新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

情報操作〜TikTokで削除された文章〜

2022-12-28 12:20:26 | 日記
当ブログは既に「最終回」を終えたが、最近、TikTokによせた文章が削除されたので、この場にあげておく事にしたい。

まず、経緯はこうだ。

つい先日、TikTokで、安倍晋三氏を殺害した山上徹也容疑者の動画を見た。

僕は、それに対してコメントをした。そのコメントは、多くの方々から「いいね」を頂いた。
ところが、間もなく、僕のそのコメントは削除された。更に、僕のアカウントからは、TikTokにコメント出来ないように制限されてしまった。

僕は、そんなにも悪しきコメントをしたのだろうか?

削除させた僕のコメントは、以下の「」内の文章である。

「殺人行為は断じて許してはならない。しかし、彼の行動によって旧統一教会問題が明るみになり、苦しんでいる同信者たちを救うきっかけとなった。その意味で、彼の行動は、世に大きな一石を投じたと言える」

いかがだろうか?
削除され、以後コメントが制限されるほどの内容なのだろうか?

細かく点検してみたい。

まず、冒頭「殺人行為は断じて許してはならない」と明言した。これにより、決して殺人を肯定していないし、「許してはならない」と僕はハッキリと言っている。

次に、「しかし、彼の行動によって旧統一教会問題が明るみになり、苦しんでいる同信者たちを救うきっかけとなった」。
これは、現実に起きている事実を述べたに過ぎない。殺人は許してはならないが、皮肉にも、旧統一教会を巡る一連の流れが、この事件がきっかけとなって起きている事実は曲げようがない。

そして、「その意味で、彼の行動は、世に大きな一石を投じたと言える」
ここでも、べつに山上徹也容疑者を讃美しているわけではない。「一石を投じる」に、「讃美」という意味は含まれていない。ある種の影響を与えた、とか、ある一定の問題を提起した、等の意味にとどまる。

以上であるが、改めて、上の文章がなぜ削除され、以後コメント制限されたのか、僕には理解できない。

この国は、ある程度、表現の自由が保証されているものと信じていた。勿論、誹謗中傷などは許せないが、上のような文章でも削除されるようでは、この国も、ある一定の方向を向くように、情報操作がなされている、と感じてしまう。

まあ、別の視点から見れば、僕の言葉は、良くも悪くも、強い影響力がある、という事なのかな?(笑)


それでは、皆様 良いお年をおむかえください 

合掌




◆新・からっぽ禅蔵◆

マーボーさん、ありがとうございました!

2022-12-10 11:58:38 | 日記
僕が、湘南に住んで毎日のようにサーフィンをしていた頃、たいへんお世話になった小室正則さんが、12月8日にお亡くなりになったそうだ。

小室正則さんは、日本サーフィン界のレジェンドで、「マーボーさん」の愛称で親しまれた。

享年74との事なので、まだまだお若いのに、たいへん残念な事である。

僕が湘南に住んでいた頃、短い期間でしたが、僕をFOX MAGIC サーフショップの店長として雇ってくださり、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

禅蔵 合掌



◆新・からっぽ禅蔵◆

最終回

2022-10-18 11:03:01 | 日記
「最終回」と題したが、気が向いたら、またブログ記事を書くかも知れない。
とにかく、今は少しブログをお休みしようと思う。

理由は、僧侶としてのお勤めがそこそこ忙しいのと、趣味のサーフィンに没頭していたい、という単純な事。
加えて、ブログに書きたい事は、もう書き尽くしたようにも思う。
特に、禅について、と、水辺をナメて水難事故で死亡する人に、水辺をナメるな!と、言い続けた。 

但し、いつまでも僧侶としてのお勤めをし続けたいとは思っていない。いよいよ高齢になったら、還俗してお勤めを終えてノンビリしたい。
また、趣味のサーフィンも、あとどれほど続けられるかわからない。身体的な衰えを明確に感じたら、思い切ってサーフィンを辞めなければ危険であるばかりではなく、周囲の人達にも迷惑をかけてしまうかも知れない。

さて、簡単に、これまでの経緯を振り返ってみたい。

中卒でチャラい人生だった僕が、元高校教師だった現在の妻と出会い、勉強を教わって高校卒業認定を取得し、僧侶を目指して駒澤大学仏教学部に入学。
4年間、禅・仏教を学んだ。
その在学中、国内のアチコチの坐禅会に参禅。臨済宗寺院・曹洞宗寺院は勿論、天台宗寺院での坐禅、真言宗寺院での瞑想等々をしてきたばかりではなく、タイへ行って、タイ上座部仏教僧侶として出家。
更に、日本に帰国してから日本の曹洞宗僧侶として出家した。
卒業後、専門僧堂で修行の後、現在に至る。

上座部仏教僧、大乗仏教僧、その両方を経験してきたばかりではなく、妻が勤めていた女学校はミッション系であった事などから、キリスト教など、仏教以外の宗教や思想にも触れてきた。

但し、すべて順風満帆というわけではなく、僧堂修行中に身体を壊し、現在もその後遺症に苦しんでいる。

一方で、駒大2年の頃に当ブログを書きはじめて直ぐに、坐禅とサーフィンの共通点について書いた。
そして、今から5年前には、長年やめていたそのサーフィンも再開した。

以上がこれまでの経緯である。


さて、写真は、「Blue.」というサーフィン誌に付いていたカレンダー、その10月の頁。
誰もいない一筋の道の上で、一人のサーファーがスケボーをしている写真と伴に、次のような言葉が記されている。

「誰かが作ったアトラクションに興味はないんだ
その点この道は、たいくつにも、ストークの舞台にもなる
すべては僕次第、遊びも生き方も、そのほうが刺激的さ」

うん、同感である。
最近は、国内外で、ウェーブプールが建設され、その人工的に作られた波で行うサーフィンが注目されているが、僕は、そんな人工的な波には興味はない。
サーフィンにはあまり適していない波であっても、自然の波でサーフィンしていたい。その波は、退屈にも、夢中になれる波にもなり得る。
すべては僕次第。
刺激的な僕の道を、あと少しばかり、僕らしく歩んでいこう。


【Zai jian 再見】


※最後になりましたが、今まで当ブログをお読みくださった皆さまに御礼申し上げます。
同時に、皆さまと皆さまのご家族の御多幸を祈念申し上げます。

合掌



◆新・からっぽ禅蔵◆

まぼろし

2022-10-01 15:25:53 | 日記
過日、僕がサーフィンをしていた時間帯に、母がコロナで他界した。これは前回に書いた。

母の母、つまり僕から見て母方の祖母は103歳まで生きたので、母もきっと長生きすると思っていた。それだけに、母が他界した事は今でも信じられない。
本当に、コロナは恐ろしい。

ところで、僕がまだ、今よりずっと若い頃に、母は1度だけ、僕に対して次のように言った事があった。
「お前がサーフィンしている所を、1度見てみたい」と。
だが、結局、僕は母を海に誘う事はなかった。

母が他界した今、「1度くらい、母を海に連れて行けば良かった」と、軽い後悔をした。

そして先日、僕は、いつものように誰もいない海でサーフィンをしていた。

途中、少し長めの波間があり、その時に、波間にプカプカ浮きながらバカな事を思いついた。
「周囲に誰もいないんだから、幽霊でいいから、母が砂浜に現れて僕のサーフィンを見てくれたらいいのに」と。
そう思って海の中から砂浜のほうを振り返った。

すると、驚くべき事に、誰もいない砂浜で、ただ1人だけ、白っぽい服を着た高齢女性が波打ち際に立ってこちらを見ていた。
「えっ? ウソでしょ? まさか母?」と思った。

するとその高齢女性は、しっかりと海の中にいる僕の方を見ながら、両手を、大きくゆっくりと広げて高く上げた。
両手で僕に手を振ろうとしているように見えた。
「これは現実なのか?」と思った。

すると次の瞬間、その高齢女性は、高く上げた両手を回したり、上半身をひねったりして、軽い体操を始めた。
何の事は無い。その高齢女性は、健康のためなのだろう。早朝に海辺を散歩して、砂浜で軽い体操をしていただけだったのだ。(笑)

僕は、一瞬でも、本当に母が現れたのかと思った僕自身に対して苦笑した。

因みに、その場の海には、その後も2〜3回続けて入ってサーフィンをしたが、いつ行っても、毎回その高齢女性が散歩をして体操していた。おそらく毎日の日課なのだろう。

ただ1つだけ不思議なのは、母が他界する前から、僕は頻繁にその海でサーフィンをしていたのに、母が存命の頃は、その高齢女性の存在には気づかなかった。

おそらく、見えていても気に止めなかった。ところが、母が他界してからは、母と年齢の近い高齢女性に目が行くようになった、という事なのかも知れない。

その高齢女性の、ご健康とご長寿を祈念する。

合掌




【写真︰先日サーフィンをした某海。右端の黒い物体は消波ブロック。】
◆新・からっぽ禅蔵◆

母と海と

2022-09-19 19:42:44 | 日記
病気などで病院の入退院を繰り返していた高齢の母が、今月9月1日に介護付き老人ホームに入居した。
だが、入居して僅か1週間ほどで、母は、その施設内でコロナに感染した。直ぐに再び病院へ入院したが、17日、母は永眠した。

父は、今から7年前に他界したが、苦しむ事もなく、突然、フッと亡くなった。
しかし、母は、コロナで相当苦しかっただろうと思う。

母の冥福を祈る 合掌

ところで、サーフィン好きの僕にとって、個人的にちょっと不思議な事があった。

母がコロナ感染した事を知った後、コロナなので面会や見舞いには行けない。そこで僕は、いつものように海に行ってサーフィンを楽しんだ。
僕以外には誰もいない海で、1人でサーフィンをした。
だが、海の中でも、母の事が気になっていた。
いまいちサーフィンに集中できず、頭の中で次のような考えがグルグル回っていた。

「母は高齢だし、入退院を繰り返すほどの持病もある。更に、以前、コロナワクチン接種の翌日に死亡した知人もいたので、母を含め、我が家では誰もワクチン接種はしていない。
このような状況でコロナ感染した母が、助かって回復する可能性は限りなくゼロに近いだろう。母はもうすぐ亡くなるのか? なんだが信じられない」と。

そんな事を考えながら、誰もいない海で僕1人でプカプカと浮いていた、その時だった。

スナメリ(イルカの一種)が現れた。
いや、スナメリはサーフィン中に頻繁に遭遇するので、僕にとっては珍しくはない。
但し、普段は1頭か2頭位しか現れない事がほとんどなのに、このときは、何頭もの群れで現れた。
ポツンとただ1人浮いている僕は、気づくとスナメリの群れの中にいたのだ。
僕は、母の事で落ち込んでいる気持ちを、そのスナメリの群れに癒やされた。

そして、その次にサーフィンをしに行ったのは、9月17日土曜日だった。
普段、土日祝祭日は、僧侶としての法事や葬儀で忙しい。ところが、この日は土曜日であるにも関わらず、たまたま時間が空いてサーフィンをしに海へ行ったのだ。
いつものように早朝、夜明け頃には海へ入る。
いつ・何時間サーフィンをしたのか、毎回記録を付けているので、入水時間は必ずチェックする。
この日に海に入った時間は、「5時5分」だった。

そして、サーフィンを終えて海から上がり、スマホをチェックすると、普段から母の面倒をよく見てくれていた妹から、一通のメールが入っていた。
その内容は、「今朝、早朝5時5分、母が亡くなりました」という知らせだった。

「とうとう母が亡くなってしまった」というショックを受けると同時に、「えっ?」という驚きもあった。

母が亡くなった時間「5時5分」は、まさに、僕が海に入って両足を地上から離して両手でパドリングを開始し、沖へ向かった時間だった。

なんとなく、個人的に、不思議な気分だった。

これからしばらくは、毎回、海に入って沖へ向かってパドリングを開始する度に、母の事を思い出しそうだ。

あらためて、母の冥福を祈る

合掌




【写真︰先日サーフィン中に、スナメリの群れに遭遇した某海。】 
◆新・からっぽ禅蔵◆