向かう帰りの新幹線から窓の外の景色を見ていたら、大きな虹が現れた。
とても綺麗な虹だった。
その虹を見て思い出した事があった。
「あっ、そー言えばタイのチェンマイでの修行を終えて、バンコクに戻る時にも虹が出ていたなぁ。」と。


『禅語』
―禅蔵的解釈―
【8:自家宝蔵】仏法などと言って、外に求めるべからず。すべては自分次第。自らの中に、求める宝がある。

◆からっぽ禅蔵◆
禅・坐禅・宗教・仏教系大学生の独り言。

出家1・涙の出家得度式!

2010-03-29 09:48:06 | 日記
3月24日(水)、後日、出家得度式に使うので、じきとつ(お袈裟)一式と応量器をバッグに詰め込んで、荷造り完了。

25日(木)、最近買ったモテ・スリムwなスーツをパリッと着て、昨日荷造りしたバッグを持って出かけた。

僕を乗せた東海道山陽新幹線が、東京駅から、西に向かって滑りだした。

翌、26日(金)に予定されているSSさんの出家得度式は、午前中から始まるので、前日の25日(木)中に現地入りして、ホテルに一泊する予定だ。
前にも少し書いたが、SSさんは、この春、我が大学の仏教学部を卒業した方である。
僕はSSさんとは、幾つかの授業や、参禅部でも一緒だった。
そして偶然にも、出家得度も1日違い。
僕は山口県で得度で、SSさんは、山口県の隣の某県で得度する事になったのだ。


因みに、僕の出家得度式は、27日(土)に予定されている。


ところで、25日(木)に僕が西に向かっている頃、参禅部、前副部長のK君は、参禅部の活動についてテレビの取材を受けていたようだ。

僕は新幹線内で、出家式に必要な偈文を暗記しながら、時々窓の外に目をやり「K君もテレビの取材頑張れ〓」と願った。

この日は、現地到着後、特に問題もなく普通にホテルで休んだ。

26日(金)朝、シャワーを浴びてスッキリ目が覚めた。
ホテルをチェックアウトして、SSさんのお師匠様のお寺へ向かう。

行ってみると、僕が想像していたより多くの出席者がいらした。

お坊さんが13名程で、檀家さんその他一般の方々が20名位だろうか。

知った顔ぶれも数人いらした。
我が大学仏教学部で共に学ぶ、4年生のNSさんと、2年生のUSさんなど、お袈裟姿のお坊さんを初め、一般の方(出家前の仏教学部生)も含めて何人かいらした。
因みにNSさんとUSさんは、福井県某有名僧堂で同安居だったそうで、そのNSさんが、大学で仲良かったSSさんを、こちらのお寺の方丈様に紹介して、SSさんが今回出家する事になったそうだ。
また、USさんは大学の同級生を誘って、今回の式に出席したようで、こうした諸々のご縁によって、出席者の多い式になったようだ。


さて、式の中で一番印象的だったのは、SSさんが自らの家族位牌の前で、深々と一拝した時だった。

…SSさんが、畳みにオデコを付けて一拝したまま、なかなか顔をあげない。
「…あれ?」と思って良く見ると、彼は泣いていた…。
少しして彼は涙を止めて顔をあげ、式は続いた。

ジーンと胸が熱くなった。「…あれ…俺、感動している。」と思った。

式が終了すると、SSさんは凛々しいお坊さんに変身していた。


さて、SSさんの式終了後、僕は山口県へ移動した。今度は、いよいよ僕の番だ!!



『禅語』
―禅蔵的解釈―
【7:百尺竿頭進一歩】百尺の竿頭に例えた悟りの境地のテッペンに着いても、そこにとどまるな。一歩進んで元の世界へ降りてこい。そこで“悟り”にさえこだわらずに、のびのびと生きることだ。

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禅・坐禅・宗教・仏教系大学生の独り言。

いよいよ出家へ!!

2010-03-24 08:47:41 | 日記
いよいよ、日本での出家得度式に向けて、間も無く僕は西へ旅立つ!
式については、次回詳しく述べようと思う。

ところで僕が、生まれて初めて髪を剃り、出家して僧侶になったのは、去年ブログに書いた通り日本でではない。
去年の夏にタイで出家し、上座仏教僧侶となって修行したのだった。

日本では、お坊さんも結婚して、我が子にお寺を嗣がせる世襲が一般的である。また、檀家さん等々とのお付き合いもあるから、お酒を飲むお坊さんも少なくない。
世襲や飲酒についての是非を、ここで論じるつもりはない。

ただ、僕が去年出家修行したタイでは、日本とは大きく違っている事は確かだ。

タイでは、結婚や世襲どころか、お坊さんは彼女もつくれない。
っていうか、女性と触れあってはいけない。
相手が少女でも老婆でも、うっかり肩が触れる事さえ許されない。

勿論、お酒を飲むなんてありえないし、それどころか戒律に従って、昼を過ぎたら食事をしてはいけない。
食事は、朝食と、昼食(基本的にpm12:00までに食べ終える)
あとは、ひたすら瞑想である。


また、殺生も許されない。従って、蚊などの虫に刺されようとも、殺してはいけない。
(結果、蚊で媒介するデング熱に感染したお坊さんも身近にいらしたが…。それでも蚊一匹殺してはいけないのだ。)

とにかく、タイ僧侶の修行は厳格なのである。

そんなタイ僧侶としての修行生活と、日本での僧侶としての修行生活では、異なる点が少なくないと言って間違いないだろう。

しかし、日本には日本の厳しさがあるはずである。

大本山E寺や大本山S寺をはじめ、専門僧堂の厳しさは時々耳にするし、僕自身、某専門僧堂で、たまたま厳しいシーンを目撃してしまった事もあった。


いずれにしても、出家して僧侶になるからには、厳しい修行は覚悟している。
きっと、タイとは違った厳しさが僕を待っている事だろう。

その前にまず、いよいよ間近の出家得度式に期待が膨らむ。



『禅語』
―禅蔵的解釈―
【6:説似一物即不中】悟りの境地を言葉で示したとたんに違ってしまう。言葉で示せる悟りがあったら、それは悟りとは程遠いものだ。

◆からっぽ禅蔵◆
禅・坐禅・宗教・仏教系大学生の独り言。

宗教について

2010-03-21 00:08:34 | 日記
「自分は無宗教だ」と言う方が時々いらっしゃるが、それは宗教に対する誤解からくるご意見ではないだろうか。
宗教は様々な形で日常生活に浸透しているし、人類史上 宗教が全くない国や文化はまず無い。
従って、「宗教イコール信じるか信じないか」という低次元のロジックから離れてみれば、「宗教と全く関わりがない」という方はまずいないはずである。


さて、日本の伝統仏教に目を向けてみたい。
日本の仏教は、大乗仏教である。
僕が去年、タイで修行した上座仏教系の日本支部も幾つか日本にあるが、ここではその辺の事には言及しない。

基本的に日本の仏教は「宗派仏教」と言われ、古いデータだが、その数は「13宗56派」と言われる。
13宗とは、法相宗、華厳宗、律宗、天台宗、真言宗、融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、黄檗宗である。
56派も上の13宗内に含まれる。(例えば、真言宗○○派など)
従って、上の13宗以外の仏教教団は、基本的に新興教団という事になる。
「えっ?創価学会は?」という方がいらっしゃるかも知れないが、創価学会は20世紀になってからできた新興教団である。

いずれにせよ、様々な宗教教団があるが、最終的にどの教団を選ぶかは本人次第である。
例えば、ある人がA教団で救われたから、別の人にとってもA教団が良いとは、必ずしも言えない。

つまり、他人に強制されるのではなく、自分が良いと思う教団を選べば良いのだ。
人は、特定の宗教で救われるのではなく、各個人が選んだ宗教で救われるのである。

従って、自分が救われ、最も優れていると思う宗教教団であっても、それが「万人にとって優れている宗教教団」という事には必ずしもならない。

また、教団側と信者側のやり取りで「お布施をすれば、幸せになれますよ」とか、「これを買えば、悪霊がいなくなりますよ」とか、「坐禅修行すれば悟れますよ」みたいな“取り引き”的な会話が、よくありそうだが、僕はその手の“取り引き”は好まない。
僕は、何にもならない“坐禅”を、何の期待もせずに続けている。

はじめから全て備わっていて“成っている”んだから、この上 何にもなりようがない。w


『禅語』
【5:諸悪莫作、衆善奉行】一般的理解としては、悪いことはするな。良いことをせよ。という簡単な内容だが、理解するのは簡単でも、実行するのは難しい。

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禅・坐禅・宗教・仏教系大学生の独り言。

参禅部連絡!

2010-03-17 12:58:12 | 日記
最近、我が大学の参禅部連絡が、新部長からあった。今月下旬から来月上旬の部の予定に関する内容である。


それが過ぎたら、もう授業が始まるわけだが、なんだか、今回の休みはそんなに長く感じなかった。

去年の今頃は、死ぬほど長く感じたけどw

結局、この休みの間にやろうと思っていたことが、6割位しか出来なかったような気がする。

でも、まぁいいかw

4月からは3年生だ。新たな授業が楽しみだ。
それに、我が参禅部にも新入部員が入ってくれたらいいなぁ、と思っている。




『禅語』
―禅蔵的解釈―
【4:風幡問答】(風になびく幡を見て)
弟子A「幡が動いている。」
弟子B「いや、あれは風が動いているのだ。」
師「幡でも風でもない。お前達の心が動いているのだ。」
すべては、心がつくりだしたもの。
真実らしきものを外に求めるのではなく、自らの内なるものに気づけという事か。

※こうした禅語類の多くは、手を替え品を替え、言葉の表現は違っても、言いたい事は一つだけである事が少なくない。
『正法眼蔵』を読んだ事がある方なら「あっ、正法眼蔵も同じロジックだ。」とお気づきかと思う。
正法眼蔵も、章を替え言葉を替えながらも、同じ事(重要な第一義)を繰り返し述べている箇所が少なくない。

◆からっぽ禅蔵◆
禅・坐禅・宗教・仏教系大学生の独り言。