新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

きらめく命と、美しい死者

2016-08-31 10:19:17 | 日記
僕は、僧侶として多くのご葬儀をお勤めさせて頂いている。
その際、もうどれほど多くのご遺体を拝見したか数えきれないほどだ。
お棺の中でお眠りになられている故人のお顔は、希に、苦しそうな表情の方もいらっしゃるが、ほとんどの場合は安らかな表情だ。

中でも、本当に眠っているように安らかで美しいお顔だったのは、男性では、自殺で亡くなった17歳のイケメン男子高校生。
女性では、突然死した0歳の赤ちゃんだった。

そして、大人の女性では、つい先日、乳癌で亡くなった40歳の女性が美しかった。
彼女は、本当に驚くほど綺麗で魅力的だった。

僕は思った。
「亡くなっても こんなに美しいなんて、生前はどれほど綺麗な人だったのだろう」と。

しかも、彼女が亡くなるまでの間には、涙無くしては聞けないようなドラマチックな感動のエピソードがあった。
だがそれは、僕が、ブログに公表する事ではない。
守秘義務ではないが、彼女のエピソードは公開しない。

ところで、先日テレビの報道で見たのだが、日本の場合、15歳~39歳の死因の第1位は、自殺だそうだ。
(外国では15~39歳の死因トップは事故死)

また、僕がご供養させて頂いた中では、乳癌や子宮癌などの女性特有の癌で亡くなった20歳代~50歳代女性が本当に、驚くほど多い。

そこで、僕は思う。

以前にもブログに書いたが、これは何度でも書こう。

どうか、自殺は思いとどまってほしい。
学校も、会社も、イヤならやめればいい。
しかし、人生をやめる必要はない!

そもそも、人生の意義だの、生きる価値だのは、クソ食らえだ!
そんな余計なものをアレコレと盛るから苦しくなる。

ただ生きているだけで、あなたの命は全身全霊でまぶしいほど煌めいている事に気づいてほしい。

そして、

若い女性たちは、必ず定期的に女性特有の癌検診を受けてほしい。
乳癌の場合、早期なら、日帰り手術で乳房も残せるケースもあるそうだ。
しかし、放っておけば間違いなく死ぬ。

皆様の、命の煌めきの継続を祈る。

合掌

そして、

改めて、亡くなった方々のご冥福を祈る。

合掌




◆新・からっぽ禅蔵◆

禅話90ー和尚の家風は!?ー

2016-08-28 18:12:07 | 日記
以前、朝起きたら、僕の足にクッキリと手形が付いていた事があった。
その指の跡は、僕自身が寝ている間に付けたにしては不自然で、どうやっても、角度的に僕自身が付けれる指の跡ではなかった。
それは まるで、寝ている間に何者かに力強くつかまれたような指の跡だった。
この話しは、以前当ブログに書いた。

そして今回、それと似たような事が、昨日また起きた。

今度は、朝起きたら、左腕に爪でひっかいたような跡があった。
そのひっかき傷は、腕の上のほうから複数本。
長いものは、肘の下のほうにまで達していた。

寝ている間に、僕自身が手でひっかいたのだろうか?

いや、それにしては不自然な跡だった。

その跡は、まるで猫にひっかかれたか、或いは、何かの金具に引っかけたような細い線だった。
少なくとも、日頃から爪を短く切っている僕の爪先では付けられない線であった。

言うまでもない事だが、僕は、猫などのペットは一切飼っていない。
それに、寝ている間に引っかけてしまうような金具などの硬い物も、布団・寝具の周囲には全く無い。

では、この爪跡のようなものは、いったい何なのか?

この世のものではない何者かに付けられたのだろうか?(笑)

いやいや、そんな事はないだろうがw
しかし、説明のつかない跡である事は間違いない。

【写真:写真では見え難いかも知れないが、実際の僕の左腕に付いた傷。繰り返すが、前夜に布団に入る前には傷は全く無くて、翌朝に、この通り傷だらけだった。】

それはともかく、以下は本題。


◆先同安和尚


○原文

有僧問、「如何是和尚家風?」
師云、「金鶏抱子帰霄漢、玉兎懐胎入紫微。」
僧曰、「忽遇客来時将何祗対?」
師云、「金菓早朝猿摘去、玉花晩後鳳銜来。」


○訳文

僧有りて問う、「如何なるか是れ和尚の家風?」
師(先同安和尚)云く、「金鶏は子を抱えて霄(よる)漢に帰し、玉兎は懐胎して紫微(しび=天帝の居処とされる星座)に入る。」
僧曰く、「忽遇(こつぐう=たまたま)客来たる時は何を将(もっ)て祗対(したい=対応)せんや?」
師云く、「金菓は早朝に猿が摘まみ去り、玉花は晩後に鳳(ほう=巨大な鳥)が銜(くわ)え来る。」


※優れたものは、宝を持って、手の届かない良い場所へ行ってしまう。
客がやって来ては、宝を得たり、或いは、宝を持参したりする。

転じて、大切なものは、固定化した場所にとどまる事なく刻々と過ぎ去る。
だからこそ、今のこの一瞬一瞬を丁寧に生きるべき。
その体得を目指すことこそが、わが門の家風である、といったところか?




◆新・からっぽ禅蔵◆

平和で素晴らしい世界?

2016-08-24 10:11:11 | 日記
SMAPが解散するだの、しないだの、やっぱり解散するだのと、どうにも みっともない事である。

また、俳優の高畑裕太容疑者が、強姦傷害の疑いで逮捕されたという。
これもまた みっともない事である。
ちなみに、大麻や覚醒剤犯罪の場合は、初犯なら執行猶予で直ぐに社会に出て来れる事が多いが、強姦や強盗など、「強」が付く罪名だと、ほとんどの場合は実刑で刑務所行きだ。
高畑容疑者も、「強姦」という罪名がくつがえらない限り、刑務所に服役する事になるだろう。

いずれにせよ、これが事実であるならば、被害にあった女性にはお見舞い申し上げる。

更に、国際オリンピック委員会(IOC)の理事が、リオオリンピックのチケットを不正販売して逮捕された。

そればかりではない。

同リオ五輪のゴールドメダリストの水泳選手は、酔っぱらってガソリンスタンドのトイレを破壊したばかりか、その事実を隠すために、「強盗にあった」などとウソの証言までしたとか。
こんな事をした選手が、母国アメリカでは英雄だそうだから呆れてしまう。

そういえば、以前、カメラを盗んだとか盗んでいないとかの一件で、騒ぎになった日本の水泳選手もいたっけ。

また、アテネと北京の両オリンピックで、ゴールドメダリストとなった日本の柔道家は、教え子の女性に性的乱暴をしたとかで逮捕され、現在 刑務所に服役中だ。
この案件の罪名も、確か「準強姦罪」で、「強」が付いているので実刑になった一例とも言える。

さて、女性に対する犯罪といえば、何も芸能人やゴールドメダリストだけが犯す犯罪ではない。

日本の現職警察官による女性への犯罪行為は、ストーカー、痴漢、強姦、殺人、等々、警察官が女性を襲う事件は、もう数えきれないほど発生しているのは周知の通りである。

一方、アメリカの白人警察官たちは、黒人たちを次々に撃ち殺しているのも有名な話しだ。

さて、

こんな世の中が、平和で豊かで、健全で正常な世界だと言えるだろうか?

とにかく、発言力のある有名人は、言動に責任をもってもらいたい。

また、犯罪を犯した者たちは、法の裁きを受けて、きちんと反省してもらいたいものだ。

そして、あらためて、それぞれの犯罪の被害者の方々へ、お見舞い、お悔やみ申し上げます。

合掌




◆新・からっぽ禅蔵◆

禅話89ー仏と衆生の異なる名称ー

2016-08-21 06:50:21 | 日記
過日、東京近県の某御寺院様にて、盂蘭盆の大法要があり、僕も随喜(参加)させて頂いた。
こうした行事は、決まって殿鐘(法堂の鐘)の打ち出しから始まる。

逆に言えば、この鐘を鳴らさなければ、法要は始まらない。

法堂には、既に檀家さん方々が100人以上お集まりになっている。
そこで、この大法要の始まりを告げる殿鐘を、僕が担当させて頂いた。

開式時間の数分前、僕は溢れるほど大勢の檀家さん方々をかき分けるようにして殿鐘の下へ行った。

100人以上もの檀家さん方々は既に「シーン」と静まり、僕が打つ開式の鐘を待っている。

殿鐘の下は、その鐘を打つためのスペースを事前に開けてあった。

ところが、殿鐘前の席に座っていた1人の40歳~50歳位の女性が、椅子を殿鐘下へ移動して、殿鐘の真下に座っていた。

僕は、その女性に丁重にお願い申し上げた。
「すみません。頭上の鐘を打ちますので、隣の席にご移動頂くか、少し前につめて頂いてよろしいですか?」と。

彼女の隣の席は空席だったし、少し前の、元々その椅子があった位置へ移動して頂くようお願いしたわけだ。

「ああ、ハイ」と言って速やかに移動して下さる、と信じていた。

ところが、その女性は違った。

何を思ったのか、彼女は、不機嫌な表情で次のように言った。
「隣の席は誰か他の人が来るかも知れないし、私はこの席にいます!」と。

そこで僕は、隣の、更に隣の席に座っていた小学生位の女の子に聞いた。
「この空いた席に、お父さんかお母さんか、誰か来ますか?」と。
女の子は首を横に降った。
改めて僕は、殿鐘下に居座ろうとする女性にお願いした。
「隣の空席には誰も来ません。もう始まりの1分前です。今から他の人が隣の席に座る事はございませんので、隣の空いた席にご移動お願いします」と。

その女性「いやです!私はここから動きません!」

僕「ではこの席で結構ですから、せめて少し前につめて下さい。このままでは、皆様のための御法要開式の鐘が鳴らせません。どうかお願いします。」

そのうち、僕と彼女の会話が周囲の方々にも聞こえて、周囲の方々は、その分からず屋の女性に対して、冷たい視線で にらみ付けた。
特に、女性は女性に厳しい?ようで、他の女性たちが、分からず屋のその女性に対して、かなり厳しい視線を送っていた。
隣の隣の席に座っていた小学生位の女の子などは、その分からず屋の女性を、異常者だと思ったのだろう。脅えた表情でその女性を見ていた。

その女性は、自らの分からず屋な態度によって、自ら四面楚歌に陥り、居たたまれなくなって、ついに、「私、帰ります!」と捨て台詞を吐いて、法要が始まる直前に退席してしまった。

既に、開式時間5秒前だった。

ギリギリになって僕は、なんとか無事に殿鐘を打ち始める事が出来た。

この鐘の音により、大法要は無事に開式し、予定通り行われた。

あの女性が、なぜ皆様のための大法要の開式を妨害したのか、それは全く不明だが、もしかしたら、身内を亡くした悲しさから、ヤケを起こしていたのだろうか?
去っていく彼女の、背中を丸めた姿が、あわれで悲しい姿に見えた。

しかし、どんなに辛く悲しい時でも、他人に対して八つ当たりするような行為は頂けない。
ましてや、100人以上もの方々のための御供養の行事を、妨害してはならない。

いずれにせよ、こんな話しは今まで諸先輩僧侶の方々からも聞いた事がない。

どうも僕は、いちいち珍しいケースに直面する事が多い星のしたに生まれついたらしい。

さて、前置きが長くなったが、以下は本題。


◆逍遙和尚〔懐忠〕


○原文

問、「一切衆生皆有佛性、為什摩有佛性有衆生?」
師曰、「肯即同衆異、不肯即異衆同。」


○訳文

問う、「一切の衆生(しゅじょう)に皆(みな)佛性(ぶっしょう)有り。什摩(なん)と為してか佛(ほとけ)有らん 衆生有らん?」
師(逍遙和尚)曰く、「即ち衆が異なるも同(とも)にするを肯(うけが)う。即ち衆が同にするも異なるを肯わず。」


※「一切衆生悉有佛性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)、すなわち、全ての生き物は、仏(ほとけ)と成りうる本性を内包している、と仏教に於いて説かれる。〔この説に対しては、批判的な見解もあるが、今はそれには触れない。〕
もしそうであるならば、「仏」と称するものと、「衆生」と称するもの、それぞれ別々の名称に分けられているのは何故なのか?
という問いに対する逍遙和尚の解答が示されている。

「肯う=承諾する」のは、「衆=生きとし生けるもの」を同にす。
「肯わず=承諾しない」のは、同なる「衆=生きとし生けるもの」を異なるとすること、という事か。
転じて、「仏」と称するものと、「衆」と称するものは、異なる名称のものではあるが、これを同に見る、という事だろうか。





◆新・からっぽ禅蔵◆

我れ先?

2016-08-17 11:16:01 | 日記
先日、法事の帰りにスーパーに立ち寄り、食品類の買い物をした。
店内は混雑していて、幾つかあるレジには長い列が出来ていた。
僕もその長い列に並んだ。

もうすぐ僕の番だと思ったとき、僕の後ろに小学6年生位の女の子が並んだ。
彼女は、マーシュ彩さん似の美少女だった。
彼女の買い物はアメ1袋だけだった。

僕は、彼女に言った。
「キミ、そのアメ1つ買うだけなら、先にレジやっていいよ」と。
つまり、レジの順番を譲ってあげたのだ。

いや、彼女が美少女だから譲ったわけではない(笑)

僕は、僕が沢山買い物するとき、何か1個だけ買おうとして僕の後ろに並ぶ人に、順番を譲る事がよくあるのだ。

今までも、中年のおばさんや、ニッカボッカ姿の肉体労働系のお兄さん等々にも順番を譲っている。

それはそれで、僕が勝手にやっている事なので、まあ良い。

しかし、一方で、バスや電車、或いはタクシー等々に乗る時に、割り込みをしようとする輩には、僕は譲らない。

電車やバスのドアが開いた瞬間に、先に並んでいる僕らを無視して、脇から突然割り込もうとする人には注意をする事がある。
「皆さん並んでいるんですから、割り込みはやめて下さい」と。

こういった割り込みをする輩は、僕の知る限り、決まって年輩の人である。
おばさんか、おじいさんか、おばあさんたちなのだ。

そういった年輩の人なのだから、割り込まなければ「どうぞ」と言って席だって譲るのに、割り込みしようとするから、席も順番も譲る気持ちにはなれない。

更に、先日、驚くべきおばさんがいた。

某駅前のタクシー乗り場で、炎天下のなか、僕はタクシーを待っていた。

タクシーを待っているのは僕1人だけだった。

しばらくして、やっとタクシーが来て、僕はそのタクシーに乗ろうとした。
すると突然、かなり離れた所にある建物の日影にいたおばさんが走り寄って来た。
そして僕に言った。
「私が先にタクシーを待っていたので、このタクシーは私が乗ります」と。

僕は答えた。
「タクシー乗り場の列の先頭はここです。僕はこの先頭に並んでいました。あなたは遠くで涼んでいて、タクシーが来たら “ハイ私が先です” なんて、そんな道理の通らない事には応じられません」と。

この場合も、タクシーが来る前に、事前に、僕にその旨を伝えておいてくれれば、「タクシー来ましたよ。お先にどーぞ」と譲る事だって検討の余地はあったのだ。

ところが、急に来て、「私が先です」では、メチャクチャ過ぎて全く応じる事は出来ない。

いずれにせよ、今どきの、一部の年輩の方々はマナーが悪すぎる。
どうか、マナーの良い若者たちを見習ってほしい。

そして若者たちは、「まあいいか」と見過ごさず、マナーの悪い年輩者たちへ、積極的に注意したら良いと思う。
少なくとも、年輩者たちに「どうぞ」と譲るばかりではなく、ダメな事はダメだと、“社会のマナー”を教えてあげたほうが良い。

これからますます高齢者が増えていく。
それとともに、公共の場でのマナーがどんどん悪くなっていかないよう、願いたいものだ。





◆新・からっぽ禅蔵◆