近隣外交に手を抜いてきた小泉改革政策の中、
今年2006年8月に ロシア側が実効支配する北方四島海域で 日本漁船に対する 銃撃・だ捕 事件が発生した。 日本国民の眼が 北方領土問題に向いた良いきっかけとなった。
昨年(2005年)からの耐震偽装事件を始め、度重なる社会の大事件の当事者さえも(国会証言を撤回しての)無罪主張を繰り返す(白も黒にしてしまう)異常な日本の世情の中、日本漁船だ捕事件さえも、内容そのものの詳細が判明するどころか 帰国した船長の会見や国土交通省大臣の「漁船が戻らないと解明できない」等の発言で、空しく世論から遠ざかった。
だが、北方領土問題を扱う 外務大臣が(国土交通省大臣同様)安倍内閣新政権になっても その責は 留任 となっている。 当然 北方領土問題 に対しても 返還作業を継続していると思われるが いまだに 世論に提出されては来ない。
政権交代時の最終段階では、
ロシア側提起の 四島のうち二島だけを返還することで合意に至りそうな様子であった。(これは特にロシア側と協議するまでもなくずっと以前からあったロシア側からの提案内容だ)
<北方領土問題>
太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦直後、始めての手痛い敗戦を経験した日本は、樺太(南樺太)のロシア側占領はもちろん、北方四島までがロシア側に抑えられたまま世界は冷戦時代を迎えてしまい、ロシアと国交が無くなってしまったようだ。
太平洋戦争前、日本は 南樺太 と(ロシア側が提案する)北方二島 を領土として持っていた。
日本とロシアが友好関係にあった時、南樺太とロシアが持つ北方2島を交換した。
これによって、南北樺太(樺太全域)はロシア側領土。 北方四島が日本側領土となったのである。
ところが 冷戦の影響と外交無策で (南)樺太も北方四島も ロシア側が実効支配したままなのである。
<北方領土における日露国交の幕開け>
私の記憶では、北方領土に住むロシア人の子どもが大やけどを負って日本に助けを求めてきた事から始まったのではなかったかと思う。ロシア本国に搬送して手当てする余裕が無かったのだ。人道的処置として外務省が受け入れを許可。北海道の病院で手当を行った。
重要なのはそれまでは 日本人はロシア人を悪人と見ていて、ロシア人も日本人に強い悪意を感じていた。(両国政府の教育の結果である)
だが、一人の子どもがもたらした交流で、日本人はロシア人の実態(同じ人間である)を知り、子どもの両親も「日本人はいい人達だった」とロシア側住民に知らしめてくれたのだった。
<政府の北方領土返還要求>
一番簡単な 北方2島返還では日本政府・外務省の怠慢となる。 国民が世論を高めないと 再び日本政府は(楽な) 外交無策政策 を選択するだけだろう。
もう一度日本政府を突(つつ)いてみようか。
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