象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

疑惑のルーレットは可能なのか?〜微妙なイカサマも五輪の醍醐味である

2024年08月08日 03時14分04秒 | スポーツドキュメント

 結論から言えば、理論的には、いや期待値という視点で言えば、可能である。
 ただ、いくら期待値を大きくしても、100%期待通りになる筈もない。
 「人は期待値で動く」でも少し触れたが、景品総数100本のハズレなし抽選クジがあったとする。一当賞の高価な景品を除き、1000円の商品券を残りの99本全てに用意したとすれば、商品券の単純な期待値は、(99/100)×1000円=990円となる。
 つまり、100人ほぼ全員に1000円の商品券が当る事になる。
 勿論これは、抽選応募者が100人丁度のケースであり、実際には”ハズレなし”の宣伝に釣られて1万人が応募したと仮定すれば、商品券の期待値は大きく下がり、990円×100人/10000人と僅かに9.9円になる。つまり、応募者が多すぎると”期待”は裏切られる。

 パリ五輪柔道団体の抽選ルーレットにどんな細工が成されてたかは知る由もないが、ルーレットに仕組まれた(当たり判定を左右する)”乱数”を弄る事は十分に可能である。つまり、ルーレットが止まる所に重きを置く事は可能となる。
 例えば、パチンコの当たり判定も乱数による。最近は、ハードウェア的にカウンタを回すが、従来はソフトで処理していた。つまり、今のパチンコ台は数ミリ秒ごとに乱数を強制的にリセットするから、どの台も当たりは同じとなるが、昔は(乱数が偏る事で)当たり外れがあったとされる。

 事実、私も某レストラン経営のPCゲームで、プログラムファイル内の乱数を弄くり、客がハンバーグ定食ばかり注文する様に細工をした事がある。勿論、客の全てがハンバーグ定食を注文する筈もないが、90%に近い注文を呼び込む事は可能だった。
 お陰で、材料の余りなどの損益も殆どなく、収益は一気に急上昇し、僅か数日で三ツ星レストランを達成できた。


疑惑のルーレットとパリ五輪

 パリ五輪柔道の男女混合団体戦が行なわれ、日本代表は決勝戦でフランス代表に3−4で敗戦。だが、代表戦の決め方がデジタル・ルーレットだった事に、疑念を抱く人が多かった。
 代表戦の階級を決定するのは、会場上に設置された画面に映されたルーレットだが、回転したルーレットが止まった先は、フランスの英雄で“世界最強”のテディ・リネールが戦う90キロ超級。つまり、ルーレットはフランス人が期待した圧倒的優位の階級を指したのだ。
 結局、日本の斉藤が挑んだが(団体戦に続き)代表戦でも再び敗戦。フランスの英雄が母国で大逆転劇を締め括るという出来過ぎた“筋書き”に、“疑惑のルーレットだ”として、多くの指摘が沸き起こった(THE DIGEST)。

 上述した様に、デジタルのルーレットが100%リネールを指す様に細工する事は、プログラマーが明確な不正をしない限りは不可能な筈だが、その確率を高める事は十二分に可能である。
 今回のパリ五輪では、審判の不可解な裁定が目立ち、SNS上では不満や批判が集中する。
 そういう事もあってか、ルーレットにまで鬱憤が向けられた。故に、多くの日本人は”ルーレットにイカサマを仕掛けた奴がいる”と国際柔道連盟を疑った事だろう。
 勿論、どのレベルでイカサマが行われたのかは不明だが、少なくともルーレットに仕組まれた乱数がある程度の許容範囲内で弄くられてた可能性もある。但し、イカサマは我ら大衆が思うよりもずっと簡単で単純でもある。
 ”(イカサマなんて)絶対にありえない”と断言する元金メダリストもいるが、単にイカサマとその仕組みを知らないだけである。 

 一方で、無作為に振ったサイコロでも1〜6の目が平等に1/6の確率になる事はなく、振る回数が少なければ各々の確率は不平等に近く、回数が限りなく多ければ、各々の確率は1/6に限りなく近づく。
 故に、不正が行われたとしても、そうでなかったとしても、ルーレットがリネールを指す確率は多かれ少なかれ、常に存在する。視点を変えれば、フランス人が一番見たいカードをルーレットが指してくれたんだから、悪い事ばかりでもない。
 つまり、そういう事も含め、オリンピックは楽しんだ者の勝ちである。


最後に〜東京五輪に比べれば・・

 ただ言える事は、ルーレットがアナログでもデジタルでも、不正に晒される要素と確率は常に存在するし、五輪での審判の裁定も所詮は生身の人間が行うものである。
 従って、微妙で不可解な判定が下ったとしても、それも五輪の一部であり、何ら驚く事もない。全ては4年に1度の世界のお祭りなのだ。

 勿論、斎藤選手がリネールとの2度の対戦で1度でも勝ってれば、”疑惑のルーレット”という言葉すら存在しなかった筈だ。
 一方で、勝負とは(五輪とても)丁半賭博の世界であり、その両方で激しく揺れ動く人間の極限の心理でもある。微妙な不正や誤審があったとしても、それも勝負の一部であり、物語でもある。
 つまり、パリ五輪がフランスの為のお祭りであったとしても、何ら矛盾はない。つまり、フランス寄りの微妙で不可解な判定は最初から織り込み済みなのである。また、お祭りに純粋な公平さを求める事自体に無理がある。
 むしろ、矛盾と不正と悪徳だらけの”悲しすぎた”東京五輪に比べれば、ずっと楽しめるパリの充実したお祭りでもある。 

 ”疑惑”という視点で言えば、ルーレットよりも原始的な阿弥陀くじの方が、不正やイカサマが入る余地は少ない。一方、賭博(カジノ)として生まれたルーレットは、イカサマや不正のイメージが根強い。
 一説では1655年に、数学者で哲学者のパスカルが科学実験の機械として考えたものが、ルーレットの掛金テーブル・レイアウトの原形で、1841年にカジノ経営者ブラン兄弟(独)がルーレットの文字盤に0を加え、ヨーロッパで流行させ、今のルーレットに至る。
 つまり、数学者のオモチャがカジノの道具になり、大衆の娯楽として庶民の間に大きく広まった。賭博の仕組みやイカサマが、数学により解明できるのはその為でもあろうか。

 そんな歴史を持つルーレットだが、賭博の持つ負のイメージが多くの日本人の良心を逆なでしたのかも知れない。
 がしかし、東京五輪に比べれば、パリ五輪の方がずっと公平に贅沢に思えるのは私だけだろうか。
 

補足〜批判と誹謗中傷は別モンだ

 パリ五輪で活躍する日本選手への誹謗中傷が止まらない。柔道に始まった、SNSでの“攻撃”の標的は男子バレーにも飛び火し、無差別状態と化した。

 まずは、柔道女子52キロ級で2回戦で敗れ、号泣した阿部詩に辛らつな声が届いた。が、その直後の会見では”余り気にしない・・”と語ったものの、”選手は1人1人が人生を、全てをかけて頑張っているので、温かい言葉が(人としては)嬉しいかなと思いました”と後日、真剣な表情で言葉を改めた。
 更に男子バレーでは、第5セットでサーブミスした小野寺に”サーブミスとかゴミ””素人でもクソだとわかる”と、批判を通り越し、侮辱的な投稿が続いた。それでも小野寺は”・・僕があの場面でミスをしてしまったのも事実ですし・・・仕方のない事だと思います”と受け止め、”それだけ期待してくれてた人が多かったんだなと感じています”と前向きに綴る。
 JOCは、こうした止まらない誹謗中傷に対し、”侮辱・脅迫などの行き過ぎた内容に対しては、警察への通報や法的措置も検討します”との警告を発した(スポニチ)。

 これに対し、テレ朝ワイドの玉川徹氏は”批判と誹謗中傷が分からないなら投稿するな”と怒りを顕にする。
 ”まず1つは、明らかに傷つけようと思ってやってる。一方で、自分の正義に基づいてやる人もいるだろうが、相手が傷つく事が分かってれば、故意犯だ。更に、批判のつもりでやってる人もいるだろうが、批判と誹謗中傷の違いが分からないなら投稿するな”と正した。
 一方で玉川氏は、誹謗中傷を放置するサイト運営側にも大きな問題があるとして、デジタルサービス法という罰金刑の必要性を説いた(日刊スポーツ)。

 結局は、アスリートらの過ぎた感情表現がこうした批判や誹謗中傷を生む要因の1つになってるのかもだが、五輪とは4年に1度の大きな舞台装置でもあり、晴れ舞台でもある。故に、参加する選手は皆がヒーローでありヒロインであり、そんな中で興奮しない人間がいない筈もない。いや、いないとしたらそいつは人間じゃない。
 微妙な誤審や過ぎた感情表現がSNS上での誤解や中傷を生む事もあろうが、それら全てを含め、世紀の祭典なのである。
 フランスでも世界中でも、そしてSNS上ではいい意味でも悪い意味でも盛り上がってるパリ五輪だが、11月になれば、これまた4年に1度のアメリカ大統領選挙が始まり、パリ五輪の興奮と選手の躍動も、更にSNS上の誹謗中傷すらもその多くは忘れ去られるであろう。

 勿論、パリ五輪の記憶が跡形もなく忘れ去られる事はないだろうが、SNS上で物議を躱した熾烈な誹謗中傷も、アスリートにとっては貴重な思い出として、人生の1ページを刻むのだろうか。
 そういう意味では、イカサマも微妙な判定も誹謗中傷も悪い事ばかりでもないとは思うのだが、少なくとも、悪害以外は何も残らなかった東京五輪よりかは、ずっとずっと充実した完成度の高いお祭りである事に間違いはない。



4 コメント

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よく泣く五輪だこと (hitman)
2024-08-09 07:36:48
おはようございます

作家の五木寛之氏は
東京五輪を見て<近代五輪は終わった>と感じたそうだ。
夏空に回転するスケートボードの少年少女たち。女子ストリートで決勝に進んだ8人のうち5人が10代。
彼らの技は指導者の熱血指導により磨かれたのではなく、遊び仲間同士の競合いやアドバイスにより向上を楽しみながら育ってきた。
根性ではなく友情によって磨かれた技術。涙をこらえ必死で<楽しみます>と誓うではなく、面白いからやっているプレイヤーたち。

確かに競技間格差が目立つ大会だが
未だに精神論とか根性論を持ち出す日本の指導差たちにオリンピックの精神は理解しておられるんでしょうかねぇ〜
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イカサマは簡単である? (tomas)
2024-08-09 14:39:57
何だかどこかで聞いた言葉ですが
昔はパチンコの乱数も放ったらかしておくと偏りが出たり、乱数をソフトウエアで弄って出る台と出ない台に分けることも可能だったでしょうね
また客層を監視カメラで眺めて
金持ちそうだったら当たり判定を緩くし、貧乏そうだったら硬くして調整してたんでしょうか。

あ>>そうそう思い出しました。
天才アーベルの言葉でしたか>>>
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hitmanさん (象が転んだ)
2024-08-09 16:21:12
お久しぶりです。
全く、未だに日本の柔道界では”死ぬ気でやれ”とか”男だったら死んでみろ”とかいう精神論が全盛ですよね。
競技間格差もそうですが、金メダルだけに人生を捧げるというのも悲しすぎる。
故に、4年に1度だけ異常なまでに闘志を燃やす狂人アスリートが輩出される。 
結局、メダルを獲得する為だけの無機質なマシンと化し、最後には捨てられる。

パリ五輪自体はかなり盛り上がってるのに、日本選手だけはよく泣くお祭りですね。
コメント懐かしかったです。
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tomasさん (象が転んだ)
2024-08-09 18:05:26
数学はよう分からんと言いながら
結構読んで下さってんですね。
感心!歓心!です。
確かにイカサマは単純ですが、数学と同じでそのトリックに気づく事は単純でも簡単でもないです。
つまり、イカサマの本質を見抜く必要があります。
無学のアスリートには無理っぽですが、オリンピックを商業ベースに乗せ、興行的に成功するには、こうしたトリックやイカサマも時には必要なんでしょうね。事実、騒げば騒ぐ程に大衆は注目しますから・・
今回のパリ五輪も、中国大手メーカー(アリババなど約40社)のスポンサーがなければ開催できなかったとの声もあります。
これからのオリンピックは国家主導からスポンサー主導に転換するんでしょうね。
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