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新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

景徳伝灯録・1 0(南泉章・最終回)

2010-06-18 09:23:04 | 日記
今回で『景徳伝灯録』巻八・南泉普願の章を閉じる。

早速本題をみながら、南泉禅の思想を考えてみたい。


『景徳伝灯録』巻八・南泉章(テキスト136頁12行目から)

「師將順世、第一坐問、和尚百年後、向什麼處云。師云、山下作一頭水估牛去。僧云、某甲隨和尚去、環得也無。師云、汝若隨我、即須銜取一莖草來。」
(※估=は、正しくは牛偏に古)

〔師、将に順世するとき、第一坐問う、「和尚は百年後、什麼処にか去く」。師云、「山下に一頭の水估牛と作り去く」。僧云く、「某甲、和尚に随い去かん。環た得しきや」。師云く、「汝若し我れに随わば、即ち須らく一茎草を銜取し来たるべし」。〕

◆意訳:師(南泉)が亡くなる時、首座シュソ(修行僧の第一座の者)が問う、「和尚は百年後、どこへ行きますか?」。師が云う、「お山の下で、一頭の水估牛になっていく」。僧が云う、「私は和尚についていきます。良いですか?」。師が云う、「君がもし私についてくるなら、自分が食べるための僅かな草をくわえて来れば良い」。


◆解説
○順世は、僧侶の死の意。
○「百年後」は、参考書では「百年ミマカりし後」と読んでいる。念のため。
○「“一頭水估牛”は、南泉禅のシンボルである。」と、某参考書が言う。これに拠れば、「道は分別知解を越えており、あれこれ情慮のないことのほうが、道と一体のありように近いという逆説的な認識を下敷きにした高次の存在としての水估牛」と説明している。また、『祖堂集』一六・南泉章に次の如くある。
「祖仏は有ることを知らず、狸奴白估却って有ることを知る」「趙州問う、有るを知る底の人は什麼処ドコに向オいて休歇す。師云く、山下に向オいて一頭の水估牛と作ナり去る」別の参考書に拠れば、(狸奴白估=仏法のブの字も知らぬしたたかな生活者)「南泉における水估牛は祖仏を越えた高次の存在である」と示されている。
また、同じく南泉の禅思想で有名なものに、「異類中行」がある。
「…道箇如如、早是變也。今時師僧須向異類中行。」『景徳伝灯録』巻八・南泉章(テキスト132頁最終行より)
〔…如如(ありのままの“それ”、真如)と道イえども早是スデに変ずるなり。今時の師僧は須スベカラく異類中に行くべし。〕
(…「“ありのままのそれ”なんて“言葉”で言った途端に、もう違うものになっているんだよ。今時の坊さん(或いは修行者)は余計な事言わずに、迷い(或いは修行)の世界に身を投じれば良い。」禅蔵意訳)
要するに南泉は、言葉による固定化した概念を否定する。
こうした南泉禅の思想は、我が曹洞宗の祖、洞山良价に多大な影響を与えている。洞山の“五位”や“仏向上事”も、南泉禅と無関係ではあるまい。
因みに道元禅師は、こうした様々な中国禅の思想に対して独自の解釈をし、道元自らの主張を通すために、部分的に変更を加える事さえある事は、我々“禅学”を学ぶ者の間では通説だが、一般の方々は道元禅師に対して仏祖無謬の信仰心を持たれている事が少なくないように感じる。この点については、宗門の僧侶目線から見れば喜ばしい。だが一方で、禅学を学ぶ者としては少し複雑な思いも残る。
しかし、洞山にも影響を与え、強いては我が曹洞宗にも影響が及んでいよう「南泉の一頭水估牛や異類中行」が帰着するのは、道元禅師のお示しになられる事と違わないように思う。
この件については今ここで詳しく触れる余裕はないが、結論だけ言えば「何も求めずに、ただ修行に徹する。」という事だろうと思っている。

一応、南泉章はここまでにするが、意外にも南泉は、「ただの猫殺しのオヤジではなかった」ということだw

合掌

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