常なる忠誠

LEATHERNECK FAN別館または史跡巡りな話

長慶寺古墳

2010-11-09 00:10:43 | 古墳(富山市)
 番神山横穴墓と呉羽山古墳を撮りに行った際、安養坊古墳と長慶寺古墳も探してみた。長慶寺を通り過ぎて、更に墓地の方へ進んだところに山道を発見し、進んだところ、筆塚の案内板を発見。GISサイトの位置が示している場所でもあることから、長慶寺古墳と推定。
 古墳の規模等は不明。前方後円墳のようにも見えるが、前方部は普通に墓になっていた。発掘調査などは行われていないために詳細は不明。呉羽山古墳(その下に番神山横穴墓)が南側に位置し、丘陵の上には杉坂古墳群。麓には安房丸山古墳(現在、八幡社と見ているが、山の上かもしれない)がある。
 謂われ的には、1796年(寛政8年)に、人麻呂大明神の社殿の土を移して祠を作った。二年後に八代藩主前田利謙の生母自仙院佳子が歌を詠んで奉納したという記録も残されている。祠にあった人丸像は1870年に祠が合寺令で撤去された後、長慶寺にて安置されている。




 北側からの撮影。東側(写真手前左側)は個人の墓があり、削られたと見て間違いないと思う。

 大体、こういう形になっている。



 南側から。墳丘自体は高くない。写真の右側は、前方部のようになっており、そこに墓(結構、立派で単独)がある。



 山頂の方に、立山連峰を望む展望台が置かれている場所でもあり、長慶寺からの展望も良い。



 長慶寺の駐車場側から撮影。正面の森の中に長慶寺古墳が位置している。見てのとおり斜面全体が墓地になっている(おそらく、横穴墓もあったと思う)。



 でもまあ、長慶寺だと、こちらの五百羅漢撮るよね。普通。


 長慶寺を越えて墓地の方へ進むと森の中に進む道が一本ある。そこに行くまでの案内は無い。なお、五百羅漢の階段を登った先が、杉坂古墳群(長慶寺の北側に走る道沿い)になる。とはいえ、古墳として明確に残されている物は一つもないのが、現状であるし、案内自体も番神山横穴墓以外は無い。と言うより、そもそも、志留丸塚と筆塚の案内すらないと来ている。

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