新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

祈り

2017-11-26 06:33:35 | 日記
既にご承知の通り、僕が最初に出家して僧侶になったのは、日本ではなく、タイであった。
タイの上座部仏教僧として出家したのであった。
そのとき、タイの人達には大変お世話になった。
だから、タイの人達への恩返しのつもりで、僕は、タイの貧しい子供たちに援助金を送っている。
その活動の延長で、タイのみに限らず、アフリカの貧しい子供たちにも送金している。
この事は、度々ブログにも書いている通りだ。

さて、そんな僕は、今度は、某環境保護団体へ寄付金を送った。

人間の貧しい子供たちだけではなく、人間以外の生物、特に、僕が好きな海で暮らすイルカ・クジラ類が住みやすい環境維持を祈る僕は、行動として、彼らのために寄付金を送ったのである。

そもそも、今さら言うまでもなく、我々人間による海洋汚染は深刻な問題である。

例えば、海に投棄された水銀は、海の生物の体内に残留して、食物連鎖を通じて人間の体内にも蓄積。この結果、あの、歴史的に有名な水俣病が起きた。
同様に、カドミウムも、イタイイタイ病を引き起こした。

いや、そうした過去の事例だけではない。

現在、福島第一原発の人災によって、何年経ってもダラダラと汚染水が海に垂れ流されている可能性がある。
いや、少なくともその汚染水の問題すら全く解決されていないのは事実だ。
にもかかわらず、「原発をベースロード電源とする」などと狂った発言をした独裁者 安倍晋三氏がいて、更に、信じられない事に、この狂った独裁者を支持する国民が多いこの国に、おそらく明るい未来は期待出来ない。
とにかく、もしも放射性物質が、海洋生物や人体に吸収されれば、様々なガンを引き起こす。

他にも、窒素やリンなどの無機栄養塩が大量に海に流されると、食物プランクトンが異常増殖して、赤潮を発生させるそうだ。
一部の赤潮は、魚たちを死なせてしまい、漁業に多大な被害を与える。更に、赤潮発生の縁起のよって、その後、今度は青潮と呼ばれる現象まで引き起こし、海岸付近のアサリなどの貝類も死なせてしまうそうだ。

まだある。発電所からの高温の排水は、周辺の海の水温を異常に上げてしまい、これによって周辺の海の生態系を壊してしまうという。

もっと言えば、ビニールやプラスチック等々のゴミも、それを餌さと間違えて食べてしまう海洋生物たちを窒息死させてしまう。
有名な所では海ガメだ。
彼らの好物はクラゲである。
海に浮かぶ半透明のビニールを、海ガメたちはクラゲだと思って食べてしまい、死に至るのだ。

少し前に、僕が砂浜で見た死んだバンドウイルカも、僕はブログに書いた通り、その場で、そのイルカの供養のためにお経を唱えたが、もしかしたら、そのイルカの死因も、有害な人工物または消化出来ない人工物を間違って食べてしまった事による死かも知れない。
だとしたら、あのイルカを殺したのは我々人間という事になる。
もしそうだとしたら、僕にとってこれほど悲しくて悔しい事はない。

いや、そのイルカの死因は別にあるとしても、いずれにせよ、こうした海洋汚染は、当然、スナメリやその同種の生物たちにも悪影響を与える事は言うまでもない。

だからこそ、海の環境を守る事に、僕も、環境保護団体への寄付金という形で、ほんの少しでも協力したいと思ったのだ。

僕が僧侶としてのお勤めで頂いているお布施の一部は、このように使わせて頂いている。

改めて、世界の貧しい子供たちと、僕が海で波乗り(サーフィン)中に会うスナメリとその同種の生物たち、彼らの多幸を強く祈る!

合掌

さて、昨日・一昨日と連日ご葬儀が続いたが、今日は、ご法事のみだ。
とは言え、今日のご法事は少々遠方なので、早めに出発しよう。
そして、今日もしっかりご供養させて頂こう。

貧しい子供たちとイルカ・クジラ類たちのためにも。

では、行って参ります。



◆新・からっぽ禅蔵◆

不思議

2017-11-19 10:22:12 | 日記
僕は、18歳~38歳位迄の20年間波乗り(サーフィン)をしていた。
その20年の間に、波乗り中にスナメリ(イルカの一種)に遭遇したのは僅か4回だった。
中には、僕と同じサーファーでありながら、スナメリを1度も見た事がなくて、「え~、本当にあの辺りの海にスナメリなんか居るのぉ?」と疑る人さえいる。
つまり、めったに遭遇する事はない生き物なのだった。

ところが、18年ぶりに今年9月から波乗りを再開して、僅か2ヶ月強で僕はもう3回もスナメリに遭遇している。

これは、「何らかの環境の変化によって、昔よりも今のほうがスナメリの出現率が上がったのだろう」と考えるのが自然だろう。

つい先日、3回目の遭遇は次の如くであった。

その海は、前回、砂浜にバンドウイルカの死体が打ち上げられていた場所だ。
そこで僕は、イルカの供養のためにお経を1巻唱えた事は前にブログにも書いた。

今回その海で波乗りしていた時の事である。

初め、僕の他に もう1人だけサーファーが海に入っていた。
少しして、そのサーファーは海から上がって行った。

その海には僕1人だけになった。

すると直ぐに、沖側から大きなスナメリがこちらへ向かって泳いで来た。
僕は、「あっ、スナメリだ。いや、でもデカい…!」と思った。

今回のスナメリは、いつも見かける小さめの個体とは違って、かなり大きい個体だった。最低でも2メートル以上。少なくとも、身長177センチメートルの僕よりは大きかった。
そして、いつもの個体はやや青黒く見えるのだが、今回の大きな個体は、正に、スナメリらしく白ぽい色をしていた。

そもそも、
「海は広いのに、何故これほどまでに頻繁に、僕はスナメリと遭遇するのだろう」
「それに、イルカ・クジラ類の彼らが人間を襲ったという話しは聞いた事が無いが、同じイルカ・クジラ類の仲間であるシャチなら人間を襲うだろう。」
「いま、僕の周りを泳いでいるこの白くて大きなスナメリだって、早朝の捕食時間なのだから きっとお腹が空いているだろう。空腹ならば、いま目の前にある人間(僕)の手や足の1本位、食いちぎって行ったって不思議ではないのではないか?」
「なのに、彼ら(スナメリ)は、決して人間を傷つけない」
海の中で僕は、そんな事をあれこれと考えていた。
そして僕は誓った。
「彼ら(イルカ・クジラ類)は僕を襲わないのだから、それならば僕も、今後一切、イルカ・クジラ類の肉は食べない」と。

さて、しばらく僕の周囲で泳いでいたそのスナメリは、突然、ふっと姿を消した。
岸のほうを振り返ると、再び、僕の他にもう1人、別のサーファーが海に入って来ていた。

今回の白くて大きなスナメリは、僕1人だけが海の中にいる時に姿を現し、他の人間が海に入って来たら姿を消したのだった。

いや、それも単なる偶然であろう。

しかし、海で、人間(僕)1人とスナメリ1頭だけでいたあの時間は、僕にとっては、ちょっと不思議で、ちょっと癒やされる時間だった。

考えてみれば、もしも地上で、人間より大きな野生動物、例えば熊などと遭遇したら かなり危険だろう。
ところが、海で、スナメリと1対1で遭遇しても、僕は危険な目にはあわなかったわけだ。
彼ら(イルカ・クジラ類)の事をもっと知りたい。
そして、度々彼らと遭遇出来る波乗り(サーフィン)は、当分やめられそうにない。




◆新・からっぽ禅蔵◆

禅話111ー仏の上の境地とは!?ー

2017-11-12 07:36:52 | 日記
◆鵝湖和尚〔智孚〕


○原文

問、「如何是佛向上人?」
云、「正知闍梨勿奈何。」
進曰、「為什摩勿奈何?」
云、「未必小兒得見君王。」


○試訳

問う、「如何(いか)なるか是(こ)れ佛向上人(ぶつこうじょうにん=悟りを得た仏にさえ執着しない境地の人)?」
云(い)わく、「正に知る、闍梨(じゃり=キミ)は奈何(いか)んともすること勿(な)し。」
進みて曰わく、「什摩(なん)と為(な)してか奈何んともすること勿しか?」
云わく、「未(いま)だ必ず小兒(しょうじ=子供)は君王に見(まみ)え得ず。」


○超訳

弟子が鵝湖師匠に問う、「私はホトケの悟りの境地を求めて修行して来ましたが、その事にさえ執着しないホトケ以上の境地に達した人とはどういう人の事ですか?それはどのような境地ですか?」
鵝湖師匠が答える、「そんな質問をすること自体、キミが その境地からは最も遠いという事だよ。」
弟子は身を乗り出して問うた、「どうしてですか!?」
鵝湖師匠が答えた、「キミは根本的に修行の何たるかを取り違えている。言わば、キミはまだ何も知らない幼子のようだ。今のまま修行を続けても、キミが仏や仏向上の境地に達する事はないよ。」


※まあ、「修行!修行!」「坐禅!坐禅!」「悟り!」「悟り!」などと言っているうちは、まだ何も体得していないし、何にも気づいていない。
それどころか、やり方を間違えていれば、今後も永遠に何も体得出来ないのではないかな?

ちなみに僕は、日々、僧侶としてしっかりとお勤めさせて頂きながら、後は、過度に仏を語らず、大宇宙が生み出す一期一会の自然の波に乗っている。
……とすると、仏向上人って、もしかして僕の事?(笑)

いやいや、仏向上人なんかじゃなくたっていい。
今現在、僧侶としてのお勤めが出来て、最高に気持ちいい波乗り(サーフィン)が出来て、そして、尊敬する彼女と楽しく仲良く暮らしている。
僕にとってこれ以上の幸せはない。

すべてに、感謝、合掌。



◆新・からっぽ禅蔵◆

お布施0円のご供養?

2017-11-05 08:02:06 | 日記
少し前に、30歳代女性のご葬儀をお勤めさせて頂いた事はブログにも書いた。

そして つい先日、今度は、15歳の少女のご供養をさせて頂いた。
彼女の死因は、守秘義務ではないが、ブログごときには書かないつもりだ。
ただ ただ、ご冥福を祈る。

合掌

さて、その少女のご供養とは別の話しだが、先日僕は、一切のお布施を頂かずに、ある生物のご供養をさせて頂いた。

思えば、僕がお布施を頂かずにボランティア的にご供養させて頂いたのは、これで2回目だ。

1回目は、以前ブログにも書いた通り、あの3.11の大震災の1年後の3月11日に、僧侶仲間と被災地へ行ってご供養させて頂いた。

そして今回、お布施を頂かずにご供養させて頂いた件は、以下の如くである。

先日僕は、某海へ、いつものように波乗り(サーフィン)に出かけた。
その辺りの海は、ブログにも書いた通り、僕が時々スナメリ(イルカの一種)と遭遇する所だ。
この日、最初に入ったポイント(波乗りをする海のエリア)は、波が小さ過ぎて物足りなかった。
そこで、途中で海から上がって、もう少し波にサイズがあるポイントへ移動した。
近くなので、ウェットスーツ姿で脇に板(サーフボード)を抱えたまま、砂浜を歩いて移動した。

この日は天気も良くて、11月とは思えないほど日差しが暖かく、濡れたままのウェットスーツ姿で砂浜の波打ち際をしばらく歩いていても、全く寒くはなくて、まるで初夏のようにポカポカしていて気持ちが良かった。

すると、前方の砂浜に、ほ乳類らしき生き物の死体が横たわっていた。

僕は、「あ、いつものスナメリが死んでいるのかな?」と思った。

しかし、近づいてみるとスナメリの死体ではなかった。

それは、体長2メートルほどの、バンドウイルカ(最も代表的なイルカ)の死体だった。
見た所、特に目立った傷はないように見えたので、サメなどに襲われたわけではなさそうだった。
もしかしたら、病気だったのだろうか?

いずれにせよ、僕は、ウェットスーツ姿のままではあるが、この亡くなったイルカに向かって合掌し、その場で、供養のためにお経を1巻唱えた。

どうか、安らかにお眠りください。

合掌

お経を唱え終わると、僕は、いつものように板(サーフボード)に乗り、海へ出た。

そこは、人間が頭で考えて作り出した “戒律” や “寺社仏閣” とは全く異なる、無条件に自然(自ずから然る)世界である。





◆新・からっぽ禅蔵◆