常なる忠誠

LEATHERNECK FAN別館または史跡巡りな話

百塚住吉D遺跡発掘調査説明会

2011-09-30 22:53:11 | 古墳(富山市)
 9月23日。現在、富山市が行っている百塚住吉遺跡発掘調査。自転車漕いで20と数分。
 百塚古墳、百塚住吉古墳群周辺は、広範囲に遺跡が発見されている場所で、百塚住吉D遺跡もそのうちの一つ。
 8世紀あたりの集落跡で、旧神通川河岸に位置している。今年の調査で発見されたのは、竪穴住居跡、掘立柱建物三棟、詳細不明で新聞が勇み足で馬小屋跡と報じた大型土坑、畠跡が発見された。
 神通川河岸だった位置関係と大型土坑が馬小屋とした場合、対岸へ渡るための中継地点だったのではないかとも推測されている。




三つ発見された掘立柱建物跡。ここは同じ場所に梁行2間×桁行3間、東西4m×南北5mの物(SB02)と梁行2間×桁行4間、東西8m×南北5mの物(SB03)が発見された。



 畠跡(畝状遺構)。1.5mから8m。南側には、用水路と思われる水路も発見。道路に面しているのが、掘立柱建物SB01(梁行2間、南北5m)。



 上記の畠への用水路と思われる溝跡。東西幅0.8mから1.0m、深さ40cm。



 掘立柱建物と畠跡の間で発見された竪穴式住居跡と土坑跡。東寄り(写真右側)で土器が集中し、竈があったとされている。また、円形土坑も見つかり、何らかの作業も行われていたと推定。土坑(SX08)は、残存4.4m(推定5.2m)、幅1.8m、深さ0.4m。



 焼土跡。この痕跡から、ここに竈があったとされる。



 メインの大型土坑(SX07)。長さ5.3m、幅2.2m、深さ0.8m。県内では、この時代の建物跡に密接した土坑が見つかるのは初。新聞報道では勝手に馬小屋跡にされてしまったが、推測であり、厩舎、貯蔵穴、水利施設の可能性がある。ただ、同じD遺跡の別な発掘場所から大型哺乳類の骨が発見されていることや、他の地域(埼玉)で発見された同じような土坑が厩舎で確定しているため、今後、土を分析して明らかにする予定という。なお、右上隅は、コンクリートブロック。昭和辺りの遺跡と思う。




 発見された遺物。



 D遺跡の西側にある八山A遺跡から発見された遺物。



 今回、初めて公開された昨年のD遺跡発掘調査で発見された井戸跡から見つかった曲物。かなり、無造作に置かれていた。



より大きな地図で 百塚住吉D遺跡 を表示
 調査が終われば消える遺跡ではある。

舞鶴行ってきた

2011-09-28 23:50:54 | 管理人の独り言
 第358回。
 舞鶴編。
 桟橋では、あたごとみょうこうの二隻も停泊中。

 まずは、みょうこう。

 あたご。

 主砲。

 CIWS。

 こちら、支援船ひうち。

 ひうちは、翌月に富山の海王丸パークに来て、乗船した。
 この後、湾内クルーズへ乗り込むために移動。

西金屋長尾塚古墳

2011-09-25 21:50:09 | 古墳(富山市)
 富山県内に数多くある古墳の内、唯一、有料なのが西金屋長尾塚古墳。入場料は500円。
 呉羽山丘陵には県内最大規模の古墳群があるが、そこから婦中町から西へは、縄文以降からの遺跡で埋め尽くされている。西金屋長尾塚古墳も、そうした古墳の一つであり、その周囲は窯跡が多数発見されている。
 古墳自体は、古墳時代前期(3世紀後半~4世紀中頃)に作られた、富山県内では珍しくもない前方後方墳。調査は行われておらず、墳丘の規模の計測のみが行われている。
 おそらく、県内において、国指定や県指定を受けていないにもかかわらず、それらに匹敵する整備が行き届いた古墳。
 でも、有料。




 西側から見た西金屋長尾塚古墳。なお、手前の池は、古くからあった訳ではなく、ここから、古い窯跡の遺跡などが発見されている。



 古墳へ繋がる道の目印。写真は、木曽馬。



 西側の道から。有料だけあって、道は整備されている。というか、最近、整備された。こちらから、墳丘は良く見えない。



 南側から。もしかすると藪に包まれ良く見えないのでは、という疑念が起こる。場所自体は、元々、竹藪で、平成22年に気合いを入れて整備された。




 後方部。この辺から、疑念は晴れる。非常に見やすい形で整備されていた。これで踏み込めれば完璧だが、一応、足首辺りの高さにロープが張ってあった。




 前方部。所々、視界を隔てる樹木があるが、全体的には見やすい整備をされている。また、道も古墳を南北と東側から眺められるように整備されている。



 北東側から見た古墳全景。発掘調査は行われていないが、規模の調査は行われており、墳長25m。後方部一辺17m、高さ3m、頂辺9m。前方部、幅7m、長さ8m、高さ1.2m。前方部と後方部のくびれは幅6m。


 有料の理由は、ここが富山ファミリーパークの敷地内になっているから。敷地の西側部分は全体的に遺跡跡になっており、古墳東側にセンガリ山窯跡、南側の県道に面した入り口付近は古沢A遺跡、池の中に古沢窯跡、駐車場側の入り口付近が下堤B遺跡、池の北側に古沢3号窯跡、西金屋・西金屋窯跡がある。

 センガリ山窯跡(6世紀末から7世紀前半。痕跡はないが、別な場所に同じ名前をつけた窯が作られている。なお、山を越えた東側、ファミリーパークからトンネルを抜けた右手にあるのが、金屋陣ノ穴横穴墓である。

 金屋陣ノ穴横穴墓。


 おまけ。

 雨降った直後のタヌキ。

 途中、大雨となり、身動き取れない間に餌やりの時間となって撮影したアライグマ。なお、園内のこの一帯はFOMAすら圏外である。一時間以上、足止め食ったおかげでアライグマの写真が、古墳並みに存在する結果となった(結局、諦めて雨が弱まったときに脱出した)。

より大きな地図で 西金屋長尾塚古墳 を表示
 富山ファミリーパーク敷地内にある。開演時間は3月15日から11月30日が、0900から1630。12月1日から翌月末まで1000から1530。駐車場の心配は、当然無い。

ダコタ・メイヤー軍曹に対し、名誉勲章授与

2011-09-21 00:06:06 | 管理人の独り言
 第357回。
 2011年9月15日、バラク・オバマ大統領により、23歳のダコタ・メイヤー軍曹に対し、名誉勲章が授与。21世紀に入ってからはジェイソン・ダナム伍長に続き、2人目。アフガニスタンでは初。生前授与者としては、1970年のケロッグ二等軍曹以来、41年ぶり。

 授章理由は、2009年9月8日、アフガニスタンで部隊が待ち伏せに遭った際、孤立したアメリカ軍部隊とアフガニスタン軍部隊をロドリゲス・シャベス二等軍曹(この功績により、海軍十字章授与。この戦闘では、もう一人アデムーラ・ファバヨ大尉が海軍十字章)の運転するトラックの防備無しの銃座に取り付いて突入。36名を救出。しかし、救難ヘリコプターが、戦闘が激しいために着陸を拒んだために、回収できない4名(マイケル・ジョンソン中尉、エドウィン・ジョンソン一等軍曹、アーロン・ケネフィック一等軍曹、ジェイムズ・レイトン三等海曹。4名に対しては、ブロンズスター)を自ら負傷しているにもかかわらず、徒歩で銃撃下を移動し、ヘリコプターの発見した塹壕で遺体を発見後、合流地点まで担いで帰還。

 陸軍第10山岳師団第3旅団戦闘チーム第32歩兵連隊第1大隊(なお、第1歩兵師団第1旅団のケネス・ウェストブロック一等軍曹が、この戦闘による負傷で10月7日死去)所属の兵士との混成だったようで、ヘリコプターは、空軍のなのでアメリカ軍全てが関与した戦闘だったりする。
アメリカ海兵隊研究サイトTHE LEATHERNECK FAN 海兵隊名誉勲章受章者ダコタ・メイヤー軍曹
 凄い久しぶりに更新した。

舞鶴行ってきた

2011-09-14 20:06:38 | 管理人の独り言
 第356回。
 舞鶴海軍記念館から、また車で少し移動し、桟橋へ。

まずは「まつゆき」
 奥にいるのは、ミサイル艇「うみたか」と「はやぶさ」。うみたかは、毎年、富山に来ている。

 更に奥にはタグボート。

 更にタグボート。

 更に奥にいるその他の艦艇。

 そんなわけで、まつゆきに戻る。

 こうやって見ると大きく見えるけれど、奥に見える「みょうこう」や「あたご」に比べれば、やはり、小さい訳で。