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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

団塊世代。再考査メモ(3) バブル期前夜(序章)

2006年11月08日 21時59分59秒 | ベビーブーマー
【 家庭と教育 】
戦後一貫して発展を続けて来た日本であるが、バブル期を境にして大きく変わったと考えている。

経済バブルが日本を変えたのではなく、この時期の世代交代が大きく影響しているものと考えている。どこに 変化 が起こったのかを考えてみたい。

<都内における家庭の様子>
私が 地方から東京に出てきたのが 1970年代の前中期なのだが、このころはまだ職場等での残業などは少なかったのではないかと思う。真の好景気とは残業無しでも生活に支障が無い時代である。
子供のいる家庭では、父親の帰宅を待って 夕食をともにする家庭は ごく普通にあったものだ。
※ 新聞奨学生だった私が (都内で)夕刊を配達していても、仕事から帰ったお父さんがステテコ姿でお茶を飲みながらくつろいでいる姿はごく自然に見かけていた。

第一次オイルショック(1973年晩秋~)の影響で国内物価が急上昇(便乗値上げ続く)。 沈静化に向かってもまだ 物価は高止まりのままだった。首都圏の新聞代は1100円から一気に1700円に上がったのだ。(新聞奨学生だった私はどれほど客から文句を言われた事か..)
※参考メモ:
中日新聞を親会社とする『東京新聞』は首都圏における値上げを見送り、販売部数を伸ばした。これに怒った読売新聞(当時新聞協会会長)は中日新聞本社のある中部地区で ”中部読売新聞”の値下げを断行。新聞本社同士の争いが、所有球団においても影響し、因縁の巨人・中日戦争が始まったのだった。
・・・・
オイルショックのさなかでも、田中角栄進める『日本列島改造論』の勢いは留まる事を知らなかった。(我々新聞奨学生らにとっても日本社会の『躍進』の雰囲気を感じさせていた)

<住宅ブームの再燃>
景気の安定化とともに、再び住宅(取得)ブーム が巻き起こった。首都圏近県の山々はさらに造成され順次住宅が建設されていった。
地方に飛ばされて からの私の担当は山の中であったが、みるみる造成が進んでいったので新聞配達が大変だった。

(続)

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10/12 嫌われ者ジョージィ、良職場との出会い(前編:嗚呼!流転)

他人(ひと)の『職務経歴書』の中身は?(2)

2006年11月08日 17時42分46秒 | Weblog
最近、嫌な思いが頭をよぎった。

私が仕事をするときには、なぜか 優秀な同僚 に恵まれないのである。仕事を分担するどころか (最終的に)ほとんどを私が担当せざるを得ないのだ。

<最後の頼り>
基本的には それまで何人かが取りかかったが成功しなかった仕事(プロジェクト)が私の担当なのである。

仕事にも慣れ一番最初に、始めて自分一人で全てを進めたものが 『国家プロジェクト』 だと聞いていた。完成したときには (他の大手企業に先駆けて)日本で最初に成功したと喜ばれた。

その後も毎回職場を変わるたびに、「欲しいモノなのにどの企業(会社)に頼んでも完成しない、断られる」と言われ、企業はワラにもすがる想いで(試しに)私を採用するのである。

ある名の通った日本企業の人事担当と会ったときなどは、
「大企業でもあるまいし、一人でできる訳がない」と明確に言われたものだ。

<ウソっぽいのが日本のレベル?>
そもそも、職場が一緒だった同僚が、何枚もの用紙一杯になって 手に負えなくなった ”私の経歴書”を整理して書き直してやるというので見せた。すると「内容がウソっぽいなぁ」などと言うのである。
それで、一緒に勤務した半年強の部分(A4用紙1/3)を指して、「これはちゃんと見て知ってるはずだ」と指摘すると、”そういえば確かにそうだ”と、なんとも頼りない。
だが同僚ですら「信じられない」というのであるから、初対面では一笑に付されるだけが日本での実情だ。

だが問題はこのことではない。
もしかすると「人並み以上に仕事をしてきてしまったのではないか?」という懸念である。

もしそうだとすれば ひどく時間単価を安くして仕事をこなしてきた事になる。
仕事を完了させた後(私が去った直後)の 職場全体では 毎回どこも大きな昇給 があるのも特徴である。

普通であればどの程度の仕事をすれば 給与/報酬 を貰って良いのだろうか?

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父の教え7(”貴賎”なし!)

2006年11月08日 14時52分02秒 | Weblog
[個人史]: 親から子へ 躾(シツケ)

私の幼い時は、日本もまだ復興途上であるから 貧しい 暮らし向きの家庭も多かった。
トイレが水洗なのは 新興住宅地 くらいであったから、古くからの住宅地 ではバキュームカー(・省略・)を毎月のように呼び出しては 手数料 を支払っていた。

家族でアパート住まいの時、
私は この毎月の 汚物処理での留守番がイヤだった。トイレの上(穴)から吸引の様子を見届け、残り少なくなった時、汚物漕の壁にバケツで何度も水をかけそれらの汚水も吸い取って貰わなければならない。
吸引作業が終わってもまだ、飛び散った汚物が服や手などに付いている作業員の方に 作業代を 手渡ししなければならないからだ。

ある時執拗に”汚いから嫌だ”と 汚物処理の留守番を拒否した。
すると父はカンカンになり、
『仕事に貴賎なしだ!』 そして、「人の嫌がる仕事ほど大事なものであり 他人から蔑(さげす)まれるような仕事では無い」 と ゲンコツを食らわした。

以来、他の人々の仕事を見て 汚い だの 嫌な仕事 だのと思う度に、あのときの怒鳴り声とゲンコツ の想い出が突如として蘇ってくるのである。

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父の教え特1(”時代は違”わない!)

2006年11月08日 12時53分45秒 | Weblog
[個人史]: 親から子へ 躾(シツケ)

言い訳するわけでもないが、父は特別立派だった訳ではない。父から聞いた言葉は 祖父からの流れ だと思う。そこに 父自身の 『国鉄マン』 としての経験と誇りがつながって私に押し寄せてきただけであろうと思うのだ。

そもそも父がいくら強く私に話したとて、当時の私も 時代が違う! と聞く耳は持たなかった(聞き流していた)。

現代の子供達も 同じであろうし、すでに大人になっている人々も 子供時代には同じく 時代が違う! と反発していたはずである。時代が変わっても 考える事は同じである。

ただ、私が違うのは 高校2年の終わり近くに 自分の意志で 家を出た(独立した)
若い時期から 様々な年代の人々とともに仕事をして、年を重ねる度に(経験が増す度に) 父の時代 と同じ(変わらない)教えだと 気づいたのである。

『 父の教え 』と記してはいるが、実際はそれ以前から語り継がれて来ていて、戦前・戦中を知る人々(10代前半から社会の担い手となった人々)の中では 常識 とも云える 教え だったのである。

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<自殺予告>封書実物を公開 文科省 【対策案】

2006年11月08日 03時51分28秒 | 格差社会と政治
<自殺予告>封書実物を公開 文科省 (毎日新聞) - 11月7日19時58分更新

実際に 文科省のホームページ上で 公開 されていた。

兄弟はいないらしい。
両親に訴えても 「我慢しろ」 と言われ、担任教師に言っても「おまえが悪い」と 対応 してもらえない。
実際に 校長、教育委員会 まで届いているかは別として、大人達からの助けは期待できないところまで追いつめられている様子が分かる。

この家族は 社会的弱者 なのではないか?
いじめは 差別 から起きているのではないか? いじめている子供の中に 権力者等の子供が いるのではないか?

消印が『豊島』としても 東京・豊島区 とは限らない。川を越えて埼玉に入れば があったはずである。すこしでも早く配達されるように都内まで出て投函したかも知れない。

とにかく(周りの大人達を信用できなくなった)少年をどこに保護するかが重要だ。
両親は 自分の立場で手を打ち尽くした。(仮に、校長・教委まで訴えに行っていないとしてもである)すでに少年にとっては 親としてやり尽くしたと少年は考えている。
「夜回り先生」への連絡を促そうかとも考えたがHPを見ると体調を崩されているようだ。

仮に全ての学校を11日には封鎖をしても、少年は日を変えたりあるいは別な手段で実行するだろう。

メディアで少年に訴える方法が一つだけある。
少年が テレビ局や交番等に名乗り出てくれれば、
必ず いじめた生徒とその親、教師と学校長、教委 皆を一同に集めて 少年と 向き合わせて話をさせる。と約束することである。そしてその約束を確実に守る事である。

大人たちは 少年の訴えに対して 裏切った。 その信頼を取り戻すためには 上記約束を(少年が見ている)テレビで 何度も流す事だ。

あるいは 気づいた学校が、即座に少年と話をし、前述の皆を一同に集めて 少年と 向かい会わせるかのいずれかである。

手紙を受け取った 文科省大臣 は、少年からの信頼を裏切ってはならないだろう。
今後の事もあるが、もはや対応に猶予はない。