9月23日。現在、富山市が行っている百塚住吉遺跡発掘調査。自転車漕いで20と数分。
百塚古墳、百塚住吉古墳群周辺は、広範囲に遺跡が発見されている場所で、百塚住吉D遺跡もそのうちの一つ。
8世紀あたりの集落跡で、旧神通川河岸に位置している。今年の調査で発見されたのは、竪穴住居跡、掘立柱建物三棟、詳細不明で新聞が勇み足で馬小屋跡と報じた大型土坑、畠跡が発見された。
神通川河岸だった位置関係と大型土坑が馬小屋とした場合、対岸へ渡るための中継地点だったのではないかとも推測されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d3/9ac65a9e99fad1a84e5d58d340895bd6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/af/7fb708c93c9ddd1b5afd6144658c4609.jpg)
三つ発見された掘立柱建物跡。ここは同じ場所に梁行2間×桁行3間、東西4m×南北5mの物(SB02)と梁行2間×桁行4間、東西8m×南北5mの物(SB03)が発見された。
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畠跡(畝状遺構)。1.5mから8m。南側には、用水路と思われる水路も発見。道路に面しているのが、掘立柱建物SB01(梁行2間、南北5m)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/5a/98b5bfbbe89da10f846fe8fe97bfe453.jpg)
上記の畠への用水路と思われる溝跡。東西幅0.8mから1.0m、深さ40cm。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/8e/c805f56d239c0b89212f6668a7ebfba6.jpg)
掘立柱建物と畠跡の間で発見された竪穴式住居跡と土坑跡。東寄り(写真右側)で土器が集中し、竈があったとされている。また、円形土坑も見つかり、何らかの作業も行われていたと推定。土坑(SX08)は、残存4.4m(推定5.2m)、幅1.8m、深さ0.4m。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/fc/b03a8554f1f06ffd0d5baa71b3d2329f.jpg)
焼土跡。この痕跡から、ここに竈があったとされる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/3a/d536a580664c29cfad084bb058f8e5ef.jpg)
メインの大型土坑(SX07)。長さ5.3m、幅2.2m、深さ0.8m。県内では、この時代の建物跡に密接した土坑が見つかるのは初。新聞報道では勝手に馬小屋跡にされてしまったが、推測であり、厩舎、貯蔵穴、水利施設の可能性がある。ただ、同じD遺跡の別な発掘場所から大型哺乳類の骨が発見されていることや、他の地域(埼玉)で発見された同じような土坑が厩舎で確定しているため、今後、土を分析して明らかにする予定という。なお、右上隅は、コンクリートブロック。昭和辺りの遺跡と思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/fb/3aea33366f2241e1fb8fbac56a8048e3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/29/f1425c02c3cc39479e741e2abc0d5a31.jpg)
発見された遺物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/2c/f9a6592f3c69fb2f5c65ba2b1bebb6af.jpg)
D遺跡の西側にある八山A遺跡から発見された遺物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/09/281cb6be3bd0a2d65d55411835534f2e.jpg)
今回、初めて公開された昨年のD遺跡発掘調査で発見された井戸跡から見つかった曲物。かなり、無造作に置かれていた。
より大きな地図で 百塚住吉D遺跡 を表示
調査が終われば消える遺跡ではある。
百塚古墳、百塚住吉古墳群周辺は、広範囲に遺跡が発見されている場所で、百塚住吉D遺跡もそのうちの一つ。
8世紀あたりの集落跡で、旧神通川河岸に位置している。今年の調査で発見されたのは、竪穴住居跡、掘立柱建物三棟、詳細不明で新聞が勇み足で馬小屋跡と報じた大型土坑、畠跡が発見された。
神通川河岸だった位置関係と大型土坑が馬小屋とした場合、対岸へ渡るための中継地点だったのではないかとも推測されている。
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三つ発見された掘立柱建物跡。ここは同じ場所に梁行2間×桁行3間、東西4m×南北5mの物(SB02)と梁行2間×桁行4間、東西8m×南北5mの物(SB03)が発見された。
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畠跡(畝状遺構)。1.5mから8m。南側には、用水路と思われる水路も発見。道路に面しているのが、掘立柱建物SB01(梁行2間、南北5m)。
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上記の畠への用水路と思われる溝跡。東西幅0.8mから1.0m、深さ40cm。
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掘立柱建物と畠跡の間で発見された竪穴式住居跡と土坑跡。東寄り(写真右側)で土器が集中し、竈があったとされている。また、円形土坑も見つかり、何らかの作業も行われていたと推定。土坑(SX08)は、残存4.4m(推定5.2m)、幅1.8m、深さ0.4m。
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焼土跡。この痕跡から、ここに竈があったとされる。
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メインの大型土坑(SX07)。長さ5.3m、幅2.2m、深さ0.8m。県内では、この時代の建物跡に密接した土坑が見つかるのは初。新聞報道では勝手に馬小屋跡にされてしまったが、推測であり、厩舎、貯蔵穴、水利施設の可能性がある。ただ、同じD遺跡の別な発掘場所から大型哺乳類の骨が発見されていることや、他の地域(埼玉)で発見された同じような土坑が厩舎で確定しているため、今後、土を分析して明らかにする予定という。なお、右上隅は、コンクリートブロック。昭和辺りの遺跡と思う。
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発見された遺物。
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D遺跡の西側にある八山A遺跡から発見された遺物。
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今回、初めて公開された昨年のD遺跡発掘調査で発見された井戸跡から見つかった曲物。かなり、無造作に置かれていた。
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調査が終われば消える遺跡ではある。