
普段は地上波のドラマなんて見ない私だが、今年の秋ドラマ「3000万」(NHK)は、微妙にだが興味深く思えた。
大まかな展開として、コールセンターの派遣社員として働く佐々木祐子(安達祐実)だが、元ミュージシャンの夫は真面目に働こうとはしない。カツカツな生活を送る一家はある日、強盗事件で得た3000万円をバイクで持ち逃げしようとした若者ソラと接触事故を起こし、これを機に裕子は3000万円を手にし、生活は一変していく。
1話では、彼女は3000万円を一度は警察に渡そうとするも断念。現場に戻り、3000万円を入れたカバンを捨てようとするも、闇バイトで雇われた強盗事件の実行犯である蒲池と長田に見つかり顔がバレる。
2話では、警察の監視下で入院中のソラの逃走を手伝うが、病院から逃げ出す裕子とソラは蒲池に見つかり、蒲池から暴行を受けるも男を湖に突き落とす。3話では、裕子は家でソラを匿う事になるが、逆にソラに扱き使われ、終いにはソラが3000万円のカバンを持って彼女の元を去る。
最初に、警察に3000万円を返しとけば済んだものの、結果的には”盗み→殺人→逃走”と悪の連鎖に繋がり、彼女は警察だけでなくヤ◯ザからも狙われる事になる。だが、ここまで来るとサスペンスと言うより喜劇にも映る。
ただ、裕子が悪人であれば最初から3000万円を手にし、そのまま知らんふりするだろう。また仮に、経済的余裕があれば3000万円はすぐに返してた筈だ。が、彼女は”困窮する善人”であり、違法で手に染めたお金だとしても、大金がポンと目の前に出されれば、多くは悪の選択をとる。
確かに、善人が一度でも悪事に手を染めれば、悪の選択を続けるのも無理もない。
因みに、悪の選択を続ける人物は彼女だけではなく、主犯格の2人も困窮が故の悪の選択に思える。つまり、貧困が善人や若者を悪へと誘い込み、彼らを脅かしていく。
以上、「闇バイト・・・罪を犯す善人たちの葛藤と弱さ」から大まかに纏めましたが、現実的に見て、事はそんなに単純であろうか?
孤立した善人ほど悪に染まる
”善人は最後になってウソを付き、一流の詐欺師はいつもウソをつくが、最後には真実を説く”とある様に、これを言い換えれば、”善人は最後で悪に染まり、悪に溺れるが、悪を積み重ねる真の悪人は肝心な時には正義を行使し、善人に君臨する”とも言える。
過去最悪の被害額に上るとされる闇バイトなどの特殊詐欺だが、警告や啓発が繰り返されてるにも拘らず、闇バイトに加担する若者が後を絶たない。
そこで、刑務所や少年院に収監されてる闇バイトの実行犯などから話を聞くと、これまで犯罪の背景として指摘されてきた”若者の貧困”だけでなく、”自分の感情を言葉にできない”という共通した傾向が浮かび上がってきたという。
では、自分の気持ちを話せない事がなぜ闇バイトに繋がるのか?
以下、「急増 闇バイト・校内暴力 背景に何が?」より一部抜粋です。
闇バイトの実行犯で検挙され刑務所に服役中の男性(25)は、ホストの仕事をしてたが交友費が嵩み、お金欲しさに、SNS上の闇バイトに応募。被害者のクレジットカードをすり替える”受け子・出し子”として金を騙し取る事を繰り返した。
彼は犯罪だという認識は最初からあったと証言する一方で、”単なる1つの作業としか思ってなかったので、その時感情はないです。9回もやったんですが、本当に何も思わなかった。今回の事件も、人に申し訳ないという気持ちも浮かばなかったし、<強盗しろ>と言われたら強盗したし、<人を殺せ>って言われて殺したし、偶にそんな自分が怖くなる。
4回目の時に<楽しいか?>って聞かれたけど、何も感じなかった”と淡々と語る。
男は複雑な家庭環境で育ち、自分の感情を表に出す事がないまま生活してきた。
”小さい頃から感情を押し殺してきた。何も感じないじゃなく、人の気持ちが分からなくなる。全部上辺だけの会話で、ちゃんとした表現力もなくて<ヤバい>と言う表現しか出てこない”
一方、受け子として闇バイトに加担した24歳の男性だが、”小さい時から感情を押し殺して・・・中学の時に親の意のままに操られているなと感じ、泣きたい時に泣けないのが一番辛かった。怒りの感情がなく、笑う時もちゃんと笑えなかった”
こうした2人に共通するのは、感情を正確な言葉で表現できない事に尽きる。つまり、感情を表に出せないから、自身の感情をコントロール出来なくなり、簡単に犯行に染まる。
NHKの取材では、”気持ちが分からないし、伝えられない”若者を巧みに犯罪に引きずり込む手口も見えてきた。事実、15人以上を闇バイトの実行犯に勧誘したリクルーターの若者は”若者の弱みにつけ込むマニュアルがある”と語る。
”今の自分を言語化できていない子は感情をコントロールし易い。親身になって相談に乗ってあげるとホイホイついてくる。びっくりするぐらいに引っ掛かる”
一方で、闇バイトに引き込み易いタイプとして、中学卒業していきなりグレちゃった不良少年・・本人は怖いと思ってるが、断る言葉を知らないし、そういうのは引っ掛かり易いという。また、典型の引き籠りで、何考えてるか分からない子。闇が深い子で、悩みをひたすら聞いて煽てれば、必ず引っ掛かるという。
これも共通するのは、感情を言葉に出来なくてその感情をコントロールされるタイプである。
感情を言葉に出来れば・・・
今回、調査の分析を担当した龍谷大学の浜井浩一氏(犯罪学)は”大きな犯罪を担う人たちは実は何も考えていない。マニュアル通りにロボットの如く動くだけで、これが闇バイトの最大の特徴。今回の調査でも被害者の事を全く考えてない傾向が見えてきた。
(彼らは)自分の気持ちや自分が今どんな状況に陥り、どんな問題を抱えてるのかを上手く表現できない。或いは、それを自分自身で理解して考えようとしない”と指摘する。
更に、”闇バイトも含め、人間どうしの交流が全くないのも1つの特徴で、お互いの気持ちが分からないからこそ、被害者に対して酷い事が効率よくできてしまう。ある種、自我関与がし難くなってるのが現代社会の大きな特徴で、闇バイトはそこにつけ込み、精巧なマニュアルを作って犯罪を成立させている”とも分析する。
コロナ禍以降、若者のメンタルヘルスの悪化などの問題が世界的にも大きく問題視される中、自分や他人の感情や気持ちを理解したり表現・調整する能力を、幼い頃から身につける事の重要性が指摘されている。
かつては、校内暴力で怪我をする生徒が100人を超えた年もあった大阪市立の某小学校だが、その対策として”国語教育の充実”に取り組み、”気持ちや感情を表す言葉”を授業に取り入る事で、校内暴力は大幅に減ったという。
一方、刑務所や少年院を出た人に向けに教育支援を行う原田公裕氏は、出所後に離職率や再犯が繰り返される中で”言葉の行き違いによるトラブル”を痛感し、「ことばのスポンジ」というプログラムを開発した。
例えば、”憤り”や”むくれる”や”怒り心頭に発する”など、”怒り”の感情を様々に表す言葉がボードに書いてある。その中で怒りの感情が小さいと思う順に並べ、怒りの中にも多様な感情があり、言葉から感じる感情の強さが人によって異なる事を彼らは学んでいく。
その原田氏だが”言葉の使い方や社会での生き方、ものの捉え方も人それぞれで、私がいくら教えても、自分で作り上げていかないと上手く行かない。その為には、やはり自分の考え方を自分の中で構築する必要がある。そうする事で自我や考え方が育っていく”と語る。
なぜ犯罪だと分かってても何の感情も持たずに罪を犯すのか?
取材から見えてきたのは”誰にも気持ちを素直に話した事がないし、安心して話せる場がない”という事で、決して感情がない訳ではない。子どもの頃から感情を発露する機会や言葉にする経験が少なかったり、何らかの事情で制限されてた事が”感情リテラシー”の低下に深く関わっている。
前述の”感情を言葉にして伝える”事の可能性を実感した小学校の取り組みは、学校全体が安心基地になる心理的安全性をどう作るのか?それは学校だけでなく、家族間や職場でも必要な方向性を示唆してくれた。
以上、クローズアップ現代(NHKWEB)からでした。
最後に〜善人であるが故に悪に染まる
貧困が善人を追い詰め、貧しく酷な家庭環境で子供の頃の鬱積した感情を押し殺し、その感情を言葉に出来ないまま大きくなった若者らが、巧妙にマニュアル化された闇バイトという名の犯罪に無防備に染まっていく。
ただ、若者だけでなく、善人を生きてきた筈の普通の大人も犯罪に染まる。だが、感情を言葉に出来る筈の大人が何故、悪の連鎖にはまるのか?
それは貧しいだけが理由だろうか?
私はそうは思わない。
というのも、貧しくとも生きる方法は幾らでもあるし、犯罪と貧困には強い関係がある事は昔から知られてはいるが、必ずしも比例するとは限らないとの指摘がある。事実、アメリカでは豊かになる程に犯罪が増えたとの事例もあり、相対的貧困の考え方が適切だとの声もある。
因みに、犯罪白書の統計(平成8年)で言えば、一般事犯少年では、富裕2.9%、普通76.3%、貧困17.0%で、殺人事犯少年ではそれぞれ2.9%、77.1%、20.0%で、両者の間に大きな差はない。一方、強盗事犯少年ではそれぞれ4.2%、81.2%、14.0%で、一般事犯少年より生活程度が豊かな者の比率がやや高い。
つまり、普通の大人が犯罪に染まるのは”善人すぎるからだ”と私は考える。
言い換えれば、(ドストエフスキーが説く様に)人間はいい加減で悪いくらいな方が、昨今の複雑で厄介な時代には丁度いい。そう言えば、文学の巨匠の中に真面目で律儀な人は殆ど見かけない気がする。
勿論、善人で貴重面で律儀で勤勉でってのが人間の理想かもだが、周りからすれば窮屈でもあるし、こういう真面目な善人ほど孤立しやすい。最後の最後で自暴自棄となり、それまで長年築きあげた信用を全てなくすケースも少なくない。
「善人ほど悪い奴はいない」でも書いた様に、善人と言えど所詮はエゴイズムの塊でもある。独裁者の大量殺戮に見て見ぬふりをするのも、不特定多数の善人達であり”盲目の狂人”に過ぎない。
ニーチェによれば”善と悪の歪な連鎖”とも言えるが、これこそが無視できない(矛盾しない)現実でもある。つまり、人類の長い歴史の中で、善人は常に権力という悪に屈服し、服従してきた事を考えれば、善人こそが悪人となる。
一方、善人が悪に屈しない為には、自己に潜む悪を巧みに正当化する言葉が必要となる。感情を言葉に出来るくらいでは再び悪に染まるだけだろう。
勿論、日本の教育の現場も大変だろうが、巧妙に慢性化しつつある若者の犯罪を防ぐには、悪の本質に対する理解が必要な様にも思えてくる。
貧しさから来る善意は
悪の連鎖を奏でる
昔は貧しさと悪意こそが
犯罪を生み出していたが
どうやら時代は
ニーチェに従えばだが
独裁者は大衆に善意だけを押し付け
大衆は盲目の狂人となり
集団悪という暴動を引き起こす
大衆の悪も1つ1つは弱く小さいが
束になると手がつけられない
なんだか再び再び
リーマン予想”2の5”に
アクセが集中しつつありますね。
人道主義的な理由で生まれたギロチンの採用により、市民革命の筈がルイ16世の善意が恐怖政治に豹変しました。
全く、善意が大量殺戮に変わった典型です。
つまり、人道主義も善意も度が過ぎると、巨悪となり暴走する。
悪の本質が善意にある事も我ら大衆は理解すべだと思います。
過去の経験からしても、あまり気持ちのいいもんではないです。
事実、過去にも「牛の解体」や「アグネスチョウ」や「小和田雅子」に集中した時は、嫌がらせもそこそこありました。
それに比べたら、まだいい方ですが・・
ただ、これを機に数学ネタに少しでも興味を持ってもらえばと、逆に割り切ってます。
ご心配をいつも有り難うです。
気にすることもないのだろけど
不特定多数の善意と
考えて割り切ったほうが気は楽なのかな
こういうのは
ブログではなくSNSの限界だと思うけど
あんまりAIに荒らされると
ネット社会もつまんなくなるね
アクセス解析はAIロボットが巡回し、決定する所が多いので、不特定多数の無機質なアクセスでもアカンウントされますよね。
勿論、作業の負担を減らすという点では有効ですが・・
新しいブログ(多分、はてなブログ)に引っ越したら、リアクションボタンを復活させようかなとも思ってます。