散田金谷古墳は、長径約21m、短径約18.5mの長円形の円墳。すぐ側の台地に石坂鍋山古墳群があるが、それの一部ともされている。
この地域は、石川県でも最も古く古墳調査が始まった土地であり、散田金谷古墳も、1903年に最初の調査が行われ、鉄製の武具及び馬具、耳環、須恵器などが見つかった。
1982年に国指定を受けたため、石坂鍋山古墳群内でも別格の扱いを受けている。なお、家形石棺も、1970年に県の有形文化財に指定された。
正面から。1984年から1988年にかけて、石室解体修築と墳丘復元工事が行われた。中には入れないが、石室を見ることはできる。
石室内部。奥に見えるのが、家形石棺。石室内への水漏れが見つかったため、2006年から2007年に石室の修復と石棺の保存処理が行われた。
墳頂からの景色。
西側から。
北側から。
東側から。
より大きな地図で 散田金谷古墳 を表示
路地裏に近い細い道に看板がある。そこから、先は農道。古墳までは舗装されているが、その先は砂利道。ただ、そこから古墳の湯へ向かう道へ出ることはできる。
この地域は、石川県でも最も古く古墳調査が始まった土地であり、散田金谷古墳も、1903年に最初の調査が行われ、鉄製の武具及び馬具、耳環、須恵器などが見つかった。
1982年に国指定を受けたため、石坂鍋山古墳群内でも別格の扱いを受けている。なお、家形石棺も、1970年に県の有形文化財に指定された。
正面から。1984年から1988年にかけて、石室解体修築と墳丘復元工事が行われた。中には入れないが、石室を見ることはできる。
石室内部。奥に見えるのが、家形石棺。石室内への水漏れが見つかったため、2006年から2007年に石室の修復と石棺の保存処理が行われた。
墳頂からの景色。
西側から。
北側から。
東側から。
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路地裏に近い細い道に看板がある。そこから、先は農道。古墳までは舗装されているが、その先は砂利道。ただ、そこから古墳の湯へ向かう道へ出ることはできる。