常なる忠誠

LEATHERNECK FAN別館または史跡巡りな話

金沢駐屯地創立60周年記念式典

2010-11-24 00:13:58 | 管理人の独り言
 第314回。
 陸軍兵士が久しぶりの名誉勲章生前授与が決まったとのヤフーニュースに、本館の名誉勲章コンテンツが、あまり関係ないのに貼られたことで、1,700。以前、このブログの小竹貝塚が貼られたときもほぼ同数。
 普段、100前後しかアクセス無いのに、激増すると少し怖い管理人です。

 話は変わり。

 真打ち登場。主砲の発砲は、上手く撮影できず。
 歩兵部隊の投入。

 1輌にはスナイパーとスポッターが同乗。

 歩兵部隊が展開を終えた頃。
 
 敵軍役のM2はジャムっているのだった。

 再び射撃を開始した重機関銃手をスナイパーが狙う。

 そんなスナイパーも、場所が変わると途端にシュールなムックとかす。


宇波古墳群

2010-11-20 22:27:49 | 古墳(氷見市)
 富山県氷見市北部にある宇波古墳群。円墳2基を確認。
 古墳からは、埋葬者、直刀、須恵器が発見された。
 石室の発見された1号墳はほぼ消滅したが、神社の境内で石室の石材が流用されている。
 氷見市の古墳と言ったら、真っ先に取り上げるのは、柳田布尾山古墳かもしれないけれど、敢えて違う道を進んでみる(写真は撮ってあるのだけれども)。
 車を停める場所の関係で、急いで写真を撮影したので、いずれ再訪する予定。




 宇波神社。社のある位置に円墳があった。石室の石材は神社の境内で流用されている模様。富山県GISサイトによれば、未調査の宇波古墳だが、実際には人骨、直刀、須恵器、石室が発見されている。



 もう一基の円墳も、並ぶように位置していた。


 周辺道路は、車がすれ違えるかどうかの細い道。車で行くような場所ではないが、車でないと行けない場所。

より大きな地図で 宇波古墳群 を表示

金沢駐屯地創立60周年記念式典

2010-11-17 00:00:00 | 管理人の独り言
 第313回。
 毎年恒例の海兵隊員が極彩色豊かなケーキを食べるイベントも終わりましたので、金沢駐屯地創立60周年記念式典第3回。
 投入されたレンジャーは、そのまま演習場を抜けて裏手へ回り。
 車両部隊の投入。

 偵察部隊に敵部隊役の96式がM2で攻撃を開始。

 攻撃する機関銃陣地。しょっちゅう、M2がジャムっていたような感じが。

 ちなみに87式は、攻撃をせずにそのまま後退し、次の出番待ち(敵増援役)。


 後方では、FH70榴弾砲の設置作業が開始中。

 偵察部隊は撤退を開始し、迫撃砲陣地が設置される。

 発射準備が整い、「大きな音が出ますごちゅういください」のアナウンスとプラカード。

 そして。

 そして、真打ち登場。

 74式も耐用年数が限界近いそうですが。

 今年は60周年なので、奮発して3輌参加とか言っていましたが。


海兵隊235回誕生日

2010-11-10 00:00:00 | 管理人の独り言
 第312回。
 1775年11月10日から数えて、アメリカ海兵隊は235回目の誕生日を迎えました。
 本館は、6年目に突入。
 例によって、海兵隊司令官のメッセージを訳す。


 60年前、合衆国海兵隊は-それは我々の歴史を通じてそうした-準備されたアメリカの遠征軍としての、その不可欠な役割を示した。北韓共産軍が38度線を越えた後の、その週に釜山の都市周辺防衛線の中核を形成するために第1海兵臨時旅団が南韓に上陸した。"射撃旅団"の努力は、仁川への大胆な水陸両用上陸を考慮し、軍団の歴史において最も過酷なキャンペーンの一つ-チョシン貯水池の舞台を定めた。我々が我々の235回目の誕生日を祝うことを中断し、我々は朝鮮戦争の海兵隊員たちに特別な敬意を表し、我々の永続する遺産に対する彼らの貢献を讃える。
 この過ぎ去った年に、イラクにおける海兵隊戦闘任務の終わりが記された。2003年3月の進行して始まり、次の7年間の戦いを通じて、我らの軍団は、国土全体、そしてアンバー省で勇敢に義務を果たした。ファルージャとラマディのような場所で我らの軍団の傑出した戦いの歴史に、それらの場所をつかみとった。反乱を破る我らの努力で全てのイラク人のためにより明るい未来を築くのを助けた。
 海と陸上での235年の間、海兵隊員たちは、あらゆる気候と場所で成功し……そこではしばしば困難と逆境が共通した糸だった。今日、アフガニスタンの荒れ果てた山と谷の中-そして、先頃、地震災害を受けたハイチ……洪水で破壊されたパキスタン……或いはアフリカの沖合で-我々は韓国で我々が60年前にまさにしたように、我らの国家を保護し続ける。
 海外に展開した海兵隊員たちと海軍兵たちへ、彼らを訓練し、そして彼らの次の展開に備え、そして、我らのユニフォームをもはや着ることのない戦士たちに……我々は、国家への君らの献身的な軍務に敬意を表する。海兵隊家族の一員であることと共に来る多くの困難に耐える我々の愛する人へ、私は、君らの行った全てと、君らが行い続ける全てに対する心からの感謝を表したい。
 ハッピー、235回目のバースデー、マリーンズ!
 Semper Fidelis,
 ジェームズ・F・エイモス海兵隊大将


 Semper Fidelis

長慶寺古墳

2010-11-09 00:10:43 | 古墳(富山市)
 番神山横穴墓と呉羽山古墳を撮りに行った際、安養坊古墳と長慶寺古墳も探してみた。長慶寺を通り過ぎて、更に墓地の方へ進んだところに山道を発見し、進んだところ、筆塚の案内板を発見。GISサイトの位置が示している場所でもあることから、長慶寺古墳と推定。
 古墳の規模等は不明。前方後円墳のようにも見えるが、前方部は普通に墓になっていた。発掘調査などは行われていないために詳細は不明。呉羽山古墳(その下に番神山横穴墓)が南側に位置し、丘陵の上には杉坂古墳群。麓には安房丸山古墳(現在、八幡社と見ているが、山の上かもしれない)がある。
 謂われ的には、1796年(寛政8年)に、人麻呂大明神の社殿の土を移して祠を作った。二年後に八代藩主前田利謙の生母自仙院佳子が歌を詠んで奉納したという記録も残されている。祠にあった人丸像は1870年に祠が合寺令で撤去された後、長慶寺にて安置されている。




 北側からの撮影。東側(写真手前左側)は個人の墓があり、削られたと見て間違いないと思う。

 大体、こういう形になっている。



 南側から。墳丘自体は高くない。写真の右側は、前方部のようになっており、そこに墓(結構、立派で単独)がある。



 山頂の方に、立山連峰を望む展望台が置かれている場所でもあり、長慶寺からの展望も良い。



 長慶寺の駐車場側から撮影。正面の森の中に長慶寺古墳が位置している。見てのとおり斜面全体が墓地になっている(おそらく、横穴墓もあったと思う)。



 でもまあ、長慶寺だと、こちらの五百羅漢撮るよね。普通。


 長慶寺を越えて墓地の方へ進むと森の中に進む道が一本ある。そこに行くまでの案内は無い。なお、五百羅漢の階段を登った先が、杉坂古墳群(長慶寺の北側に走る道沿い)になる。とはいえ、古墳として明確に残されている物は一つもないのが、現状であるし、案内自体も番神山横穴墓以外は無い。と言うより、そもそも、志留丸塚と筆塚の案内すらないと来ている。

より大きな地図で 長慶寺古墳 を表示