[個人史]: 親から子へ 躾(シツケ)
私だけでなく誰でも同じだと思うが、親が何かを云っても 『 時代が違う! 』と聞き入れるはずもない。
だが、このときの父の言葉が後年どれほどの実りをもたらしたか計り知れない。
実際、いまだに多くの 成果 をもたらし続けている。
ようやく慣れた 団地生活 であったが、父が 助役 となったので始めての 転勤 となった。
最初の赴任地は、いつも日本海の荒い風が吹く 小さな農村駅 であった。
駅前からまっすぐに国道へ向かうと100mも進まないうちに日本海となる。海岸沿いに走る国道(と線路)なのである。
山側には200mほど離れて 防風林が広がる。この防風林を抜け、学校までは4Km超え。歩くか、自転車通学となる。
これでも私はまだ良い方だ。
他の生徒たちはようやく人が通れるほどの農道を(場所によっては)ひとつかふたつの山を越えて学校に来る者も少なくない。
『 挨拶しろ! 』
転勤・転校して一ヶ月後。父が私に命じた。
一応私は 市街地に住んでいた(地方だが)都会っ子 なのである。知らない人に挨拶する習慣は無い。
だが、
新任助役でも、たった一人の自宅兼派出所の警察官同様に、いなかでは実力者なのだ。
「今度の助役の息子は道で会っても挨拶もしない。生意気だ!」と悪評が立ったというのである。
私も一応ながら 『国鉄助役=村の有名人』 の意識はあるから、親父の立場は理解できた。
(というより、親父に逆らうのには相当な決心 が必要だった。)
いままで、学校の中でしかしたことのない 挨拶 を 登下校時の道路上でも 努力した。
数少ない大人を見かけても 誰が誰だかわかりはしない。 さっき挨拶した人がトラクターを降りて作業しているのかさえも判らない。
とにかく人を見かけたらどこからでも 挨拶 した。
『 障害 だが良い訓練 』
道路上や、道端から畑に向かって(モゴモゴと)挨拶しても 強い海風の影響で相手は 『何?』と、私が何を言ったか通じない。
何度も繰り返し、大声で 「お早うございま~す」「こんにちわ」「さようなら」を繰り返す日々となった。
私ジョージィ、小学校6年生の出来事である。
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だが、このときの父の言葉が後年どれほどの実りをもたらしたか計り知れない。
実際、いまだに多くの 成果 をもたらし続けている。
ようやく慣れた 団地生活 であったが、父が 助役 となったので始めての 転勤 となった。
最初の赴任地は、いつも日本海の荒い風が吹く 小さな農村駅 であった。
駅前からまっすぐに国道へ向かうと100mも進まないうちに日本海となる。海岸沿いに走る国道(と線路)なのである。
山側には200mほど離れて 防風林が広がる。この防風林を抜け、学校までは4Km超え。歩くか、自転車通学となる。
これでも私はまだ良い方だ。
他の生徒たちはようやく人が通れるほどの農道を(場所によっては)ひとつかふたつの山を越えて学校に来る者も少なくない。
『 挨拶しろ! 』
転勤・転校して一ヶ月後。父が私に命じた。
一応私は 市街地に住んでいた(地方だが)都会っ子 なのである。知らない人に挨拶する習慣は無い。
だが、
新任助役でも、たった一人の自宅兼派出所の警察官同様に、いなかでは実力者なのだ。
「今度の助役の息子は道で会っても挨拶もしない。生意気だ!」と悪評が立ったというのである。
私も一応ながら 『国鉄助役=村の有名人』 の意識はあるから、親父の立場は理解できた。
(というより、親父に逆らうのには相当な決心 が必要だった。)
いままで、学校の中でしかしたことのない 挨拶 を 登下校時の道路上でも 努力した。
数少ない大人を見かけても 誰が誰だかわかりはしない。 さっき挨拶した人がトラクターを降りて作業しているのかさえも判らない。
とにかく人を見かけたらどこからでも 挨拶 した。
『 障害 だが良い訓練 』
道路上や、道端から畑に向かって(モゴモゴと)挨拶しても 強い海風の影響で相手は 『何?』と、私が何を言ったか通じない。
何度も繰り返し、大声で 「お早うございま~す」「こんにちわ」「さようなら」を繰り返す日々となった。
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