10月11日に敢行した自転車による白岩川流域古墳群巡り、最後となるのは、塚越古墳。
立山町の塚越I遺跡にある35m規模の円墳で、白岩川流域古墳群に属する。未調査のため、詳細は不明だが、若王子塚古墳と同じく八幡社の神社地となっている。
塚越I遺跡(なお、南に塚越II遺跡、西に塚越III遺跡もある)は、立山町と舟橋村で分断されている遺跡で、立山町の方は未調査だが、舟橋村の方は村営住宅造営の際に調査が行われ、縄文磨製石斧、縄文剥片、縄文土器、弥生土器、弥生石鏃、古代須恵器、古代土師器、中世珠洲、中世土師器、近世陶磁器が発見された。少し東には、京坪川の旧河道が発見され、改めて竹内東芦原遺跡と命名された場所でも同様の痕跡が発見されている。他にも周辺に縄文時代の遺跡が多数確認されている。
入り口右手にあるのは、古墳であることを示すものではなく、「義人
宮崎忠次郎記念碑」。明治2年のばんどり騒動の総大将として、暴徒と化した一揆勢の責任を一身に背負い明治3年に処刑された人物。古墳自体の明記は一切無い。
それほど高くない墳頂部より、北側。
墳頂部より、南側の神社鳥居方面。なお、手前は公園になっていて遊具が置かれている。
県道側から。この県道、GoogleMapの航空写真で見る限り、ここ数年内に造られた新しい道。それ以前は、農地の中だった古墳は、この道路の完成によって、かなり、発見しやすくなった。
入り口付近から、立山連峰……雲で見えないけれども。白岩川流域古墳群からは、当然、立山連峰を望むのに適した場所にある。なお、左隅にあるのは、愛用の高機動車。
以前は、西側の県道161号線が存在しなかったが、最近、この道路が開通したせいで大通りに面した古墳になった。ただ、古墳の案内は一切無い。実のところ、ここが本当に塚越古墳かも。一応、
富山県GISサイトにある地図と照合して間違いは無いと思う。
より大きな地図で 塚越古墳 を表示
今回、SONY VAIO PとWiMAXが非常に役立ったりする。
それと白岩川流域古墳群は、
八幡社:若王子塚古墳、塚越古墳
神明宮:宮塚古墳、竹内天神堂古墳
墓地:清水堂古墳
蛭子神:稚子塚古墳
と有効利用されている。ただ、古墳としての案内が、稚子塚古墳のみで、富山県観光案内でも他の古墳は載っていないのが現状。詳しい説明は、北代縄文広場のサイトにあるのだが、なぜか、リンクがされていない(若王子塚古墳で検索すれば見ることは可能)。
あまつさえ、このブログが上位に来る始末……