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日本人と猿の違い”後半”〜「人類の起源」に見るホモサピエンスの未来

2025年04月26日 15時00分54秒 | 読書

 ”最初の人類はアウストラロピテクスじゃないの?”と思ってるアナタ、その常識は30年も前の古いものかもです。
 「前回」でも述べた様に、古代ゲノム解析の大きな進歩により、”人類の起源”の常識が大きく覆されそうとしてる。事実、アウストラロピテクス属のずっと前に、初期の猿人が存在してた事が判ってきた。
 そこで今回は、鎌田謙一氏のコラム第2弾となる「古代DNAが明かした人類のルーツ」を参考に大まかに紹介します。

 従来、私たち”人類の起源”を探す旅は、化石の発見とその構造による解釈という原始的なものでした。しかし21世紀になり、生物の持つDNA配列を化石から自由に読み取れる様になり、状況は大きく変わる。2006年に、高速でDNAを解析する”次世代シークエンサ”が実用化され、大量の情報を持つ核DNAの解析が可能になった。 
 1980年代から古代DNA分析は始まってはいたが、技術的な制約から母系に遺伝するミトコンドリアDNA(以下、mDNA)の情報に限られていた。だが、核DNAが持つ父母双方からの情報を得られた事で、古代DNA解析の研究は活況を迎える。まさに、その象徴となったのが2022年に、古代DNA解析で人類進化の謎を解明したスバンテ・ペーボのノーベル生理学・医学賞の受賞で、古代DNA解析の重要性が国際的に認められる様になる。


古代DNA解析と人類の起源

 生物が持つDNAは、G(グアニン)、A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)という4種の塩基から構成され、ヒトでは細胞の核とミトコンドリアの中に収まる。子供は両親から半分ずつ遺伝子を受け継ぐが、母から子どもへ直接受け継がれるmDNAや父から息子だけに継承されるY染色体などの例外もある。
 そこで、ヒトが持つDNAの膨大な情報を次世代シークエンサが高速で解析する事で、従来は不明とされてた系統関係も明らかになってきた。
 DNAは、細胞の入れ替わる度にその配列のコピーを繰り返すが、突然変異を起こし、少しずつ変化する。1000文字に1つ程度の割合で異なるとされ、これをSNP(一塩基多型)と呼び、交配により子孫に受け継がれる為、この性質を利用すると集団成立の歴史を推測する事が可能となる。
 また、遺伝子の働きを読み解く事で、自然環境や病などに適応したプロセスも解明する事ができ、新たな古代ゲノム解析により化石の形態では判らなかった多くの事が判明している。

 ヒトは2万2000種類ほどの遺伝子を持ち、その情報を元に日々の生活を可能にする。つまり、人体を構成する個々のパーツや働きを担うが、”DNA”はその設計図を書く為の文字で、”ゲノム”とはヒトを構成する最小限の遺伝子のセットであり、1人の個体を作る全体の設計図になる。
 ミトコンドリアやY染色体のDNA配列の変化を遡ると、祖先までのルートを辿る事が出来るが、これを”系統解析”と呼ぶ。そして、個人が持つこれらのDNA配列を”ハプロタイプ”と呼び、ある程度遡ると祖先が同じになるハプロタイプを纏めて”ハプログループ”という。
 但し、[上図1]はmDNAのハプログループの系統図で、人類共通の祖先はLであり、アフリカ集団のL3からアジアやヨーロッパなど世界に展開するMとNという2つのグループが生まれているのが判る。

 現在、DNAが解析された最も古い人類化石は、スペインのシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟で発見された人骨で、1976年以降に28体分の人骨が発見。当初は60万年前のものとされ、形態的に約30万年前にヨーロッパに登場したネアンデルタール人に似た特徴がある事から、その前に生存してた旧人”ホモ=ハイデルベルゲンシス”の仲間では?と考えられていた。
 しかし、2016年にこの人骨のDNA分析が成功し、年代が43万年前のものと訂正された事で、ネアンデルタール人の直接の祖先と考えられる様になったが、解析の結果では(驚く事に)”デニソワ人”という新たな人類との関係性が浮上し、ホモサピエンスとネアンデルタール人を含めた3者による意外な関連が判明する事になる(上図2)。
 

ネアンデルタール人の起源と拡散

 ネアンデルタール人はヨーロッパや西アジアで生存した最も有名な化石人類で、成人の推定身長は150~175cm、体重は64~82kgと、がっちりした体型をし、脳容積は1200~1750mLと推定。頭部は眉の部分がひさしの様に飛び出し、前に突き出た鼻や太い頰骨が特徴だ。先述のスペインの洞窟で出土した人骨にはこれらの特徴が見られ、年代からもネアンデルタール人の直接の祖先だと考えられている。
 スペインの洞窟の人骨は、43万年前の初期ネアンデルタール人のものと考えらていたが、更なるDNA分析により、その存在が初めて明らかになった”デニソワ人”とホモサピエンスとの関係性が明らかになる。
 まず、約64万年前に3者のサピエンス種が共通の祖先から分岐し、更に43万年より前にデニソワ人とネアンデルタール人が分岐した(上図3)。そして、この3者は長期に渡り、交雑した可能性も判明した。

 ネアンデルタール人の化石が発見された19世紀以降、彼らが私たちの祖先なのか?共通の祖先から派生した親戚なのか?論争が繰り広げられてきたが、1997年に発表されたネアンデルタール人のmDNAの研究により一応の決着を見た。結果、ネアンデルタール人がホモサピエンスと70万~50万年前に分岐した親戚であるとされる。
 また、ホモサピエンスの中にネアンデルタール人由来のmDNAがなかった事から、21世紀の初め頃は彼らはサピエンス種と交わる事なく絶滅したと考えられていた。だが、この結果は”次世代シークエンサ”による核ゲノム解析が可能になった事で覆されるが、2010年の研究では、ネアンデルタール人のDNAが現代人のDNAに流入している事が判明した。

 確かに、ネアンデルタール人とホモサピエンスが分岐して以来交雑がないとすれば、両者が共有するDNAの変異は全ての現代人の集団で等しくなる筈だ。が、そうならないのはサピエンス種の”出アフリカ”以後も交雑があった事を示す。
 因みに、2010年の研究では、(サハラ以南のアフリカ人を除く)アジアとヨーロッパの現代人のDNAに約2.5%の割合でネアンデルタール人のDNAが流入してる事が判った。
 従って、ホモサピエンスと分岐した後に交雑がなかったとすれば、アフリカの集団も等しくDNAに痕跡が残る筈で、そうならないのはサピエンス種の出アフリカ後に交雑があった事を示す。

 ヨーロッパ人と東アジア人を比較すると、東アジア人の方が僅かに多くネアンデルタール人のDNAを受け継いでいる。これは、ホモサピエンスが世界に拡散する初期の段階で、幾つかの集団に分かれ広がった事を示すものだ。
 故に、その中の1つがネアンデルタール人と交雑して世界に広がり、一方、交雑していない集団もヨーロッパの集団形成に関与したものと考えられるが、(いずれにせよ)ネアンデルタール人は間違いなく私たちの隠れた祖先なのである。
 高い精度でゲノムが解析されたネアンデルタール人だが、シベリア西部のデニソワ洞窟とチャギルスカヤ洞窟、クロアチアのヴィンデジャ洞窟から出土した3体と、これらに加え、各地で得た複数のデータから集団形成の様子などが明らかになった(上図4)。

 例えば、チャギルスカヤ洞窟(8万年前)のネアンデルタール人のゲノムは地理的に近いデニソワ洞窟(11万年前)より、ヨーロッパのヴィンデジャ洞窟のネアンデルタール人に近く、この事実から彼らは11万~8万年前に西ヨーロッパから東へ移動した集団の子孫である事が判る。
 更に、ゲノムの解析によって拡散の様子も明らかになるが、ネアンデルタール人の共通の祖先から先ずはデニソワ洞窟の集団が分離し、更にチャギルスカヤ洞窟の系統が東へ移動。その後、ヨーロッパに残った系統からヴィンデジャ洞窟や他の西ヨーロッパの系統が生まれたと考えられている。
 また、東のグループは60人以下の少人数での近親交配をしてた事が判明。西の集団には見られない為に、東の集団は人数が減り、近親婚を繰り返した事で消滅したと考えられている。


日本人の起源〜縄文人か?弥生人か?

 舞台をヨーロッパから我らが日本に戻しますが、ゲノム研究の発展以前は、日本人の起源も発掘された人骨の形態を元に研究され、日本列島集団には2つの大きな特徴があると考えられてきた。
 1つ目は、縄文時代と弥生時代という時代が異なる人骨の間の明確に認識できる違い。2つ目は、北海道のアイヌ集団と琉球列島集団、本州・四国・九州を中心とした本土日本人という3つの集団に区別しうる特徴がある。
 この様な違いを説明する原理として”2重構造モデル”という学説が定説とされてきた。
 以下、鎌田氏のコラム第3弾「縄文人と弥生人で分けられない”日本人のルーツ”」より大まかに纏めます。

 上の学説は、旧石器時代に東南アジアなどから日本列島に進出した集団が縄文人となり、やがて列島に入らず北上した新石器時代の北東アジア人が渡来系弥生人となってやってきたという説だ。しかし、近年のゲノム分析により、2重構造モデルでは説明できない事実が明らかになっている。
 2重構造モデルは、旧石器時代に東南アジアなどから日本列島に進入した集団を基層集団(縄文人)とし、その後、新石器時代に北東アジアから朝鮮半島経由で渡来した集団(弥生人)が入ってきたという単一的な視点が特徴である。つまり、このモデルでは東南アジア由来の旧石器人が縄文人になり、列島に入らず北上した集団は寒冷地適応を受けて形質を変化させ、北東アジアの新石器人になったとなる。
 従って、弥生時代になり、この集団の中から北部九州に稲作をもたらす渡来系弥生人が現れ、稲作が入らなかった北海道や(北部九州から2000年遅れて稲作が始まった)琉球列島では縄文人の遺伝的特徴が強く残る事になり、それが両者の見た目の類似性を生んだと考えられていた。つまり、”縄文人と弥生人の違いは集団の由来が異なる事に起因する”という単一的な視点で説明していたのだ。 

 一方、地域別に現代日本人のゲノムを比べると、北海道のアイヌ集団、沖縄集団、本州・四国・九州の本土日本人の間で違いが見られる。それは地域ごとに異なる歴史があり、集団成立にも異なるプロセスがあるからだ。
 因みに[上図5]は、都道府県別の核ゲノムSNP解析を表すが、近畿・四国などの本土日本の”へそ”の部分と、九州や東北の間に違いが見える。畿内を中心とした地域では渡来系集団の遺伝的な影響が強く、周辺域では縄文人の遺伝的な影響が強く残り、それを見越し、北海道と琉球列島では縄文系の比率が高い筈だと考えるのが2重構造モデルとなる。
 だが、これでは縄文人や弥生人といった枠組が先にあり、地域ごとの歴史や集団の成立過程を考える発想が見えてこない。

 日本列島にホモサピエンスが最初にやってきたのは約4万年前の後期旧石器時代とされ、2重構造モデルでは彼らが均一な形質の縄文人となって列島内に広がったと仮定されていたが、ゲノム解析により、縄文人は様々な地域から入ってきた集団であり、地域により遺伝的特徴が異なる集団が居住していた事が判ってきた。
 だが、旧石器時代の遺跡は日本国内に1万箇所ほどが知られてるが、人骨は琉球列島を除き殆ど見つかっておらず、旧石器時代人の実像はあまり判ってはいない。事実[下図6]は、日本列島における3つの異なる文化系統だが、地域が違えば歴史も文化も異なり、集団の成立過程にも大きな違いがあるのは自然な事とも言える。


日本人の3つの文化系統

 日本列島への流入のルートとして考えられるのが、①朝鮮半島から対馬を経由する②台湾から琉球列島を渡る③シベリアから北海道を通るルートと、主に3つである(下図7)。
 この時期は最終氷期に当たり、現在より海水面が低く、本州や九州、四国、沖縄には船で渡ってきたものと考えられる。
 他方、2重構造モデルでは、縄文人は均一な集団と考えられてきたが、mDNAの解析によると、旧石器時代に様々な地域から入ってきた集団で形成され、遺伝的特徴が異なる集団が居住してたらしい。

 例えば、沖縄本島で発見された約2万年前の人骨”港川1号”は、次世代シークエンサを用いたmDNAの解析も行われた結果、この人物は現代人に繋がらずに消滅した系統であると考えられている。事実、琉球列島集団の現代人を対象とした大規模なゲノム解析により、”沖縄の現代人の祖先は1万5000年前より昔に遡らない”との結論が導かれた。
 この結果は、港川人のmDNA系統が現代人に繋がらないとする解釈と整合性があう。
 また、形態的には比較的均一だったと考えられてた縄文人だが、mDNAの系統では明瞭な東西の地域差が認められている。故に、旧石器時代の日本列島には進入ルートが異なる様々な集団が入ってきたと考えられる。

 また[下図8]の様に、縄文人のmDNAの代表的なハプログループは、M7a(約25%)とN9b(約60%)で、西日本から琉球列島に多くなるM7aは、中国大陸の南部沿岸地域から西日本に進入したとされる。一方、東日本から北海道の地域で多数を占めるN9bだが、九州にも特殊なN9b系統が存在し、N9b系統の祖先は朝鮮半島から沿海州の広い地域に散在し、それぞれ北海道経由のルートと朝鮮半島経由のルートで日本列島に到達したと考えられている。
 一方で、現代日本人に占めるそれぞれの割合は、M7aが約7.7%でN9bが約2.1%で、この割合は、その後の弥生人との混合の状況に関連があると考えられる。

 以上、前回と今回の2話に渡り、東洋経済Onlineから長々と説明しました。
 YouTubeで鎌田謙一氏の人類の起源に関する動画を見て、凄く興味を持って記事にしましたが、我が福岡県筑後人にも特殊なN9b系統が存在し、その祖先が朝鮮半島経由で到達したとの説にナルホドと思いました。
 事実、筑後人の顔立ちは日本の本州人よりも韓国人に似てるし、筑後弁とハングル語のアクセントもほぼソックリです。
 絶滅したと考えられていたネアンデルタール人が実はホモサピエンスの近い親戚であり、今回新たに発見されたデニソワ人とは兄弟関係にあり、3種族ともに交雑を繰り返しながら世界中に拡散し、生き延びていた(だろう)事に少し感動を覚えました。

 


2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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古事記・日本書紀 (平成エンタメ研究所)
2025-04-27 09:15:03
「古事記」や「日本書紀」は大陸から来た弥生人が、縄文人(アイヌ集団・琉球列島集団・本土日本人)を制圧していった物語と読み解けるんですよね。

なので天皇家は大陸から来た人たち。
現代の日本人には大陸の遺伝子が混じっています。
ルーツは同じなので中韓と仲良くしてほしいものですね。
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エンタメさん (象が転んだ)
2025-04-27 11:57:56
いつもコメント有り難うです。

そうなんですよ。
ゲノム的には同じ人種ですから
勿論、歴史的には日本も悪いことしてますが
今のアメリカの従僕になるよりかは、中韓と仲良くした方が未来は明るいと思います。

近い将来、古代ゲノム解析が進み、日中韓の種の起源が明らかにされるでしょうが
こういう所からアジアの調和が加速する事を願うばかりです。
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