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新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

波乗り雑記帳12ーローカルサーファーー

2018-09-30 08:07:27 | 日記
翌朝、僕とK子は、知り合ったばかりのBくんと一緒に、サーフィンを楽しんだ。

その事の前に、当時の茅ヶ崎のローカルサーファー(地元サーファー)たちについて少し触れたい。

ショップ下辺りで毎日のようにサーフィンをしていると、海のなかで毎回のように顔を合わせるローカルサーファーたちは少なくない。
そうしたローカルたちとは、基本的にはあまり言葉を交わした事はない。
精々、軽く挨拶を交わす程度だった。
しかし、そんなローカルたちの中で、一際サーフィンが上手い人が何人かいたので、紹介したい。

まず、当時のゴッデスサーフショップのライダー。
ライダーとは、サーフボードのテストライダーの事。要するに、セミプロみたいな存在。
そのライダーの名前は、僕は知らないが、とても小柄な人だった。年齢的には、多分当時18歳~21歳位に見えた。
彼は、他のサーファーと同様に、普段はショートボードに乗っている。
だがある日、波がとても小さすぎた日に、それまで僕が見た事もないボードで、彼はサーフィンをしていた。
それは、今思えばソフトボードであった。
ソフトボードは、普通のサーフボードよりも浮力があるので、小さい波でもスーッと滑っていける。
「ああ、あんな板(ボード)があるのかあ」と思ったのを覚えている。
しかし、あの時代にもうソフトボードがあったんだあ、と今改めて思う。

余談だが、そのゴッデスには、僕は、日頃からいろいろとサーフィン関連のものを買うために立ち寄っていた。
当時ゴッデスには、僕より1つ歳上の20歳位の女性の店員さんがいた。
勿論彼女もサーファーである。
当時の女性サーファーは、茶髪でロングヘアーの人が多かったが、彼女は、肩位までの短めの黒髪でストレートヘア。知的でクールな感じの、カッコ良くて綺麗な人だった。

さて、それはともかく、僕が見る限り、当時の茅ヶ崎で1番サーフィンが上手くてカッコ良いサーファーは、ドロンズというサーフショップの当時のライダーで、「イマチュー」さんというニックネームの人だった。
イマチューさんというのだから、本名は今中(いまなか)さんと言うのかな?
年齢的には、多分僕より2つ歳上の21歳位だったと思う。
ドロンズのサーフボードも、確か梵字のようなマークでカッコ良くて、それを乗りこなすイマチューさんは本当にサーフィンが上手くてカッコ良かった。
僕にとって憧れであり、目標であるサーファーだった。
今でも、僕は海のなかでサーフィン中に、当時のイマチューさんのちょっとした所作や仕草を真似ているほどだ。
そして、イマチューさんは、超上手いサーファーなのに、当時まだまだド初心者の僕やK子に海のなかでしばしば話しかけてくれた。
それがまた嬉しかったものだ。

それからもう1人。
当時まだ小学5・6年生~中学1年生位の、遠藤くんという少年がいた。
今でこそ親に連れられて海に来てサーフィンをしている子供たちをよく見かけるようになったが、当時は、そんな小さな子供がサーフィンしている姿を見る事はほとんど無かった。
僕が生まれて初めて見た少年サーファーが、遠藤くんだった。
しかも彼は、親に連れられてサーフィンをしていたのでなく、同級生らしき友達数人と一緒に、サーフィンを楽しんでいた。
遠藤くんのサーフィンの腕前は、当時はまだ僕より少し上手いかなあ?という程度だったが、日々確実に上達していた。
将来すごく上手いサーファーに成長するんだろうなあ、と思って彼を見ていた。
実際、この数年後に、偶然 吉浜でサーフィン中に再開した時には、彼は僕より遥かに上手くなっていた。それがちょっと悔しくて、彼も僕に気づいていたが、僕は気づかぬふりをして彼を無視してしまった。(遠藤くん、その節はごめんなさい。)
尚、当ブログでは、親しみとリスペクトを込めて、以後 遠藤くんの事を「遠藤少年」と書かせて頂く。

因みに、吉浜というビーチは、湘南の西、西湘エリアに位置するサーフスポットで、サーフィンを題材にした北野武さん作品の映画『あの夏いちばん静かな海』のロケ地だ。
実際、その吉浜をはじめ、湘南の海では、時々、言葉が喋れないサーファーグループを見かけた。(映画の主人公も言葉を喋れないサーファー)
で、彼らは海の中で手話で話していた。そして、彼らのサーフィンの腕前は、上手い人が多かった。
実在する彼らからヒントを得て、映画『あの夏いちばん静かな海』は作られたのだろうか?
いずれにせよ、僕らが吉浜でサーフィンをしていたのは、その映画公開より以前の時代だが。

さて、それではこの辺で、知り合ったばかりのBくんと一緒にサーフィンをした時の事を書こう。

僕とK子とBくんは、朝からサーフィンを楽しんだ。

しかし、Bくんのライディングは、どこか ぎこちない。
まだ立って滑れるようになったばかりの僕とK子と違って、Bくんはもう2~3年サーフィンしているという。
そのわりには、ぎこちなくて、直ぐにワイプアウト(水中に落ちる事)していた。
いや、はっきり言って、Bくんは、僕よりサーフィンが下手だった。
なので僕は、初め彼を見下すような気持ちになった。
ところが、そんなふうに人を見下すような下らない気持ちなど、一気に吹き飛ぶような事実を知った。

サーフィンを1ラウンド終えて、僕とK子とBくんは海から上がって砂浜に座って休んだ。
Bくんは、僕が見下している事を察していたようだ。
しかし彼は怒る事なく、笑顔で、次のように言った。
「禅蔵、俺の波乗り(サーフィン)見てて、下手くそだなあ、と思ったんだろ?」と。
僕、「あ、いや別にそうじゃないけど…」僕は何とか言い訳をしようとした。
Bくん、「いいんだよ。でも、これを見てくれ」と言って、Bくんは足の膝の内側辺りを見せた。
見ると、左右どちらの足だったかは忘れたが、彼の片足の膝の内側辺りには、数十センチにも及ぶ大きくて痛々しい手術跡があった。
Bくんは言う。「数年前にバイクで事故って。今ではこの膝がこれ以上曲がらないんだ」と。
そう言って、膝を動かして見せてくれた。
その膝は、どんなに手で押しても、強引に正座をしようと試みて上から体重をかけても、90度以下には曲がらなかった。
つまり正座は絶対に出来ない状態だ。
Bくんの話しでは、その事故以来バイクには乗っていないそうだ。
そして、サーフィンを始めようと思ったが、この足ではサーフィンの上達は無理だ。だからサーフィンをやるか、やらないか、ずいぶん迷ったそうだ。
その上で、次のように決心したという。
上達なんかしなくたっていい!サーフィンをやりたいんだから、他人にどう思われようと、自分がやりたいサーフィンをやろう!と。

そうとは知らず、一瞬でも、僕はBくんを見下すような目で見た。その事が恥ずかしかった。僕は最低だ!と思った。
そして、Bくんをリスペクトする気持ちになった。
もしも僕の足が、Bくんと同じように曲がらなかったら、僕は人目を気にせず やりたいサーフィンをやろうという前向きな気持ちになれただろうか?
いや、なれなかったと思う。
僕ならきっと、「俺の足はもう自由に曲がらねーんだよ!サーフィンなんか出来るわけねーだろ!」などと言って荒れていたに違いない。
恥ずかしい事である。

他人の事情をよく知りもしないのに、簡単に他人を見下すような事はするべきではない、という事を思い知った19歳の夏だった。


さて、今回はこの辺で。

次回は、とんでもない釣り大会のエピソード。
それから、あの有名人が登場。
更に、いよいよビッグウェーブがやって来て、僕はその大波の中で死にかけるのだが……。

以下はまた次回。



【写真:本文とは無関係。先日サーフィンに行った時に、現在の彼女が砂浜で見つけたタコノマクラ3つw】
◆新・からっぽ禅蔵 別録~『波乗り雑記帳』~
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (桂蓮)
2018-09-30 10:38:35
ここまで読んで、これは小説ではないと確信しました。
実の経験談のようですが、
昔の風景や感情、人への印象が刻鮮明に書かれていますね。
普通は忘れ去られる細かい状況まで刻詳細に書かれていて、その記憶力に驚きました。
返信する
桂蓮さまへ (禅蔵)
2018-09-30 13:45:42
そうなんです。
小説ではなく、全て事実です。

ただ、この「波乗り雑記帳」を書くにあたり、初めは自分のサーフィン生活中の、自慢話しを羅列しようと思っていたのですが(笑)、いざ書き始めてみると、自分のカッコイイ言動を書くのはテレ臭いので、自分のイケテる言動はなるべく控え目にするか、または思いきってカットしています。

一方で、僕に関わった周囲の人達の事は、一生懸命思い出して、なるべく丁寧に書かせてもらっています。
そのようにして書いているうちに、ある事に気づきました。

今の僕があるのは、僕に関わった周囲の人達1人1人のおかげ。
周囲の人達から自然に教わり、学び、教訓としてきた事ばかりだなあ、と。

だから、サーフィンを通じて知り合った全ての人達に感謝の気持ちを以て、もう少し書き進めていこうと思っています。

追伸:桂蓮さん、くれぐれも、御体を大切に。合掌
返信する
Unknown (桂蓮)
2018-10-04 05:45:29
そうですね。
書き手の主観的な視点はキレイに治まっていますね。
周りの人をメインにおいて
彼らに対する深い思いが読み取れます。

このような経験をなさったお坊さんは
きっと、クールに仕事できると思いますよ。
返信する
桂蓮さまへ (禅蔵)
2018-10-04 18:57:26
いろいろ、本当にありがとうございます。

でも、いま僧侶としてご供養等々させて頂いている場では、ここに書いている過去の事などは人には言えませんけど(笑)

いや、言えませんけど、自分自身のなかでは、そうした人生経験はあって良かったと思っています。

禅蔵 合掌
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