新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

5年・500回の雑感

2022-09-04 05:45:29 | 日記
「Blue.」というサーフィン誌に付いていたカレンダー、その9月の頁に、次のような言葉が記されていた。

「点数にはならない。でも心震える瞬間が
サーフィンにはある。誰かの評価よりも
僕らしくあることに、この命を燃やしたい」

なるほど。
サーフィンの本当の楽しみは、サーフィンコンテストに出場してジャッジの評価を受けて点数を気にする事にあるわけではない。 
自由なフリーサーフィンのなかで、自分らしくサーフィンに熱中する。そこに、真のサーフィンの楽しみがある、というような事であろう。

僕は、You Tubeなどでサーフィン系の動画をよく見る。
その中には、トップレベルのアマチュアサーファーや、プロサーファーさえ、愚痴をこぼしている映像が、ごく一部ではあるが存在する。
自らが出場したサーフィンコンテストで、ジャッジから評価された点数に納得がいかず、愚痴をこぼしているような動画だ。
これには、がっかりさせられる。
いや、他人からの評価が気に入らないのなら、もうコンテストなんかに出るのをやめれば良い。
少なくとも、サーフィン=コンテストではないだろう、と僕は思う。

さて、それはともかく、少し前に、僕は当ブログに次のように書いた。

「僕は、20年近くやめていたサーフィンを再開して、もうすぐ5年になる。
18歳の時に初めてサーフィンをしてから、今、こんな年齢になってもサーフィンを楽しんでいられるとは、若い頃には夢にも思わなかった。
有り難い事である」と。

そして、ついに、サーフィン再開から5年となった。
この5年間で、実際にサーフィンをした回数は、500回。
つまり、3〜4日に1回は、海に入ってサーフィンをしている事になる。

因みに、サーフィン中にスナメリ(イルカの一種)に遭遇した回数は、この5年間で82回だった。
すると年間で16回程度なので、思っていたより少なかった。

僕の経験では、スナメリは冬場に頻繁に出現し、夏場は見かける回数が少ない。
なので、冬場に3〜4回連続で遭遇する事もある一方で、夏場は1〜2ヶ月ご無沙汰の事もある。

おもしろいのは、僕が今から5年前に、およそ20年ぶりにサーフィンを再開した、その第1回目のとき、「ついにここに帰ってきたなあ」と思いつつ海に入った。
それと同時に、直ぐにスナメリが出現した事。
なんだかスナメリから「おかえり」と言われたような気がした。(この事は以前「波乗り雑記帳」にも書いた)

そして、今回、「ついにサーフィン再開から5年、そして500回目の記念日だなあ」と思いつつ海に入った。
サーフィンを再開してから、スナメリとの遭遇は、それまでは2ヶ月以上間が空く事はなかった。
ところが、このとき、3ヶ月間もの長い間スナメリと遭遇していなかった。
だが、サーフィン再開からピッタリ500回目のこの時、スナメリが久しぶりに、3ヶ月ぶりに現れてくれた。
これもまた、なんだか「今日でちょうど500回目だね」と言われ祝福されたような気がした。

いや、勿論それは僕の勝手な思い込みに過ぎない。
が、スナメリとの遭遇は、僕にとってサーフィンをする上での楽しみの1つになっている事は確かだ。

さて、僕が若い頃にサーフィンをしていた時代に比べて、今は、詳細な波情報も充実しているし、イメージトレーニングの助けになるプロのサーフィン動画も気軽にサクサク見れる。 
更に、ウエットスーツがとても良くなっていて、特に冬場のサーフィンに使う冬用のウエットスーツ(セミドライフルスーツ)が、実に保温性が高く暖かいものになった。
いろんな意味で、サーフィンをする上でとても良い時代になった。
その一方で、以前にも書いた通り、年齢的にも、身体のあちこちにガタが来ている現在の僕。
特に、目。網膜剥離の一歩手前、網膜裂孔が気になる。
これから先、あとどのくらいサーフィンを続けられるのか、それはわからない。

でも、冒頭の「Blue.」の言葉を参考にさせてもらえば、
サーフィンを通じて、「僕らしくありたい」




【写真︰先日サーフィンをした某海。】
◆新・からっぽ禅蔵◆

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