常なる忠誠

LEATHERNECK FAN別館または史跡巡りな話

米道古墳

2012-12-11 23:30:59 | 古墳(富山県東部南)
 富山県中新川郡立山町にある米道古墳。詳細は不明。墓地になっており、墳丘らしきものが微かに残っている。

 位置的には富山県南東端。




 なお、ここに行くまで2km近くの上り坂を走ったのだが、200mほど自転車で登ったことになる。おかげで帰りは早かった。

藤塚古墳

2011-07-19 00:07:45 | 古墳(富山県東部南)
 藤塚古墳(旧名日中藤塚古墳)。常願寺川から東側の古墳としては、最南端に位置する。
 規模は直径約20m、高さ3.8m。竪穴式の石室が発見され、副葬品も発見された。





 現在、がっちりと石垣で固められており、横は畑になっている。一応、立山町指定遺跡。



 登るような道にはなっていないように見えて、畑があるので登る道はあるにはある。手入れはあまりされていない模様。



 墳頂にある祠。




 木々に遮られているが、白岩川側の台地の先端近くにあるため、見晴らしは悪くない。



 通りの裏側から。



 割と通行量の多い道路に面している。



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塚越古墳

2010-10-16 00:15:47 | 古墳(富山県東部南)
 10月11日に敢行した自転車による白岩川流域古墳群巡り、最後となるのは、塚越古墳。
 立山町の塚越I遺跡にある35m規模の円墳で、白岩川流域古墳群に属する。未調査のため、詳細は不明だが、若王子塚古墳と同じく八幡社の神社地となっている。
 塚越I遺跡(なお、南に塚越II遺跡、西に塚越III遺跡もある)は、立山町と舟橋村で分断されている遺跡で、立山町の方は未調査だが、舟橋村の方は村営住宅造営の際に調査が行われ、縄文磨製石斧、縄文剥片、縄文土器、弥生土器、弥生石鏃、古代須恵器、古代土師器、中世珠洲、中世土師器、近世陶磁器が発見された。少し東には、京坪川の旧河道が発見され、改めて竹内東芦原遺跡と命名された場所でも同様の痕跡が発見されている。他にも周辺に縄文時代の遺跡が多数確認されている。




 入り口右手にあるのは、古墳であることを示すものではなく、「義人宮崎忠次郎記念碑」。明治2年のばんどり騒動の総大将として、暴徒と化した一揆勢の責任を一身に背負い明治3年に処刑された人物。古墳自体の明記は一切無い。



 それほど高くない墳頂部より、北側。



 墳頂部より、南側の神社鳥居方面。なお、手前は公園になっていて遊具が置かれている。



 県道側から。この県道、GoogleMapの航空写真で見る限り、ここ数年内に造られた新しい道。それ以前は、農地の中だった古墳は、この道路の完成によって、かなり、発見しやすくなった。



 入り口付近から、立山連峰……雲で見えないけれども。白岩川流域古墳群からは、当然、立山連峰を望むのに適した場所にある。なお、左隅にあるのは、愛用の高機動車。


 以前は、西側の県道161号線が存在しなかったが、最近、この道路が開通したせいで大通りに面した古墳になった。ただ、古墳の案内は一切無い。実のところ、ここが本当に塚越古墳かも。一応、富山県GISサイトにある地図と照合して間違いは無いと思う。

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 今回、SONY VAIO PとWiMAXが非常に役立ったりする。
 それと白岩川流域古墳群は、

 八幡社:若王子塚古墳、塚越古墳
 神明宮:宮塚古墳、竹内天神堂古墳
 墓地:清水堂古墳
 蛭子神:稚子塚古墳

 と有効利用されている。ただ、古墳としての案内が、稚子塚古墳のみで、富山県観光案内でも他の古墳は載っていないのが現状。詳しい説明は、北代縄文広場のサイトにあるのだが、なぜか、リンクがされていない(若王子塚古墳で検索すれば見ることは可能)。
 あまつさえ、このブログが上位に来る始末……


竹内天神堂古墳

2010-10-15 00:03:17 | 古墳(富山県東部南)
 竹内天神堂古墳。富山県東部唯一の前方後方墳(規模は45m、高さ9m)。現在は、北にある宮塚古墳と同じく神明宮の神社地になっている。古墳としての案内は無い。
 1983年5月に県道拡張工事にあわせて調査が行われ、前方部から古式土師器が発見されたことから、4世紀後半から5世紀初頭の構築と推定されている。なお、県道はたびたび拡張工事が行われ、そのたびに周辺で発掘調査が行われており、1988年には周溝部が確認された。また、駐車場造成(おそらく駅舎の図書館の)の際にも、古代須恵器が発見されたが、これは古墳とは無関係とのこと。舟橋駅周辺も縄文から中世にかけての遺跡が確認されている場所である。




 東側。竹内天神堂古墳は、東西に造られており、西側が後方部になっている。



 南側。隣接して民家があるので、南側の撮影は困難。



 南西側から。南からだと民家があるために古墳の姿が確認できない。なお、写真左側は竹内神明社前遺跡という名称がつけられている(未調査)。



 西側から。前方部はほとんど痕跡をとどめていない。



 後方部には神明社がある。


 舟橋駅のすぐ側。竹内交差点にある。一応、駅舎にある図書館の駐車場が真横にあるが、休館日には利用はできない。越中舟橋駅は、すぐそこにはあるけれども。県道は割と大型車両が通過する道。

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稚子塚古墳

2010-09-20 00:52:37 | 古墳(富山県東部南)
 稚子塚古墳は、底部直径46.8m、高さ7.2mの県内最大の円墳。5世紀中頃のものと推定され、富山県内にある古墳では唯一で茸石が確認。だからこそ、杉谷6号墳でそれらしき物が発見されて、富山大学の教授が、
「やほー」
 状態になったわけである。墳丘の周囲には今も周濠の形が残っている。なお、2月に二度撮影に行き、一度目は周辺の道路が整備中で車を止められず、改めて自転車で撮影に行ったのだが、冬季に撮影した写真は紛失し、改めて撮影しにいくはめに。

 2月に撮影に行った折には、工事によって古墳につながる道に幅1メートルほどの溝が掘られていたが、現在はきちんと整備されている。



 北西側から。古墳は、水田の真ん中に位置しており、周囲に遮る物も無いため、立山連峰を背景に見ることができる。



 南側から。



 北側から。



 頂上へ登ること前提で整備されている。もっとも、季節にかかわらず、樹木が生い茂っているので墳頂からの眺望は良いわけではない。



 墳頂部には、かつて樹齢300年になる杉が立っていたが、昭和48年に枯死した。現在、切り株が、ここに祭られている。



 墳頂部で、切り株と共に祭られている蛭子神の祠。



 古墳入り口から、まっすぐ西に延びる農道から。背景に見えるは立山連峰。



 稚子塚古墳周囲には、周溝が残されている。




 稚子塚古墳に向かう一つ手前の交差点から。


 駅からは、割と遠いのだが、路線は側を走っているため、列車の中から姿を見ることができる。

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 案内が特にある訳でもないが、位置的にはそうわかりにくい場所ではない。ただ、実際に古墳に向かう場合、車が進入できるのは南側からだけになる。西から古墳にまっすぐ向かう道は踏切が狭いし、北に延びる道は実は行き止まりになっている。南側に東西に走る道は、舗装されていない農道。