常なる忠誠

LEATHERNECK FAN別館または史跡巡りな話

石坂鍋山古墳群

2011-08-16 23:55:47 | 古墳(石川県)
 国指定遺跡の散田金谷古墳も属すると考えられている古墳群。現在、志乎桜の里古墳公園として整備されており、6基の円墳を確認できる。入り口には温泉施設がある。
 何度か調査が行われ、1号墳に至っては散田金谷古墳よりも規模が大きいのだが、国指定を受けていないので扱いはぞんざい。
 発掘調査により、6世紀後半頃の築造とされている。




 公園の案内図。案内図はあるが、各古墳に説明は無い。何の記載も無い標識は立っているけれど。



 1号墳。30から37mの規模で、最大。県内でも規模の大きな部類。




 2号墳。1号墳に隣接している。



 公園の一番奥にある3号墳。



 4号墳。



 5号墳。この場所は、ふれあい広場となっており、庵とベンチが設置されている。



 6号墳。一番入り口に近い。古墳の湯の露天風呂から、よく見える古墳。当然、逆も……。



 一番のメイン。露天風呂からは、散田金谷古墳と6号墳を見ることができる。



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 公園として整備され、入り口に古墳の湯があるので駐車場の心配はいらない。三ツ子塚古墳群からも7キロ程度なので、散田金谷古墳と併せて見て、風呂につかって帰るのも手だと思う。自分はそうした。

散田金谷古墳

2011-07-31 23:53:39 | 古墳(石川県)
 散田金谷古墳は、長径約21m、短径約18.5mの長円形の円墳。すぐ側の台地に石坂鍋山古墳群があるが、それの一部ともされている。
 この地域は、石川県でも最も古く古墳調査が始まった土地であり、散田金谷古墳も、1903年に最初の調査が行われ、鉄製の武具及び馬具、耳環、須恵器などが見つかった。
 1982年に国指定を受けたため、石坂鍋山古墳群内でも別格の扱いを受けている。なお、家形石棺も、1970年に県の有形文化財に指定された。




 正面から。1984年から1988年にかけて、石室解体修築と墳丘復元工事が行われた。中には入れないが、石室を見ることはできる。



 石室内部。奥に見えるのが、家形石棺。石室内への水漏れが見つかったため、2006年から2007年に石室の修復と石棺の保存処理が行われた。

 墳頂からの景色。




 西側から。



 北側から。



 東側から。



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 路地裏に近い細い道に看板がある。そこから、先は農道。古墳までは舗装されているが、その先は砂利道。ただ、そこから古墳の湯へ向かう道へ出ることはできる。

河原三ツ子塚古墳群

2011-07-24 00:14:41 | 古墳(石川県)
 河原三ツ子塚古墳群は、埋葬された人に、是非、今の心境を聞きたくなる古墳の一つである。
 三ツ子塚と呼ばれるが、実際には、10基の円墳からなる古墳群で、三つの中心となる円墳と、周囲を囲むように7つの円墳が配置されている。
 モーゼパークとして開発されているおり、そちらの方では、かなり、有名。
 なのはいいのだが、整備がされていないに等しく、古墳はメインの三つですら、確認しやすいとは言えない(気づけないほどではないが)。
 印象的には、「入り口で力尽きたな」といった感じである。

 2号墳。



 1号墳。直径27.5m。高さ5.2m。

 1号墳墳頂。



 2号墳。直径38.9m。高さ6.5m。

 2号墳墳頂。モーゼの墓とされているのが、これな訳だが、シーサーは関係ないよな。



 3号墳。直径36.7m。高さ5.1m。

 3号墳墳頂。



 4号墳。



 5号墳。



 6号墳。



 7号墳。



 8号墳。



 9号墳。



 10号墳。



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 一応、看板はあるのだが、そこに行くまでが分かりにくいという場所。花の慶次金沢編のクライマックスと言うべき、末森城合戦の舞台となった末森城のすぐ側なのだが、そこから素直には行けない位置にある。

須曽蝦夷穴古墳

2010-09-06 00:11:05 | 古墳(石川県)
 石川県能登島にある須曽蝦夷穴古墳。
 石室が露出した状態で放置されていたものを調査を行うと共に修復作業を実施。1989年から、1996年にかけて行われ、土と石を材料にし、忠実に復元したそうである。
 しかし、一応、観光地になっているものの訪れる者もおらずで、到着時には誰もおらず。その後、タクシーで乗り付けた老人が運転手と共に見ていったくらいである。標識などもしっかりある割に。
 そして、帰りの車の中で、ふと南側の写真を撮っていないような気になり、確認したところ、やはり、撮っていなかった。
 なお、能登島には、他にも幾つか古墳が発見されている。




北西側より。古墳に上ることは禁じられている。



古墳より、七尾南湾を望む。標高は50メートルほど。古墳の中の人は、能登の海人を統括した人物ではないかと推測されている。



雄穴石室入り口(南側右手)。内部からは刀装具などの副葬品、木棺の釘などが発見された。



玄室内部も見学できるようになっているが、雄穴の方は柵が設けられていた。



ドーム型の雄穴玄室天井。



雄穴の構造を示した説明図。



雌穴石室入り口(南側左手)。雄穴より、若干、小さくなっている。ここからも刀装具を持つ太刀などが発見された。



雌穴玄室内部。



雌穴玄室には、棺台が造られている。



雌穴玄室天井。雄穴玄室同様、こちらもドーム型になっている。



雌穴の構造を記した説明図。



当時の調査復元を示した案内図。



蝦夷穴歴史センター。駐車場から、古墳までは150メートルほど。中には、発見された遺物や、能登島の遺跡を説明した展示がされている。また、蝦夷穴古墳の調査復元の際のパネル展示や、調査報告書も読むことが可能である。



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