[個人史]: 電車内の出来事
近年、わずかな期間でも間を空けると街並みどんどんが変わってしまう。同様に鉄道線の駅舎も建て替えや改修等で近代的な建物に変わっていく。
東急・東横線などは 私が利用を始めた20数年ほど前には 『いなかの電車』 と呼んでいた。 日吉駅近辺を通るたびに 田畑や農作物の実り具合を眺めては 季節の移り変わりを楽しみながら通勤していたからだ。
改札には駅員さんが居り、古くさい駅舎には 「人間味」 が染みついていた。 つまり鉄道を利用するときには 入り口から出口まで ヒトとヒトとの繋がりの中で利用していたと云っても良い。
私が 渋谷駅を利用していた時期 には、車内の様子もいまとは違う。 窓を背にした座席も席の途中には仕切板もなかったから、ドアからとなりのドアまで一直線に伸びた座席には 客と客のあいだに微妙にスキマが出来やすかった。
<エピソード>
その日の帰宅時も 眼前にカラダ半分ほどのスキマがあったのでちょっと迷ったが尻を割り込ませてみた。 普通なら乗客らが順次詰め直して座れる確立が高かったのだが その日はわずかに広がっただけで ビクともしない。 席の奥までオシリを押し込めないので 「ぁ、ダメだ。(立ったままで)いいや 」 と云いながら諦めて立ち上がった。
すると目の前に座る年配のサラリーマンが 「大丈夫ですよ座れますから」と私に声をかけ、反対側の若いOLさんも「そうですよ、座ってください」とニコニコしながら云ってくれる。 私が「立っていても大丈夫ですから」 と云っても、年配のサラリーマンと若いOLさんの二人で 「疲れているのはお互い様ですから」 と二人の間のスキマに座れと勧めてくれるのだ。
私は座席のへりに腰を下ろし、両端のサラリーマンとOLさんは可能な限り外側へ自分のからだをひねってくれた。 だからこそ3人それぞれの下車駅に着くと互いに声をかけて降りて行くのにも何の不思議も無い。
このような事はたまたまの出来事ではない。 空いた隙間に座るときにも 「すみません」 とひと声かけていたように、かつてはごく普通に 声をかけながら席を譲り合った。
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東急・東横線などは 私が利用を始めた20数年ほど前には 『いなかの電車』 と呼んでいた。 日吉駅近辺を通るたびに 田畑や農作物の実り具合を眺めては 季節の移り変わりを楽しみながら通勤していたからだ。
改札には駅員さんが居り、古くさい駅舎には 「人間味」 が染みついていた。 つまり鉄道を利用するときには 入り口から出口まで ヒトとヒトとの繋がりの中で利用していたと云っても良い。
私が 渋谷駅を利用していた時期 には、車内の様子もいまとは違う。 窓を背にした座席も席の途中には仕切板もなかったから、ドアからとなりのドアまで一直線に伸びた座席には 客と客のあいだに微妙にスキマが出来やすかった。
<エピソード>
その日の帰宅時も 眼前にカラダ半分ほどのスキマがあったのでちょっと迷ったが尻を割り込ませてみた。 普通なら乗客らが順次詰め直して座れる確立が高かったのだが その日はわずかに広がっただけで ビクともしない。 席の奥までオシリを押し込めないので 「ぁ、ダメだ。(立ったままで)いいや 」 と云いながら諦めて立ち上がった。
すると目の前に座る年配のサラリーマンが 「大丈夫ですよ座れますから」と私に声をかけ、反対側の若いOLさんも「そうですよ、座ってください」とニコニコしながら云ってくれる。 私が「立っていても大丈夫ですから」 と云っても、年配のサラリーマンと若いOLさんの二人で 「疲れているのはお互い様ですから」 と二人の間のスキマに座れと勧めてくれるのだ。
私は座席のへりに腰を下ろし、両端のサラリーマンとOLさんは可能な限り外側へ自分のからだをひねってくれた。 だからこそ3人それぞれの下車駅に着くと互いに声をかけて降りて行くのにも何の不思議も無い。
このような事はたまたまの出来事ではない。 空いた隙間に座るときにも 「すみません」 とひと声かけていたように、かつてはごく普通に 声をかけながら席を譲り合った。
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