前回「その2」では、初回の補足を兼ねたおさらいと、類体論の元となる代数的整数論の歴史(前半)を述べました。
そこでまずは、代数的整数論の基本の基について簡単に復習します。
代数的整数αを有理数体Qに添加して得られる体をQ(α)で表すが、代数的整数とは通常の整数(有理整数)とは異なり、有理整数を係数とする代数方程式で最高次の項の係数が1となる様な方程式の解となる複素数(実数を含む)の事でした。
一方、Q(α)の形の集合Kを代数体といい、Kに含まれる代数的整数全体の集合をOとすると、代数的整数論で研究するのは、K=Q(α)と整数環Oの性質となる。
ガウスは平方剰余に加え、4次剰余相互法則を考える為に、m+ni(m,n:有理整数Q)の形の複素数を導入したが、iは有理整数Qに属さないので、K=Q(i)では4次剰余相互法則を上手く説明できなかった。但し、K=Q(i)を”ガウス数体”と呼ぶ。
また、ガウス整数全体の集合をガウス整数環と呼び、Z(i)={m+ni|m,n:有理整数環Z}で表す。故に、Z(i)はガウス数体Q(i)の整数環Oであり、これは代数体である円分体や2次体の1種なので、ガウス整数環は代数的整数論の最も基本的な対象の1つとなる。
今日は、代数的整数論の後半と類体論の心臓部へと迫っていきます。今回も「近世数学史談」の付録と解説から、大まかに纏めて紹介します。
クンマーからデデキントへ
ガウスの整数では有理整数と同じく、素因数分解が一意的に成り立つが、クンマーはガウスの整数を一般化し、”円分整数Σₖ[0.n-1]aₖζᵏ(aₖは有理整数,ζᵏは1の原始n乗根)を考えた時、素因数分解の一意性が一般には成立しない”事を発見する。
クンマーは、この難題を乗り切る為に、理想数(理想の複素数=後のイデアル)を導入し、高次相互法則を研究する。また、フェルマー大予想を条件付き(指数が正則素数の場合)で証明した。
一方でデデキントは、代数体Kの整数環Oにて、数の整除関係をイデアルの整除関係に置き換える事で、代数的整数論の基礎を築きます。
例えば、整数環Oの有限個の元a₁,….aₙから生成されるイデアルとは、(a₁,….aₙ)={ξ₁a₁+…ξₙaₙ|ξᵢ∈O}で定義されるOの部分集合の事で、環の特別な部分集合と言える。
例えば、(整数環にて)偶数全体の成す集合や3の倍数全体の成す集合などの持つ性質を一般化したもので、その部分集合の任意の元の加減で閉じ、かつ環の任意の元を掛ける事で閉じる部分集合(≠∅)がイデアルとなる。
特に、n=1の時の(a₁)=a₁x₁を”単項イデアル”と呼び、”単元生成されたイデアル”という意味で、一般に”主イデアル”(principal ideal)と言う。
更に、整域(整数全体の成す環)の全てのイデアルが単項イデアルの時、”単項イデアル整域”と呼ぶ。因みに”整域”とは、零因子が0しかない可換環の事で、ab=0⇒a=0orb=0(又はa,b≠0⇒ab≠0)が成立する。例えば、可換環Z,Q,R,Cは全て整域で、単なる数は整域と言える。
また、2つのイデアルA=(α₁,…,αₙ)とB=(β₁,…,βₙ)の積C=ABとは、C=(α₁β₁,…,αₙβₙ)で定義し、この時、”A,BはCを割り切る”という。言い換えれば、”A,BはCと整除関係にある”となる。
そこで、イデアルPを割り切るイデアルが、P自身と(1)=Oしかない時、Pを”素イデアル”と呼ぶが、この時デデキントは”整数環Oの任意のイデアル(≠0)は有限個の素イデアルの積に一意的に分解される”との基本定理を証明した。但し、素イデアルとは素数(素元)の概念の拡張として、デデキントにより代数体の整数環に対し定義された。
一方、ガウスの整数環Z(i)={m+ni|m,n:有理整数環Z}では、任意のイデアルが単項イデアル(→単項イデアル整域)になるので、デデキントの基本定理が整数の素因数分解の一意性定理と同じものになる。
因みに、Z(i)が単項イデアルになるのは、イデアルI⊂Z[i]の任意の元aと、絶対値が最小である元b(≠0)をとって、複素数平面上でa/bに最も近い格子点をq(a,b)とすると、|a/b−q|<1より|a−qb|<|b|となる。また、bのとり方から|a−qb|<|b|<0となり、a−qb=0を得る。故に、a=(b)となり、単項イデアルとなる(証明終)。
逆を言えば、(クンマーやデデキントの様に)イデアルを考える事で、有理整数環Zやガウス整数環Z(i)における素因数分解の一意性が、任意の整数体の整数環に拡張され、そこに整除の理論が展開できる事になったのである。
クロネッカーの夢からヴェーバーの類体へ
次の段階は、代数体K=Q(α)の元を係数とする代数方程式とその解を考える事ですが、まず方程式の全ての解をKに添加する事で、Kを含む代数体L(Kのガロア拡大体)が生じます。
また、K→KはKの上への1対1写像で、四則演算を保つものLの自己同型と呼ぶが、その中でKの各元を動かさないものの全体をG(L/K)と記す。この時、G(L/K)は合成写像や逆写像を作り、群を成すので、G(L/K)をガロア拡大L/Kのガロア群と呼ぶ。
更に、ガロア群G(L/K)が(積に関し交換則が成立する)可換群の時、LはKのアーベル拡大となる。つまり、ガロア群がアーベル(可換)群の時、ガロア拡大はアーベル拡大となる。
例えば、円分体Q(ζ)(ζは1のn乗根)や2次体Q(√m)(m∈Z)は有理数体Qのアーベル拡大となる。
逆にクロネッカーは、”有理数体Qのアーベル拡大は全て円分体に含まれる”事を発見したが、2次体がアーベル拡大になる事までは証明できなかった。
一方で、アーベルの楕円関数の研究により、虚数乗法を持つ楕円関数F(z)の周期の比r=ω₂/ω₁は、ある虚2次体Kの数で、この時のF(z)の等分値F((m₁ω₁+m₂ω₂)/n)は、Kのアーベル拡大体に含まれる。更に、この時のFの母数(特異母数)をKに添加した体もKのアーベル拡大となる。
つまり、クロネッカーは”このアーベルの結果の逆が成立つ”と予想した。クロネッカーはこの予想を、デデキントに宛てた手紙の中で「クロネッカーの青春の夢」と書いた。が、彼はこの予想を証明する前に他界する。
クロネッカーの予想を引き継いだのは、H・ヴェーバー、フェター、高木、ハッせ、ドイリンクなどの若き数学者だった。
特にH・ヴェーバーは、虚数乗法より生ずる虚2次体のアーベル拡大体の性質をモデルにし、一般の代数体に対し特別な性質を持つアーベル拡大体で、数学史上初めて”類体”と呼ばれるものを定義した。
但し、「その1」でも書いた様に、”虚2次体と呼ぶ代数体K=Q(α)のアーベル拡大体Lは、虚2次体に虚数乗法を持つ楕円関数の等分値と特異モジュールを加える事で得られるのではないか?”と予想したクロネッカーだが、それを引き継いだのがヴェーバーである。
因みに、2次体とは整数d≠0,1にてQ(√d)で表し、d>0の時を実2次体、d<0の時を”虚2次体”と呼ぶ。また、”虚数乗法”とは(解析的に言えば)虚数を掛ける事で、虚2次体の類体における相互法則(主イデアル定理)や分岐の様子を楕円関数や楕円曲線の言葉で書き表す事が出来る。一般に、楕円関数fの2つの独立な周期ω₁,ω₂にて、虚2次体Lに含まれる任意のλに対し、f(z)とf(λz)の間に代数的な関係式が存在する時、楕円関数(楕円曲線)は”虚数乗法を持つ”という。
例えば、周期格子がΓ=Zω₁+Zω₂(Z:整数)の時の楕円関数fの全体F=F(Γ)は代数関数体を作る。レムニスケート関数μはその最初の例であり、μが楕円関数となるμ∈F(Γ)の条件は、μωᵢ=aᵢ₁ω₁+aᵢ₂ω₂(i=1,2、aᵢⱼ∈Z)となる事だが、周期の比τ=ω₂/ω₁で表すと、τ=(a₁₁τ+a₁₂)/(a₂₁τ+a₂₂)というτの2次方程式となる。
故に、楕円関数体F(Γ)が虚数乗法を持つ必十条件は、周期τ=ω₂/ω₁が、ある虚2次体Lに属する事である。
そこで、ヴェーバーの類体の定義を整理すれば、”まず代数体Kの整数環Oのイデアルmを1つ決めた時、法mでの(mを決めた時有限個ある)合同イデアル群Hに対し、1つずつ類体Lが決まる”となる。こうして、類体という概念は、代数体Kの特別な性質を持つアーベル拡大体として、1897年にヴェーバーが導入した。
一方で、彼は任意の代数体K対し、類体の存在を証明する事はできなかった。だが、その存在を仮定すると幾つかの定理が導ける事を示した。例えば、ディリクレの「算術級数の素数定理」の素イデアルの拡張がそれである。
ヒルベルトから高木類体論へ
その直後にヒルベルトは、ウェーバーの類体の中から今日”絶対類体”(=ヒルベルト類体)と呼ぶ、特別で主要な性質を予想した。その1つが”類体は代数体K上不分岐”である。
ヒルベルトは、”この類体の特別な性質の存在を証明し、それを用いて代数体上の高次相互法則が得られるだろう”と予想し、更に、この構想を「ヒルベルトの23問題」として提出した。但し、このヒルベルト類体の存在を最初に示したのはフルトヴェングラーである。
ヒルベルトが挙げた、この代数体K上の絶対類体Lの主要な性質の1つこそが”LがK上不分岐である”との性質である。これは、K上の整数環Oₖの素イデアルPをOₖで考えたPOₖは、Oₖの相異なる素イデアルの積となる事で、即ち、Oₖの素イデアルの2乗では割り切れない事を意味する。
その後を受けた高木氏は(前回「その2」で述べた様に)最初はヒルベルトの絶対類体論の構想に沿って研究を進めていたが、(特殊な)分岐する場合も考えて類体論を一般化する事を考えた。
そこで高木氏は、この一般化の立場から、ヴェーバーが導入した(特別な場合の)類体の存在を証明し、一意性定理、同型定理、分岐定理、イデアルの諸定理からなる理論を構築し、最後には”代数体K上の全ての(有限次)アーベル拡大体がK上の類体である”という「存在定理」を証明し、1920年に「相対アーベル数体の一般化について」とのタイトルで発表した。
ガウスの”特殊から一般へ”という帰納的思考とは、まさにこの事である。
この1920年の「高木の存在定理」は誰一人予想し得ない定理であった。というのも、代数体のアーベル拡大は一般過ぎて手掛かりがないので、”類体とは様々な<良い>性質を持つ特別なアーベル拡大”として定義されてきた。
それが、”任意のアーベル体は類体だ”と言うのだから、衝撃は大きかった。
これにより、類体は特別のアーベル拡大ではなく、アーベル拡大一般を含む事になる。逆を言えば、任意のアーベル体は類体として詳しい性質が解る事になる。
高木氏自身が”基本定理”と呼んだ「存在定理」の発見と証明は、高木類体論の最も独創的な所で、分岐する場合の類体論の建設に成功した高木氏だが、その応用として、「クロネッカーの夢」の正確な定式化を与えた。
これを詳しく言えば、”虚2次体K上の任意のアーベル拡大体は、周期比rがKに含まれる楕円関数の等分値を、楕円モジュラー関数j(z)のτにおける値j(τ)、及び適当な1のべき根をKに添加した体に含まれる”との定理を使い、初めてその証明に成功した。
更に1922年には、その類体論を用いて、任意の代数体における奇素数次の相互法則を証明するが、(前述した)フェルトヴェングラーの証明を大幅に簡易化するものであった。
因みに、この翌年、E・アルティンは高木の”同型定理”に(標準的な写像で)同型写像を与える「一般相互法則」に精密化し、1930年にはそれを証明し、任意の自然数nに対するnべき剰余相互法則が導ける事を示した。
この8年にも及ぶアルティンの仕事により、類体論は内容的に完成したと言える。
そして、p進体の様な局所体や有限体上の1変数代数関数体においても類体論の類似が成立する事もわかり、類体論は20世紀前半の代数的整数論の中心的存在となっていく。
[注釈]=因みに、”楕円モジュラ関数”とは、C(複素数体)上の楕円関数体Eの同類群が作るモジュラ空間上の有理系関数体の生成元の事で、モジュラ関数の特別なものだが、任意のモジュラ群g∈GL(2,Z)、f∈Hに対し、f(gz)=f(z)を満たすものをモジュラ関数という。
例えば、Eの周期格子をΓとし、Γ’=Γ−{0}とすると、g₂=60Σ[ω∈Γ’]ω⁻⁴、g₃=140Σ[ω∈Γ’]ω⁻⁶、j(E)=2⁶・3³g₂³/(g₂³−27g₃²)とおく。ここで、EはΓのZ基底(ω₁,ω₂)の比:τ=ω₂/ω₁で定まるから、j(E)=j(τ)とするとj(τ)は上半平面上正則で、モジュラ群の元による1次分数変換で不変となる。
また、モジュラ群とは、2×2行列の4つの元a,b,c,d∈Zに対し、ad−bc=±1を満たす群gでGL(2,Z)と書く。この群は複素上半平面H={z=x+yi,x,y∈Z,x>0}上の変換群で、gz=(az+b)/(cz+d)とし、H上の有理型関数をf(t)する。但し、GL(2,Z)の代りに、元が有限個の合同部分群を考える事で広義のモジュラ関数を得るが、虚数乗法の類体の構成にて重要な役割を果たす。
最後に
「その1」と少しダブる所もありますが・・
以上で述べた様に、高木氏の研究の中心である類体論と虚数乗法は、ガウスとアーベルの仕事が起点となる。当然の事だが、円周等分方程式と楕円関数に集中する。
一方で、類体論は長い歴史を持ち、幾人かの数学者によって発展してきたが、高木とアルティンの仕事は決定的でもあった。
前回「その2」に寄せられたコメントにある様に、類体論とは”代数体のアーベル拡大の理論”とも言えるが、ガウスの高次剰余相互法則とクロネッカーの虚2次体の構成理論を起点に生まれた。その虚2次体とは楕円関数の虚数乗法論に基づくから、類体論は余計にややこしくなる。
だが、”アーベル拡大は類体である”と類体の「存在定理」を発見した高木氏の偉業は、自らの”青春の夢”を地で行く様な仕事でもある。
その高木氏だが、帝国大学の2年になるとDeregeの楕円関数論というのをやらされた。関数論が出来る前の楕円関数論で”随分と時代を離れたもんだ”と高木氏は回想する。
図書館の本を片っ端から乱読した学生時代、「アーベル方程式にて」を報告し、その内容は数体のガロア理論を述べ、アーベル方程式が代数的に可解である事を示したものだった。
つまり、これが高木氏の生涯のテーマとなった”アーベル体論”の出発点となる。
当時は幾何学と関数論の2つしかなかった東大数学科だが、その後、代数学ができ、その講義担当予定者として、3年間ドイツに留学する事となるが、”25にもなって数学の現状に遅れる事まさに50年”と悔やんだのはこの頃である。
”ここ1年半ゲッチンゲンにいる間に50年の乗り遅れが解消した気分になった・・”とあるが、高木氏は懸命に努力し、留学中に「レムニスケート関数に関する虚数乗法」の論文を完成した。お陰で博士号を取得し、助教授になり、帰国後の1904年からは教授に就く。
その後、1923年にはチェコスロバキアの数学物理学会の名誉会員に推され、29年にはオスロ大学の名誉学位を受ける。更に、32年の国際数学者会議では副議長となり、第1回フィールズ賞の選考委員に選ばれます。
クロネッカーの虚数乗法より生ずる虚2次体のアーベル拡大体の研究をヴェーバーが引き継ぎ、一般の代数体に対し特別な性質を持つアーベル拡大体を”類体”と定義します。
その直後に、ヒルベルトは”類体は代数体K上不分岐である”とし、更に、”代数体上の高次相互法則が得られる”と予想します。
この”類体LがK上不分岐である”との性質ですが、例えば、K= Q(√−15)の判別式dを−15とすれば、拡大体L= Q(√−3,√5)の判別式dは−225=−15²となり、素数の2乗で割り切れるので、LはKの不分岐アーベル拡大となります。更に、Kの類数が2である事が示せれば、Lはヒルベルト類体となります。
ここらの不分岐の定義が難しいのですが
クロネッカー→ヴェーバー→ヒルベルト→フルトヴェングラーに至る流れも、高木類体論に大きく寄与したと言えますね。
彼は類体の存在を証明出来なかったが、ヒルベルトは”絶対類体”という更に性質の良い拡大体を導入しました。
この性質こそが、拡大体L上の整数環Oₗにおける(K上の整数環)Oₖの素イデアルの分解が”重複因子を持たない”との事でした。
この時、”LはKの不分岐な拡大体”となりますが、”類体は不分岐だ”とヒルベルトが言ったので、高木氏は”不分岐”という事に拘りました。
こうして高木氏は絶対類体の存在を証明し、不分岐を捨て去ると”アーベル体が類体”と言う存在定理に到達します。
類体の不分岐ですが、私なりに色々と調べたんですが、かなり厄介で私にはどうも無理っぽです。
コメントいつも有り難うです。
まず、有限次アーベル拡大L/Kがあると、これに対応するイデアル類群が定まり、”アルティン写像”により、このイデアル類群とガロア群 Gal(L/K)は同型になる。これを「アルティン相互法則」と呼ぶ。
逆に、一般化されたイデアル類群があると、それに対応する有限次アーベル拡大が定まり、同様の事が成り立つが、これを「高木の存在定理」という。
この様に、”有限次アーベル拡大”と”一般化されたイデアル類群”が1対1に対応するのが類体論の主な結果となる。
通常の意味でのイデアル類群も一般化されたイデアル類群の1つなので、これに対応するアーベル拡大が存在する。このアーベル拡大は最大”不分岐”アーベル拡大という性質を持つ。これには特別に”ヒルベルト類体”という名前がつけられている・・・
とあるけど、
わかったようなわかんないようなで
だから代数学は古典数学とされ、忌み嫌われるのだろう。
関数論で言えば、分岐とは多価関数としての平方根が零点からの符号の異なる2つの枝に分かれるとの意味です。
つまり、ヒルベルトが予想した類体は、枝分かれせずに振る舞いのいい性格を持つという意味なのでしょうか。
定義通りに言えば、POₖは素かどうか分からないが、L/Kを有限拡大体とすると、素イデアルの積はP₁ᵉ⁽¹⁾⋯Pₖᵉ⁽ᵏ⁾となる(但し、PiはOₖのそれぞれ異なる素イデアル)。
ここで、PがLで分岐するとは、あるiに対しe(i)>1の時を言う。つまり、分岐指数e(i)>1なるPiが存在する事を言う。従って、全てのiに対し、e(i)=1の場合を不分岐と呼ぶ。
不分岐と同値な条件として、”Oₖ/POₖが零でないべき零元を持つ”事がある。但し、べき零元は有限体の積ではない。
一方、ヒルベルトは高木氏に”代数関数はリーマン面で決まる”と言ったが、類体に関するリーマン面との類似は、デデキントとヴェーバーにより既に指摘されてはいた。
また、相対判別式で言えば、Pで割りきれる事と、Pを割るOₖのイデアルPiが存在し分岐する事は同値であり、Piが分岐する時はOₖの素イデアルPiで割り切れる。
つまり不分岐とは、POₖがOₖの相異なる素イデアルPiの積(P₁⋯Pₖ)となる事で、これはOₖの素イデアルの2乗では割り切れない事を意味します。
こうして、定義を忠実に辿ると判った様な気もしますが・・・
コメントいつも参考になります。